第三百十一話「呪炎」
時間は少しだけ遡り、戦の初日。その日の日暮れの少し前。
オーク達の軍勢は一時の劣勢から勢いを取り戻し、トワイア魔王国とセタジキス王国側の軍に、随分と食い込んできていた。しかしその分オーク達も被害は大きく、随分と数を減らしている。
だがその分を個の力で補うかのように、上位種たちによる強引な突撃が繰り広げられていた。そしてその中にはローヴィス教の勇者フェルシュング率いる聖魔騎士と、更に彼らと同じような装備を使う聖兵たちも数多く混じっている。
「何が聖魔騎士だ。悪魔の皮を被った、悪魔騎士だろうに!」
輝く聖剣が、難なくローヴィスの兵を蹴散らしていく。悪魔の素材を使った武具を纏う以上、その力を封じ、圧倒することが出来るのは聖剣のみ。そして聖庁の狙いは、聖剣を持つ魔王バルバシムなのだ。
妖魔たちに倒させてなるものかとばかりに、聖魔騎士や聖兵たちが魔王に群がってくる。そんな並みいる兵を苦も無く切り捨て、聖なる輝きで以って浄化していく様は、恐ろしくもどこか神秘的にさえ見えてしまうのは、彼の持つ二振りの聖剣の輝きゆえか。
そんな魔王バルバシムを守護する、トワイア魔王国の近衛達も、彼に負けじとばかりに奮戦していた。
「ハッ、わざわざオークどもを押しのけて囲んで来ようとするとは、こんな時にまで殊勝な心掛けだな。欲に溺れた愚かな人間どもめ!」
そう吐き捨てる魔王バルバシム。そんな彼の様子を軍馬の上から見ていた、金銀に輝く鎧を纏う枢機卿たちが、苦々しい表情を浮かべている。
「何をしているのだ!? たかが魔族、亜人どもを相手に何故てこずっている!?」
「我らには聖剣アルコーンを携えた、勇者フェルシュングがついている! 臆せず進め!」
聖庁の奥に引き籠っているだけの枢機卿たちに、戦略戦術と言うものを期待できるはずもない。統率こそされているものの、こちらを攻める動きはややぎこちなく、微妙に噛み合っていないように見える。
だからこそ魔王バルバシム達は後退しつつ、自軍の懐に招き入れるような動きによって、逆に相手の動きを制限することで、一度に戦う相手を減らしていたのだ。
徐々に数を減らす聖兵達。そして聖魔騎士もまた、魔王によって次々と討ち取られていく。天空城の支援もあって、能力的不利をある程度埋められるからこそ、多少は強引な戦い方も可能になると言うものであった。
「そろそろ、紛い物にも飽きてきたぞ。貴様らはよほど、この魔王バルバシムの首が要らないと見える。そこの者共、いい加減に降りてきたらどうだ?」
「……良い心掛けですね。邪悪なる魔王を名乗る者。我らが勇者による、正義の裁きを受けなさい!」
ある程度蹴散らし終えた後、魔王は聖剣カーテナを突きつけ、枢機卿たちを挑発する。当然、ここまで相手の好きにされてしまった彼らも、この好機を逃すつもりはない。
彼らの駒である勇者フェルシュングを呼びつけ、魔王にぶつけようとする。
だがどれほど待とうとも、勇者フェルシュングは一向に姿を見せない。確かにこの戦場の人混みの中、多少はぐれる事くらいはあるだろうが、自分たちの指示が届かない事などあり得ないのだ。
慌てて周囲を見渡し、呼ぼうとも、彼らの待つ勇者は現れることは無かった。
「ほう? 貴様らの言う勇者は、一体どこに居るのだろうな?」
「ええい、何をしているのです勇者フェルシュング!? 漸く怨敵を討ち取れる好機に……っ、早くこの魔王を討ち滅ぼしなさい!!」
そう怒鳴りつけた時。聖魔騎士を切り捨てる光が、彼らの前を遮った。
「偽りの勇者なら、可哀そうだが斃させてもらった。それが勇者としての、慈悲ゆえに」
現れたのは枢機卿たちにとって、よく見知った相手。
「お前は……何故ッ!? 死んだはずでは!?」
オークとの戦いに敗れた後、妖魔王暗殺を目論んだのはいい。暗殺に失敗した所を、トカゲの尻尾切りよろしく始末したアルベルトが、確実に殺されたはずの真の勇者がそこに立っていたのである。
「神々の意志が、勇者を望んでくれる人々の願いが、死んだはずの罪深き俺を蘇らせてくれた。そして今、聖剣と共にお前たちの過ちを糺す為、俺はここに居る!」
彼の持つ剣が、強い光を放つ。それは魔王の持つ二つの剣と同種の光。聖なる力を秘めたその光は、聖庁が何よりも求めたもの。
「もしや、それは……っ!?」
「かつてローヴィス様が揮い、聖戦士バルバシム殿によって隠されていた剣。聖剣ジョワユーズ」
掲げる光が、ローヴィス教の兵たちの身を苛む。それは邪の眷属たる悪魔の躰より作られた、相反する属性の武具故に。更に言えば悪魔騎士などは、より苦しんでいるように見えた。
「ぐぅううっ……亡霊風情が! 偽りの勇者は貴様の方であろう!? 皆のもの、分不相応なそいつらの聖剣を奪うのです!」
「無駄だっ、ぜ!」
戦場に轟音が鳴り響く。小柄な影が、嵐のように己を振るって、悪魔騎士たちを吹き飛ばしていく姿が見える。その隙を補うように、神官風の男が時に投げ飛ばし、時にすさまじい力で殴り飛ばしていた。
「勇者様! ここはオレたちに任せろ!」
「アルベルト。枢機卿たちは任せた」
「フィル! バート!」
アルベルトの仲間たちが雪崩れ込んできて、彼らの前に道を作る。たった二人が相手だと言うのに、まるで歯が立たない。
何故ならどれほど悪魔騎士や聖兵の身体能力が上がっていようとも、彼らにはスキルや魔法と言った、超常の力の恩恵がないのだ。故に多少の数の差など、簡単にひっくり返せるほどの戦力差となるのである。
オークの上位種たちが強引に戦っていられるのは、まさにこの力によるものなのだが、残念ながらローヴィス教の者達はオーク達を出し抜くべく、敵陣まで奥深くにまで食い込んでいるため、援軍など期待できるはずもない。
「ディディエたちには後ろの方で、自軍のサポートに回ってもらっています。頼みましたよ!」
「……ああ!」
「ワタクシも居ます。今代の勇者の戦いを見届ける為、その役目を神々から与えられた者として、貴方を支えます。アルベルト」
駆け出すアルベルトの後ろには、エメリアがいる。彼女もまた腕に覚えのある戦士であり、また二柱の神より導きを受けた、稀代の神官。その力で人々を護り、癒し、これまで戦い抜いてきた。
だからこそ彼女が姿を現したことを、エメリアを傀儡にしてきた枢機卿たちは唖然としている。
「枢機卿の方々。考えを改めることは出来ませんか? 本当に心まで、悪魔に売り渡したのですか? 今ならまだ、人々の為に戦う事が出来るのです。どうか、目を覚ましてください」
突然現れたローヴィス教の教主たる聖女エメリアの言葉に、聖兵たちは狼狽え、武器を振るう手が止まる。その説得力、凛と響くかのような声は、数年とはいえ徹底的に聖庁で鍛えられてきた、教主としての振る舞いゆえ。
「……っ!? エメリア聖下まで、生きて……否、似ているだけの天族の小娘がっ、何をほざくか! そのような偽りの言葉が、我らに通じるとでも思ったか!!」
だがその言葉を、差し伸ばされた手を払うように、枢機卿たちは口々に彼女を偽物だと否定する。そしてエメリアは少しだけ悲しそうな、しかし次の瞬間には、獰猛な笑みを浮かべて口を開く。
「……だったら、アンタ達をぶっとばす。アルベルトが、アタイ達の勇者が!」
心のどこかでその言葉を待っていたとエメリアが、否、リアが一喝し返した。そんな彼女の姿を見て、アルベルトは少しだけ苦笑いを浮かべながらも、しかしどこか嬉しそうに頷き返す。
「今度こそ、俺は負けない。負けられない。リア、サポートは任せるよ」
「勿論さ。任せなって」
「笑わせるな! 聖兵たちよ、こいつらを殺せ!」
化けの皮が剥がれたとばかりに嗤う枢機卿たちは、向かってくるアルベルト達を殺せと指示を出す。しかし聖兵たちの動きを遮るように、魔王直属の近衛たちが壁となって彼らの前に立ちはだかる。
「魔王様。どうか勇者殿と共に!」
「……ふん。要らん気を使いおって」
ぶっきらぼうに、しかしどこか嬉しそうに、魔王は二振りの聖剣を構えて歩き出す。
勇者と魔王が並び立ち、近付いてくる。
枢機卿たちは悪魔の力を得たはずだと言うのに、何故か驕る気にはなれなかった。否、驕っていたはずの心が、急激にしぼんでいくのを感じたのである。
元々それ相応に体は鍛えてはいたものの、実戦とは無縁だったのだ。枢機卿となってからは、鍛錬からも遠ざかっていたほどに。だからこそ彼らの纏う覇気に気圧され、そして勇者のみが許されたスキル、破邪のオーラの気配を浴びて身体が硬直している。
絶対に勝てないと、頭のどこかで警鐘が鳴り響いていた。その時。
動きを止めた枢機卿たちを、打ち抜く刃。荒々しい力が、毒と炎を纏って荒れ狂う。突然の事にアルベルト達は跳び下がり、同時に聖剣が一人でに輝きを増して、毒気を纏う呪炎を遮って見せた。
枢機卿たちはただ、為す術もなく毒に侵され、炎に焼き溶かされて消えていく。驚くほどに、呆気なく。この一連の出来事に驚く暇もないまま、彼らは目の前に現れた相手を見て、油断なく構えるしかなかった。
「その茶番、この我も混ぜて貰おうか。……まさか、蘇っていたとはな。神の駒」
「……妖魔王、オルグーン!」
「ほう。あれがお前が言っていた妖魔王と、そして邪槍アラドヴァルか」
唐突な暴威をばら撒きながら現れたのは、オークの妖魔王オルグーン。
かつてのアルベルトが敗北した相手であり、そして互いに殺し合う事を宿命付けられた存在。
「貴様っ、何故味方のはずの、枢機卿たちを殺した!?」
「そこな人間どもが裏切りを企み、この妖魔王を出し抜こうとした罪を、我が自らが裁いたまでよ」
アルベルトの問いに、オルグーンはつまらなさそうに鼻を鳴らし、当然のことだと答える。自分はそれが許される。そうあれと生み出された、戦乱の邪神ジユムバークの使徒ゆえに、と。
「しかし忌々しいな。そこの二つの聖剣を持つ者を、喰らおうと思ってきてみれば……勇者。貴様も聖剣を手にしたか……聖の神々には、よほど甘やかされていると見える」
「そうだ。俺は弱いのだから、人々に支えて貰わなければ戦えない。だからこそ神々は、聖剣を託してくれたのだ!」
アルベルトが駆け、聖剣を振り下ろす。不意を突いたはずの攻撃を、オルグーンは全く動じることなく邪槍アラドヴァルを突き出して、軽々と弾き返す。
しかしアルベルトも聖なる光を纏う剣によって、邪槍の毒気を纏う呪炎を完全に防ぎきっている。かつては己が身に纏う破邪のオーラのみで、何とか凌いでいただけのそれを、いともたやすくである。
「チッ。聖剣の力に頼っただけで、いい気になるな!」
二度三度と突き出される邪槍。だが勇者を狙ったその刃は横から軽々と弾かれ、輝く刃が逆に妖魔王の身体を、浅く斬り裂いた。
その身には悪魔の鎧と、不死身の魔獣ネメアンライオンの外套を、纏っているというのに。僅かな隙間を縫うように、正確な一撃が、確かに妖魔王に届いたのである。
「アルベルトばかりに、気を取られていていいのか? ぼやぼやしていると、かつて勇者ローヴィスと共に妖魔王を殺したこの魔王バルバシムが、貴様の首を刎ね飛ばすぞ?」
「なんっ……だと!?」
それは屈辱。そして怒り。かつて勇者アルベルトと戦った時ですら、かすり傷一つ負うことなかった自身が、すぐに塞がる程度とはいえ、その身に傷をつけられたのだ。
激情が全身を駆け巡るように、熱と毒を放ち、妖魔王オルグーンは吠える。
「いいだろう! その身の程知らずの行い、後悔しながら死んで行け!!」
「ハッ、オーク風情が笑わせるな。勇者アルベルト、行くぞ!」
「……はい!」
いつの間にか、誰もが固唾を飲んで見つめていた。妖魔王と勇者の、宿命の戦い。
今度こそは負けられないと、アルベルトは聖剣の柄を強く握った。




