第十三話 都市へ
メルキルエトへの短い旅路は続く。
ネシュの森を抜け、俺達は平坦な草原を歩いていた。メルキルエトに所属する冒険者が頻繁に利用するからか、草の踏み慣らされた歩きやすい道であった。
背後からは規則正しい車輪の音が聞こえている。俺は時折後ろを振り返りながら、彼女達が今もなお人間の形を保っていることを確認するのだ。
私達は人間だ、と魔女は言った。ふざけた話だと、俺は思った。人間の真似をして遊んでいるんだと思っていたのに、まさか自分たちを人間だなんて思い込んでいるとは。
転移結晶が使えなくても、魔物除けが苦しくても、それでも心は人間なんだと言いたいのか? あんたらが俺みたいな得体の知れない男にも好意的に振る舞うのは、わざわざ人間の作ったルールに従ってまで都市に入りたいと願うのは、自分達を人間だと錯覚しているからか?
例え中身が魔物であっても、人間の形をしていて人間の心を持つのなら、それは人間と言えるのだろうか。
俺にはわからない。考えたこともない。加えて言うならば、心の底からどうでもいい。転移結晶が彼女らを拒むというのならそれが答えで構わない。この二人は人間ではないし、この結論に答え合わせはいらない。
重要なのは魔女と邪龍に利用価値があるかどうか。そして、それを俺が利用できるかどうかだけ。
魔女の妄言なんて適当に流しておけばいい、と、分かっているつもりではあるんだけど。彼女の言葉に酷く興を削がれ、俺はここまでの会話を打ち切った。魔女が代わりに話し始めてくれたおかげで、不自然にはならなかった。
「そういえば、ラードーンの炎の中に大きい塔を見たんですよ。アレはなんですか? とても背が高かったけれど、人が住むにしては細い」
「魔術兵器だよ。テレジア教がラードーンを殺すのに使ったものだ。今は壊れてる」
同胞を殺した兵器の話をしたと言うのに、魔女はのんびりと相槌を打っただけだった。従者の方は変わらない無表情を引っさげて淡々と荷車を引き続けていた。
「テレジア教は知ってる? 転移結晶とその女神テレジアを崇拝してる宗教」
「はい、知っていますよ」
「じゃあ、彼らの掲げる教義も知っているかな」
背後から肯定の声がした。何の危機感も抱いていない、穏やかで明るいものだった。
テレジア教はこの国で最も広く信じられている宗教団体だ。人間を転移させる奇跡、転移結晶を主神テレジアの恩恵として崇めており、その性質を根拠に人類平等を理念として掲げている。
人類平等。言い換えれば、人類至上主義。全ての魔物の根絶を目指すテレジア教は、魔女や従者の存在を、けして受け入れることはない。
「メルキルエトには大きい教会があってね。教徒もたくさんいて、……人間のための場所だよ。妙なことは考えない方が良い」
「大丈夫ですよ。大人しく買物するだけです。変なことはしません」
だったら邪龍に乗って飛んでくるのも控えて欲しかったな。
不意に生温い風が吹いて、周囲の草がさわさわと揺れた。もう森と呼べる範囲はとっくに抜けていて、辺りは見晴らしのいい草原だ。遠く前方に、ぼんやりとした明かりが見えつつあった。
□ ■ □
「そろそろメルキルエトに着くよ。中に入る手順を説明しておくね。ってことで、はい」
俺は歩みをとめないまま、胸元から一枚のカードケースを取り出した。人ならざるものを迎え入れるために用意した、偽物の身分証だ。ぽんと背後に放ったソレを、従者は危うげなく受け止めた。
「コレ、なんですか? 金属製のカードのようですが」
「行商人証。従者殿にはこれから行商人になってもらうから」
都市の外側は危険な土地だ。実力も適性もない者を何の理由もなく壁外に晒す訳にはいかないし、誰とも知れぬ者をおいそれと都市に入れるわけにもいかない。移動なら転移結晶で事足りる世界において、大壁を経由する都市の出入りは、相応の能力と理由が強く求められる。例えば近くを彷徨く魔物を狩るとか、有用な資源を入手するとか、周辺の地理の把握や開拓とか、そういう感じの。
で、俺達はこれから壁外の資源を取り扱う行商人一行に成りすますってわけ。この荷車はお誂え向きの小道具だ。
「俺、一応そこそこの冒険者をやっててね。護衛として壁外に出ていたって設定で行くから、二人には俺を雇った行商人のフリをしてもらう」
「わざわざ行商人証を準備してくれた、ってことですか? ありがとうございます。大都市に入るのって、大変なんですねぇ」
まともな素性の人間だったら、こんなことしないで済んだんだけどね。
「これくらいなら、お安い御用だよ。でもその行商人証は一人分だし、男の名前で登録してあるからさ。行商人役は従者殿の仕事だ。魔女殿は荷車に隠れていてね」
「俺が、行商人……」
「……関所で多少の問答はあるだろうけど、従者殿、そういうのって得意?」
無言。
二人分の歩行音、車輪の回る音、衣擦れの音。空が一段低くなったかのような重苦しい沈黙が俺達を包みこんでいる。
……まぁ、そうだよねぇ。
「……無理、だと思う」
「不安が無いと言えば、嘘になりますね」
「従者殿、一言一言を大切に扱うタイプだもんね」
致命的に会話が下手だもんな、この男。そもそも邪龍にコミュニケーション能力を求める方が間違っているのかな。とはいえ目下の問題は動かない。この二人をメルキルエトに招き入れなければ、俺の願いも叶わない。さぁどうしたもんかね。
悩んでいると、荷台で揺られていた魔女が控えめな声を上げた。
「受け答えは私がします。行商人の詳細な設定を教えてもらえますか?」
「魔女殿を表には出せないよ。そんなワンピースで壁外に出る人間はいない」
「表には出ません。荷台からヨシュアさんに、それらしい答えをこっそり伝えます」
「無理でしょ、雑な手品じゃないんだから。リスクが大きすぎる」
ワンピースを着た少女を荷台に詰め込んでいるのがバレたら、人攫いだと思われちゃうよ。それにこそこそ伝聞しているところを聞き咎められるなんて間抜けすぎるし。絶対にやりたくない。
なんとか魔女の考えを変えたくて、俺は慌てて代案を探した。対する魔女は悠然とした調子のまま、
「グラウスさん、何か小声でヨシュアさんに指示を出してくださいませんか」
……試せと?
肩越しに振り返えれば、荷車を引く従者の姿が五、六歩ほど後ろにあった。ぎしぎしと軋む荷車を引きながら、視線は真っすぐに俺に向いている。魔女の言う通りに動くことに若干の抵抗を覚えながらも、俺は可能な限り小さな声で言った。足を止めろ。
その瞬間、従者はぴたりと動きを止めた。明らかに偶発的なタイミングではなかった。この男は、風の吹く音よりも弱っちい俺の声を確かに聞き取ってみせたのだ。
なんて異常な聴覚。こいつらの前では独り言なんて言えないね。……きょとんとした表情を浮かべている魔女の方には聞こえていなかったみたいだけど。
「オーケーわかったよ。従者殿の耳があれば、荷台から指示を通せるんだね」
「ええ。関所の問答は、私の方でなんとかしてみます」
不安が残らないではないけれど、これなら予定通りメルキルエトに入れそうだな。俺はほっと胸を撫でおろし、改めて都市への移動を再開した。……のだが、荷車の音が、ついてこない。
何事かと後ろに向き直ると、先ほど足を止めた位置で微動だにせず立っている従者の姿。異常事態でも起きたのかと周囲に目を向けるが、妙なものは何一つとして無いように見える。じゃあどうして彼はついてこない? ……まさかね。
「……もう動いていいよ」
その言葉でようやく従者の時間が動いた。そのまま何事もなかったかのように、それが当然とでも言うような態度で俺の目の前までやってくる。
……指示されたとおりに、止まり続けていたってわけ?
「行かないのか」
「ええと、いや、うん。行こうか」
もしかして、邪龍になれと命令してたら、それにも従ってくれたのかな。
ちらりと過った好奇心に蓋をしながら、俺は視線を遠く輝く都市へと戻した。メルキルエトへの短い旅路は、もうじきに終わりを迎える。




