第十八話 笑顔の裏には
「よし、行くぞ。このまま外に出てアルマと落ち合おう」
このあとは、通路をまっすぐ進み、ガンベルツの外で待つアルマと落ち合う手筈だった。外に出てすぐにところに、今は使われていない見張り小屋にアルマはいるという。そこでシスが羊に魔力を注ぎ込み、紅い羊に変貌させる。赤い羊の買い手はもう決まっているらしい。その場で紅い羊を渡し、馬車で運んでいくそうだ。明日の朝には別の地域で紅い羊はさらに競売にかけられ、貴族に買われていく。バール商会が盗まれたことに気がついたときには、すでに羊は遠くに運ばれている。
今のところは順調だ。何も問題はない。
外へと出る道中、シスは一言も言葉を発しなかった。ただ羊を横目に、ロルフの後をついていった。
外へ出ると、穏やかな風がロルフの顔を撫でていった。
「あれだ」
ロルフの視界の先には、小さな小屋がぽつんと建っていた。顔を東へ向けると、ガンベルツが見える。あんなに大きな街が小さく見える。地下通路を歩いているときは緊張で押し潰されそうになり分からなかったが、相当歩いていたようだった。ここまで離れていれば、バール商会にも気付かれることはないだろう。
意を決し、小屋へと歩いていく。
小屋は相当年代物のようだ。過去幾度となく戦火をくぐり抜けてきたのだろう。所々、壁は剥がれ落ち、強い雨風が吹いただけで吹き飛んでしまいそうだった。
扉に手をかけ、開けようとしても朽ちかけた扉はうまく開かない。力を入れ、半ば引っぺがすように扉を開ける。
バキバキと扉が音を立てる中、おかしそうに笑う声が聞こえてきた。
「よお、ロルフ。ノックぐらいしろよ」
不敵な笑みを浮かべるアルマがそこにいた。
「悪いな。胸が高なってそれどころじゃなかった」
アルマはくくっ、と含み笑いをすると、紅い羊に目を向けた。
「うまくいったみたいだな」
「あそこまでお膳立てしてもらえれば、子供にだってできるお使いだ」
「ははっ。違いない」
アルマの表情は笑みを浮かべてはいない。
「ここで紅い羊にするのか」
「ああ、早い方がいい。バール商会に気取られる前に終わらせる」
「そうか」
「さあ、紅い羊をこっちへ。お嬢ちゃんもこっちへ来るんだ」
アルマからは一切の感情が読み取れない。
胸がざわめく。
後はシスの魔力を羊に吸い取らせ、体液を貰い奴隷の烙印を消すだけだ。それが終わればロルフは人間に戻れる。しかし、不安は拭えない。
「アルマ。一ついいか」
「なんだ」
アルマは動きを止め、ロルフを見据えている。その表情は一緒に盗みを働いた仲間に対するものではない。
「お前、なんでルイーゼ商会に留まっているんだ」
アルマの眉がピクリと震える。
「何故今そんなことを聞く」
「お前は商人じゃない」
静寂。
世界が終わったように、沈黙が満ちる。先ほどまで吹いていた風すらも止み、静けさが耳についた。
アルマの視線はロルフを捉えているように見えたが、その表情からは何を考えているのかが分からない。
永遠に続くと思われた静寂の中、アルマの唇がゆっくりと動いた。
「何言ってるんだ。お前。まったくおもしろくない冗談だ。じゃあ、私は一体何者なんだ」
アルマは呆れたように肩をすくめると、ため息をはいた。
「商人っていうのは金がすべてだ。お前が教えてくれたことだろ。アルマの行動は俺と似ているんだ」
アルマは何も答えない。
「お前は俺を気に入ったといって、今回の強奪計画に参加させた。そんなのありえないんだよ。重要な取引に商談の素人を参加させるようなもんだ。金を払えば、この手の汚れ仕事をこなす人間なんて山ほどいるだろ」
「おいおい、何言ってるんだ。強奪計画に参加すると言ったのはお前だろ? 少し餌はちらつかせたがな」
アルマが自分の首筋を指で示す。
「ああ、そうだな。あの時は見事に釣りあげられたよ。冷静な思考じゃなかった」
アルマが目を細めた。
「何が言いたい?」
アルマの低く、鋭い声がロルフに突き刺さる。今朝まで見せていた友好的な瞳はなりを潜め敵意を見せる。
「扉の外……十人ほどか? なんでそんなにぞろぞろ人がいるんだ?」
ぎりり、と歯ぎしりの音が聞こえる。アルマはロルフから視線を外さない。二度ほど瞬きをすると、アルマは鼻から息を吐いた。
「ああ……紅い羊を買う他の街の商人だ。何しろ、高額の商品だからな。用心ってやつだ」
ロルフは一歩も動くことができない。胸の奥で燻っていた不安は、確信に変わり全身をこわばらせていく。ずっと黙っていたシスもロルフのそばにぴたり、と張りつき扉の奥を睨んでいた。
「じゃあ、なんで外の奴らは俺たちに殺気を向けているんだ?」
その言葉にシスの髪の毛が逆立ち膨らんだ。顔中に魔力の文様が出現している。
と、同時に小屋の扉が乱暴に開かれた。朽ちかけた扉はその衝撃で、留め具から外れ床に叩きつけられた。
「シス! 魔術は使うな!」
シスの両手に魔術の炎が出現したのを確認し、ロルフは釘を刺した。侵入者の正体が分からない以上、無理やりこの場を治めるのは得策ではない。しかも良く見ると、侵入者は武器なども持っているようには見受けられない。
ロルフの視線がアルマを捉える。
アルマは部屋の隅に逃げ込み、ロルフを注視している。アルマに問いただそうとする前に、ロルフは侵入者に組みつかれてしまった。そのまま、ロルフの首を絞めあげようとする。
おそらく、戦い慣れている人間ではないだろう。捕えるのならばそれ相応の立ち回りはあるが、今ロルフの背中に張り付いている人物はその所作が見えない。
ロルフは体を一回転させ、背中に侵入者を背負ったまま地面に叩きつける。
ぐぇ、とカエルが潰れた様な声を発しながら、侵入者は動きを止めた。
残りの侵入者たちから、戸惑いの声が上がる。一瞬、隙ができた。シスの手を取り、外へと走ろうとすると、
「逃がすな!」
と、アルマから怒号が上がった。
やはりだまされてたのか……
何故? という疑問が頭をもたげる。
もうすぐ人間に戻れるはずだった。何をしたいのか夢想もしていた。一度はこの手に転がり落ちてきた希望。視界の片隅でアルマの姿を捉える。
だまされたという思いよりも、一度は掴みかけた夢がアルマよって壊されたことに怒りを覚える。
「……くそっ」
シスの腕を掴む手に力が入る。
一瞬、進入者への警戒を解いてしまったのかもしれない。二、三人の男たちに左右から肩を掴まれると、そのまま地面に頭を叩きつけられた。
「う……が、っは……!」
世界がゆがむ。シスの腕を握っていた力が体から抜けていく。靄がかかったような視界の中、残りの侵入者がシスを捕えた。ロルフも頭と腕をしっかりと固められ身動きが取れない。
ロルフの名を叫ぶシスの声が聞こえる。ロルフが声のした方へ頭を向けると、乳白色の髪の毛が全て逆立ち、シスが逆上しているのが見えた。
あの時と同じだ。
先日、野党に襲われた時、虚ろな瞳でシスは魔術を使っていた。こんな小屋の中で魔術を使われたら、ロルフも含め命は無い。
シスの表情は怒りに満ちていたが、瞳は色を失い体の文様もローブの外からでもわかるくらいに妖しく光り輝いている。シスを拘束している侵入者は、文様を見て恐れおののいている。
その時、アルマがシスの手を引き、紅い羊に触れさせた。
雷のような光が小屋全体を覆った。シスが一度大きく体をのけぞらせると、紅い羊の体が赤く発光する。
「あ、あああ、ああ」
シスは小刻みに体を痙攣させている。魔力の文様も波打ち、紅い羊に触れている部分が眩しいくらいに光を放っていた。
疑問が浮かぶ。
騙されたという気持ちが先行してしまったが、結局のところロルフ達を騙して紅い羊を誕生させても何の利益もない。
シスの魔力を失わせ羊の体液を使えば、ロルフも奴隷の烙印が消すことができる。
アルマはバール商会から盗まれた紅い羊を取り返し、売ることにより利益を確保できる。
利害は一致しているはずだ。
それならば、なぜアルマはこんな所業を。一体何が起こっているのか分からない。
シスの体から文様が薄れていく。反対に羊には濃い文様が浮き出て、その体は赤みを帯びていく。
「アルマっ! 何のつもりだ。何が目的なんだ」
ロルフは視線だけをアルマに向けた。微笑を湛えたまま、アルマは地面に組み伏せられたロルフの元へと歩いてきた。
「悪いな。ロルフ。もう少し我慢してくれ」
アルマは地に伏したロルフに対し、まったく悪びれることなく言った。
「ふざけるな。説明しろ!」
「落ち着けよ。もうすぐ終わる」
アルマの言葉の真意を思案しようとしたとき、一際大きく紅い羊が発光した。紅い羊はその体を倍以上に膨らませ、全身の毛は鮮やかな赤に染まっていた。
ロルフを押さえている人間も、アルマでさえも紅い羊の宝石と見紛う程の毛並みに目を奪われているようだ。
「シスッ!」
ロルフだけが紅い羊ではなく、シスへと視線を注いでいた。
シスの体は紅い羊に魔力を奪われるたびに、徐々に消え入りそうに、薄く透き通っていく。
ロルフを押さえていた男たちの力が弱まった。上半身を持ち上げ、腕を振り払うと反動をつけ、肘を男の顔に目掛けふりぬいた。男が叫び声をあげ、地面に倒れ込むのを確認する前に、ロルフはシスの元へと駆け寄る。
「シス! 離れろ!」
シスの手が羊の体に根を張るように一体化しかけている。
「なんだ……これ」
その間にも、シスの体は薄くなっていく。すでに目を凝らさないとそこにシスがいるのかもわからないくらいだ。
シスがロルフを見る。何かを口にしていたが、ロルフの耳には声が届くことはなかった。
紅い羊がその美しい体を一つ震わせると、煙のようなシスの体は吸い込まれるように紅い羊の体へと吸い込まれていった。
目の前で見た光景が信じられず、ロルフは紅い羊の体をまさぐる。体を二倍以上に膨らませ、鮮やかな紅い毛並みは自ら力を奮い立たせるように逆立っている。
「あはっ」
と、この状況にそぐわない、愉快に笑う声が聞こえてきた。
ロルフが声のした方に顔を向けると、そこには商人の笑顔ではない、子供のように笑うアルマがいた。
「アルマ、貴様……シスを!」
言い終わる前に、後頭部に衝撃が走った。途切れる意識の中見たものは、アルマが楽しそうにロルフを見下ろす姿だった。




