第十四話 都市メルキルエト
メルキルエトは高く高く聳える大壁に囲まれた都市である。
壁面全体に刻まれている青い紋章は、その全てが強力な魔物除けの効果を持つ。目に見えない部分――壁の内部などにも精緻な紋章魔術が施されているそうで、メルキルエトの大壁は今に至るまで一度も魔物の侵入を許していない。
つまり、今日が記念日ってことだ。
大壁は既に目と鼻の先、このまま数分も歩けば関門に辿り着くだろう。作戦を確認する最後の時間であった。
「立派な大壁ですね」
「すごいよね。おかげでメルキルエトの周辺には全然魔物が寄り付かないよ。魔女殿と従者殿は平気なの?」
「長居はしたくないですね。でも、超えてしまえば、大して影響はないはずです」
やっぱり嫌なんだね。従者殿なんてさっきから返事すらしてくれないもんね。
それじゃあ気合入れて壁を越えようか、と俺は自分の身支度を整えた。あとは彼女らの準備次第だ。
「もう関所につくけど、確かめておきたいことはある?」
「先ほどの説明で十分だと、思い、ますが、」
魔女は随分と歯切れが悪かった。視線は俺の顔面に釘付けだ。どうしたの、俺の顔に何かついてる?
「なんですか、その仮面」
「かっこいいでしょ」
俺は眼元を覆う半仮面を指で軽く持ち上げて見せびらかした。黒い雷鳥を模したもので、鼻の辺りが嘴みたいに尖っているところが気に入っている。自分で言うのもなんだけれど、ものすごく怪しい装いをしている自覚はあるよ。普通の人間は顔を隠さないもんね。
「……止められやしませんか、関所」
「大丈夫大丈夫。むしろ必要なんだ。仮面、グラウスの象徴でさ。グラウスは顔に醜い火傷跡があってね、それを隠すために……ってことになってる」
「…………」
魔女は何も言わず、代わりとばかりに酷く疑わし気な目で俺を見た。言いたいことはわかるよ。俺の顔に傷跡なんてない。個人的な事情に立ち入るべきかどうか、荷台の上の魔女はたっぷり十秒ほど逡巡していたが、好奇心に負けたのかやがて小さく唸るような声を上げた。
「あの、貴方はどうして仮面をつけているんです? いいえ、むしろ、何故私達の前では素顔なんですか?」
「仮面をつけていると強そうな冒険者に見えるでしょ? 俺、強くないから、ハッタリでも効かせないとやっていけないんだ。魔女殿の前でつけていないのは、信頼してほしいからだよ。頼み事をする者としての誠意さ」
嘘だ。ただあんたらの前で仮面をつける必要が無かっただけだ。
龍の魔女と邪龍に〝仮面のグラウス〟の真実がバレたとして、そこに何の不利益があるんだ? 彼女らには俺の嘘を暴露する相手すらいないっていうのに。告げ口したところで誰だって信じやしないよ、素性も知れないお前達の言葉なんて。
だったら最初っから素顔でいい。誠実そうな感じ、するだろ?
「……わかりました。なんだか慣れないですけど、そういうものだと思っておきます」
魔女は俺の適当な言葉をあっさりと受け入れ、それきり仮面に関する会話は終わった。他の質問も無いようだし、先ほどから従者も居心地悪そうにしているし、そろそろ進もうか。
「じゃあ、二人とも、手筈通りによろしく」
幾分硬い面持ちで了承し、荷台にかけた帆布の下に潜り込む魔女。わかってるのかいないのかも判別できない無表情で鷹揚に頷く従者。
率直に言って不安だ。
□ ■ □
「こんばんは、グラウスさん。遅くまでご苦労様です。身分証等を拝見いたします」
関門の周りは煌々と明るかった。吊り下げられた複数のランタンが、少し窪んだ壁の内側までも明々と照らし上げている。
分厚い壁の内側を削り取る形で構えられた関所であった。責務を果たす二人の門兵と、詰所の窓越しに身分証を求める門番。普段の様子となんら変わりない、極一般的なメルキルエトの入口の一つだ。
石壁をくりぬいて作られた窓の縁は、縁と言うにはあまりに分厚いため、今日では専ら受付机のように扱われている。もう慣れたもんで、俺は何食わぬ顔で自分の冒険者証と、この怪しい従者の分の行商人証を並べた。
「ええ、確かにグラウスさんですな。ご壮健でなにより。……そちらの方は、見ない顔ですが」
「ああ、彼はエドワード。クグエク経由ではるばる行商に来たのさ」
「それはそれは。遅くまで大変だったでしょう。ラードーンの件さえ無ければ、もっと楽に来られるんですがね」
「……ああ、とても大変だった。グラウスさんがいなければ、ここまで来られなかっただろう」
架空の行商人エドワードに扮した従者は、門番に対し訥々と言葉を返した。正体を知っている俺の耳にはかなり演技臭く感じられたが、彼の低い声とゆったりとした話し方が上手く違和感を誤魔化してくれたようだ。門番はさして疑問を持つこともなく、二人分の証を確認作業を終えた。
「グラウスさんは何用で壁外に? ……まぁ、なんとなくわかっちゃあいますけれど」
「ご想像の通りだよ」
「ははは、煩わしいでしょうが、これが仕事なもので」
「彼、エドワードの護衛さ。クグエクのギルド経由で依頼を承っていて、……ああ、ギルドからの書面はここに」
俺は一枚の紙を門番に手渡した。内容や印鑑をさっと確認された書類は、すぐに俺の手元に戻ってきた。
「確認しました。これにて依頼達成ですな。そちらの……エドワードさんは、メルキルエトにはなんの御用で?」
「商いだ。クグエクの品を売りに来た」
「何を扱っているんです?」
「畜産物と、壁外の資源がいくつか」
「……壁外を経由するにしては、些か上品な荷車で」
門番はちらりと従者の引く荷車――荷台全面に帆布がかけられた荷台に目をやった。荷車自体も荷台の膨らみも、壁外から来た商人にしては小さすぎやしないかと、そう門番は指摘している。
転移結晶なんて便利な存在がある以上、積み荷どころか命すら失う可能性のある壁外を好き好んで使う行商人は多くない。ただ、荷物の転移はそこそこ値が張るし、転移許可が降りるまでにある程度の期間が必要となる。壁外は危険な場所であるが、商品の量と質によっては、転移結晶よりも秀でた経路になることもある。
多量の積み荷。生きた動物。鮮度が求められる品物。壁外採取と輸送を併行する場合。この辺がわざわざ壁外を経由するオーソドックスな理由かな。
冒険者を雇ってまで壁外を通るわけだから、ギリギリまで荷物を積んで運びたいと思うのが一般的な商人だろう。それを思うと、従者の運ぶ荷車のなんと小さいこと。詮索されるのも当然のことと言えた。
「……命が惜しくなったんだ。積み荷を諦める必要があった」
従者は台本通りの台詞を吐いた。土壇場で日和って大して儲けを出せない商人も珍しくないんだ。門番にとってはよく聞く理由の一つだったろう。積み荷があるだけましな部類さ。魔物に荷車を壊されて手ぶらで入都する商人だって、ざらにいるんだから。
それからいくつか質問が行き交い、従者はその全てに模範的な回答をした。いささかぎこちない話し方であったが、詰所に引っ張られさえしなければなんだっていい。六つ目の質問の答えを聞いた門番は、背後にいるらしい同僚に声をかけた後、笑顔で俺達に向き直った。
「結構。確認が済みました。メルキルエトへようこそ」
ぎぎ、と不快な音を立てながら、落とし格子がゆっくりと上に引き上げられていく。頑丈な造りなもんで、完全に上がり切るまでには少し時間が必要だった。この時間はいつだって苦手でならない。規則的に響く軋みが耳の中で反響して残り続けるんだ。
理由もなく仮面の縁を撫でながら門の開くのを待っていると、気遣いか人恋しさかは知らないが、門番がえらく気さくな声を上げた。……俺にではなく、従者に向かって。
「護衛にグラウスさんを雇うことができたのは幸運でしたな」
「……と、いうと」
「そりゃあもちろん、グラウスさんと言えば、腕の立つ勇敢なお人じゃあないですか。あのラードーンの討伐作戦なんて、有名な話でしょう。……クグエク出身で、知らないってことはないでしょうが」
いけない。門番との楽しい雑談なんて想定していない。これ以上話されたら従者からボロが出るかも知れない。いや、それ以上に、勝手に俺の話をするなよ。
「ねぇ、もう門は開いたよ。エドワードは慣れない壁外で疲れてるんだ。引き留めないでやってくれるかな」
「失礼。有り難いことに、夜間の門番は想像以上に暇なもんで。すみませんね、エドワードさん。商いの成功を祈っていますよ」
小さく会釈をしてくれた門番に、「ありがとね」と俺は軽く手を振った。俺の真似をしてか従者もまた「ありがとう」と呟いて小さく手を振った。
微塵も笑顔が浮かんでないからか、あるいはこいつの中身を知っているからだろうか。俺にはどうにも違和感だらけの仕草に見えて仕方がなかった。




