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コンコン
ノックの音がした。
(ひ・・怖い、怖い、一体だれ)
暗い部屋の隅でうずくまっていたドルマは、ノックの音に恐怖を感じて震えた。
体は細かくブルブルと震えだし、涙が溢れてくる。怖い。
じっと息をひそめていても、扉の前の人は立ち去る様子がない。
ドルマがそっと扉の下の隙間から外を見ると、そこにあったのは、とても大きな、一対の上品な軍靴だった。
「・・ドルマ。私だ」
(マティ様!!!)
耳に覚えがある、優しい優しい声。
嬉しい気持ちが恐怖を上回り、ドルマはおもわず扉の向こうに駆け寄った。
「・・君がいつまでたっても返事をくれないものだから、本当に心配したんだ。あまりに不安になって、こんな所まで君を訪ねてきてしまったよ」
ここは要塞の女子寮だ。
次期辺境伯のマティアスといえども、簡単に出入りする事ができるような場所ではない。
ドルマに会いに来るために、おそらく相当の許可をあちこちから取ってきたに違いない。
「ごめんなさい」
声にならない声が、ドルマの喉の奥にひっかかった。
もう何日も、一言も声を出していない。
「熱は? 体の様子はどうだ? 君はあまり食べていないと聞いた。君が扉の向こうで倒れてはいないかと、メイド長が泣いていたよ。騎士団の連中も心配していて、君が好きそうな果物をあいつらから持たされてきた。部屋の前においておくから、後で食べてくれないか」
【ごめんなさい】
ドルマは喉の奥から出てこなかった音のかわりに、そっと、白い紙を扉の向こう側に送った。
「ドルマ・・・」
マティアスの優しさに、ドルマが傷つけた人々の優しさに、ドルマは胸がつまりそうになる。
ドルマはこぼれそうになる涙を抑えながら、苦しそうに紙に書いた。
【マティアス様。私の噂を聞いたでしょう?】
紙を読んだマティアスは、できるだけ感情をのせないように、簡素に応えた。
「ああ、聞いたよ。君はメンダーという存在なのかもしれないらしいね」
扉の向こうで息を飲み込んだ音が聞こえた気がした。
【私には、子供の頃から妙な力がありました。人やものから光の糸が出ているのがみえて、その糸が切れていたら、それをつなぐ事ができるんです。
この力を使ってつなぐと、少し不思議な事が起こって、とても皆喜んでくれるんです。でもしばらくすると気味が悪く思われて、そして私は嫌われて、避けられるんです。私の力はあまりに自然の理に反する力だから、必ず後でなにかあるに違いない、そんな力を持つ私は不気味な存在だ、と】
【そうやって人々の目線がこわくなって、私は扉の向こうで一人ですごすようになりました。でも、私はそえでも、誰かの役に立ちたかったんです。 大好きな第6の騎士団のお役に立ちたくて、私、いつもより力を使ってしまいました。その結果大好きな騎士団を危ない目に合わせてしまった。
あの病気の子供の時もそう。一生懸命役に立とうと、私、頑張ったの。そしたら私が歪めてしまったから、あの子供は元気になって、でもその後すぐに旅立たなくてはいけなくなってしまった。一体なんて事を私はしてしまったの】
聞こえるはずのない、涙が床にパラパラと落ちる音が聞こえた気がする。
「・・・だが、君は誰かを思って、力を使った。誰かの幸せを心から願って、力を使った。違うか」
【でも結果的に大切な第6のみんなを危険にさらしたわ。そして、あの子のお母さんをぬか喜びさせてしまったわ。私なんかに関わると、みんなが不幸になってしまう、私はずっとここにいて、誰にも会わないで一生生きていきたいの、誰も傷ついてほしくないし、もう傷つくのは嫌】
ひらりと飛んできた、歪んだ文字が、胸に痛い。
「ドルマ、それは違う。君は誰もが見捨てた子供に、手を差し伸べた。子供は助からなかったが、母親はお前に感謝をしていた。第6の連中も、君がメンダーかもしれない事は気がついている。だが、君を大切に思って心配してる。そして君に制服管理室に帰ってきてほしいと、そう伝えてほしいと言われてきた」
カイアスは、悲痛な声を絞った。
「・・君はその力を遣いすぎると、命を削る事になる。だからスタンピートの前に高熱を出した。だから子供の繕いをした後も、高熱を出した。君はたとえ、自分が犠牲になっても、人の幸福を祈った。ちがうか」
【・・でも、私は結局あの子を救えなかったわ】
「それは神でもないかぎり、無理だ。人が全て救われるなど、そんな世の中などあるわけがない」
ドン、と鈍い音を立てて、マティアスは拳で扉を叩いた。
「ドルマ。 君が救えなかったから、君が、人を傷つけたかもしれないから自分の存在する価値がないなんて思うのはやめてくれ。そんな事は俺には正直どうでもいいんだ」
そしてその場でゆっくり膝をつくと、マティアスは扉からまだ差し出されたままだった、ドルマの白い指を、そっと掴んだ。
ドルマは相当驚いたのだろう、びく、っと指が動いたが、その白い指が扉の向こうにひき戻される前に、マティアスは握った手にぐっと力を込めて、言った。
「ドルマ、誰の役にたたなくてもいい。誰も救わなくていい。繕いだってしなくていい。俺はただ、君に幸せで居てほしいだけなんだ」
マティアスの思い詰めた紺色の瞳から、ぽたぽたと透明な涙が流れる。
「ドルマ・・君をこの手で抱きしめたい。そしてただ、君が生きて存在している事を、感じたい。俺は、君の事を愛しているんだ」
マティアスの手に握られた白い指は、どんどんと熱をもちはじめる。
「・・こんな思いになったのははじめてだ。寝ても冷めても、顔も知らない君の事で心が一杯だ。ドルマ、どうか、私の思いを受け止めて、この扉を開けてほしい」
マティアスはそう言って、祈るように握りしめていたドルマの白い指を、そっと手放した。
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ドルマは扉の向こうから解放された、熱い指を胸に抱きしめた。
マティアスの熱い体温を纏ったその指は、まるで自分の指ではない、なにかとても大切で神聖なもののように感じた。
扉の向こうでは、マティアスが切なそうに、そして期待のこもった目をしてこちらをじっと見つめている。
(ここから、出たい)
ドルマは、恐る恐るドアノブにふれる。
鼓動が上がる。冷たいドアノブにふれるだけで、針が心臓に刺さったような気持ちになる。
ドキドキと高鳴り続ける胸をぎゅっと抑えて、ドルマは勇気を奮ってノブを、回した。
銀のドアノブはゆっくりと希望の光を携えて、固く閉じられた扉を開いて、ドルマと世界を繋ごうとする。
その時だ。
カチ、とドアノブから高い金属音がした。
(怖い!!!!)
金属音にドルマは恐怖でおびえ、おもわずドアノブを握るその手を引っ込めてしまった。
ノブは無情にも旋回して元の場所に戻り、ノブはただ、何事もなかったかのように沈黙を取り戻した。
「あ・・」
ドアノブは、二度と動く事はなかった
扉の向こうで息を詰めてドアノブを見つめていたマティアスは、絶望に傷ついた顔をしていた。
「・・そうか」
マティアスは、しばらくその場で立ちつくしていたが、そのうちゆっくりと後ろを向いて、振り返る事なく去っていった。
ドルマは扉の向こうで、銀の後ろ姿をただ見つめるしか、なかった。




