第八十六話「共闘」
会場は混乱を極めていた。無数に現れた気味の悪い生き物が人々を襲い、黒い塵が吹き荒れて視界を塞ぐ。ロドルフォは冒険者達に民間人の避難の誘導を指示したが、果たしてその声は届いていたのだろうか。
自分達は貴族席だった為、貴族たちの悲鳴と共にあちこちで戦闘の音が聞こえてくる。この国の貴族は腕に覚えのある者も少なくなく、簡単に後れは取らないだろうが、その妻や子供たちとなるとそれも難しい。
絹を裂くような悲鳴を嘲笑うように、醜い怪物は空を飛びながら襲ってくるのだ。国王の周りや貴族席には多くの兵が控えていた事と、それぞれが個室のようになっていたことで怪我人は少なく、被害は最小限に留まっているのは不幸中の幸いと言えるだろう。
しかし混乱は大きく、まともに統率の取れているところなど皆無に近いだろう。誰も闘技場の方がどうなっているのかすら気にかける余裕は無く、それが混乱に拍車をかけている。恐らく民間への被害は大きなものになっている可能性が高い。
それが不意に黒い風が止み、怪物は標的を変えた。
多くは人々を襲うのを止め、闘技場の中央へと集まっているのだ。ロドルフォは何が起きたのかと、その存在を目にした瞬間、言葉を失った。
そこには巨人が立っていた。大柄な獣人二人を縦に並べたよりも尚高い、闘技場の壁を優に超え、頭部は観客席を簡単に覗き込めるほど。
顔はのっぺりとしていて目鼻や耳は無く、しかし大きく裂けた真っ赤な口からは、長い舌と鋭い牙が覗いている。更に大小合わせて幾つもの角が頭の上に生えており、歪な赤黒い肉体はてらてらと鈍く光り、大きな翼は闘技場の端から端まで覆いそうなほど。異様に長い腕や細長い脚、錐のような長い尻尾と、どれをとっても殺傷力が高そうなバケモノだった。
それこそこの場に居る、全てのヒトを即座に皆殺しに出来ると言われても、それを素直に信じられるだけの威圧感を放っている。
「何時の間にあんなものが現れたのだ……いや、まさか先程のバケモノの集合体なのか? まるで伝説に聞く神々への反逆者……悪魔そのものではないか」
そうだとして、どうやってあれを倒せと言うのか。幸か不幸か、この国が誇る最高位の冒険者パーティと、ローヴィス教が掲げる人間の希望、勇者の一行が悪魔と対峙している。だがそれで勝てなければ、他の誰にも倒す事など出来ないだろう。
そんな絶望の中、悪魔はその巨体をゆっくりと動かし始めた。
「……嘘だろ? あんなにデカいバケモノが相手なのかよ……」
「そ、それでも我々が退くと言う選択肢はありませんわっ。勇者様が立ち向かうのなら、我々もお供しなければ!」
「あれだけの巨体じゃあ、わたくしの魔法でもどれほどの痛痒を与えられるか。相手が悪すぎるわ」
「別に自分達だけで戦えって訳じゃあないのが、せめてもの救いでしょう。聖兵の方々も、やる気のようですぜ」
勇者の仲間たちが、目の前の巨大なバケモノを見て慄いている。一定以上の実力を持つからこそ、相手の強さがより繊細に感じるのだろう。自分達では傷を負わせられるかどうかも、怪しいのだと。
「参ったね……私はあの馬鹿に武器を届けに行かなきゃいけない。ステラ、アイリス。最悪アンタ達だけでも、チビたちを連れて逃げるんだよ?」
「幾らヘルガの頼みでも、約束しかねるわね。それに、ユウリならきっと……」
「あああああれは、あれだけは、許しちゃいけない感じなんですぅ。なんていうか、新米でも神官的な感覚が訴えてきて、絶対に負けちゃ駄目だって、野放しにしちゃいけない感じが、ひしひしと伝わってくるんですよぉ!」
腰のマジックポーチから、ハルバードを取り出してヘルガが言う。悪魔の放つ威圧感に怯え震えるマットとルナを抱きしめながらも、ステラとアイリスは退くことを拒んだ。ステラはユウリの力を信じているから。アイリスは神官として無意識に、神から啓示を受けまくっている状態だからだ。
だからこそヘルガは、呆れて大きく溜息をつくしかない。
「アンタ達ねぇ……絶対に前に出るんじゃないよ?」
そう言うと二人はしっかりと頷き返して来たので、ヘルガはユウリ達の下へと走り出した。
誰かが悪魔と呼んだそれは、こちらを睥睨するようにこちらに顔を向け、ゆっくりと動き出す。
「チッ。まともな武器がねえ、最悪の状況だな!」
「クレストさん。僕の武器、なんか使う?」
「……今はまだ、遠慮させてくれ。どうしようもなくなったら頼むわ」
二人がそんな風に語り合った直後、悪魔が大きく右腕を薙ぎ払い、攻撃を仕掛けてきた。
「させないよ! シールドエフェクト・プロヴォック!」
ユウリがすかさず盾を構え、青白い輝きを放って標的をこちらに向けさせ、真っ向から受け止める。
「ぐっ……思ったより、重い!? だったら、ランパート!」
想定よりも強力な攻撃に、ユウリは次のスキルを使う。ランパートはその名の通り、青白い城壁のような幻影が周囲に浮かび上がり、高い防御力を発揮するスキル。物理的な自重の軽さを補いつつ、相手の質量に負けないだけの防御を可能にするもの。
「す、凄い……ユウリ、君は一体……?」
「勇者アルベルト、それは後に。あの者が悪魔を止めてくれているこの好機を、逃してはなりません!」
「勇者よ。試合用の刃の無い剣では辛かろう。我がドッス侯爵家に伝わる、この名剣を使うが良い。あれは、あの悪魔は絶対に、野放しにしてはならん」
「……有難くお借りします。侯爵閣下」
アルベルトは剣を受け取ると、軽く振って調子を確かめる。普段使っている剣とはバランスが違うが、贅沢を言っている暇はない。勇者の力を使う為の体力はまだ回復出来ていないが、今は少しでも多くのダメージを相手に与える方が先決だと言うのは、嫌でも理解している。頭の奥で、アレは絶対に倒すべき存在であると、勇者の役目を果たせと叫ぶのだから。
「おぉおおおおおおっ!」
雄叫びを上げながら、アルベルトが悪魔に躍りかかる。鋭い錐のような尾が襲い掛かり、それを剣と盾で受け流しながら斬りつけていく。
相手の皮膚はとても堅く、与えられている傷は僅かだが、それでも止める訳にはいかない。
アルベルトのすぐ近くでは、ユウリが敵の攻撃を誘い、見事に防ぎながら反撃に転じている。クレストやユウリが自分よりもスパスパと、事も無げに相手の腕や足を切裂いているのには驚いたが、それ以上に相手の再生速度が速いことに驚愕する他なかった。
よく見ると自分が切りつけていた尻尾も既に傷が無くなっており、イタチごっこの様相を呈して来ている。
「うわ、何コイツ。再生速度が異様に早い!?」
「クソッ、スキル使っても思う様に傷を負わせられん。せめて俺の剣があれば……」
相手の生命力の強さに辟易していると、突然悪魔は咆哮を上げた。それは衝撃となって周囲を走り、壁の一部に亀裂を入れる。よく見ると観客席には逃げ遅れた人々が多数いて、下手に広範囲攻撃をさせると不味いことを、嫌でも理解させられた。
今のでアルベルトとマクシム司祭、侯爵の三人が攻撃を防げず、後方に弾き飛ばされている。兵の方にもそれなりの損害が出ており、まだまだ戦線復帰は遠そうであった。
「どうやってこんなデカブツを抑え込む? せめて観客たちが全員逃げててくれれば、ユウリも戦いやすいだろうに」
そう言いながら、クレストは自分に向かってきた尻尾の一撃を、両手剣で往なす。しかし所詮は試合用の物。今までクレストの気によって強化された事でなんとか持っていたが、元々出来の良い武器ではなかった為、限界が訪れて折れてしまった。
「チッ、本格的にヤバいぞ!?」
剣が折れたのを見逃さず、錐のような尻尾は不規則な動きでクレストに襲い掛かる。気付いたユウリが割り込もうとするが、間に合わない。
迫る尾の一撃を叩き潰すように防いだのは、とても鋭い斧のような物。ハルバードだった。
「余計なお世話だったかい?」
「……いいや、最高のタイミングだ。相棒」
「こんなことでアンタに死なれたら、こっちがいい迷惑だからね。ほら、剣を届けに来たよ」
そう言い合いながら、ヘルガがマジックポーチから一振りの剣を取り出す。クレストから預かっていた、彼愛用の魔剣。
クレストはそれを受け取ると、鞘から剛剣ナーゲルリングを抜き放って悪魔に切っ先を向ける。
「武器も戻って来たし、ここからが本番だ。悪魔!」
「聖兵や侯爵の兵も、そろそろ統率を取り戻せそうだ。皆でバケモノ退治ってのは、あんまり趣味じゃないんだけどねぇ」
「敵の攻撃は出来るだけ僕が防ぐから、二人は攻撃に集中していいよ!」
三人が肩を並べ、武器を構える。敵の攻撃はユウリの圧倒的な防御力で防げるので、この巨大な悪魔が相手でも、何とかなるような気がしてくるのだ。
悪魔はユウリの盾の光を忌々し気に見ながらも、しかしその威圧を跳ね除けることが出来ず、無視する事も出来ない。だからこそ周囲を纏めて薙ぎ払うような攻撃に終始しているのだが、特に範囲が大きいものは確実に防がれ、潰されてしまう。
クレスト、ヘルガがスキルを使って切り込んでいくが、相手の再生能力を上回ることが出来ずにいた。
再び悪魔が咆哮を上げる。それはロッコが使っていたような、魔法の力を感じさせた。何かがおかしいとユウリが気付いた時には遅く、周囲には魔法陣が展開されてしまっており、そこから再び無数のインプが現れたのである。
「こいつ、魔法を使うのかよ!?」
「神邪魔法、レベル低い奴でもこれは鬱陶しいし、僕でも防げないよ!」
「私らはどうとでもなるけど、他の奴らが不味いんじゃないかい!?」
戦況が悪魔の側に傾いた。再び解き放たれた無数のインプが会場に残る人々を襲い、漸く統率を取り戻して悪魔への攻撃を開始していた兵士たちが、再びインプに掛かりきりになってしまったのだ。
黒い風こそないのが不幸中の幸いと言いたいが、劣勢に立たされたのは間違いない。
「ヘルガ、少し時間を稼いでくれ!」
「いいけど、何をする気だい!?」
「アイツに効きそうな魔法を、試してみたい」
「了解、任せな!」
クレストが一旦ユウリの後ろに下がり、ヘルガが一人で前に出る。悪魔とも見事に渡り合う彼女の実力に、なんとか身体を起こしたアルベルトは苦笑する。これ程の実力者が相手だったのだと、自分は手加減されていたのだと思い知るほか無かった。
そんな彼を、支えようとする手があった。驚いて振り向いてみると、アルベルトの仲間たちが揃って彼の下に駆け付けて来てくれていたのだ。
「勇者様、傷を癒しますので、少しお待ちを」
「シャルロッテ」
「アルベルト様。今度こそオレも一緒に戦います。もう大丈夫です、任せてください!」
「フィル」
「あんなバケモノ、わたくしの魔法が通じるとはとても思えないけれど、何もやらないで逃げるよりは、マシだとは思うわ」
「宮廷魔法士様よりも、攻撃が通じなさそうな自分が言うのもなんですが、勇者様なら大丈夫です。相手の隙くらいは作って見せますから、トドメはお願いしますよ」
「ディディエ、ノルバロさん……皆、ありがとう」
勇者一行が揃った。これまで一緒に旅をしてきた仲間たちだ。彼らが側にいる、それだけでアルベルトの折れかけた心は、しっかりと立て直すことが出来た。
他にも戦っている者達が居る。ならば勇者として、彼らにばかり苦労を掛ける訳にはいかない。
「行こう皆。敵はあの巨大な悪魔。陽光神エルード様が邪悪なモノであると断じ、俺に倒せと命じておられる。これは、勇者としての務めであり、正義を示す戦いだ!」
剣を掲げ、勇者が叫ぶ。その様子が気に入らないのか、悪魔は忌々し気に吼えた。
多くのインプを蹴散らしながら、巨大な悪魔と戦うのは困難を極めた。そんな中ユウリ達の下にも、ステラ達が何とか辿り着いていた。多くの兵に護られながらだったのは意外だが、驚いている暇はない。
「こんな状況だもの、こっちも手段は選んでいられないわ」
「そろそろワタシ、魔法を使うの厳しいです……」
「ちょっと待って……ああもう、コイツ邪魔!」
ステラ達も魔法で応戦してくれてはいるが、敵の数に圧倒されてしまう。味方を巻き込まないようにもしなければならず、闘技場に多くの兵達がいるのも善し悪しである。
どうしてもユウリが守り切れない者達が出て来るので、先程から尻尾やユウリが抑え込んだ腕とは逆の腕で跳ね飛ばされたりして、宙を舞っている兵などが後を絶えない。中には尻尾に貫かれたり、爪でズタズタにされている者もおり、段々と血の臭いが濃くなってきているようだった。
ユウリは敵の攻撃を防ぎつつ、アイリスの魔力を回復させる物が無いかと、魔法の多機能鞄を器用に弄っていた。ステラに渡したものと同じ、魔力回復効果のある指輪がないかと探しているのだが、なかなか見つからない。
ユウリ自身が魔法を使わないため、魔力を回復させるマジックポーションの類は滅多に必要にならない。あの指輪だって単に場所を取らない物だから、鞄の底に眠っていただけの装備なのだ。
「ユウリ、無理はしないでくれ! アレは俺達が何とかする!」
そんな時、アルベルトが仲間たちを引き連れて、悪魔に立ち向かっていく姿が見えた。
「アルベルト!?」
思わず声をかけるが、今は戦闘中だ。敵の攻撃を仲間に通さない為にも、ユウリは盾を構えるのを止める訳にはいかない。
ジリジリと焦れるような感覚が、ユウリを襲う。あの悪魔そのものを倒す事自体はそう難しくは無いと、実際にぶつかり合って理解している。問題なのは、周囲なのだ。
未だに逃げ遅れた人々が取り残されており、インプの脅威に晒されながら苦しんでいる。
この国の兵やローヴィス教の聖兵達が、悪魔を倒そうと力を合わせて戦っている。
ステラ達やアルベルト達が、自分を支えようと集まってくる。
これでは、自分は何も出来なくなってしまう。倒せるのに倒せない。そんな矛盾を抱えながら、この動きづらい状況で苦しんでいた。
総力戦。しかしユウリは……。




