悪の一撃!闇乃木四天王登場!!01
何処かから呼び声が聞こえた気がして、日比野猛はふと目を開ける。
無機質な顔でベッドに寝そべる己を見下ろしているのは、見慣れた自室の天井。
カーテンを閉め切っている薄暗いこの部屋には、己以外の人間はいない。
声が聞こえたと思ったのは、やはり思い過ごしだったのだろう。
ぼんやりと、しばらくそのまま天井と見つめ合い……やがて深くため息をついた。
(まったく、情けない……)
落ち込んで泣き続け、昨日は学校を休んでしまった。
両親にも心配をかけているし、何よりも士郎に……と、敬愛する人のことを思い出して再び気持ちが落下していく。
同時に、一昨日の出来事が流れるような勢いで頭の中で再生され、猛は苦しくなった胸元をぎゅっと抑えた。
「情けないぞ、日比野猛。今日は学校に行かなければ……」
自分に言い聞かせむくりと上体を起こすと、僅かな痛みが頭に走る。
寝すぎたせいか、泣きすぎたせいか。
どちらにしろ不甲斐ないことには違いなく、自分を殴ってやりたい気持ちが強くなった。
(この度の失態は俺の責任だ。なのに、俺は……士郎様にあんなことを言わせてしまった……)
料理勝負の真の目的を聞き驚いた士郎の顔が、開閉するまぶたの裏に浮かんで消えた。
今回のことの謝罪を周りに入れるよう言った後、自らにも責任があると言い切った士郎は、いったいどんな気持ちで己を見ていたのか?
直情的ですぐに前が見えなくなる自分の癖が、本当に嫌だった。
(士郎様を、困らせるつもりじゃなかったのに……)
早く彼に会って、彼の顔を見て、きちんと頭を下げなくては。
そうは思うが、体も心も重く、ベッドから降りようとしても降りられない。
本当に不甲斐なく、再び涙が溢れそうになった。
『心を開放せよ』
刹那、はっと顔を上げる。
今度は空耳ではない。確かに人の声が、部屋のどこかから聞こえた。
「誰だ?」と声を上げてあたりを見回すが、人の姿は当たり前に無い。
超常的な恐ろしさを背筋に感じ、布団にもぐるか部屋を出るかの選択を迫られたとき、再び鼓膜が震える。
『心を開放せよ。日比野猛』
今度は名前を呼ばれた。
叫びかけたその声も喉の奥へと引っ込み、猛は視線だけで再度部屋を見回す。
やはり部屋には誰もおらず、恐怖がピークに達してベッドから抜け出そうとした。
───その時である。
『お前の心を開放するのだ、日比野猛。お前の平穏を乱す者、真の心を理解せぬ憎き者を淘汰せよ』
「……っ!!」
視界が暗転する。じっとりと湿り気のあるような暗き深い闇だった。
真っ暗な闇の中で、あの声が猛に語り掛けてくる。
低く恐ろしい声なのに、口調は寄り添うような優しさがある。
『わかるぞ、日比野猛。お前は桜小路みやびと鷹司士郎が憎いのだ』
こちらを労っているのかと思ったが、その言葉には強い反発心を覚えた。
普段の勢いを思い出し、視線を鋭くぎらりとあたりを睨みつける。
「憎いだと!?違う、おれは……!!」
『違わんさ。お前を打ち負かした桜小路みやびが憎かろう。お前の心を汲もうとしない鷹司士郎が憎かろう』
「……なにっ!」
『お前はずっと鷹司士郎を敬愛し修練に励んでいたのに、桜小路みやびはあっさりとお前を追い抜いた。士郎はそれをわかりもしない』
刹那、呼吸が僅かに速く、額に汗が滲んだことを自覚する。
暗闇や声に対する恐怖感のせいだろうか?それとも自分の心に、本当に二人を憎む気持ちがあったのだろうか?
立ち尽くす猛に、声は包み込むように語り続ける。
『だからこそ心を開放するのだ。そうすればお前はもっと強くなれるぞ』
「…………」
一瞬の恐れがあった、がすぐにそれは何処かへ消えていく。
猛の心そのものが闇の中へと溶け込んでいって、思考も何もかもぼやけたからだ。
◆
闇乃木里美との出会いから一夜明けた。
僅かに早く家を出た士郎は優斗とともに、通学路を遠回りして日比野猛宅に足を運んでいた。
やはりトークアプリに返信は無い。
今日こそは猛と話し合いたいと意気込んでいた……が、自宅で対応してくれたのは彼の母上で、猛は既に家を出た後だった。
「ごめんなさいね。今日はいつもより早くって……。約束していたのかしら?」
「いえ、そういうわけではないんです。すみません、お手数をおかけしました」
猛とは正反対の非常におっとりとした母上に礼をして、二人は彼を追って学校へと急ぐ。
一抹の不安が胸に宿ったが、気のせいだと首をふってやり過ごした。
「日比野くん、今日はどうしたんでしょうね。日直だったとか?」
「そうなのかな?うん、どうだろう……」
何処となくはっきりとしない士郎の返答に、優斗が怪訝そうに視線を寄越す。
「士郎さんも様子がおかしいですね。何かありました?」
「ああ、ええと……うん」
まだ優斗には昨日の闇乃木里美とのこと……夢の中で気になった猛のことについて話していない。
秘密にしたいわけではなく、どう告げていいかわからなかったのだ。
恐らく優斗は昨日何事かあったらしいことに気が付いている。
全て説明すべきだろうと考え、言葉を選びながら士郎はぽつりぽつりと話始めた。
「優斗は僕が変な夢を見たのは知ってるよな?その、昨日昼寝してたらまた同じようなのを見て声が……」
「声?」
「うん、声が僕に中央橋に来るように話しかけてきたんだ」
眉を跳ね上げる友人に、士郎は放課後起こったことを一から説明する。
優斗は時折相槌をうって、何故か里美の話になると顔を歪ませながら話を聞いてくれた。
そして眉間にしわを寄せて低く唸り、しばらく歩いたあとでぽつりと一言。
「中二病ですね……」
「え?」
「その、黄昏の……ぶふぅっ!黄昏の反逆者さんがです、ぶふぉおおっ!!」
端正な顔を歪ませ、優斗は何故か噴き出している。
友人の笑いのツボが何処かわからないと首を傾げながら、「中学二年生かはわからないけど」と学年を知らないことを告げた。
そんなに妙な答えじゃなかったはずなのだが、優斗はさらに顔を歪めて肩を震わせる。
「とにかくその面白……失礼、奇妙な方が士郎さんに夢を見せた方なんですね」
「ああ、闇乃木と名乗っていた。この件は桜小路さんに相談するとして……問題は猛のことなんだ」
後輩の名前を出すと、流石の優斗も顔を引き締めた。
「彼女の見せる夢は現実とリンクしていると言われてね」と説明してから、本題に入る。
「夢の中であいつは僕のためなら人生を差し出せるって言ってたんだ。それを聞いた時、すごくひやりとしたよ」
「……日比野くんらしいと僕は思いますが」
「でも僕のせいで猛の人生の道を狭めたくはない」
きっぱり言うと、優斗が目を見開いた。
「猛は僕と一緒にいるから周りが見えなくなっているんだ。猛にはもっと楽しめることや熱中できることがたくさんあるはずなのに……」
「士郎さん、それは」
「鷹司が、猛のそばにいなければ……」
苦々しく呟いた士郎に、友人は一瞬息を呑む。
が、すぐに強く「士郎さん」と己の名前を呼び、陰鬱としていた空気を変えた。
「僕はそうは思いませんよ。確かに日比野くんには自由があります。それは誰にも阻害出来るものではありません。だけど、ならば……」
珍しく優斗が目じりをつり上げ、声も厳しく言いかけたときだった。
ぬるりとした湿り気のある風がふと真正面から吹いてきて、言いようのない寒気が走る。
五月に入る爽やかな時期の空気とは思えないそれに、士郎はもちろん優斗も立ち止まりあたりを見回した。
空はからりと晴れて、まだ早い時間のせいか人の気配も少ない。
何の変哲もないいつもの通学路……そこにまた気味の悪い風が吹いてきた。
ぞわり、と鳥肌が立つ。何か不味い、そう思って士郎が優斗を振り返った時だった。
「士郎様、どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」
沸きだすように響いたその声に、士郎と優斗はぎょっとして前を向く。
二人の数歩先、道の真ん中にぽつりと、いつの間にか人影があった。
月城学園の制服に身を包んだ少年である。
きりりとつり上がった眉が特徴的の、見覚えのある凛々しい彼に、士郎は「あ」と声を上げた。
「猛……?どうし、」
「何故です、士郎様。俺は鍛錬を続けてきたのに。全て、貴方のお力になるために……」
「日比野くん?」
普段は強い意志の込められた目が虚ろに開かれていることに、士郎も優斗も戸惑って彼の名を呼ぶ。
しかし少年は……話題の中の人だった日比野猛は返事を返さず、虚ろなまま頭を抱えてぶつぶつと呟き始めた。
「ちくしょう、どうして、どうして……!俺は負け犬……!!これも、すべて……!!!」
「猛!!!」
呼びかけにばっと猛が顔を上げる。が、その顔は既に己の知っている彼のものでは無かった。
「全て桜小路みやびのせいだ!!!」
叫ぶ彼の顔はいつかの体育館裏で見た化け物と同じく、漆黒のぬるりとしたものに成り果てていた。




