第十六話 ジョンってどなたです?
魔女の言葉が頭の中から離れてくれない。
私達は人間なのだと語る魔女の真剣な表情が、俺を苛立たせてやまない。
不死となり永劫を生きる存在が人間か? 転移結晶に拒まれるその魂が人間か? 瞬きの内に峰の一つを腐らせる力を宿すその体が人間か?
違うよ。間違ってる。お前らは人間なんかじゃないよ。魔物なんだから、魔物で良いじゃん。大地を融かして、人を喰らって、それらしく自由に振る舞えばいい。それなのに、彼女達はどうして人間であろうとするんだろう。
雨は逆さには降らない。月の満ち欠けは止められない。そんな話を大真面目に語られたって、困るよ。
馬鹿馬鹿しい。そう思っているのに、それでも不思議と目が離せないのは、否定したくてたまらないからだ。
魔女と従者は人間ではない。俺はそれを証明しないといけない。そうでなければ、自分がわからなくなっちゃうだろ。だって俺はどこまでいっても人間なんだから。
□ ■ □
外街、それも大壁付近の治安は良いとは言えない。
壁外との距離が近いため地価が安く、壁を経由して外に出る人間が少ないため人目がない。そうして、そんな環境を好む人間がひっそりと日陰に集まっているのだ。
関門から伸びた大きな通りを二つも外れるとあっという間に無法地帯みたいな感じになる。特に夜には、昼に自分の居場所を持たない奴らがふらふらと辺りを行き交い始めるもんで、こんな夜中の外れの街区にも一定の賑わいが存在していた。俺達もまたその賑わいの一因として、ちらほらと人の往く裏通りを進んでいる真っ最中であった。
酔い潰れたのか路肩で寝ている奴もいれば、大声で殴り合ってる奴らもいる。十分も歩けば三回はスリに遭うような、そんな通りだ。ちなみにこれは実測値である。丁度現在の。
「リリエリ」
「あれ。気づきませんでした。ありがとうございます、ヨシュアさん」
今もまた、魔女の鞄の中身を掠め取ったこそ泥の腕が従者によって捻り上げられたところであった。
盗られそうになっていたのは魔女のポーチに入っていた革の小箱だ。質の良い感触が金目のものに思えたのだろうね。中身は空の注射器だけどれも。持ち物さえ取り返せれば十分なのか、魔女が従者に報復を指示することはなかった。無謀なるこそ泥は腐り落ちることも縊り殺されることもなく、五体満足のまま小走りでどこぞへと逃げていった。
「賑やかですね」
「その感想は、間違っていると思うよ」
「この手の関わり合いですら、久方ぶりなもので。都市にいるんだって実感しますね。メルキルエトは危険だなぁ」
内容の割にどこか緊張感のない言い方であった。普段はここまでじゃないんだけどね。ワンピースを着た少女がこんな時間にのこのこ歩いているってのも、原因の一つだろう。
「東方ではあまりこういう目に遭わないから、新鮮だ」
「そもそも私達、夜の都市なんて出歩きませんからね」
「二人の貴重な体験になったんなら何よりだよ」
何らかの破壊音を合図に始まった知らない野郎共の喧嘩騒ぎを横目に見ながら、俺は褪せた青色の扉の前で足を止めた。まだ店に入る前だと言うのに、既にうっすらと酒の臭いが漂っている。跳ねる牡鹿の看板が、今夜の俺のお目当てであった。
扉を押し開ける動きに合わせて、頭上でチリチリと控えめな金属音が響く。それはすぐさま話し声や笑い声にかき消され、来客を知らせる役には殆ど立っていないように思えた。
狭く薄暗い店内に、カウンターと粗末な木製テーブルがいくつか。入口からでは見えにくいが、奥には小さい舞台なんかも据え付けられている。鏡やら絵やら酒瓶やらといった無秩序な物で埋め尽くされた壁には、店主の雑な性格がありありと現れていた。
「わぁ。私、こういうお店に来るのも初めてですよ」
「浮世離れしてるね。従者殿も初めて?」
「いや、たぶんずっと昔に、……覚えていない」
邪龍が言うところの〝ずっと昔〟って、どれくらい前の事なんだろうか。十年? 二十年? それとも百年? とても気になる話だが、追及は席に着いてからでもいいだろう。
喧騒の割に客の入りは少なかった。俺はすぐに空いているテーブルを見つけることができた。魔女と従者は隣り合わせに、俺はその向かい側に。魔女の家でもこんな感じだったね。
カウンター奥で忙しなく動いている顔馴染みの店主に目をやると、彼はちょっと面倒そうに手をひらりと挙げ、背後に置いてある数本の酒瓶を親指で示した。
「今日のおすすめはワインとシードルだって。注文、どうする?」
「そうですね、じゃあ、私はエールを」
「……魔女殿も飲むつもり?」
「そうですけど?」
何を当たり前のことを、とでも言いたげな顔を魔女は浮かべた。いや、酒場に連れてきた俺が言うのもなんなんだけど、一応一回くらいは公序良俗のなんたるかを教えておくのも悪くないかな。
「酩酊法って知ってる?」
「知りませんねぇ」
「子供は酒を飲むなっていう、テレジア教のありがたーい教えなんだけど」
「私は子供ではないですから」
バルタラ山には鏡がないらしいね。実年齢がどれほどのもんかは知らないが、魔女の見てくれは完全に年端も行かない少女のそれだ。メルキルエトにある常識的で敬虔な酒場は、普通は子供に酒を提供しない。もっとも、この店にもこのテーブルを囲む面々にも、常識的で敬虔な考えは存在しない訳なんだけど。
「はいはいエール一つね。従者殿は?」
「…………」
こっちはこっちで返事しないし。ガシャンとガラスが割れる音がして、店主の怒号が響き渡って、三人の客が店を出ていって、入れ違うように一人の客が入ってきて、それでも従者は何も言わない。
俺は視線で魔女に助けを求めた。それを受けた魔女はちょっと困ったように笑って、
「ヨシュアさん、シードルはあまり飲みませんよね。挑戦してもいいんじゃないですか?」
「……そうする」
「シードルね、了解。俺もおすすめのやつと……後は適当に美味しい物でもお願いしてくるかな」
注文一つとるだけでも面倒な連中だ。これでこそ、こいつらを飲みに誘った甲斐があるというものである。
俺はふらっとカウンターに寄っていくつかの品を注文し、怠そうな店主が手早く用意した酒とつまみとを持って席に戻った。その間、彼女たちが何か面倒事を起こさないかとひやひやしていたのだが、二人とも物珍しそうな瞳で大人しく辺りを眺めているばかりであった。正しく田舎者の姿だ。
「お待たせ。それじゃあ、この素敵な出会いを祝して」
俺の掲げたピューター製のタンカードに、魔女がにこやかに杯を合わせる。従者もまた一拍遅れて魔女の動きを模倣して、それでようやく三人の器が一所に重ねられた。はい乾杯。魔女は警戒心の一切も見せず、グッと勢いよくエールを煽り、さも美味しそうにヒヒヒと笑いを溢した。その笑い方は、ちょっと魔女っぽいね。
「どう?」
「美味しいです」
それは良かった。化物も酒を嗜むことを知っているのは、きっとこの世に俺だけだ。
さて、酒というのは飲むと体が温かくなって、気分が良くなって、口が軽くなったりもする液体なんだけど、魔女と邪龍はどうなのかな。うっかり外面を引きはがしてくれたって、俺は一向に構わないけど?
期待してないと言うと嘘になる。早く酔いが回ってくれないかな、なんて思いながら俺は手元の飲み物を傾けた。中身はただの水だ。
「ふふふ、良い夜ですね。ところで、一体どうして私達を食事に誘ってくれたんです?」
「……山で助けてくれたお礼、してないなって思って。遅くなってしまったけれど、あの時は助けてくれてありがとう。二人がいなかったら俺は死んでいたんじゃないかな」
もちろんそれだけが目的じゃない。でも嘘でもないんだ、借りを作ったままでいるのは気分が良くないからさ。例え魔女の本心がどこかに隠されているんだとしても。
「こういう話は照れくさいな、もっと面白い話をしようよ。二人は見た目以上に長生きしているんでしょ? 実際どれくらいの期間、」
「――もし、貴方、ジョンじゃない?」
背後から声をかけられて、俺は咄嗟に口を塞いだ。聞こえなかったふりをしようにも、肩に手を置かれてしまっては難しい。渋々、という感情を極力表情に出さないように努めながら振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
彼女は俺の顔を見るなり、「やっぱり」と優雅に口角を上げた。
「久しぶりね、ジョン。こんな所で会うとは思わなかったわ」
「……久しぶりだね、マチア」
元気な姿を見れて嬉しいわとマチアが笑う。俺は彼女に笑顔を返しながら、横目でそっと魔女の様子を窺い見た。ものすごく嫌そうな顔をしている。言葉で表すと、「ジョンってどなたです?」って感じだ。
……まさか自分が面倒事の中心になるだなんて思わないだろ、この魔女と従者を差し置いて! 確かに俺はロクな人間じゃないかもしれないけどさ、罰を当てるなら今じゃなくていいじゃん。神様は見てるね。最悪。




