第二十話 おかしいよ
「今日は本当にありがとうございました。とっても楽しかったです」
俺達が店を後にした時には既に日付が変わっていた。通りを吹き抜けるぬるい風は、酒で温まった体を冷やすには丁度いい。人の姿は行きがけに見た時よりもずっと少なくなっていて、さしもの外街もじきに眠りにつくだろう。
やたらと上機嫌な魔女は、時折ステップなんて踏みながら俺や従者の前を軽やかに歩いている。荷物は全て従者に預けることにしたようだ。帰路でまでスリに遭いたくないもんね。
「どういたしまして。お酒、気に入ってくれたようで良かったよ」
「他人が作ったお酒なんて、あまり飲むことができませんからね。自分で作ってみることもあるんですが、どうしても酒精が弱くなってしまって」
気軽に都市に立ち入りできない魔女が日常的に酒を飲もうとしたら、そりゃあ手作りするしかないのかもしれないが。この魔女はそこまでして酒を飲みたいのだろうか。……いや、そこまでしてあの山に住みたいのだろうか、と言うべきか。当然そちらの方が人類のためではあるが。
「従者殿も、楽しめた? 魔女殿はそこそこ酔ってるっぽいけど、従者殿も酔うことはあるの? というか今酔ってる?」
「楽しかった。酔うことはある。今は……どうだろう」
「酔ってますよ。いつもより口数が少ないでしょう」
先を行く魔女はけらけらと楽しそうに笑った。口数の少なさを指摘された従者は、それを裏付けるみたいに何の返事もしなかった。
俺には従者の口数の差なんてわからないよ。だってこいつ、基本的になんにも喋んないじゃん。なんて思いながらも、俺の口は「言われてみれば、そうかもね」なんて言葉を勝手に吐いている。なんだか普段より口が軽くなっているような気がした。お酒のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
魔物と一緒に酒を飲む日が来るだなんて一体誰が考える? 俺は想像すらしなかったよ。でも、それは今俺の目の前でスキップをしていて、あるいは俺の真横で淡々と荷物持ちをしているのだ。
魔女と邪龍は人間の真似をしていたいらしい。
理由なんてどうでもいいけど、彼女達の振る舞いは、今のところその主張に忠実だ。いくらか常識がすっぽ抜けている節はあれど、大壁をぶち壊して都市に侵入しようとはしないし、愚行を働いた人間をすり潰すこともしない。妙な薬で人間の形を保ちながら、人間の作ったルールに則って、人間と同じように衣食住を求める。
人間を親しむあまりに恐ろしく騙されやすい魔女。口下手で自我を疑うほどに従順な従者。些か極端なパーソナリティは人外のそれっぽくもあり、同時に人間臭い欠陥のようにも感じられた。
もったいないと、俺は思った。
抗いようもなく化物であるくせに、こいつらは人間なんかに焦がれている。転移結晶に拒まれ、魔物除けに苛まれ、人類に疎まれ、そのくせそれを良しとして。人も、都市も、全てを気分一つでぶっ壊せるだろうに、それをしない。
「もったいないな」
「なにがです?」
うっかり零れた言葉を拾った魔女が、くるりと綺麗な弧を描いて俺の方へと向き直る。街灯の下、黒いワンピースの裾が揺れた。気分良さそうに笑顔を浮かべる少女の姿は、完璧に人間のものに見えた。
「あんたらが人間じゃないことが」
「…………人間、ですよ」
さっと魔女の表情が陰る。言葉選びを間違えちゃったかな。折角ここまでやってきたのに、またやり直しになってしまうかも。
でも後悔はないんだ。妙な気分だった。人間相手には自分の内を曝け出すことなんてできないのに、化物になら構わないだろうと考える自分がいる。
これは侮りか、はたまた別の理由か。掘り下げるつもりはない。自分が揺らいでしまいそうだから。
魔女がその場に立ち止まったので、俺もまた歩みを止めた。一歩後ろに控える従者の視線を首筋に感じる。吹き抜ける風が体温を奪っていく。
「別に、私達が人間かどうかをグラウスさんに認めてもらいたいわけじゃないんです。私がそう思っていて、ヨシュアさんもそう思っているなら、それで良い」
「……そうなんだ」
「おかしいと思いますか? 人よりも少し長い時間を生きて、転移結晶も使えないで、魔物除けが苦しくって、それでも自分は人間なんだと主張する私のことを」
魔女の質問への正答は分かっている。「俺は魔女殿の考えを尊重するよ」って言えばいいだけだ。分かっているのに、俺はどうしてもそれが言えなかった。代わりに発した言葉はきっと、この上ないまでの誤答であり、……紛れもない俺の本心である。
「おかしいよ」
「……そうですか」
「あんたらは人間じゃないよ。人間じゃないんだから、人間になんてなろうとしないで、もっとずっと自由に振る舞えばいいのに。そうできるだけの、力を持っているくせに」
「あはは、率直に言いますねぇ」
魔女はくるりと回ってまた歩き始めた。酷い言葉を吐いた俺に怒りをぶつけることもしやしない。一言従者に命じるだけで、俺の首なんて簡単に撥ねられるのに、この魔女の中にはその選択肢が存在しないんだ。そして多分、従者の中にも。
魔女は進み始めたというのに、俺は足を動かせなかった。そんな俺の横を抜けて、従者がゆったりと魔女を追いかけようとしている。通り過ぎざまの細い背に向かって、俺は声を上げた。
「従者殿は怒らないの? 俺、あんたらを侮辱したつもりなんだけど」
「侮辱と思わなかった。それと、……他人の意見は、俺にはあまり重要じゃないんだ」
「……わかんないな」
わからないけど、置いていかれたくはないから、俺は止まってしまった足を無理やり動かすことにした。彼女らの歩みは軽快だ。直ぐには追いつけそうにない。
振り向かないまま、魔女は言った。
「良いんですよ。こうしてお話してくれるだけでも、貴方はずっと優しい。それに、どうですか? グラウスさんは」
「……どうって、なに?」
「今日は、楽しい日になりましたか?」
「……楽しかったよ」
偽りのない俺の答えに、前を行く従者がちらりと俺のことを見た。たんたんとリズムよくレンガ地の道を踏みしめながら、再び魔女がくるりと俺へ向き直る。薄暗い街灯の下でもわかるほどに、晴れた日のような明るい笑顔を浮かべていた。
「じゃあ、それで十分ですよ」
□ ■ □
〝明け鳥の寝床〟前。入口にある申し訳程度の灯りを唯一の光源として、辺りはすっかり闇と静けさに包まれている。「ではまた三日後」と、何の未練も無く去っていきそうになった魔女の背中を、俺は慌てて引き留めた。
「ねぇ、明日はどうするの?」
「明日は買い物をします」
「それ、俺も連れて行ってよ。俺、結構メルキルエトに詳しいから、助けになれるよ。マーケットでもアーケードでも案内できるし」
「いいんですか?」
俺の提案に魔女はパッと目を輝かせ、しかし直ぐに思案する様子を見せた。流石に怪しむことを覚えたかといっそ安心感すら抱いたのだが、
「ええと、嬉しい提案ですけど、流石にご迷惑では?」
悩んだ理由は、俺の心配?
「迷惑なんかじゃないよ。食事を奢ったくらいじゃ、命を助けてもらった恩を返せた気になれないんだ」
「……そういうことなら、お言葉に甘えて」
お願いします、と魔女は深々と頭を下げた。それを見ていた従者もまた、真似事のようにぎこちなく頭を下げた。
相変わらずあっさり受け入れてくれるね。警戒の一切を知らないのは、化物だからなの?
でもこれしきじゃあ証明には足りないな。俺はまだ二人の化物性を確かめていたい。確かめないといけない。魔女の盲目的な寛容を、従者の無関心な許容を、否定したくてしょうがない。
魔女と従者を人間と認めるわけにはいかないんだ。だってそうしたら、まるで俺が間違っているみたいじゃないか。
「じゃあまた明日、よろしくね」
それぞれ別れの挨拶を言いながら、魔女と従者は宿の中へと消えていった。その後ろ姿は、俺の目にはどうしようもなく人間のように見えた。




