第二十四話 それでも俺は間違えていない
「……やっぱり、俺にはよくわからないな」
「人間の定義が貴方がたと異なっているだけですよ。自分の定義は、自分でできます。それだけのことなんです」
魔女は穏やかに、しかしぴしゃりと言葉を締めた。何人たりとも立ち入らせる気の無い、魔女のアイデンティティの一柱。別に、俺だって考えを変えろと言いたいわけじゃない。ただその考えが相容れなくて、理解できなくて、気持ち悪いだけ。
そうまでしてどうして人間の枠に留まろうとするのかが、俺にはついぞわからない。
「質問を変えるね。魔女殿は、どうしてそんなに人間に優しくできるの?」
スリにも遭ったし、イカサマもされた。おまけに依頼主の男はどうしようもない嘘吐きで、否定の言葉すら投げかけられている始末。それでも魔女は怒ることもなく、報復すら浮かばず、全てを受け入れ笑っている。
異様だ。怖いよ。少しは俺を納得させてよ。
「えっと、人間が人間に優しくすることに、理由がいりますか?」
「…………」
「あ、もちろん限度はありますよ! 私達にだって生活があるし、譲れない線引きもある。でも、出来る限りの範囲で、助け合って生きていく。それが人間って生き物じゃないですか。ですよね?」
「……俺に、同意を、求めないで」
食べているパンが急に砂礫に変わったような気分だった。聞かなければ良かった。なんだよその理由。何一つ答えになってないじゃないか。
人間はそうじゃないんだよ。人間ってのはもっとろくでもない生物なんだ。俺が人間であることが、その紛れもない証明だろうが。
魔女の言葉は理想だ。理想っていうのは、叶わないから理想なんだ。それを魔物のお前が口にするだなんて、酷い皮肉じゃないか。
俺はやっとの思いで一つ目のパンを食べ終えた。袋の中にはまだいくつか残っているけれど、とても手を伸ばせる調子ではなかった。
「もういいんですか? たくさん食べていいんですよ」
「もういいよ、ありがとう。お腹いっぱいで、苦しいくらい」
小食なんですねと魔女は笑った。俺は曖昧な笑顔を返すだけで精一杯だった。
ガランと頭上で時刻を知らせる鐘の音が鳴る。路地の終わりに見える光の中を数人の人影が横切っていく。薄汚れたこの小道に意識を向ける奴なんていやしない。二人きり佇むこの路地裏を、俺達はもう出ないと行けない。
「では、そろそろ買い物の続きに戻りましょうか」
「……最後に一つだけ、聞いても良いかな」
ええどうぞと魔女は間髪入れずに快諾を返した。対する俺は、言葉が上手に出てこなくって、「ええとね、」なんて無意味に時間を引き延ばした。
仮面に宛がった左手の爪が、かちかちと小さく音を立てる。やや下方から魔女の瞳が俺を映している。仮面を被った男の姿を映している。
「もし、例えば……自分の中にどうしようもない衝動があって、それが人間にとって都合の悪いものだとする。人間に害を成さないためには衝動を我慢する必要があるけど、我慢し続けているといつか爆発しちゃうかもしれない。……そんな時、魔女殿ならどうする?」
「それって、どうしても大きな都市で買い物したり遊んだりしたいけど、大壁を壊して入ったら市民に迷惑をかけちゃう、みたいな話ですか?」
「まぁ、そんな感じ」
だったら解決は簡単ですね。そう言って魔女は得意気に笑った。
「誰かに助けてもらえばいいんですよ」
「そんなにうまくいくかな」
「いきますよ。現にほら、グラウスさんが、私達を助けてくれた」
……俺が?
「ええ、貴方が」
そんな意識はなかった。対価としてあんたらが欲しがったから、与えただけだよ。アルセダ顔料も、メルキルエトへの手引きも。
それを、この魔女は、助けてもらったと認識しているの? 俺の優しさだとでも?
「だから、もしグラウスさんが爆発しそうになったら、今度は私達が助けてあげます。人に害を成さない方法、一緒に探せばいいじゃないですか」
「……そっか」
「そうですとも」
任せてください、と魔女は数回自分の胸元を叩いた。細い腕も薄い体躯も、少し力をかければ折れてしまいそうに華奢なのに、どうしてかこの上なく頼もしい姿に見えた。
静かな路地裏に荷車の軋みが響きだす。彼女達との関係がほんの数日で終わってしまうことが、あまりにも惜しいような気がしてならない。
そんな自分が、どうしようもなく悍ましい。




