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第1話 怪人アプリ拾いました!

 午前六時。目覚まし時計のベルが静寂を切り裂く。

 まどろみから覚めた少女は、澱みのない動きで上体を起こすと、深く息を吸い込み、全身の筋肉を解きほぐすように大きく背筋を伸ばした。


 少女の名は、美津姫(みつひめ)うらら。

 中学一年生。不登校。世間からは「引きこもり」と括られる存在だが、その日常は規律に満ちている。自己顕示欲の強い彼女にとって、いつか訪れる「最高の舞台」のために美容と健康を維持することは、もはや信仰に近い義務だった。


 オートミールにドライフルーツを散らした簡素な朝食を済ませると、彼女はジャージに着替え、徒歩二十分のアスレチック公園へと向かう。自重トレーニング、ランニング、踏み台昇降――。二時間のルーチンを終え、汗を拭いながら走り出した彼女の視界に、朝露に濡れて鈍く光る物体が飛び込んできた。


 それは、一台のスマートフォンだった。


 周囲に人の気配はない。

 「落とし物かな?」

 独り言をこぼしながら手に取ると、端末にロックは掛かっていなかった。通話もネットも繋がらない奇妙な端末。そのホーム画面には、ただ一つ、【怪人】と記された禍々しいアイコンだけが鎮座していた。


 好奇心に従い、指先でタップする。

 起動したアプリの膨大な利用規約を、彼女は瞬きもせず読み解いた。そして、薄く、美しい唇を歪めて笑った。


「怪人アプリ? 無制限に怪人を作れる……? フフ、おっかしーの」


 嘘か誠か、確かめるのは容易だ。

 現在のアプリレベルは『1』。リセットされたのか、それとも自分が最初のテスターなのか。彼女は瞬時に思考を巡らせる。

(拾わせたのか、拾ったのが私だっただけか。どちらにせよ、これを作った『誰か』は、世界がどうなろうと構わないほど退屈してる。……いいよ、その観察、乗ってあげる)


 彼女は足元を這う蟻の行列に目を付けた。

 レベル1の機能はシンプルだ。

 ①生物をカメラで撮影し、データとして取り込む。

 ②取り込んだ生物を【怪人】、あるいは人間の姿をした【人型怪人】として出力する。


「ハイ、チーズ!」

 無邪気な声とともに、二匹の蟻が画面に吸い込まれた。


 彼女はまだ怪人を顕現させない。向かったのは、地元で有名な心霊スポット――標高六百五十メートルの山中に佇む廃洋館だ。埃の舞う寝室の真ん中で、彼女は確信を持ってアプリを操作した。


「出ておいで、私の従順な駒たち」


 空間が歪み、二人の女性が姿を現した。

 黒いスーツに身を包んだ、十代後半の美女二人。一人は凛としたまとめ髪、もう一人は快活そうなサイドアップテール。

 驚愕すべき光景だが、うららは頬杖をつき、女王のように言い放った。


「私に(ひざまず)きなさい」


 二人は吸い込まれるように膝をつき、声を揃えた。

「我らが首領、美津姫(みつひめ)うらら様」

「産んでいただいた御恩、生涯を賭してお返しいたします」


 名乗ってもいない名を呼ばれ、うららの確信は深まった。このアプリは、使う者の情報をすべて掌握しているのだ。

 彼女は二人を、蟻から取って黒井(くろい)亜里(あり)庵途(あんと)と名付けた。するとスマホから二人の「運転免許証」が吐き出される。シュールな光景だが、うららの関心は別のところにあった。


「ねぇ、二人で戦って見せてよ」

『……あ、庵途(あんと)、私にいいトコ見せてね?』


 あざとい笑顔で、庵途にだけ「思念」を送る。

 思念を送る事で、一方通行ではあるが、生み出された怪人にはうららの言葉が伝えられる。


 そして二人の戦闘が始まる。

 怪人の身体能力は常人を遥かに凌駕していた。指先から放たれる蟻酸が壁をジュッと溶かし、針のような拳が空気を切り裂く。うららの思念を受けた庵途がギアを上げ、姉である亜里を容赦なく叩き伏せた。


「すごいすごい! 庵途の方が強いんだぁ」

「……お褒めに預かり、光栄です」

 敗れた亜里の瞳に、かすかな悔しさと妹への懸念が宿るのを、うららは見逃さなかった。だから、さらに「実験」を重ねる。


「じゃあ次は、仲良く戦って。でもね――」


 うららは残酷な思念を個別に飛ばした。

 亜里には『隙を見て妹を殺せ』。

 庵途には『絶対に反撃せず、姉を信じて攻撃を受け止めろ』。


 愛する妹を殺せという命令。信じる姉に殺されろという命令。

 二人の表情が凍りつく。しかし、命令は絶対だ。

 

 亜里の拳から伸びた鋭い針が、ノーガードの庵途の右肩から胸を深く抉った。鮮血が埃っぽい床を汚す。驚愕して手を止めた亜里に、うららはクスクスと笑いかけた。


「どうしたの? 手を止めろなんて言ってないよ?」

「……っ、申し訳、ございません……」


 震える声で謝罪する亜里を見つめ、うららは満足げに頷いた。

「ごめんね、意地悪しちゃった。二人がどれくらい『私だけ』を見てくれるか知りたかったの。手当てしてあげて。……あ、庵途、生きててえらーい!」


 治療を終え、心身ともに疲弊した二人に、うららは最後の一撃を見舞う。


「さ、次は軍資金ね。犯罪と水商売は禁止。二人で一週間、日雇い労働で死ぬ気で稼いできて!」

「……ですが、庵途の傷がまだ――」

「大丈夫、怪人でしょ? 平気平気! ねぇ庵途、やってくれるよね?」


 血の気の引いた顔で、しかし庵途は力なく、けれど確実に首を振った。

「はい……うらら様のご命令、ならば……」


「一週間後、楽しみにしてるね!」

 軽やかな足取りで洋館を去る少女の背中を、傷ついた二匹の蟻は、絶望的な忠誠を込めた瞳で見送るしかなかった。


 世界征服の第一歩。

 それは、二人の美しき怪人が、工事現場で汗を流すことから始まったのである。

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