第八十五話「悪魔」
剣戟が響く。しかしそれは一方的とも取れるような、厳しい戦いだった。相手は明らかに正気ではない、同じローヴィス教の信徒であるカスパル。彼は正規の聖兵と比べても、遜色のない実力を持っていた。だからこそアルベルトは彼を無力化できず、防戦一方となってしまっていたのだ。
「カスパル! どうしたのですっ、彼は敵ではありませんっ。私の言葉が分からないのですか!?」
「行けっ、我が神の声に従って、我々の邪魔をする全てを殺せ!」
マクシム司祭の言葉は、カスパルには届かない。片腕を失い、癒しの奇跡で傷口を塞ごうとしているロッコの言葉だけが、彼を動かしているのは明白だった。
ならば彼を止めるべきだと悟ったオレール・ドッス侯爵がロッコに剣を向けるが、それを無数のインプ達が行く手を阻んでくる。
この無数に存在するインプのせいで他の兵も動くことが出来ず、自分達に襲い掛かってくるインプの相手に忙しい。この状況を打破できる者は、居ないかに思えた。
黒い風が随分と弱まり、インプ達も自分達の周囲はあらかた殲滅し終えたのは、アルベルトがロッコの腕を切り落としたのと、ほぼ同時だった。
漸く一息つけると、パーティの誰もがホッとしている中、ユウリは今回の騒ぎの元凶の方へと視線を向けた。自分達の隣を駆け抜けていった光の正体が、勇者アルベルトである事は間違いないだろう。
一瞬だけ見えた彼の力は、ユウリにとってとても興味を惹かれるものだった。アレはどんなスキルなのか、どれくらいアルベルトが強いのか。こんな状況だと言うのに、ついついゲームの時のような好奇心が疼いてしまう。だが彼の方を見ると誰かと戦い、防戦を強いられていたのだ。
「……アルベルト、どうしたんだろう?」
ユウリが不思議そうに見ていると、ヘルガも異変に気付いたのか、表情を険しくしてる。
「あれは、ローヴィス教の聖兵かい? なんで勇者と仲間割れなんてしてるんだろうね」
「仲間割れ?」
「私にはそう見えるけど、しかし聖兵の方は、どうにも様子がおかしい気がするよ」
助けに行くべきかとユウリが考え始めた時。ステラが慌てたように、彼の下に駆け寄ってきた。
「ユウリ。テュポーン様からお話があるって」
「テュポーンが? ……もう、この忙しい時に!」
不満そうに口を尖らせながら、ユウリはステラの背嚢の方に視線を向ける。すると中から黒いトカゲのような頭が、ぴょこんと顔を出す。
「何かあったの? 僕たち忙しいんだけど?」
『おう。まあ少し待て、結構大事な事だ。ここのか弱い奴らにとっちゃな』
ユウリの遠慮のない言葉に、周囲の仲間たちはかなりハラハラと緊張しながら見守っているのだが、彼らはそんなことを気にした風も無く、気楽になやり取りをしている。
あの黒竜のテュポーンがわざわざこんな状況、人が多い場所で話しかけて来たと言うことは、かなり良くない話なのではないかと、誰もが固唾を飲んで見守っているのも当然だろう。
『ああ。あの時の妙な気配が、また見てやがる。こっちには興味が無いらしいが、あっちの操られてる奴に興味津々だな』
「操られてるって、アルベルトと戦ってる人? テュポーン、どうすればその人を助けられる?」
『さあな。精神操作系のアイテムでも持たされてるのかもしれねえが……神の類が噛んでる物は、色々厄介だぞ』
「神様? なんで!?」
『大方、邪神絡みだろうよ。あそこの邪神官とその仲間が、その手の神具を作ったんだろ。相当な数の生贄と、大掛かりな儀式が必要になるような、な。あそこの邪神官の実力で作れるレベルを、遥かに超えている代物だ』
唐突に齎された情報量に、ユウリ以外のメンバーが絶句する。この世界において、邪神と言う考え方は存在しない。確かにヒトの営みとは相容れないような、かなり危険な教えの神も存在するが、それさえも人々を試し、護り導くための試練でしかなく、克服すべきものとして捉えられているのだ。
神から授けられる奇跡──神聖魔法は、この危険な世界において、全てのヒト族が生き残る為に与えられた、神の慈悲なのだ。本来邪神と言われるような存在の神像が万神殿にあったのも、そういった理由で祀られているのである。だからこそ神邪魔法という言葉と概念が、存在していなかったのだ。
「この状況も、神の試練ってことかよ……」
「ほんとに傍迷惑もいいところだよ。それで、私らはどうすりゃいいんだい? このまま逃げちまったら、色んな所に被害が広がるのは判り切ってるよ?」
「そうですよ! 万神殿でお世話になった皆さんだって、今日の試合を見に来てくれているはずですし、見捨てるなんてそんなっ」
なんとか現実に戻って来た面々が、口々に騒ぎ出す。特に神官であるクレストと、新米神官のアイリスの表情は、青褪めているのがわかるほど。神々が絡んだ事件である以上、彼らにとっては絶対に逃げてはならない事柄のようだ。
「とにかく、僕はアルベルトを助けて来る。僕ならあの人を取り押さえられると思うし」
「だったら俺も行こう。神が絡んでいるのなら、ユウリ一人を行かせるのは危険だ。神官が側にいた方がいい」
「あんちゃん達、頑張れー!」
「頑張って、くださいっ」
ユウリは表情を引き締め、アルベルトの方を見る。同行してくれると言うクレストは、少々うんざりした様子ではあったが。そんな中、マットとルナの二人の言葉は少しだけ気持ちが和らぐので、この状況ではとても有難かった。
「……癪だけどまあ、それしかないね」
「アイリスと私たちで、なんとかこの場は持たせるわ」
「プ、プレッシャーが……でも、頑張りますっ」
『……ま、いざとなったらこいつらだけは、オレ様が守ってやる。喧嘩を売って来たのはあっちだ、遠慮なく潰してしまえ』
各々がそれぞれの行動を決定し、即座に動き出す。
何者かが、嗤った。黒竜だけが、その何者かを静かに睨みつけていた。
防戦を強いられるアルベルトは、どうやって打開し、様子のおかしいカスパルを取り押さえるべきか、苦心していた。彼が正気ではないのは、すぐに理解している。だからこそ同じ信徒をこのように弄ぶ者を許せなかったし、同時にカスパルを傷つけることが出来ずにいた。
カスパルは実に強く、恵まれた肉体から繰り出される一撃一撃が、とても重い。だと言うのに技も十分に磨かれていて、アルベルトも迂闊に手を抜けない状況が続いている。
「クソッ、これじゃあ……」
殺すしかない。そう考えなければならないほどに相手の剣技は優れており、手加減をする余裕が無かった。アルベルトは必死に動きながら、彼を無力化する方法を模索する。
勇者の力でどうにか出来ないかと頭の隅に浮かびはしたが、ヘルガとの一戦からインプの襲撃への対応。ここまで辿り着くまでと、ロッコの腕を切り落とす時にも力を使い、かなり消耗してしまっている。もう少し時間を置かなければ、勇者の力を使うのは難しい。それは自身の体力の消耗そのものでもあり、故にアルベルトは押されているのだ。
またアルベルト自身の剣の腕前自体は、カスパルと比べても大きく差はない。寧ろ彼は単純に腕力が強く、アルベルトが疲労しているという状況を考えると、カスパルが負ける要素が無いのだ。
そしてそれは決定的な物になる。未だ動けるインプ達がアルベルトに襲い掛かって来た事で、形勢は一気に不利に傾かざるを得ない。力が弱いと言えど、それでも子供よりはよっぽど強い。鋭い鉤爪や魔法で攻撃される上に多勢に無勢。
後の方では勇者を助けようとマクシム司祭やオレール侯爵が奮戦しているものの、間に合いそうにはない。カスパルの一撃がアルベルトの盾を弾き、がら空きになった胴体に、そのまま凶刃が振り下ろされた。
「アルベルト!」
打つ手は無い、本人がそう確信した瞬間だった。不意に自分を呼ぶ声が聞こえ、しかし振り向く余裕も無く。それでもアルベルトは声の主がユウリである事を、どこかで確信していた。ふとユウリとの出会いを思い出し、不意に笑みが浮かぶ。その間にも刃は自分に届きそうになっているというのに、やけに心が落ち着いていたのは、自分のことながら不思議で仕方がなかった。
まさに斬られんとするその瞬間、彼の目の前が弾けた。数回瞬きをすると、金属同士が打ち合って上がる火花であったことに気付く。
そして自分を庇う様に立っている、蒼い鎧を来た少年と、ラメラーアーマーを着込んでいる大男がそこには居たのだ。
「ユウリ……それに貴方は」
「細かいことは言いっこ無しだ、勇者の坊主。今はアレを止める。この騒ぎの元凶を叩き潰す。いいな?」
「この操られてる人は僕が押さえつけるから、アルベルトはクレストさんと一緒に、あっちの悪い奴をお願い!」
有り得ないと思っていた出来事に、しかし自分達の置かれた状況を即座に認識し、アルベルトは首肯する。いつの間にかマクシム司祭とオレール侯爵もここまで辿り着いており、流石にアルベルトは驚きを隠せなかった。
「……彼らが大量のインプを斬り捨て、道を開いてくれました。ローヴィス様が我らに、役目を果たせと仰られているのでしょう」
「流石【剛剣】と言うほかない腕前であった。そちらの少年もな。さあロッコよ、もう悪足掻きはよせ!」
「五月蠅い五月蠅い五月蠅い! 我が神の奇跡を台無しにしようとする貴様らの言うことなど、聞けるものか!
落ちた片腕を掴み上げ、そこに握られていた杖の力を揮って再びおぞましい、祈りとも呪いともつかぬ言葉を紡ぎ出すロッコ。再び黒い塵の嵐と、インプの大群が現れようとしたその時。
「マクシム司祭、神聖魔法を!」
「ええ、勿論です」
促され、マクシム司祭が朗々と聖句を紡ぎ始める。クレストも同じように豊穣神への祈りの言葉を口にしながら、迫りくるインプに対して構えた。二人の神官による神邪魔法への対抗。誰もが上手くいくと思った瞬間だった。
ユウリが黒い塵に邪魔をされてカスパルを掴み損ね、彼はするりとユウリの脇を抜けてただ一つを目指して走っていた。剣を振り上げ、怒りと憎しみを込めた一撃を振り下ろす。
「ちぃっ!?」
「【剛剣】! 殺すコロスころす殺す! 兄貴の仇ぃいいいいいいい!!」
目が血走り、腕の筋肉が異常に盛り上がっているカスパルの剣を、クレストは難なく受け止めた、筈だった。
「クレストさん!?」
ユウリが叫ぶ。ほんの一瞬の隙だったとはいえ、抑え込むはずの相手が自分やアルベルトではなく、クレストに向かったと言う意外な行動に、初動が遅れてしまった。それでも、クレストなら大丈夫だと言う確信があったのだ。それが今、覆された。
体格的にも筋力的にも、普通に考えるとクレストの方が上だと思えるだけの差がある。だと言うのにクレストは押され、相手の剣を受けるのが精一杯と言えるほどになっていたのだ。
クレストは最初から気功を使い、邪魔されても構わないように全力で防御していた。それが突き崩される。例え普段使いの魔剣ではない、試合用の軽い両手剣とはいえ、気功と言うスキルによる能力の上乗せ、人間の限界を遥かに超えた力を、カスパルはそれを凌駕してみせたのだ。
その力はすさまじく、余波だけでマクシム司祭の祈りは中断され、オレール侯爵と共に倒れてしまった。その好機を見逃すはずも無く、インプどもがすぐさま襲い掛かろうとし、アルベルトはそれを防ぐべく剣を振るう。
「何だ、コイツ!?」
「殺す殺す! 冒険者は、ぶっ殺す!!」
意味は分からないが、しかし自分に向けられる憎悪が本物である事は、嫌でも理解できる。だからこそクレストは逃げ出すつもりは無く、しかし長くは持たないとクレストは判断した。ユウリがこちらのフォローに向かおうとしているのが横目に見えたが、塵の風に目の前を塞がれ、恐らく間に合わないだろう。
「ちゃんと話を聞いてやりたかったが……悪く思うな小僧!」
クレストの持つ両手剣が、青白い輝きを纏う。刃を引いた剣と言えど、殺傷力自体は高い。そこへスキルを上乗せし、叩き込む。カスパルの剣を叩き折り、そのまま脳天に一撃を入れる。
その光景を見て、誰もが終わったと確信した。カスパルの死は確実だと、疑う余地など無かったはずだった。
「無駄無駄無駄あ! 偉大なる方の御加護の素晴らしさ、とくと見るがいい!」
狂ったようにロッコが嗤う。カスパルは立っていた。まともにスキルの一撃を受けたと言うのに、軽く弾き飛ばされた程度でだ。そして誰もがすぐに、その異常に気付く。異常なほどに盛り上がっているカスパルの筋肉は腕だけではなく、既に全身に及んでいた。身に着けていた鎧がはじけ飛び、赤黒い筋肉が露わになる。
そして未だ生き残っていた全てのインプ達が、カスパルの方に引き寄せられるように集まっていき、彼を覆い尽くす。
その数は余りにも多く、突然のことにユウリ達は距離を取る為に下がるしかなかった。
次の瞬間、ロッコの身体を、異常に長い赤黒い錐のような何かが、貫いていた。何が起きたのか理解できない、そんな表情でロッコはゆっくりと崩れ落ちる。
その赤黒い錐はインプに覆われたカスパルの方から伸びており、そのままロッコの持つ杖を奪い取ってカスパルの方へと運ばれていく。インプは既に姿が無い。溶け混ざったように不気味な蠢動を繰り返している。
余りの出来事に、誰も動くことが出来なかった。次から次へと予想を超えた事態に、頭が処理しきれなくとも仕方がないのだろう。
今のカスパルは蠢く肉塊のようになっており、それはやがてゆっくりと姿を変えていく。
大きな、大きな人型に。歪な赤黒い肉体に、大きな翼。真っ赤な口には鋭い牙が並び、獣のように大きく横に裂けている。異様に長い腕に、細長い脚、先程ロッコを貫いたであろう錐のような尻尾。
「……悪魔」
誰かがそう口にしたのを、ユウリは呆然としながら聞いていた。
そして事態は最悪の方向へ




