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その翌朝、仕事へ向かう為に家を出ると、いつもと変わらぬ光景があった。
階段を下りる足を片方だけ段の上に残す形で立ち止まる。
穏やかな目線の先には、ずらりと並んだポスト。その前に川原と早耳、そして野水と言う、お喋り雀達の姿があって、ふと笑みが零れた。
「弥生ちゃんおはよう」
「あら、これからお仕事? 気を付けてねぇ」
川原と野水に会釈していると、早耳が小走りで近づいてきて声を潜めつつ囁いた。
「ちょっとちょっと、聞いたぁ?」
聞いたかと問われても、これと言ってピンとくるモノがない。
本当にわからなくて弥生が首を傾げると、早耳が早口でまくし立てた。
「例の旦那さん。
ほら、警察に連れてかれとったあの人…なんや、行方がわからへんらしいのよ」
川原が『弥生ちゃんはこれから仕事なんやから、帰って来てからにしぃな』と苦笑しているが、そんな話なら是非とも聞きたい。
しれっと笑顔で大丈夫だと告げ、先を話して欲しいとお願いした。
嬉々として話し始めた早耳が言うには、男は警察…しかも警官の目の前で忽然と消えたのだそうだ。
当然のように警官たちは慌てふためいたという話だが、奥方も突然姿を消しているし、子供については母親が誘拐だと騒いでいただけで、それもざっくりと言えば突然姿が消えたとも言える。
何とも言えない不気味さを感じているそうなのだが、それも当然の感覚だろう。
尤も、噂特有の背鰭尾鰭が、ふんだんに盛り込まれた結果だ。
特に『不気味さを云々』辺りは、どうしたって盛った話にしか聞こえない。
とは言え、都市伝説の一つが誕生した瞬間に立ち会えたともと言えるだろう。
話してくれた早耳に礼を言い、川原と野水にも『行ってきます』と挨拶をしてその場を離れた弥生は、駅へ向かいながら鞄の一番奥のポケットを覗き込んだ。
ファイルに挟まった契約書諸々……。
ちゃんと入っている。
歩きながらでは確認し難いので、駅へ急いだ。
空いているベンチを探し、弥生は鞄を開いてファイルを取り出す。
やはりと言うか何と言うか……じっくりと見なくても、いつの間にか報告書が増えていた。
今更驚きもしないが、本当にたった2万円で片が付いた事に妙な感動を覚える。
つい、ふふっと笑みが零れ落ちた。
ただ報告書の他に『要確認』と赤い文字…これはスタンプのようだが…押された書類を見つける。
赤ん坊の処理確認だ。
今一度考えるが、もう戻って来る事がないなら放置で良いと思う。
それに赤ん坊の為にもよかったのではないだろうか?
あんな両親と姉では、赤ん坊の将来だって碌な物にはならないだろう。だから是非ともあんな毒家族の事なんか忘れて、幸せに…そして真っ当な人間になって欲しいものだと思う。
いつもの電車がホームに滑り込んでくる。
ファイルを鞄に仕舞おうとして、見慣れない紙片がある事に気が付いた。
取り出してじっくり眺める。
眺めていた紙片をファイルに戻して鞄に仕舞った弥生は、ベンチに座ったまま微笑む。
そして、そのまま発車メロディを聞き、閉まる扉を見つめ……見送った。
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