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魔女と邪龍の化物証明  作者: 中島とととき
魔女と邪龍の化物証明
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第二十七話 信心


 都市メルキルエト中街。その中心に位置するテレジア教の聖堂は、聖篝火教会とも俗称される巨大な宗教施設である。

 精緻で流麗な紋章魔術が全面に施されたファサードと、遠目にも鮮やかな光を返す大きなバラ窓。とりわけ印象的なのは、この都市のどんな建物よりも高く築きあげられた鐘塔だ。


 メルキルエト全域も音を響かせられるほどに巨大な鐘楼と、それを天高く掲げる巨大な塔。魔物の進行や大壁の破損など、都市の存亡を危ぶむレベルの有事を伝えるための鐘であるが、建造以来一度たりともその音を響かせたことはない。そんな平和の象徴とも言える鍾塔を邪龍ヒュドラが見学に来てるっていうのは、一体なんの冗談なんだろうな。


 今やほとんど観光地化しているこの聖堂は、今日もまた多くの人間で賑わっていた。観光客や近隣住民、もちろん礼拝に来た信徒の姿もある。沢山人間がいるというのに、歩きにくさを感じないのは、それほどまでにこの聖篝火教会がでかいということだ。

 ちなみに、今日は雷鳥の半仮面はつけてきていない。ここは仮面を着けている方が面倒くさくなるタイプの場所である。


「立派だ」


 通りを挟んだ反対側から聖堂の外観を眺めていた従者が、思わずと言った風に言葉を漏らした。そこには極薄くではあるものの感情の類が乗っていて、近い表現を当てはめるなら、……感嘆、だろうか。あるんだ、感情。

 何が面白いのか、従者は熱心に聖篝火教会を見つめていた。まぁ、俺だって立派だなって思うよ。でもそれだけかな。


「あの色付きガラスのバラ窓とか、すごいよね。ここに祈りを捧げるために、はるばる遠方からやってくる信者もいるらしいよ。ところで従者殿、外壁に描かれている紋章魔術、見えてるよね」

「見えている」

「あれね、魔物除け」


 左斜め上から視線が振ってきたが、俺はそれに気がつかないふりをした。

 紋章魔術というのは周囲の魔力を吸い取って発動する設置型の魔法のようなものである。全ての建物の外観に魔物除けの紋章魔術を印すことができたら、そりゃあ皆安心して暮らせるだろうけど、現実的には難しい。魔力にだって限りはあるのだ。

 そこで代表的な建物にだけ魔物除けを施して、ヤバい時には皆でその場所を避難所にする形式がよく採用されている。メルキルエトの代表の一つが、ここ聖篝火教会であった。


「テレジア教の威信がかかってるからね、さぞかし質の良い魔物除けだと思うんだけど。……やめとく?」

「やめない」

「敷地内に入った瞬間に変身が解けて、ドカーン! とかならない?」

「ならない。……それに、これが本来の姿だ」


 そりゃ失敬。そういや一応元人間って話だったもんね。封印、だかなんだか知らないけれど。


 さり気なく数歩の距離を開けながら、俺と従者とは聖篝火教会の建物内に足を踏み入れた。大きく開かれたアーチ状の入口をくぐる際は、流石の従者も不快そうに顔を歪めたが、それも一瞬のことであった。

 懸念していたこと――理性を失って大暴れするとか、うっかり邪龍が顕現してしまうとか、そういうことは幸いにして起きなかった。従者の様子は、万全の体調には見えないものの、酷い熱病に苦しんでいる人間くらいの体裁を保っている。


 その程度には辛い環境なんだね。なんかちょっと安心したよ。けろっとされていた日には、今日までの人類の努力が信じられなくなっちゃうからさ。


「辛そうだね。もう帰る?」

「帰らない。祭壇を見に行こう」


 従者は俺の親切心に首を振って、観光客の波に混じって祭壇の方へと足を向けた。先程までの足取りよりもずっと精彩を欠く、気だるそうな歩みであった。

 ……聖篝火教会は立派な場所だ。でも、こうまでして観光したいところだろうか。こいつにとって、ここは何? この男の思考は、魔女以上に理解ができない。薄気味悪くてしょうがない。 


「この時間は祭壇が開放されているから、ゆっくり中を見れそうだね」

「礼拝はいつ頃やっているんだ」

「基本は祝日、直近だと明後日かな。……もしかして、参加したいの?」


 従者は三秒くらいじっと俺の顔を見てから、ゆっくりと首を横に振った。うーん、魔女を挟まずにこいつとやり取りするの、なんだかすごく疲れる。


 身廊を進み、礼拝や儀式に用いる長椅子が置かれている辺りまで来ると、聖篝火教会の祭壇の全貌が良く見て取れた。周囲と比べて小高く作られている祭壇、その中心には石板のようなものが置かれていて、そこに埋め込むような形で八面体割の青い鉱石が輝いている。あそこに輝いている鉱石こそが、テレジア教の信仰の象徴たる転移結晶である。


 祭壇の向こう側には色付きガラスの窓が見えていて、そこから漏れ出る光はやや暗い聖堂の中で際立って輝いて見えた。浮足立った観光客も、この厳かな空間の中にあっては、お喋りも忘れて背筋を伸ばしているようであった。

 ……うん、見学した。いつ見ても見事な祭壇だね。従者も満足したかな?


 ちらりと横目で従者の様子を窺うと、彼は変わらない感情の希薄な表情でじっと動かず祭壇を見ていた。なんだか長引きそうな気配を感じ取って俺は近くの長椅子に腰を下ろした。昨日より運動量は少ないはずなのに、酷く疲れるような感じがするのはどうしてだろう。気疲れ?


 手持無沙汰にぼんやりと辺りに目をやると、祭壇に近づいていく観光客がちらほらといることに気がついた。祭壇の周りはやけに意匠の凝られた柵で区切られていて、俺達のような観光客が気安く寄れないようにされている。それでも熱心な見学者なんかは、可能な限りまで祭壇に近づいて、祈りを捧げたいと思うものらしい。


 何の道具もない中で、それでも略式の祈りを捧げ行く人々を俺は眺めた。テレジア教の祈りの形は、筆記具を握る右手とそれに添える左手で成り立っている。文字には力がある、というのもまたテレジア教の教えの一つであり、今日の紋章魔術に通じる考え方でもあった。


 胸の前に握った右手を挙げ、そこに左手を添え、頭を垂れる。テレジア教は、女神テレジアは、今を生きる人々に寄り添う確かな支えとなっている。俺にはちょっと、わからない世界だけれど。


 緩やかに入れ替わっていく人々の祈りを見ながら、俺はこっそりと欠伸を噛み殺した。その時、涙で滲んだ視界の中にあり得ないものが映り込んだ。……祈る人々に混じって、祭壇に近づく従者の姿を。


 何をする気かな。転移結晶でも壊したくなった? 急にのしかかってきた緊張の中、俺は呼吸も忘れて従者の動きを見ていた。事と次第によっては逃げ出すことも考えないといけないな、などと思いながら。


 他の信徒同様に許されている範囲のぎりぎりまで祭壇に近づいた従者は、厳かな仕草で胸の前に握った右手を挙げそこに左手を添えた。

 幾分古めかしい様式だったが、俺の見間違いでないのであれば、あれは間違いなくテレジアへの祈りだ。


 頭を垂れ、祈る。祈る。祈る。


 ……なにしてんの?

 なんで、お前が、祈ってんの?


 茫然と見ていた。従者が祭壇から離れてもなお、俺は視線を動かすことができなかった。思考を上手にまとめられない。今目の前で起きたことを正しく理解したくないと、脳味噌が勝手に制限をかけている。


「ありがとう。もう満足した」


 気がつくと隣に従者が立っていた。錆びた蝶番を無理やり抉じ開けるような気分で声の方へと首を動かすと、少しばかり覇気のない無機質な顔が俺のことを見ていた。


「……従者殿って、テレジア教徒なの?」

「違う」


 胸中に強い安堵が広がった。ああ、なんだ、あれも人間の真似事かと、そう自分自身を納得させることができたと思った。それが叶わなかったのは、きっとずっと適当に生きてきた俺への罰だ。


「俺は入信の儀を介していないから、正式な信徒じゃないんだ」



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