第三百十話「竜炎」
あれから幾日かが過ぎた。毎日のように激しくぶつかり合い、多くの死者が出る。治癒と負傷者の撤退に重きを置いている人類側とて、これだけ戦が長引けば、死者の数が増えるのも当然であろう。
それ以上の死者を出している妖魔帝国軍は、それでも衰えを見せないものの、しかし戦場に並ぶ兵士の数は目に見えて少なくなってきている。
この戦いはあくまでも種の生存競争であり、そしてどちらかが全滅するまで終わらない。狂気の沙汰としか言いようのないもの。それでも抗わなければ、自分たちに待つ未来は絶滅しかありえず、だからこそ必死に踏み止まっているのだ。
「決着も近いか」
竜の背から戦場を見下ろす、テオドールが小さく呟く。双方ともに疲弊しているのが分かり切っており、例え強力な奇跡によって何度でも戦線に復帰できるのだとしても、心までは癒せないのだ。
そして敵陣も大きく数を減らしていることもあって、戦場にも空白が目立つようになってきていた。そうなれば相手が次に打つであろう手は、おのずと限られてくる。
「悪魔か、妖魔王か……」
敵側の最高戦力であり、同時に邪神の加護を受ける恐るべき敵。妖魔帝国の支配者たち。悪魔らは天空城にいるプレイヤーの面々によって、初日に数を減らしたことでその後は一切動きを見せないが、居なくなったわけではないだろう。
天空城を強く警戒しているだけで、何らかの手を打ってくることは想像に難くない。だからこそ今の沈黙が非常に不気味なのだ。
「……さて。どうする殿下?」
「ラルドか。テオでいい」
「嫌だよ。オレが竜騎士団の、偉いさんに睨まれる」
不意に彼らの隣に並んだ影。そちらに視線を向けることなく、テオドールは戦場を見据えている。相手が誰なのか、それを良く知っているからだ。
互いに気心の知れた間柄ではあるが、しかし一介の冒険者と皇太子である。しかもここは戦場であり、互いに立場があるのだとラルドは肩を竦めて見せる。
「まったく……まあ、ここには皇太子テオドールとして来ているから、仕方がないか。それで先程の質問の答えだが、我々のやるべき事は変わらないさ」
「さっさと敵の親玉を始末したいんだけどな……流石にこちらもリタイアした奴らが多すぎる」
戦場を離れたのは戦死した者達だけではない。戦いに疲れ、何度でも治るからと言えど、傷つく恐怖に耐えきれず心を病んだ者もいれば、逃げ出した者もいる。そしてそれを臆病者だと誹る気にはなれなかった。
何よりも過酷な戦場であり、苦しい戦いなのだ。自分たちは直接戦う事は少なく、空から竜に乗って見ている事の方が遥かに多い。地に足を付け、身を削りながら戦う者たちへの畏敬と感謝こそあれ、なにゆえ責めることが出来ようか。
「戦とは、嫌なものだな。ヒトから正常な判断を奪い、狂わせるだけ。早く終わらせたいが、相手が退こうともしないのでは、それも叶わない」
魔物の氾濫と言う災害にこそ、慣れのようなものがあるとはいえ、それとて何時終わるとも分からない、悪夢のような時間なのだ。それがこの場所での戦いは、相手も武装し、戦術を練って襲ってくるのである。
これ以上ない程の悪夢だと認識し、逃げ出そうとしても、何も不思議な事ではあるまい。
「いい加減、オレたちが前線に出ちゃ駄目なのか? 相変わらずここはゴブリンが多い。妖魔王のヤツも、こっちを見つけて襲ってくるだろうに」
「そうしたいのは山々だが、妖魔王を相手にすると言う事は、その護衛に向こうの王級や近衛も、同時に相手にすることになるだろう。最悪なのは、悪魔さえも一緒にいる場合だ。多勢に無勢が過ぎる」
各地の聖剣使いが前に出られないのは、多勢に無勢であると言う一点に尽きるのだ。そもそも聖剣使いは全員、相応に実力のある個人であり、この世界でも上位に位置する存在ばかり。
それについて行けるだけの実力者など、そう簡単に居るはずもなく、その上で装備までもが伴っている者ともなれば、更に狭き門となる。
この戦いでは普通の武器では、到底耐えられるものではない。魔法の武具が無くては、妖魔王と対峙する事さえ許されないであろう。敵の周囲はそれほどに守りが厚く、強敵しかいないのだ。
王級や近衛のような妖魔の上位種が戦場に出るだけで、多大な被害を覚悟しなければならない。相手の何倍、何十倍もの数で挑んで尚、まともな戦いになるかどうかと言うほどの相手である。
例えドラゴンと言う特級戦力が存在していても、敵を味方ごと焼き払う事など出来ないからこそ、難しい判断でもあった。
「せめて向こうから、単独で攻めてきてくれるのであれば、喜んで相手をするのだがね」
「ああ、そりゃあいいな。だったらこっちも、遠慮なく戦える」
そんな会話をしつつも、彼らは相棒のドラゴンに指示を出しながら、敵陣奥深くへ目掛けてブレスを放ち、焼き払っている。それでもこの広大な戦場の流れを、一方的に決定付けるほどの力はない。
そんな事が可能な存在達は、その力の強さを自制せざるを得ないからこそ、戦いを自分たちに任せているのだから。
そんな彼らを、一筋の光明が照らす。赤く、紅い、揺らめきとなって。
見つけたのは本当に、偶然といって良かった。偶然、前方で炎が弾け、雑兵たちに死が訪れる。ただそれだけであったのだ。だからこそ理解した。だからこそ敵が近い事を知ることが出来た。
代わり映えのしない戦いに、少しばかり飽いていたところを、気晴らしにと前の方へと出てきていたのだが、それが功を奏したのだろう。
自軍の数は大きく数を減らしているし、それは相手方も同じ。だからこそ妖魔王たる自身が、前に出ると言う意味はあったのだ。そして漸く見つけることが出来たのである。
今は全く別物となった左腕が、その接合部が疼く。聖なる力に反応し、その痛みを、屈辱を、如実に思い出させて来るのだ。
「近いな、近いぞ聖剣使い! ならば遠慮はいらん、全軍突撃せよ。この妖魔王ザンギィ様に続けぇ!!」
邪剣ティルヴィングを振り上げ、ザンギィは叫ぶ。この衝動を抑える事など、考える必要すらない。宿敵がすぐ近くにいるのだから、ただ屠る。必ず斃さなければならないと言う、欲望だけに身を任せた。
周囲の止める声など聞こえはしない。聞く意味がない。聞く必要性が無い。絶対者である自身の言葉だけが、是とされるべきなのだから。
自身の近くに侍る王級も、近衛も知ったことではない。どうせ大した役には立たないのだ。ならば真なる王として、その力を敵味方共に見せつけてやるには、絶好の機会だと妖魔王ザンギィは判断する。
戦の趨勢など最早、妖魔王に興味はなく。自分が相対すべき敵へと、突き進むことしか考えられない。与えられた傷を、屈辱を晴らす為だけに。
揺らめく色は赤。それが何であるかを、彼らはすぐに悟った。すぐに回避行動を取って、互いの竜の間を抜けていく炎には目もくれずに、ただ前を見据える。
「はっ、噂をすれば……ってやつか。ラッキーだな!」
「まさかこんなに上手く事が運ぶとは……出来過ぎではないかな?」
そんな事を言いながらも、ラルドとテオドールはすぐさま聖剣を抜き放ち、相手を迎撃する態勢を取った。
一見軽口を叩いているように見えても、相手が何をしてきたのか、どれほどの戦力なのかを理解している。それは彼らが苦々しい表情をするには十分過ぎるものであり、そして相手が一筋縄ではいかない事を、改めて実感させるものであった。
「ゴブリンがドラゴンに乗るとか、不格好にも程があるだろ」
「まったく優美ではない、と言う点は同意するな。だが最悪の組み合わせだ」
物凄い勢いでこちらに飛来してくる相手は、間違いなく彼らが倒すべき敵。妖魔王そのもの。
かつてルーモット大森林で死闘を繰り広げた相手である、ゴブリンの妖魔王で間違いない。切り落としたはずの左腕は、不釣り合いな異形の腕と化しているし、自分たちと同等の真なる竜をも従えているのだ。
それに少し遅れて、王級や近衛などの上位種もまた、飛行が可能な魔物に跨って攻めて来ているのだ。乱戦は覚悟しなければならないだろう。
「竜騎士たちよ! 妖魔王以外を食い止めるのだ!」
「【竜爪の旅団】も、空で戦える奴はなるべく頼む!」
自らの竜に合図を送り、二人は敵に向かって飛翔する。相手は並みの妖魔ではない。それがより凶悪な魔物と共に襲ってきたのだ。相手が妖魔王とドラゴンでさえなければ、なんとか出来なくはないだろう。
だがその自分たちこそが、妖魔王とドラゴンと言う強大な存在を抑え込まなくては、被害はどこまでも無尽蔵に拡大しかねない事は明白であった。
「ラルド君! 殿下!」
「アルナ! エイダさん、ヴァレリアも、周りの奴らを頼む!」
天馬を駆るアルナと、その後ろに乗るエイダ。そして他の竜騎士の飛竜に相乗りしている近衛騎士ヴァレリアが、すぐに駆けつけてくれるが、彼女たちには一旦、周囲の敵を黙らせて貰う方が良いだろうと、ラルドは判断する。
テオドールも異論はないようで、彼は妖魔王から視線を外さないまま、ただ迎え撃つことに集中していた。
「……わかった。無茶はしないでね」
「仕方ありません。王級の妖魔を放っておくことは、出来ませんから」
「殿下、ご武運を!」
アルナ、エイダ、ヴァレリアの三名は、少しだけ悔しさを滲ませつつも、敵方のドラゴンを避けて、王級の妖魔たちの方へと向かっていく。
その姿に視線を向ける余裕すらなく、ラルドとテオドールは強い衝撃に耐えるのだった。
「やっと会えたな聖剣使い! 条件は同じ、ドラゴン頼みのお前たち如きが、この妖魔王ザンギィ様に敵うと思うなよ!?」
ぶつかり合う、竜と竜。数の上ではこちらが有利とはいえど、相棒とも言えるドラゴンとて無傷ではいられないのは自明。互いに絡み合うように牙を立て、炎を吐き、爪で斬り裂こうと暴れまわる。
そんな異常な戦いの合間を縫うように、聖なる光と禍々しい光が、交錯していく。
「ああくそ、動きづらいな!?」
聖剣アスカロンを揮いながらも、相棒の青い竜のゼファーの背にしがみついたまま、ラルドが舌打ちする。
暴れまわるドラゴン同士の戦いは、非常に厄介極まりないものであった。相手が格下のワイバーンであっても、その猛撃に触れればひとたまりもないである。
それがドラゴン同士と言う事は、地上への被害も並外れていると言う事。兵たちに離れるよう指示は出しているものの、逃げるのが間に合わない者も決して少なくはなかった。
そんな中、妖魔王ザンギィは器用に跳び回りつつ、邪剣で襲い掛かってくるのだ。しかも異形の左腕も恐ろしい剛力を発揮しているため、前回の戦った経験など、何の意味も為さない事をすぐに理解する。
「これほどの戦力を揃えて来るとは……!」
テオドールとしても、相手がドラゴンを従えているという状況は、想定していなかった。だからこそこれ程の相手を、ゴブリンの妖魔王を自分たちで倒せるかどうか、雲行きが怪しくなったと実感せざるを得ない。
しかし既に切り結んだ。戦い、どちらかが滅ぶまで、戦い続けるしかないのである。
誰にも割って入る事の出来ない、定められた死闘が始まった。




