第三百七話「進退」
戦場全体で見て、この場所が最も妖魔帝国軍に押されている戦場だった。
ルグト王国を始め、ヴォルデス王国やフィンダート王国、以西の小国たちの寄せ集めの軍であり、それぞれに得意とする戦い方が違う。故に連携が上手く取れないでいる、と言う点が一つ。
更にこちらの攻めてくる魔物には、オーガと言う人喰い鬼が多数含まれている点。
強者の多いルグト王国や魔銃や魔術と言った最新技術を擁するヴォルデス王国はともかく、それ以外の小国たちにとって、たった一体でも多くの兵で取り囲んでやっと倒せるような、そんな怪物なのだ。
連携が上手く働いていないこの状況では、例え一部が強かろうとも全体としては押されてしまうのは道理であり、優勢に戦いを進められる者達であっても、孤立しないように徐々に後退するしかない状況であった。
「……不味いのう。どうするカーチス卿?」
「それを私に聞くのは、どんな嫌がらせだね。ウルツ卿?」
ドワーフでルグト王国の騎士、鋼壁騎士団を束ねるウルツ卿が、同じくルグト王国の騎士にして鉄剣騎士団を率いる、狼獣人のカーチス卿と渋い顔でやり取りしている。
彼らが担当している場所自体は、ハッキリ言って優勢だと言っていい。魔境と呼ばれるアトラシア帝国のすぐ隣国であるルグト王国もまた、魔物の襲来は多く、強い騎士団が必要だった。故に彼らはオーガ程度を物ともしない。
しかし周囲の友軍はそうではなく、彼らに合わせて戦場を後退せざるを得ないのだ。彼らが下がれるようにと殿を勤めてはいるものの、それとて万全ではないしこちら側も決して被害が無いわけではない。
従軍魔法士や従軍神官が他所よりも充実しているお陰で、被害が目立ちにくいだけに過ぎないのだ。
無論それだけではない。彼らよりも後方から、ヴォルデス王国の魔銃騎士団による援護射撃のお陰で、相手を牽制出来ているという部分は非常に大きい。
敵に囲まれてしまえば、あとはゆっくりと磨り潰される事になるだけ。そうならずに済むこの援護がどれほど有難いか、身に染みてよくわかると言うものだ。
「このまま後退し続けるのは不味い。何か手を打ちたいが……」
「いっその事、隠すことは諦めて、我らが前に出てしまえば……いや。我ら二人が暴れたところで、大勢は変わらんな」
せめてもう少し小国側の者達が踏ん張ってくれれば、拮抗させることは出来るだろう。しかしやはり相手が悪いのも事実であり、せめてもう少し人々の士気を挙げられる英雄がこの場に居れば、とそんな事を考えていた。
「やはり向こうも、似たようなことを考えていると見える」
「……私は殿下のお傍から、離れませんからね?」
一旦撃ち尽くし、魔銃騎士団を下げながらヴィクターが、馬上でそんな事を言う。それを隣で聞いていたベリエスが、嫌そうに返した。彼自身も練度の低い、急造の魔術部隊を指揮しなければならないので、前線に出て暴れる余裕など、これっぽっちもないのだ。
そもそも自分一人が暴れた程度で盛り返せるのなら、今いるルグト王国の二つの騎士団と、魔銃騎士団だけで叶うはずなのである。それでも難しいと言う事は、問題はもっと別なところにあると考えるのが妥当であろう。
「ではどうしたものか。ベリエス卿、何か妙案はないか?」
「無茶を仰る。せめてもう少し、友軍が奮起するような何かがあれば良いのですが……」
天空城からの魔法の支援はある。魔銃騎士団の援護射撃も、魔術部隊の支援もなんとかなっている。鋼壁騎士団、鉄剣騎士団はそれぞれ素晴らしい活躍を見せている。普通ならば足りないと思えるものはないだろう。
この場所に配置されている軍は、主に以西の者達が多い。つまり多くが妖魔帝国軍の被害者だ。故に彼らへの苦手意識、恐怖が根底にある。それを払拭出来なければ、このままズルズルと戦線は後退し、追いつめられるだけ。
特にこちらの敵はオーガが多い。人間の倍はある巨体は圧倒的な力を有し、見ただけで誰もが恐れ戦くほどの恐怖と威圧感を与える存在だ。魔法の支援があるとはいえど、一般の兵がオーガと満足に戦えるほどの強化ではない。
「やはりオーガが相手と言うのが、よろしくないかと。ですが泣き言を言っている場合ではないのですが……」
「天空城からの魔法の支援も、そちらの魔術部隊の支援も、そのどちらを使っても届かぬ怪物か」
「……はい。それだけでなくフィンダート王国からの兵の多くは元々士気が低く、だからこそ急造の魔術部隊に多く割り振ってはいますが、それでも残った大半は歩兵としての運用です。それも足を引っ張っているかと」
ベリエスの言うように、東のフィンダート王国はこの戦いに対して完全に、日和見を決め込んでいたのだ。
それをクロト達が天空城を使って王家を強引に脅し、手勢を無理矢理ぶん捕ってきているのである。敵に回らないだけマシではあるが、やる気がないのでは使え無いのは同じであろう。
このままではこちらまで危うくなりかねない。最悪、ベリエスの槍による魔力砲撃と言う、強引な手段を使わなければならない可能性すら出てきているのだ。
ヴォルデス王国としては、あれは秘匿しておきたい切り札であり、安易に見せたいものではない。しかしルグト王国の聖剣使い達を、可能な限り温存しなければならない以上、手段を選んでいられる時間は限られている。
「……つまり、より高位の支援魔法が必要、と言う事でよろしいので?」
「なんだと?」
「今のは……殿下!」
不意に聞こえた女の声に、ヴィクターとベリエスが慌てて顔を上げる。声のした方へ視線を向ければ、この場の主は空中に居た。
宙に浮かぶ不思議な魔物に乗って、魔族の女が余裕たっぷりに微笑んでいるのが見える。誰もがその様子に驚きながらも、しかしそれが誰なのかを知っていた。
「高い所から失礼します。レイメシアが誇る女王陛下が臣下にして、優秀な弟子であるこのネスティーナが、皆様に力をお貸しいたしますわよ?」
「……レイメシア国の、魔法士殿か」
唐突に現れた相手に驚きつつも、しかし冷静な態度を崩さないヴィクター。互いに国の威信を背負う身でもある以上、弱気な態度を見せることは出来ない。
「世界で最も優れた魔法士である、我が師からの頼み。ならばそれを完璧以上にこなすのが弟子の務めです。礼など不要でしてよ」
「……相手はオーガだが?」
「たかが、オーガでしょう? 数は多くとも所詮は雑兵。先程からそちらの戦いぶりを拝見していましたが、そちらの魔術なるものを放つ杖と、ルグト王国の騎士団の力があるのなら、このネスティーナの魔法と併せれば、障害にすらなりませんわ」
自信たっぷりにそう言い切る姿に、流石に安易に考えすぎだとヴィクターやベリエスは思う。しかしこうして話している間でも、ネスティーナが呼び出したであろう見慣れぬ魔物が戦場で暴れまわっており、戦況はやや拮抗し始めているのだ。
こちらの返答を聞かずに、既に援護をしているのはこちらを侮った行動だと、責められるべきもの。しかし現状は彼女の援護を受け入れない、と言う選択肢は無いと考えられるからこそ、ヴィクターはあえて指摘しない。
更にベリエスは今の状況を見て、彼女がどのような魔法士か、大体の方向性が理解できている。少なくとも一人で多数を相手取る事を苦としない、彼女はそういうタイプの魔法士なのだと。
「召喚魔法の腕が大したものなのは事実だけれど……しかし、そちらは大丈夫なのかい? 一番南の陣は、最も兵力が少なかったはずだが」
「それでしたらご心配なく。こことは真逆で寧ろトロール相手に、敵陣の奥深くまで切り込んで行っているほどですから、心配は無用です。だからこそ偉大なる我が師が、このネスティーナをこちらの応援に出したのですから」
胸に手を当て、優雅にお辞儀をするさまは美しい。この戦場に似つかわしくないほどの、優雅な礼であった。
最も南の陣はエルフと獣人たちが多く戦っている場所。
そしてネスティーナの言葉を鵜呑みにするのであれば、オーガと同等かそれ以上の化物である妖魔、トロールを相手に優勢だと言うのだ。
こちらが連携を取り切れずに苦労し、押されている隣で、彼女たちはこちらよりもずっと少数の軍で、敵を押し返しているのである。
驚くべき事ではあるが、あちらに余力があると言うのなら、甘えてしまえば良い。何故ならこの戦で上げられる武勲の最上位は、結局のところ妖魔王を倒す事なのだ。
悪魔と言う存在もいるが、あれはヒトが相対し、簡単に斃せるような相手だとは思えない。そしてこの戦いに集った数多の聖剣とその担い手を支える事こそが、聖剣を持たぬ者達が上げられる唯一の武勲なのだと、ヴィクターは理解している。
「おいネスティーナ! このぼくを置いて行くなんて、どういうつもりだ!?」
「あらカペル。別に、ここはこのネスティーナ一人で、十分でしてよ? お師匠様からの頼み事とあれば、この優秀なネスティーナが! 完璧に! こなして見せますわ」
これまでの空気をぶち壊すかのような、突然の怒声。ネスティーナが嫌そうに声のする方向に振り返ると、そこにはふよふよと浮かぶ少年型の魔族がいた。カペルと言う名で、彼もまたレイメシア女王の臣下にして弟子だったと、ヴィクターは記憶している。
彼は時折ぶつぶつと魔法の詠唱をしたかと思うと、次の瞬間には幾つもの光や炎が、前線の更に奥に居るオーガたちを焼き払っているのが見えた。ここに来るまでに、敵陣への攻撃を繰り返しながらやって来ていたので、遅れたのであろう。
二人ともあのような振る舞いではあるが、実力は間違いなくこの世界でも指折りの魔法士であり、この戦場においては破格の援軍だと言える。それでもたった二人でどうにかなる戦場ではないのだが、しかしどうにかなりつつあるのだから困ったものである。
「ふっざけるな! ぼくが! お師様から! 頼まれた仕事だぞ!?」
「いいえ、このネスティーナが任されたものです」
「ぼくだ!」
「ネスティーナです」
放っておけば何時までも言い争っていそうな二人に、流石のヴィクターも呆れ顔になってしまう。ベリエスも頭が痛そうにしている辺り、こんな場所で面倒ごとを起こさないで欲しいと思っているようだ。
「おい、魔銃騎士団の。何か問題発生か?」
「これはこれは、まるで子供の喧嘩じゃのう」
「これは……鉄剣騎士団のカーチス卿。それに鋼壁騎士団のウルツ卿まで。わざわざこんなところに来られて……部隊の指揮はよろしいので?」
戦況が変わったのを理解したであろう、カーチス卿がウルツ卿を伴って、ヴィクター達のところまで下がってきていたのだ。どうやらこちらが揉め事にも似た空気に気付いて、仲裁にやって来てくれたらしい。
「幸運なことに、うちは層が厚いんでね。対妖魔王で場を離れることが決まっているのだから、他の指揮役が居るのは当然だ」
「そういう事じゃな。で、若いのが随分賑やかにしておるが、魔法士殿たち。援軍に来てくれるのは嬉しいが、もう少しお淑やかに頼むぞい。何せここは、むさ苦しい者ばかりの戦場なんでな」
カーチス卿とウルツ卿は、この戦いの要である聖剣の担い手。妖魔王を発見次第、彼らはその力を揮わなければならない以上、最初から騎士団の指揮は別の者に任せられるようになっているのは当然だ。
「そのような事を言われても、ネスティーナの心を揺さぶれる御方は、お師匠様だけでしてよ。ですが確かに今はこちらのお子様と、じゃれ合っている場合ではありませんわね」
「誰がお子さっ……ウバ!?」
優雅な仕草のまま、ネスティーナの手がカペルの口を塞ぐことで、とりあえずは静かになった。静かになったと言っていいのかは疑問ではあるが、しかし話が進まないのでこのまま進めるしかない。
二人はゆっくりと地上に降り、そして頭を下げる。
「では改めて。このネスティーナとカペルが、我が主レイ陛下の意向により、こちらの援軍として力を揮うべく、参上いたしました。ヴィクター殿下、許可を頂きたく存じます」
この場で最も位が高いのは、ヴォルデス王国の王太子であるヴィクターに他ならない。故に彼も鷹揚に頷いて見せる。
「こちらこそよろしく頼む。少し順序は逆だったようだが、状況は急を要するので不問にしよう」
「殿下の寛大なご配慮に、心からの感謝を」
戦力的にはたった二人。しかし空を舞い、オーガでさえも蹴散らす魔法士。そして空を飛んでいるからこそ、否が応でも目立つ。人々がこの二人の活躍を目にして、士気を上げてくれる可能性に賭けるのも悪くないだろうと、そんな風に考えるのだった。




