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『具体的に言いますと……。
夜泣きは赤子ですね。
そして子供…こちらについては、本当に大変でしたね。
あぁいう輩には去って貰うのが一番です。
後は女性…奥様ですね?
問題の御家族は4人家族のようですが、男性…旦那様でしょうか…こちらは如何でしょう?』
問われて、弥生は視線を無意識に斜め上へと流した。
男性、男性…と思い返してみるが、その人とは会った事も見かけた事さえない。つまり、女性や子供と違って直接的な被害はないとも言える。だが、女性の声と一緒になって、朝だろうが深夜だろうが、お構いなしに怒鳴っていたのは男性だ。
そう考えると赤ん坊の夜泣きより、弥生にとっては迷惑な声だった。
男性の声はただただ大きい。だから非常に煩く耳障りなのだ。脳を揺さぶられるというか…。
勿論、夜泣きだって煩い事に変わりはないが、何とかしようと頑張ってくれているのなら……だが、あの一家が頑張っているかと問われると悩む。
どうにもほったらかしの様な気がしなくもない。見た事がある訳ではないので断言は出来ない。
『なるほど。
赤子については微妙…と言う感じなのですね?
わかりました。
今後の被害具合にもよるでしょうが、赤子は保留と言う事にしておきましょう。
となると、現時点では3名と言う事で大丈夫そうですね』
「はい…」
『では直ぐに契約書をお持ちします』
『え』とも『あ』とも、声が漏れる前に背後で気配がした。
振り返ると人影があった。
ほっそりとしたシルエットで、見覚えのあるスーツに身を包んでいる。
夏だというのに長袖の上着、それと同じ茶色のタイトスカート。そして室内の筈なのに、足元には茶色のハイヒール。
弥生は声もなく思い出した。
いつだったか…駅で見掛けた美女だ。
艶やかな黒髪を肩に流している。以前見た時と同じく、上の方で左右どちらも髪が跳ねているが、美しさが損なわれる事はなかった。
彼女は、一度深く頭を下げてから、微笑みを浮かべる。そして名刺を差し出してくる。
受け取るとそこには、『夜翁 静音』と名前が記載されていた。
下の方に小さく『セイジョウ社』とある。
「夜翁…珍しい名字でいらっしゃるんですね。
それに社名はカタカナでしたか」
「えぇ、珍しいかもしれません。
まだまだ小さな会社ですので、あまり耳にされた事はないかもしれないですね」
夜翁が微笑む。
次は何処から出したのかわからないファイルを、弥生の方へ差し出してきた。
「こちらは契約書でございます。
ご確認をお願いしますね」
促されて、ファイルの中に入っていた書類を取り出す。
確かに守秘義務諸々がびっしりと書き込まれている。文字も小さく読みづらいが、約款と似たようなモノと思って一通り目を通した。
他には封筒が一枚。
それだけだった。
「……あの、お支払いはどうしたら…?」
おずおずと尋ねてみる。
封筒が現金書留用ならまだしも、『セイジョウ社』と書かれただけの封筒で、使用目的がわからない。
とは言えこれを単なる封筒と言っていいのか、微妙な所ではある。
何故なら、色が普通ではない。
真っ黒なのだ。
ファイルに入っていたのは契約書とその封筒のみ。
振込先を記載したモノもなければ、支払い方法について書かれた紙もない。
「あぁ、そちらの封筒に入れて、ファイルに挟んでおいてください。
入金が確認できた後、佐々木様の最終確認を待ってから、当社も動きます」
封筒に入れた上でファイルに挟んでおく……それだけで? と聞き返したくなるが、何故か『はい』と受け入れてしまう。
なんだか色々と思考力が奪われている気がした。
だがそれに特に苛立ちを感じる訳でもない。ごく自然に受け入れていたのだ。
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