第十七話 戯言、妄想、与太話
マチアは艶やかでどこか余裕のある、マドンナリリーに似た女性だった。シンプルだが小奇麗なドレスを身に纏っていて、狭くて酒の臭いばかりがするこの場所には少しばかり不釣り合いだ。客というよりは、……そうだ、確か彼女は歌を仕事にしていた。きっと演者としてこの酒場に来ていたのだろう。
座っても? とマチアは言った。断る理由を探す時間が無くて、俺はもちろんと返事せざるを得なかった。ドレスがよれないように丁寧に手を添えながら椅子に座ったマチアは、俺ではなく、向かいの二人組に対して
「初めまして、よね。私はマチア。ジョンの友人、……ってことになるのかな。貴方達は?」
「初めまして。リリエリと申します。こちらはヨシュアさんです」
「…………」
魔女は俺に向かって大いに含みのある笑顔を見せた後、何食わぬ様子で挨拶を返した。従者の分も済ませてしまったのは英断だ。だって従者ときたら、突然現れたマチアを見て黙り込んでしまって、
「ジョンというのは、誰の事だ?」
……なんて空気の読めない男なんだろう。隣の魔女ですら、あちゃーって顔を浮かべているだろうが。
いや、この男に思慮深さを求めた俺が間違っていたか。俺は横に座るマチアにも聞こえないほどの声量で言った。「喋らないで」。従者は馬鹿正直に頷きやがったので、喧しい酒場の中にあっても、指示は問題無く届いたようだ。
「あー、ごめん。彼、すごく酔っているみたいだ。ええと、この二人は俺の遠い親戚でね。東方の都市からはるばるやってきたんだ。メルキルエトを観光したいっていうんで、俺が案内を買って出たってわけ」
魔女と従者の言葉をどうにか遮りたくて、俺は彼女らの会話に強引に割り込んだ。恐ろしく不自然なことは承知の上で、それでも余計なことを話されたくなかったのだ。
「だよね、リリエリ?」
「……ええ、案内とても助かっています。……〝ジョン〟さん」
……やたらと強調して〝俺〟の名前を呼んでくれるね。
魔女はこれ見よがしに空になったタンカードを振った。俺は努めて穏やかに頷いた。もちろん奢らせていただきますとも、いくらだって。
俺の思考をきちんと受け取ったらしい魔女は、追加の酒を頼むようにと隣の従者に席を立たせた。少女のなりで酒を頼むのは流石に抵抗があったのだろうか。それとも余計なことを言いそうな従者をこの場から離したかったのか。いずれにせよ賢明な判断だ。
些かぎこちない俺達のやりとりに、ふうん、とマチアは訝しむような声を上げたが、追求の声はなかった。魔女の見た目が少女なものだから、嘘を吐くこともないだろうと侮ったのかもしれない。
「そう、観光に来たのね。メルキルエトにようこそ。……もう少し早くこの店に来てくれれば、私の歌を聞かせてあげられたんだけど」
「それは残念です。マチアさんは、歌手をされているんですね」
「メルキルエトで会うとは思わなかったよ。元々はクグエクの酒場で歌っていたよね?」
「私、貴方が想像しているよりもずっと人気があるの」
歌の良し悪しは俺にはわからない。俺は杯を傾けて自身の表情を誤魔化した。
マチアは俺が都市クグエクにいた頃の知り合いだ。クグエクは酪農が盛んな都市で、広さの割には住んでいる人間は多くない。つまり良い酒場の数も少なくて、俺達は約束も無しに頻繁に顔を合わせる関係であった。
最後に会ったのは五か月ほど前だろうか。五か月前といえば、あの時は確か、
「心配してたのよ。貴方、龍の魔女に会いに行くって出ていって、それきり姿を見せなくなったから」
――龍の魔女の噂を、熱心に探し回っていた頃だ。
遥か遠く、東方のバルタラ山には龍の魔女が住んでいる。厄災たる邪龍ヒュドラを従えていて、対価次第でどんな願いでも叶えてくれる。
たらふく酒を飲んだ時に、決まってこの話をする年寄りがいた。彼は東方出身で、若かりし頃にバルタラ山を登り、死にかけていたところを魔女と邪龍に救われたのだそうだ。見返りとして求められたものが、アルセダ顔料三番。彼はついぞ渡すことができなかったらしい。再びバルタラ山を登ることが、できなかったから。「俺は命を救われたのに、それでもアレらが怖かったんだ」。そんなことを言っていたっけな。
後悔と、恐怖と、畏敬と、感謝を。溢れるほどの酒を飲んだ時にだけ、彼は滔々と語るのだ。そうでもなければ言えやしまい。魔物を崇めるような言動を、テレジア教が認めることはないのだから。
酒に溺れた年寄りの戯言。妄想。与太話。
誰も彼もがそのように扱った。ただ俺だけが、そんな噂に飛びついた。
「貴方の生死は賭け事になっているわ」
「もちろん、君は生きている方に賭けてくれたよね?」
「当然よ。私、貴方の冒険者証を見たことがないもの。本当は冒険者じゃあないんでしょ。そもそも壁外に出れなかったと思っているわ」
ジョンの名前の冒険者証は、流石に偽造してないからね。
手厳しいねと俺は笑った。大言壮語の結果を恥じる男のように映ることを期待していた。
「結局龍の魔女には会えたの? 願い事は、叶えてもらえた?」
「……バルタラ山には登ったよ。でも、途中で降りてしまったし、龍の魔女にも会えなかった。あんなところに住める人間なんていないよ。酔っぱらいの戯言なんて、信じなければ良かった」
「あの話を信じる人間は貴方だけでしょうね。わざわざ東方まで行って、壁外の、それも一際危険な山を登ってまで、貴方は一体何を叶えたかったの?」
俺は緩く首を振った。マチアは溜息を吐いて、それ以上はもう何も言わなかった。代わりに、先ほどから静かに会話を聞いていた魔女が、話の尾を拾い上げた。
「クグエクには龍の魔女の噂なんてあるんですね」
「とんでもない話よね。熱心に話す人が一人、クグエクにいるのよ。なんでも昔魔女に助けられたとか、そんなことを言って」
「嘘か本当かはわかりませんが、その人が今も元気にやれているなら、助けた魔女とやらも本望でしょうねぇ」
「夢がある考えね。でも、そんな与太話のせいで、ジョンのような馬鹿が出るのは迷惑かな。……魔物が人を助けるなんて、あるはずがないもの」
ひやりと背筋が冷たくなったような心地がした。そんな焦燥を抱いたのは俺だけで、相対する魔女はにこにこと朗らかな調子を崩すことはなかった。いつの間にか戻ってきていた従者も、不愛想な表情をぴくりとも動かさないで、二人の会話を黙って静かに聞いていた。
「とにかく、ジョンが生きていると知れて良かったわ。じゃあ、またいつかどこかで会いましょうね」
「あれ、もう行くの?」
「まだ仕事があるの。言ったでしょう、私、これでも人気があるんだって」
またね、とマチアは席を立った。メルキルエトを楽しんでねと手を降るその表情は、聞きたいことは聞き終えたと言わんばかりにさっぱりとしていた。これで嵐は過ぎ去ったかな?
「こんなところで知り合いに会うとはね。世界って結構狭いね」
「そうですね、〝ジョン〟さん」
過ぎ去ってないか。これはもう、受け入れるしかないだろうな。意識的に外していた視線を魔女の方に戻すと、魔女はわざとらしいほどの笑顔を浮かべて俺のことを見ていた。目の前のテーブルにはワインのボトルが二本も立っていて、片方は中身が殆ど消えている。俺の弱みを握ったのをいいことに、どれだけ飲むつもりなんだこの魔女は。従者と二人で飲んだにしても早すぎやしないか。
「……ええとね、言い訳をさせて欲しいんだけど」
「どうぞ」
「一番使っている名前は、グラウスだからね」
「ねぇヨシュアさん。彼の依頼を受けたのは早計だったでしょうか?」
「俺はリリエリの判断に従う」
「……とりあえず、ジョンさんには色々説明してもらわないといけませんね」
魔女はちらりと批判的な目線を俺にやった。依頼をご破算にする前に、チャンスをくれてやるってことだね。魔女殿ったら慈悲深い。
何でもお答えしますよと、俺は両手を挙げてあくまで従順な姿勢を示してみせた。




