第十九話 真実を求めて
頭の芯が、ずきりと痛んだ。
ロルフが目を開けると、部屋の上部にある小窓から陽が差し込みまぶたを刺激する。わずかに見える空は黄色く染まっていた。ぼんやりとした頭を振ると、後頭部が激しく痛む。よく見ると、部屋の小窓は格子が取り付けられていた。どうやら牢屋のようだ。両手を広げれば両端に手が触れるくらいの狭さの牢屋は、苔だらけで衛生的とは言えない。長い旅路の中、牢屋に入れられたのは初めてだ。
牢屋の外にいた看守は、目が覚めたロルフを見ると冷たい視線を向け、どこかへと立ち去っていった。
靴の乾いた音が、人の気配のない牢屋に響いてきた。
「そうだ……シス!」
痛みで徐々に覚醒した頭に、紅い羊に取り込まれていくシスの姿が思い起こされた。
立ち上がってみると、体中のあちこちが痛む。気にせず、ロルフは格子を掴み外の様子を窺う。
微かに人の声が聞こえてくることから、重罪人が入るような、地下深くに隔離された牢屋でもないだろう。
結局、紅い羊を作った後はどうなったのだろうか。紅い羊に取り込まれたシス。ロルフを裏切ったアルマ。
わからないことが多すぎる。
混乱しかけた頭で現状を整理していると、去っていったはずの看守があくびを噛み殺しながら戻ってきた。
ロルフはゆっくりと格子から離れると、看守の行動を注意深く観察した。
牢屋に入れられた理由。おそらくは紅い羊の窃盗の罪だろうと思う。と、なればこの街の人間ではないロルフは体中をくまなく調べられてしまう。
ロルフは首筋を触る。着ているローブの外からでもじっとりと汗を掻いていたのがわかった。
看守はロルフをちらり、と見た後、手に持った鍵で扉を開錠した。
一瞬何が起こったのかわからなかった。看守は「出ろ」と端的に言うと、牢屋の前にある粗末な椅子に座り、今度は大きくあくびをした。
「なんだ? 裁判でも受けさせてくれるのか?」
地域にもよるが、よそ者は裁判無しに罪が確定してしまう場合が多い。だからこそロルフは街に入った際は、目立たず騒がず行動をしてきたのだが。
「裁判? 何を言ってるんだ……俺は忙しいんだ。さっさと出て行けよ」
ロルフの目にはとても忙しそうには見えないが、表情には出さずに牢屋の扉をくぐった。
外へと続く通路の脇には、いくつかの牢があったが、入っている人間はいない。短い階段を上り、進んでいくと小さな小部屋に出た。使い古されたテーブルと半分朽ち果てたような椅子に座った老齢の看守は、ロルフを見ると何も言わずに外への扉を開けた。顎で外を指し示すと再び椅子に座りぼんやりと天井を仰いでいた。
ロルフの頭の中は疑問だらけではあったが、特に異を唱える必要もない。素直に外へ出ると、忙しそうに人々が往来するいつものガンベルツの街並みが目に入ってきた。
どのくらい牢屋に入っていたのだろうか? 一日? 二日? しかし、今そんなことを考えていても仕方がない。
ロルフはローブを深くかぶり直すと、急ぎ足で歩いていった。
太陽が地平線へ半分ほど隠れていた。そろそろ一日も終わる頃だ。涼しい風がガンベルツで働いている人々たちをやさしく包んでいる。
ロルフが訪れたルイーゼ商会の建物の中にいる商人たちも、生き生きとお客と商談を交わしている。
ロルフの胸の中は怒りと悲しみ、不安などが入り混じった感情が渦巻いていた。
アルマは紅い羊を買い手に渡すことができたのだろうか? 紅い羊の奪還とはいえ、リスクの高い盗みをして、ロルフとシスを裏切った。ルイーゼ商会には莫大な利益があったのだろうと思われる。
金のために裏切った。
ロルフの感情が怒りと悲しみに支配される。
金のため、命のため、自らのために裏切りがあるのは世の常だ。ロルフ自身も生き残るために、廃村で盗みを働き、手を汚したことはあった。しかし、頭で考えていても感情がそれを拒む。
様々な感情が渦巻き、周囲への注意が散漫だったのか。ルイーゼ商会の建物から出てきた男に気が付くことができなかった。
「ロルフ……さんですね」
ロルフはびくり、と体を飛びあがらせると、声の主へと顔を向けた。
白髪が混じった髪の毛に、目元に刻まれたいくつかのしわ。先日、ロルフをアルマの元へと案内した男だ。
商人の笑顔は見せず、全く感情の読み取れない表情でフードに隠れたロルフの顔を見ていた。
「アルマが待っています」
「何……?」
「こちらへ」
その男は、ロルフの胸中を知ってか、知らずか、さっさと建物の裏口へと歩いていった。
アルマという名を出されて、ロルフの感情が高ぶる。目の前の男の胸倉を掴んで問い詰めたい衝動に駆られる。しかし、そんなことをしても何の解決にもならないことはわかっている。せめて、アルマの顔を見るまでは、と思い、ロルフは強くこぶしを握った。
ルイーゼ商会の裏口から入る倉庫には、今後売られていく商品がロルフの背丈以上に積まれていた。とはいえ雑多な印象はなく、整理整頓された品物はさまざまな種類があった。外套やなめし皮で作られたブーツなどの旅装。壁に立てかけてあるのは騎士の遠征用の武器だろうか? 何組ものプレートメイルや武器などが置かれていた。
二階への狭い階段を上っていくと、先日、ロルフとシスが昇ってきた階段の反対側に出た。構わず男は歩いていくと、先日とまったく同じ口調で「こちらです」と一つの部屋を指し示した。
男はそれ以上何も言わずに、さっさと一階へと降りていった。
この部屋は、先日訪れたアルマの私室だ。わざわざ私室へ呼び出すのは何か思惑があるのだろうか。裏切ったアルマのことだ。何か企んでいるのかもしれない。
ロルフは静かに扉を開けると、部屋の中を窺った。
「おい、ノックぐらいしろよ。何度言わせるんだ」
アルマはまるで何事もなかったかのように、小さめの椅子に座りにやけた顔をロルフに向けていた。
「アルマ……貴様!」
太々しい表情を見た瞬間、ロルフの足は床を踏み鳴らしアルマへと向かっていた。全く驚く様子もなく、アルマはロルフの胸倉を掴んだ手を振り払うこともしなかった。
「また私に会いに来てくれてうれしいよ。ロルフ」
「ふざけるな! 説明しろ……! なぜ俺たちを裏切った。シスはどうした」
「質問は一つにしてくれないか?」
ぞっとするほど低い声がロルフの耳に刺さる。頭が少し冷えたのか、わき腹に突きつけられたナイフに気が付いたのも同時だった。
「このままじゃ、話もできない。手を放してくれ」
手を緩めると、アルマは一つ小さく息を吐き、再び椅子に座り乱暴に足を組む。ロルフも勧められるがまま椅子に腰かけた。
「さて、先ほどの質問なんだが」
アルマはロルフを必死に説得しようとするそぶりも見せず、淡々と客に商品の説明をするように語り始めた。
「ああするしかなかったんだ。悪かったな。ロルフ」
あっけらかんと言うアルマにロルフは毒気を抜かれ、何も言い返すことができなくなってしまった。




