第十九話 妹
「それで、さっきの続きですけど」
「続き? なんの話?」
「グラウスさんがジョンさんになってまで、私達に会いに来てくれたことについて、です」
忘れてなかったんだ。俺は返事の代わりに手元のタンカードを口元に寄せた。笑顔でいられる自信がなかったためである。
「実はずっと聞きたいと思っていたんですが」と魔女は前置いて、持っていたゴブレットをテーブルの上に戻した。かんと軽い音が鳴ったので中身は入っていないのだろう。
「グラウスさんはラードーンの炎を消したいんですよね」
「そうだよ」
「ラードーンの炎を消したら、メルキルエトとクグエクを繋げる道ができるかもしれない。そういう話でしたね」
「そうしたら、もっとずっと便利になるからね」
「なぜグラウスさんなんです?」
なぜ、俺か?
魔女の言わんとしていることがわからない。そんな素振りに見えるように、俺は普遍的な笑みを浮かべて首を傾げてみせた。少しでも長く時間を稼いでおきたかった。
これは本来はバルタラ山で済ませておくべき会話だった。今になって蒸し返してきたということは、多少なりと俺への不信感を募らせているということだ。次の質問への答えは、丁寧に行わなければならない。魔女と邪龍に、この依頼を完遂してもらうためには。
「メルキルエトとクグエクを繋げるために炎を消すだなんて、都市やギルドの単位で動く事柄じゃないですか。なぜグラウスさんがお一人で依頼しにきたんですか? 偽名を使って私達の噂を探し回ってまで」
「…………」
俺は無言で酒を煽った。酒を頼んでおいて良かったと思った。ここから先は、苦手な行為だ。自分の内側を曝け出しているような、そんな話をしないといけない。……魔女からの信頼を取り戻すために、避けては通れない。
「ええと、魔女殿は少し勘違いをしてる。ラードーンの炎を消すと、都市間を繋げる道ができるかもしれないってのは本当。でも、道ができる計画は、今は全く動いていない」
「炎のせいで?」
「そう、炎のせいで。もう消すことすら諦めちゃってるんだ、皆。何をやっても駄目だったから」
水をかけても土をかけても、時間が経てば元通り。一定の範囲を常に燃やし続けている炎は、既に生み出されてから半年くらいが経過しているけれど、あの日から何一つとして変わっちゃいない。人間の力では無理なんだって、人間なら皆知ってる。諦めてる。
「俺は計画を動かしたいんだ。ラードーンの炎が消えれば、もう一度交易路の計画を考え直してくれるって、そう思って」
「……なんのために?」
一つ深呼吸をした。言うべき言葉は決まっている。それでも心の準備が要った。
俺は嘘ばかり吐いて生きてきた。俺の言葉はとっくのとうに擦り減りきって価値がない。それでも、今から話すことだけは、どうしても嘘にされたくなかったんだ。
「クグエクに、妹がいるんだ」
魔女は何も言わなかった。俺の話を余すところなく受け止めようとしている、そんな真摯な態度に見えるのは、単なる俺の願望だろうか。黙ったままの従者の目も先ほどからずっと俺に固定されている。酒も食べ物も映さず、ただ俺を見ている、二人とも。
「歳の離れた妹で……丁度魔女殿の背格好と同じくらいかな。最後に会ったのは、もう随分前だけれど」
俺は半分程度の重さになったタンカードを手放し、代わりにテーブルの上で両手を組んだ。
「妹は、病気で、……転移結晶が使えない。魔力過敏症とでも言うのかな。強い魔力を浴びると様々な不調が生じる、稀有な病気なんだそうだ」
魔女は少しだけ身体を前に倒した。控えめな動作だったが、親身になって聞いてくれていることは明らかだった。
「転移自体は問題なくできるんだよ。ただ、あれは一時的に強い魔力を浴びないといけないだろ。その魔力が良くないんだ。吐いたり、痛みが出たり、酷いときには意識を失ったことも」
「それは、……大変ですね」
「……うん。でも、大きな問題は別の部分だ」
転移結晶は人間のみに作用する。人間であれば、人間でありさえすればいい。だから人間は平等。それ以外の存在とは一線を画す、神に許容された証明。
そんな思考が常識として蔓延る世の中で、転移後に大きく体調を崩す人間に、周囲がどんな目を向けるか。想像に容易いよな。
「妹は人間だ。人間なんだよ、転移結晶が使えるんだから。それでも、転移によって苦しむ姿を見た人の中には、……認めてくれない奴もいた」
「……」
「心無い言葉をかけられたり、……ごめん。具体的なことは言いたくないんだ。とにかく妹は幼い頃からずっとクグエクに籠もったきりで、……外の世界を、何にも知らない」
「……でも、壁外を通る道があれば、」
「そう。もし道が出来れば、転移結晶を経ずにメルキルエトに来られるようになる。……ただのエゴかもしれないけれど、俺は妹にここの景色を見せてやりたい。丁度あんたらに、してやっているみたいに」
伝えたいことは、これで全部だ。俺は残っていた酒を一気に飲み下した。くだらない嘘だったらいくらだって垂れ流せるのに、この手の話ときたら異様に俺の喉を渇かしていく。
慣れないことはするもんじゃないね。こんな姿、マチアに見られたら笑われてしまうよ。貴方に真剣な顔は似合わないわって。
「おかしいと思う? たったそれだけの理由で、俺はあのバルタラ山を登ったんだよ。いるかどうかもわからない、龍の魔女の噂をあてにして」
自嘲気味にそう言ってやると、魔女は目を伏せて緩やかに首を横に振った。そうして、「私は貴方の考えを尊重しますよ」と穏やかな声で呟いた。
「俺はどうしてもあの炎を消したい。ラードーンの炎が消えるところをこの目で確かめないと、俺は死んでも死にきれない」
「……はい」
「俺のこと、今すぐ信用しろなんて言えないよ。でも、魔女殿が望むなら、望むだけの誠意を見せるつもりだ。だからどうか、あの炎を消して。従者殿の……邪龍の力を使って」
俺はテーブルに両手をついて、深く深く頭を下げた。頭くらいいくらだって下げるさ。この願いさえ叶えられるのなら、俺は命だって投げ出していい。
年季の入ったテーブルの木目を見ていた時間は短かった。「顔を上げてください」と言う魔女のどこか慌てた声が聞こえたからだ。
「貴方が私達に依頼してきた理由は、よく分かりました。……こんな話聞かされたら、断れないじゃないですか」
「やってくれるんだね」
「そもそも、依頼を反故にするつもりなんかなかったですよ。ヨシュアさんも、構いませんよね?」
「構わない」
「……ありがとう、魔女殿、従者殿」
ああ、きっと、特別なことじゃないんだ。信用が失われたかもしれないって焦っていたのは俺だけ。魔女には、そして従者にはそんな考え端からないんだ。
先程の二人組の男に示した寛容を、彼女達は俺にも適用する。ただ、それだけ。
気が抜けて、俺はいつの間にか浮かしていた背中を椅子の背もたれに預けた。いつの間にか従者は食事を再開しているし、ワインボトルの位置が動いている。
「もう一つ聞いていいですか」
「もちろん。何でも話すよ」
和らいだ雰囲気に、話は一区切りついたとばかり思ったのだが、魔女にはまだまだ聞きたいことがあるらしい。俺は姿勢を正し魔女の方へと向き直った。魔女はというと、俺の目の前に置かれた空のタンカードをじっと見つめていた。意識的に俺から目を背けている、そんな空気だ。
「グラウスさんが、……」
言葉がなかなか続かない。迷っているらしい。手遊びにたんたんとテーブルの天板を叩く俺の指先が八を数えた辺りで、魔女はようやく顔を上げた。
「グラウスさんが私達に、……転移結晶が使いない存在である私達に、こうも普通に接してくれるのは、妹さんがいるからなんですか」
……そんなことを聞かれるとは思っていなかったもんで、繕うのも忘れて、俺は驚きをそのまま表情に出した。その顔を見たためかは分からないが、魔女はすぐさま自身の顔を小さな手で覆い隠して、
「すみません。今のは忘れてください」
ちょっと、あの、水を貰ってきます。そう言って慌ただしく席を立ってしまった。
俺は急に一人で放り出されたような気分になって、従者の方に視線をやった。こっちはもう完全に我関せずといった様子で木の実の油漬けを嗜んでいる。美味しいと思ってんのかは、表情からでは察することができなかった。
――転移結晶が使えない存在にも普通に接してくれるのは何故か。
ネシュの森でも近い会話をした気がする。あの森の中で俺は魔女に告げた。人間は恐れているんだと。邪龍のことも、それを従える龍の魔女のことも。
かつて人類に凄惨な被害を齎した厄災。それがこいつらの正体だ。いや、封印などと言う口振りを信じるならば、厄災たるあの邪龍と同一の存在ではないのかもしれない。ただ俺達人類が、その違いを区別できないだけで。
忌み嫌われるべき存在の彼女らに、積極的に関わろうとする人間なんていない。そんなことを伝えておきながら、俺はずっと彼女達に関わり続けている。転移結晶の使用に難がある妹を持つ男だからこそ、転移結晶を使えない存在である自分達を恐れないでいてくれるのかと、魔女はそう問うているのだ。
なんていじらしい問いかけだろう。不死にして埒外の力を持つ邪龍を従える魔女の深層に、こんな慎ましやかな思いがあるだなんて!
魔女はこの問いを取り下げた。それでも俺は、答えたいと思った。彼女に伝わらなくても良い。離れていく彼女の背中に向けて、心の中で、声にした。
はは、そんなわけないだろうが。




