第三十二話 正解
従者が踏んだ木の枝が、乾いた音を立てて砕けた。その音に呼ばれるようにして、魔女は俺へと視線を合わせた。人畜無害そうな笑顔で――は、なかった。きょとんって顔してる。台詞をつけるとしたら、「何を言ってるんですか?」みたいな。
……俺、なにか間違ってるかな。
「え、っと、グラウスさんがラードーンの炎を消したいって言ったから、でしょうか……?」
「……どうして疑問形なの」
ああ、もう、駄目だ、迂遠な言い方では。
「……俺が篝火隊っていうテレジア教の魔物殲滅部隊の隊長をやってたって話は、従者殿から聞いてる?」
「ああ、はい。聞きましたよ。隊長だなんて、すごい人だったんですね」
「……そんな良いものじゃ、なかったけどね。じゃあ魔術兵器のことは覚えてる? 篝火隊がラードーン――厄災級の化物を、討伐した方法」
「もちろん。魔物をほぼ無人で討伐できるっていう、画期的な発明品、ですよね」
「設置した場所から動かせないことがネックなんだけどね。でも、篝火隊がその弱点を補った。……どうやったと思う?」
「当然覚えていますよ! グラウスさん達が頑張ってラードーンをおびき寄せたんでしょう」
「だったら、あんたらはどうしてのこのこと俺についてきてるの?」
ここまで言って、ようやく魔女は口を閉ざした。最後の質問への答えを探す魔女の、自分の将来を思い悩むティーンエイジャーのように真剣な顔が、こと俺の目からはなんとも気の抜けたものに見えた。ちなみに従者はなんの表情も浮かべていない。こっちはたぶん、本気で何も考えていない。
頭痛めいた馬鹿馬鹿しさを追い出すために、俺は天を仰ぎながら大きく溜息を吐いた。視界の六割ほどを埋める樹冠の向こう側に、オレンジ色の光が見えた。早く夜になってしまえばいいのに。
「……罠、ですか!?」
「違うよ。違うけどさぁ」
俺の意図していた回答に辿り着いた今もなお、荷車と愉快な化物一行は仲良くのんびり森の中を進んでいる。荷車を止めるなり従者に俺を拘束させるなりしてもいい状況だろうに、その素振りすらも見せやしない。
間違えているのは、ずっと俺の方だったっていうのか?
「二人を脅かすつもりはないよ。でも、俺は一応、テレジア教のちょっと偉い人間だったんだ。そしてそれを隠してた。……危険人物だとは、思わなかった?」
「いや、まぁ、個性的な人だなーとは思っていましたけど。仮面とか……」
「そんな男がラードーンを殺した場所にあんたらを案内している今の状況を、あんたらは、これっぽっちも疑わなかったの?」
「いや、疑ってなくもないこともないと言えなくはない感じで……ね、ヨシュアさん」
「疑ってなかった」
「ヨシュアさん!」
魔女はドストレートに打ち明けた従者を咎めるような声を出した。十中八九魔女も同罪だろうに、酷い茶番だ。俺はもう一度溜息を吐いた。
「ついでに従者殿のことを殺そうともしたよ。首元に傷をつけた。もう治っちゃってるけど」
「……そっちは聞いてないです」
「言ってない」
「……まぁ、とにかくそういう感じなんだよ」
これでようやく、最低限の認識を合わせることができただろうか。
「改めて聞かせて欲しいんだけどさ。あんたらはどうしてまだ俺の願いを叶えてくれるつもりでいるのかな。俺は二人にとって、こんなにも悪い人間なのに」
「……その質問が、貴方にとってどんな意味を持つのかは、わかりませんけれど」
そうですね、と魔女は深く考え込むように、乗り出していた背を再び荷台の縁に預けた。疎らな木々の隙間を選んで緩く蛇行する荷車の音が、ネシュの森の中に吸い込まれていく。いつの間にか耳慣れたその音を聞きながら、俺は魔女の言葉を待ち続けた。
頭上の葉から降り注ぐ陽光は赤色に傾き始めている。人間のための太陽はもう幾ばくも無く終わりを迎えて、じきに彼らの夜に変わる。
静かな空間であった。こんなにも空っぽな世界は久しぶりな気がして、俺はその理由に思いを巡らせた。ああそうだ。自分の声が聞こえない。絶えず俺を急き立てていた焦燥感も、きっと彼女達の態度に飽きれてしまったんだろう。
「うーん、これはグラウスさんの求めている答えじゃないかもしれませんが」
「いいよ。教えて」
「嘘を吐いてるとかテレジア教だとか、そういうの、私達にはあんまり関係ないですね」
穏やかな声だった。きっと悪意を生み出す器官がぶっ壊れているんだ。そうでなければ、こうはあれまい。
「例え貴方の言う依頼が真っ赤な嘘で、これが全部私達を何とかするための罠だとしても。……まぁ、どうとでもなるかなって。人間の力で私達を《《解決》》するのは、とても難しいから」
「大した自信だね。龍の魔女だから?」
「ええ。龍の魔女だから」
魔女は笑った。酷く傲慢なことを言っているくせに、それを微塵も感じさせない朗らかな笑い方であった。
「ねぇヨシュアさん。これが罠で、向かった先にテレジア教の方が沢山待ち構えていたらどうします?」
「グラウスを置いて逃げよう。盾にしてもいい」
「いいですね。その際には忘れずにアルセダ顔料を拝借しなきゃ」
こんな感じなので、滅多なことはしないほうがいいですよ。そう言って努めて悪そうにヒヒヒと笑ってみせる魔女の、なんと魔女らしくないことだろう。淡々と荷車を引き続ける従者の、なんと従順なことだろう。
ようやくわかった。魔女の迂闊も従者の無為も、寛容も、許容も。全てが彼女達の非人間性によるもの。人間なんかよりずっと強くて遠いから、俺みたいな人間すらも無邪気に信じていられるんだ。
その心の在り様こそが、彼女達が人間でない何よりの証明。
ああ、ああ、やっぱり俺は間違っていなかった。こいつらは化物なんだ。人間なんかじゃないんだ。
だから俺は、彼女達を好きになってもいいんだ。
「……良い考えだけど、一つ訂正しておくね。俺を盾にしても、あまり役には立たないんだ。名誉に殉じよって言われて、諸共やられちゃうと思うよ。隊長ってのはそういう役割だったからさ」
「うーん、グラウスさんも結構大変なんですねぇ」
「人間なんて、大変なことばかりだよ」
俺は仮面を外した。この二人の前ではもう、不要なものだった。




