第十七話 思い描く未来のために
すでに陽が沈み、数時間が経っていた。
酒場の明かりも消え、街中は完全な闇が覆っていた。
時折、野犬の鳴き声が聞こえる程度で人の息遣いは聞こえて来ない。
呼吸の音さえもうるさく聞こえるような闇夜の中、ルイーゼ商会の商品が保管されている倉庫だけは、アルマの持つロウソクの淡い光が怪しく瞬いていた。
ロルフは全身を覆い隠すほどのローブを身につけ、アルマの指示を待っていた。
シスもそわそわと落ち着かない様子だ。
確かに今まで衝動的に廃村の財産を奪ったことはあった。しかし、計画を立てて盗みに入るのは初めてだ。人間に戻れるという期待感と、罪を犯すという不安が入り混じった妙な感覚だ。
震える気持ちで一つ大きく深呼吸をしたとき、通りに面した倉庫の壁際からコン、コンと合図があった。
アルマは音がした壁まで歩いていきコン、と一度合図をした。
「よし、教会の方は準備が整ったようだな。お二人さん。気合い入れろよ」
手のひらがじっとりと汗を掻いている。シスも胸の前で手を硬くにぎりしめていた。
アルマが暖炉の引っかきぼうのようなもので、床の扉をこじ開ける。長く使われることがなかったのか、縁の木片が剥がれ床に散らばった。
「後は計画通りだ。ガンベルツの外で落ち合おう」
ロルフは小さく頷く。
「シス。俺が先に行く」
地下への穴を覗くと暗く先は見えなかった。
木で作られたはしごに足をかけると、メキ、と軋む。
背筋に冷たいものが走る。細心の注意を払い一筋の光も差さない闇へ降りていく。通路まで下りれば腰に縛り付けているランタンが点せる。それまでの辛抱だ。
二、三段ほどはしごを降りると、シスがはしごに足をかけたのが見えた。シスの体は震え、はしごを降りる足もおぼつかない。万が一、足を踏み外しても受け止められるよう、ロルフは体に緊張を走らせた。
細心の注意を払いはしごを降りていく。直ぐに足が地についた。相当深いと予想したが、そこまでではなかったようだ。すぐにランタンの明かりを点すと、闇を削り取るように辺りに明かりが満ちる。
「シス。大丈夫か?」
ロルフが上を見ると、はしごにしがみつきながら、恐る恐る下りて来るシスがいた。
それでもシスはゆっくりと下りて来ると、地面に足をつけた。
ロルフとシスがお互いの顔を見合わせ、無事を確認した時、頭上で石の擦れる音がした。
外からの光が遮断される。ロルフ達が無事はしごを下りたのを確認しアルマが地上への扉を閉めたのだろう。
ランタンで周りを照らしてみると、木の板が地面や壁に打ち付けられ、地下通路として作られているようだ。所々、朽ちているところもあったが、少なくともロルフの奴隷時代に働いた鉱山よりはまともなようだ。かび臭い匂いが強くないのは、この通路が外とつながっているからだろう。
「シス。歩けるか。このまま教会まで行くぞ」
「うん」
シスはローブに付いた埃を払いながら、気のない返事を返した。
ランタンで暗闇を切り裂きながら通路を歩いていく。
紅い羊の強奪計画。
ルイーゼ商会から伸びる地下通路。ガンベルツの地下に網の目のように張り巡らされているこの通路は、気をつけないとすぐに迷ってしまう。
あらかじめアルマに教えられた道順通りに進めば、教会までの道のりはそこまで複雑ではない。教会にたどり着いたら、ルイーゼ商会が根回しした協力者が手筈通りに教会内部への扉を開けてくれる。昼間確認した通り、紅い羊の部屋に出るはずだ。
シスは一言も言葉を発しない。ただ、ジッとロルフの後をついて来るだけだ。
「どうした。あまり元気ないな。やっぱりついて来ないほうがよかったんじゃないか」
当初、シスはこの紅い羊の強奪には参加しない予定だった。ロルフ一人の方が身軽に動けるためだった。アルマと一緒にロルフの強奪計画成功まで待機している予定だったが、シスはどうしてもロルフと行動を共にすることに固執した。
「私、商人嫌い。ロルフと一緒にいたい。役に立つから一緒にいさせて」
静寂の中、シスの微かな声が良く響く。
やはり不安なのだろうか。先ほどはロルフもなるべく明るい声でシスに語りかけたが、胸は緊張で押し潰されそうだった。
「それに……あの子」
「……紅い羊の事か?」
シスがとぼとぼとロルフの後についてくる。
「あの子もずっと一人だったんだと思う。みんなから怖がられて、避けられて、さらわれて……」
人間ばかりではない。家畜も他の動物も皆と違えば迫害される。シスは以前の記憶は失ってはいるが、心の奥底には迫害された記憶が根付いているのだろう。
「ねぇ、ロルフ。あの子。私の魔力を注ぎ込んだ後は、どうなるの?」
シスが薄暗い通路の中でも、良く映える宝石のような瞳をロルフに向けた。
「おそらく殺されることは無いと思う。貴族か何かに買われて権力を鼓舞する道具になる」
そのことはシスも知っているはずだ。紅い羊を見て思う所があったのだと思う。
「私たちは救われるけど、あの子は一生一人ぼっちなのかな……」
「なあ。シス」
ロルフは足を止める。下を向いて歩いていたシスがロルフの背中にぶつかった。
「頼むから変なこと考えないでくれ。これが成功すれば俺たちは人間に戻れるんだ。もうすぐなんだ! 俺は紅い羊の体液で奴隷の烙印が消せる。シスだって魔力の文様が出なくなる。それで良いじゃないか!」
地下通路にロルフの声がこだまする。万が一にもどこかで人が聞いているかもしれない。ロルフは我に返り、口を手で覆った。
シスは突然のロルフの声に表情をこわばらせる。
「すまない。シス……でももうすぐなんだ。後もう少しで人間の生活ができるんだよ」
「……分かってる。ちょっとかわいそうって思っただけ。それだけだから」
シスの言いたいことは分からないでもない。自分だけが魔力を消し去り、羊に押し付けようとしているのだ。しかし、目にとまった存在を全て救うなんてできない。皆が幸せになる世界なら、ロルフはこんな気持ちにはなっていない。
ざわめく気持ちを抑えながら、ロルフは重い足を前に出した。
しばらく歩いて行くと、突き当たりに出た。そのまま左に歩いていけば外に。右に折れれば教会の真下に出る。
「シス。こっちだ」
返事は無い。
シスも納得ができない気持ちがあるのだろう。それでもついてくるのはシスだって迫害されるのは嫌なのだ。
次第に道がなだらかな上り坂になってきた。地上に近づいている。教会に近づいているのだ。
だんだん天井が迫ってきている。上を見ると閉ざされた蓋のようなものが見えた。
「これだ」
そう漏らすと、シスも天井を見上げた。ロルフは蓋の辺りを三回、軽めにノックした。数秒すると、向こう側から同じように三度のノック。ロルフはホッと、胸をなでおろした。予定通り蓋の向こう側には協力者がいる。ロルフは再び三度ノックを返した。
間もなく、メキメキ、と腐った木が剥がれる音がして蓋が外された。
生唾を飲む。ロルフの胸が一度跳ねた。
蓋の開いた隙間から、こちらを品定めするような視線が覗いた。すぐに蓋は完全に開けられ教会の空気が流れてきた。
「シスはそこで待ってろ。すぐに戻る」
ロルフはシスの返事を待たずに教会へと入っていった。
協力者はフードを目深にかぶっていたため、男か女かも見分けがつかない。ただ、そこに立っているだけで声もかけてこなかった。協力者は一言も言葉を発することなく、手に持ったランタンを部屋の中央にかざした。
妖しくゆらゆらとランプの光りが揺らめく中、紅い羊は地に体を伏せ眠っているようだ。あらかじめ弱い睡眠効果のある薬草で眠らせてあるらしい。連れ出そうとする際に、暴れられても困るからだ。
協力者は全く声をかけてこない。あらかじめ計画は決まっているので話すことはないのだ。ロルフも余計なことは話さない。速やかに紅い羊を背中に抱えた。
背中からは羊の体温が伝わって来る。
すぐにロルフは今入ってきた入口に体を滑り込ませ、地下通路へと戻っていった。
羊を傷つけないように地面に寝かせた。弱い睡眠の薬草だったようで、紅い羊はよろよろと体を起こすと、暴れることなくうっすらと開けた目をシスに向けている。
気がついたときには教会への入口は閉ざされていた。




