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弥生を呼び止めた、如何にも『おばちゃん』と言う感じの女性の名は早耳 広子。
彼女は弥生と同じ2番棟の502号室の住人だ。
中学生と小学生の子供がいる専業主婦で、旦那さんも含めると4人家族。お喋りが大好きな人で、気付けば何処でも誰かと喋っている姿を目撃する。勿論噂話も大好きで、団地に流れる噂で彼女が知らない事は、殆どないのではないかと思う。
世話焼きな一面もあり、弥生もよく『作りすぎちゃったの~』とか言って、お惣菜を押し付けられている。
弥生はそれを素直に嬉しいと思っているので、ありがたく頂戴しているが、人によってはちょっとお節介…と言うか、うざく感じるかもしれない。
早耳の後ろから歩いて近付いてくるのは、弥生より少し年上だろう感じの美人で、名を川原 好美と言う。
彼女も同じ2番棟の住人で、404号室に入居している。
まだ子供は居らず、夫婦で暮らしている。彼女もお喋りが好きな人ではあるが、昼からパートに出ているらしく、早耳よりは目撃件数は少ない…と思う。
好みの会話は芸能関係の噂話で、彼女自身アイドルの推し活を楽しんでいる。
ただ、はっきりとした性格のようで、物言いは少々きつく感じるかもしれない。けれど、それも気にしなければ良いだけの事だ。
御婦人方がさっきまで集っていた場所で、此方を見ている老婦人は野水 加代。
やはり同じく2番棟の住人だ。1階で一人暮らしになっている。
微妙な言い回しなのは、旦那さんが入院中だからだ。娘さんが二人いると聞いているが、どちらも独立していて、あまり見かける事はない…と言うか、弥生は見た事がない。
お喋り面々と居る事が多いが、彼女自身は話題を提供する側と言うより、聞き役になっている事が多いように思う。
おっとりとした性格のようで、旦那さんの病気が心配だろうに、いつもにこにこと笑顔を絶やさない人だ。
この老婦人が纏う穏やかな空気が、お喋り雀達の口を、更に滑らかにしているのかもしれない。
「ほんと、目の下に熊ちゃん飼ってるやんか。
もしかして仕事が忙しい? そう言えば最近帰りが遅いみたいやもんね」
川原が、心配するように眉尻を下げていた。
確かに最近は帰りが遅くなりがちだったが、それを把握されているとは思わなかった。
けれど、落ち着いて考えれば、それもそうか…と納得出来てしまう。
川原宅は404号室で、弥生の部屋の隣だ。
古い集合住宅だから、扉の開け閉めの音なんて筒抜けだろうし、生活音だって聞こえている事だろう。気を付けてはいたのだが、もしかしたら隣の迷惑になっていたかもしれない。
慌てて頭を下げた。
「すみません、ドアの音とか煩かったですよね」
「は?
そんなの気にする訳ないって。
ドアの音なんか気にするんやったら、こんな古い団地に住んでられへんて。
こっちだって色々と音、響いてるんやない?
こっちこそ謝らないと、だわ」
川原は気持ちよく笑った。
婉曲な物言いをする人ではない為、彼女が笑い飛ばしているのなら、本当にそう思ってくれているのだろう。
弥生はホッと胸を撫で下ろした。
「時間、大丈夫?」
さっきまで少し離れた所に立ち止まっていた野水が、弥生を見つめながら問う。
弥生はハッとして左手首の時計を見た。
「ぁ、ごめんなさい、行かないと」
慌てて会釈をして、弥生は走り出す。
電車に乗る前にコンビニに寄りたかったが、これでは無理そうだ。
「転ばないようにね~」
「いってらっしゃーい」
「気を付けるのよ」
そんな弥生に、3人の雀淑女達が声をかけて見送っていた。
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