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スタンピートの発生は、いつも突然だ。
それはいつもどおりの第6の朝だった。
いつも通り、物見の塔では見張りの交代の時間が訪れ、いつも通り、小さな穏やかな会話が交わされる。
「ふわー、天気がいいな。おい、交代の時間だ、ご苦労さま。なにか異変はなかったか?」
「お、もう交代か。やったー!! 本当に何もなかった。雨すら振らなかったから、見張りが退屈で退屈でしょうがなかったよ」
「はは、そうだな。見張りが退屈するくらいの方が平和で丁度いいんだろうけれど、退屈は退屈だよな。こんな天気の良い日に第6にやってくる客なんて、きっとあの渡り鳥しかいないだろう」
「可愛い女の子でもやってきてくれたら、一気に目がさめるのにな!ははは!」
穏やかに雑談をしながら、目の前を通りすぎてゆく渡り鳥の到来を眺めていた見張りの兵の目の前で、平和な日常は急に崩れ落ちた。
何の前触れもなく、急に渡り鳥の一群が地に落ちたのだ。
「お、おい・・今何があった?」
「いけね、俺昨日の酒が抜けてないのか・・」
兵士たちが急いで渡り鳥の落ちた先に目をやると、地におちた渡り鳥の一群は一瞬にして黒い海とかわっていた地に飲み込まれ、跡形もなく消えていった。
ぎょっとして兵士たちは黒い海に目をこらすと、それは黒い海ではなかった。
黒い瘴気を発してうごめく魔獣の大群だったのだ。
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この朝、前触れもなく突然に発生したスタンピート。
それは第一の観測隊の懸念通り、魔の森の奥の沼の瘴気溜まりから発生した大スタンピートだった。
この規模のスタンピートは100年に一度の頻度で辺境に発生するが、発生の際に全く前触れが無いために、発生直後の対応が後手になってしまう。
そして対応が少しでも遅れた場合、国家単位の損失となるほどの大被害が発生する。
前の大スタンピートの際は3つの村と4つの街を飲み込んで、死傷者は辺境の人口の3割にも達するほどの被害に及んだとの記録が残っている。
マティアスはこの未曾有の大スタンピートの発生の瞬間に、自分が発生地であるこの第6に滞在し、時を置くことなく出撃できる幸運を神に感謝した。
すぐに辺境の全要塞へ、応援が要請された。
一番近くの第5要塞からの応援はあと1日もあれば到着する。一番遠くの第1要塞からも、3日もあれば辺境騎士団と治療魔法団の援軍が届く。
だがそれまでは、第6の騎士団だけで、この未曾有の国防の危機を乗り越えなくてはならない。
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「道を開けろ、今から第三武器庫を解放する!! 装備にぬかりはないな!!」
「すぐに跳ね橋を上げる、もたもたするな!」
「魔術団、準備よし!魔獣を谷に誘い込んだらすぐにに罠を貼る!住人を全員退却させろ!!」
「退避住民は要塞の広場に集合! 正面門を施錠する、突破される前に全員急げ!!」
要塞ではどこもかしこも人々が大騒ぎで往来し、廊下にはバタバタと大きな砂煙がたちのぼり、魔の森の方角には黒い煙がモクモクと立ち上っていた。
空には通信魔法が飛び交い、甲高く不快な音が空中に響き渡っている。
窓から見える光景に、ドルマは体の震えが止まらない。
だが、それは扉の外を忙しく走り抜ける人々の気配への恐怖からではない。
ドルマの故郷を襲う未曾有の大スタンピートに、ただ部屋にこもって、窓の外を眺める事しかできない自分の無力さへの絶望からだった。
窓の外に見える広場では、足を擦りむいた子供を、少し大きな子供がおぶっているのが見える。
泣いて座り込んでしまった老婆を慰める、妊婦がいる。
戦闘に繰り出す男たちの為に、早くも炊き出しの準備を始めた女性の集団もいる。
(私も・・私にも何か、何かできる事はないのかしら)
ドルマはただ、おろおろと部屋を歩き回り、意味もなく作業机にすわって針を握ってみる。
針を握った所で、繕うものなど何もない。
第六騎士団が隊列をなして、戦闘に向かう所がみえた。
騎士団の先頭には、銀色の美しい髪。マティアスだ。
(ああ・・マティ様どうかご無事で)
ドルマにできる事は、祈る事しかなかった。




