第二十三話 首輪のついた化物、首輪を引く化物
魔女の買い物は多岐に渡った。日持ちのするものを中心に食料品を買い、分厚い本を何冊も荷台に積み上げて、薬に服にと金を使う。アレが欲しいコレが要ると指折り数える魔女の欲望は果てがなく、荷車の上はあっという間に物だらけ。
朝早くに出てきたはずなのに、太陽は今は真上にあった。流石に休憩させてほしくて、俺は魔女と別れて通りを外れた人気のない路地の端に逃げ込んでいた。
気温はそんなに高くないはずなのになんだか暑くてしょうがない。耳の奥に人々の喧騒が残っていて落ち着かない。俺はどこぞの民家のものだろう煉瓦地の壁に背を預けた。道の隅にへばりついた薄汚れた布に、割れた陶器の破片。狭苦しい通りを塞ぐように荷車を置いているけれど、たぶん困る人間はいない。
俺は周囲に人目が無いことをよくよく確認してから目元を覆う半仮面を外した。こんな煩わしい仮面、本当は一秒だってつけていたくないんだ。《《グラウス》》だってわかるから。誰も彼もが視線を寄越す。声をかけてくる人もいる。
疲れてしまうよ。都合の良い言葉を選んで、耳障りなことは隠して、人間はそうやってコミュニケーションをとる。みんな嘘ばかり吐いて生きているんだ、だって俺がそうだから。門番も、マチアも、さっきの商人も変わらない。そんな生物、信用できるはずがないだろ。
路地裏の中、ようやく衆人環視の舞台を降りられたような気分になって、俺は深く息を吐いた。意識は自然と魔女の買い込んだ様々な品に向いていた。
俺の腕一本分くらいの幅の荷車の上、生活に必要そうな物から、香だの画材だのといったし好品まで。小山のように積まれたこれらは、言葉より何より鮮烈に、魔女達が長らく都市から離れて暮らしていることを証明している。これだけ買えばまだまだバルタラ山に籠城できるだろうね。正気の沙汰じゃないな。
「何か気になるものでもありました?」
「いいや、別に。ぼーっと見てただけだよ」
路地の端から聞き覚えのある声がした。魔女であることがわかっていたので、俺はそちらを見なかった。
「疲れもしますよね。グラウスさん、色々な人に声をかけられていたし。……もしかして、有名な方だったり?」
「そうだよ。この仮面、嫌でも目立つんだ。つけてみる?」
「うーん、目立つことには興味がないです」
軽い足音が近づいてきたため、俺は仕方なく仮面を付け直した。十数分ぶりに会った魔女は、一抱えほどの紙袋を大事そうに持っている。彼女も結構歩いているはずなのに、俺よりもずっと元気そうに見えた。
「荷運び代には足りないでしょうが」
ずいっと丸ごと差し出された紙袋からは焼けた小麦の良い匂いがした。紙袋に描かれていたのはメルキルエトで最も有名なパン屋の印である。
「くれるの? 結構入っているけど、まさか全部じゃないよね」
「全部でもいいですよ。好きなものを好きなだけ食べてください。残った分はヨシュアさんへのお土産です」
「魔女殿は食べないの? お腹空いてない? それとも、食べなくてもいい体質とか?」
わざとらしく水を向けてみたが、魔女は曖昧に笑うだけに留まった。
「さぁ、焼きたてのうちにどうぞ。これを食べて元気を出して、午後の買い物も頑張りましょうね」
「まだ買うんだね……」
あんなに買い込んでおいて、まだ足りないんだ。俺は胸中で盛大に溜息を吐いた。ああいいよ、最後までお付き合いしましょうとも。
さぁさぁと魔女が急かしてくるし、紙袋からは食欲をかき立てる良い匂いが絶えず漂ってくる。断る理由が見つからなくて、俺は荷車の縁に腰掛けてありがたく紙袋の中身を一つ頂戴した。白パンなんて久しぶりに食べるよ。
「ねぇ、俺が食べている間暇でしょ? 魔女殿の話が聞きたいな」
「……また減点する気なんでしょう」
「こんな路地裏の会話なんて、誰も聞いちゃいないよ。荷運び代の残りと思って、ね?」
「いきなり言われても話題が浮かばないですよ」
「じゃあ俺から質問するよ。……魔女殿はさ、どうしてそんなに人間でありたいの」
雑談の延長線上のトーンで尋ねるつもりだったのに、口に出してみれば、それは思った以上に剣呑な響きが乗っていた。風だけが吹き抜けていく路地裏に、すっと冷たい緊張感が漂う。もっとも、それを感じているのは、俺一人のようだけれど。
「何故人間でありたいか、ですか」
ううんと唸った魔女は、右手の壁の煉瓦に何とはなしに目をやった。その気難しい表情は、まるで目地の隅に生えている苔に人生相談でもしているかのようだった。
「どうしてと言われましても、私、元より人間ですからねぇ。その時のまま変わっていないし、変わらずにいたいと思っている。……というのが、答えでしょうか」
「ネシュの森でも言ってたね。魔女殿と従者殿、二人の身体に邪龍を封じているって」
今から百年近く前。触れるものの全てを腐り落とす魔物がいた。後に邪龍ヒュドラと呼ばれるそれは、幾度命が絶たれようともいずれ再生を遂げる、終わりなき厄災であった。
その厄災はある時を境にぱたりと歴史から姿を消した。どうして邪龍が復活しなくなったのか。誰がどのようにしてそれを成したのか。記録にも記憶にも残っていない。今日ではもう、誰も知らない。その答えがきっと、魔女が言うところの封印ってやつなんだろう。
魔女の言葉を信じるならば、魔女と従者は人類に平和を齎した立役者ということになる。本来ならば、英雄だ。でもこの世界ではそうはなれない。人間とそれ以外の境界線は明確で、その外側の存在はいらない。
立派な首輪がついていようが邪龍は邪龍だ。そしてそれを従える魔女だって、人間にとっては化物なんだ。




