第三百五話「魔王」
トワイア魔王国が参戦している戦場では、元ガリオン王国と聖庁の兵が押し寄せてきていた。ここには魔王が居る。ただそれだけで彼らにとっては、不倶戴天の敵を討つ大義名分が存在しているのだ。
そして不敬にも勇者に対し、聖者ローヴィスの名を騙って、その責務を果たせと宣った。それは絶対に許されざることであり、なんとしてでもあの魔王を討ち果たさなければならないと、躍起になっていた。
「良いか。我らが勇者フェルシュングは、魔王の偽りの言葉になど、耳を貸すつもりはない! 彼の持つ聖剣アルコーンの放つ神々しき輝きこそが真実である。迷わず進めぇ!」
そう叫ぶのは、クリスピン・ベラスコ枢機卿。他にもこの戦場には聖庁から枢機卿が幾人も参加している。それだけこの戦に本気であり、そして彼らが崇める聖者ローヴィスから賜ったという奇跡の武具を纏って、驚異的な力を発揮しているのだ。
また勇者フェルシュングの周りには、彼と同じような鎧と武具を纏う、騎士のような者たちがいた。それらが皆、勇者フェルシュングと同様の存在である量産型であるなど、知る者は枢機卿を除けば極一部に過ぎない。
それらを聖魔騎士と呼称し、ヒトと魔の融和の象徴であると説いているのだ。
聖庁の私兵でもある聖兵にも、その装備は行き渡っている。誰もが奇跡の力だと仰ぎ、歪に輝く黄金を神の威光だと信じて疑わない。更には儀式と称して、人々を戦いに駆り立てる興奮剤のような薬物を、オーク達と戦った時と同じものを使っているのだ。
相手は悪。自分たちは正義。正しい判断が出来ぬ中で強烈に刷り込まれ、妖魔帝国軍の一員として戦いに挑む人間たちは、ただ血に狂った。
その狂気は相手方に、戸惑いと恐怖と言う形で影響を与える。何故ここまで怒りを、憎しみを向けられるのか。狂ったように嗤うのか。その原因を知らないからこそ、人類側は戸惑うしかない。
それでも勝負になっているのは、亜人の、主に獣人の高い身体能力に天空城の強化支援のお陰だ。例え魔法士は少なくとも、兵個人個人の差は、そう大きくならずに済んでいるのは、奇跡としか言いようがなかった。
「……なんと愚かな。皆、悪魔と枢機卿たちに騙されているだけだと言うのに。ヒト同士で殺し合わねばならないなんて」
「フンッ、今更過ぎる。貴様ら聖庁はそれを二百年以上続けてきたのだ。余からすればいつもと変わらん」
聖庁の、ローヴィス教の元教主と言う立場にあったエメリアが、ヒト同士の戦いに心を痛める横で、目を背けるなと魔王バルバシムからの叱咤が飛んだ。
それを聞きながら、勇者アルベルトは複雑な表情を浮かべる。何か一つ掛け違えていれば、自分たちが向こう側に居ただろうことは間違いない。だからこそどれほどの奇跡に導かれ、今ここに立っているのか。その意味を噛み締める。
「皆が戦っているというのに、俺たちは動けないなんて……もどかしいな。あちらの偽りの勇者だって、聖庁の悍ましい企みから生まれた、悲しき者たちだと言うのに……っ」
「落ち着け勇者。己の紛い物など捨ておけ。貴様のやるべき事、神々が与えた真の使命を忘れるな」
「……はい、魔王陛下。わかっては、いるんです」
聖庁が擁立した勇者フェルシュング。それは悪魔の肉体をヒトに移植し、自分たちの意のままに操る人形そのもの。言い換えればヒトを悪魔へと変じさせる、最悪の所業なのだ。
しかもそれと同じようなことを、恐らくは他の聖兵たちにも施している。度合いは違えど、彼らの持つ武器が間違いなくそうだと主張していた。それらを前にして真の勇者である自分が動けないと言う理不尽に、苦しむなと言う方が難しいのだろう。
相手の勢いは止まる様子を見せない。しかも人間に混じって襲って来る妖魔の多くは、自分たちが苦い敗北を喫したオークなのである。今すぐにでも飛び出したい気持ちを抑え、彼らはじっと時を待たなくてはならない。
そんな時、魔王バルバシムは何かを見つけたように目を細め、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ふむ。まあ少しくらいなら良かろう……余も待つのには飽いた。ここらで聖庁の愚か者どもに、真の勇者の帰還を教えてやろうではないか」
「へ、陛下?」
「あの偽勇者を倒してしまえば、相手方の士気も下がろうと言うもの。それに……枢機卿どもも前に出てきているようだからな。悪魔の力を得て、気を大きくしたか。ならば今のローヴィス教を叩き潰すのに、またとない機会」
その言葉を聞いて、勇者一行に緊張が走る。自分たちが倒すべき相手は、偽りの信仰によって悪魔に屈した聖庁であり、その悪魔を利用してヒトを悍ましい怪物に変えている枢機卿たちだ。
自分たちの信仰の為、そして勇者として彼らに踊らされている聖兵たちを救う為に、アルベルトは鋭く前を見据えた。
「よし。前に出るのは俺とフィル、それと……」
「おう、任せろ!」
「無論、余だ」
仲間たちを見渡していた時、アルベルトの前に当然のように、魔王バルバシムが立つ。魔王を護る近衛達は頭を抱えているものの、しかし彼らもやる気は十分なようで、問題ないと頷き返してくれた。
「……だそうなので、バートはキッシュやエメリア達を守ってやって欲しい」
「アルベルト、先走っちゃダメだよ?」
猫獣人であるキッシュからの鋭いツッコミ。それに苦笑するアルベルトに対し、エメリアがハードレザーアーマーと帯剣した格好で、一歩前に出た。
「勇者アルベルト。ワタクシは戦えますし、スキルも会得しました。必要以上に守ろうとしないでください」
「いや、そうだけれども……」
「エメリア聖下。我々の役目はいざと言う時、勇者アルベルトと魔王陛下が無事に撤退するための控えです。聖下の実力に疑問などありません。同時に後衛にあたる面々は、我々二人が守らなければならないのですよ」
「……なるほど。そういう理由でしたら、確かに我々が控えている必要がありますね。わかりました」
食い下がるエメリアにたじろぐアルベルトだが、それを横からバートが自分たちの役割の意味を語る事で、彼女は素直に取り下げる。それを見てアルベルトはほっと胸を撫で下ろした。
「レーヴィとオリバー殿下は、わたくしの指示で魔術を使って。使う魔術は皆の強化や補助だから、焦る必要はないわ」
「任せてください。ずっと使ってきから、全然平気です!」
「が、頑張ります! ……魔術って凄いなぁ」
魔法士のディディエは攻守に渡り味方の援護を。年少組の少年二人はヴォルデス王国の新技術である、魔術を使って味方をフォローする事になっている。
彼らはキッシュと同様に直接的な戦闘能力が乏しいが、魔術を使う事で前線の味方の補助が出来る、非常に希少な存在なのだ。必要な素材や魔晄石も、あの天空城からたんまりと支給されており、早々に使い物にならなくなると言う事はないだろう。
考えれば考えるほど、あの空に浮かぶ城の凄さには驚かされる。そしてこれほどの奇跡を重ねて、やっとあの妖魔帝国となんとか渡り合えているのだ。それがどれほど有難い事なのか。辛い敗北と仲間を失った経験を経て、彼らはそれを十分に理解している。
「では行くぞ、勇者アルベルト」
「ええ。……あえてこう呼ばせてください。聖戦士バルバシム陛下」
魔王である自分をあえて聖戦士と呼ぶアルベルトに、バルバシムは微妙な表情を浮かべつつも、しかしすぐに諦めたように、思考を切り替えた。
「……チッ。者共、余に続け!」
魔王と勇者が出る。それはこれ以上ない程、彼らの陣営にとっては希望そのもの。亜人の魔王と人間の勇者が互いに手を取って、邪悪な存在と対峙するのだ。
誰もがこの物語のようなこの瞬間を、共に戦えることを喜ぶのだった。
戦線が押し返され始めた。そのような報告を受け、クリスピンら枢機卿達は信じられないと驚きの声を上げた。それと同時になぜそのような事になっているのか、急ぎ戦況を調べるように指示を出す。
暫くして帰ってきた答えに、枢機卿らは冷ややかな笑みを浮かべた。
自分たちが滅ぼすべき相手が、魔王自らが出陣したとの報告。それは彼らの手に本物の聖剣を得る機会が巡ってきたと言う事。この千載一遇の機会を逃すまいと、勇者フェルシュング率いる聖魔騎士を前に出すように指示を出す。
そして妖魔どもに先を越されぬため、自分たちも前に出る準備し、前線に赴く。そこで信じられないものを、彼らは目にする。
光が、何よりも明るく、しかし穏やかな聖なる光が、聖魔騎士たちの悉くを容易く薙ぎ払っていく。両手に持った剣は、どちらも普通の物ではない事は一目瞭然であり、そしてそのどちらかが聖剣であろう事は理解できる。
鎧袖一触とでも言わんばかりに、暴れまわる魔王の姿。彼を守護する近衛達の奮戦もあり、彼らは破竹の勢いで敵陣を食い破ろうとしていたのだ。
「フンッ。貴様らの言う聖魔騎士とやらも、大したことが無いな」
「……っ、妖魔王たる貴方様が、わざわざこのような場所までおいでになるとは。驚きました」
突如として現れた、予想外の相手。巨大な御輿に乗って枢機卿たちのすぐ近くまでやってきていたのは、妖魔王オルグーン。
ここはまだ、前線には少し遠い。しかしここまで前に妖魔王と呼ばれる存在が、自分たちを貶めたバケモノが来ているとは予想していなかったのである。それ故にクリスピン枢機卿は僅かながらに動揺を隠せず、背中に冷たいものが流れた。
真の聖剣を手に入れ、今度こそ妖魔などと言う汚らわしい化物を滅ぼすのだと、そう画策していた事が読まれたのかと。
「ですが妖魔王オルグーン殿が、わざわざこのような前線に出られる必要など、ないのでは?」
「黙れ人間。少しばかり悪魔を素材にした武具を使ったからとて、馬鹿なことは考えるなよ? 悪魔どもの肉体を使った武具を纏っているのは、貴様らだけではない事を忘れるな」
「当然でございます。我らは正しき信仰の為、この世界の恒久的な平和を築くために過去の遺恨を捨て、皆様と手を取り合っているのですから」
やはりこちらの腹の内を読まれていたのか。そう枢機卿たちは心の中で歯噛みする。しかし表面上は全く知らぬと言う澄ました顔で、敬虔な信者のように恭しく頭を下げた。
「……何やら予感がすると思えば、忌々しい光よ。だがそのようなか細い光だけで、この妖魔王オルグーンがどうにかなると奢ったか」
オルグーンの眼中には、枢機卿たちの事は既に無かった。妖魔王が見つめる先。そこにあるのは、魔王バルバシムが揮う、二つの聖剣の輝き。自身に届き得る、最悪の存在。
枢機卿たちは戦慄する。なんとしても妖魔王よりも先に魔王を殺し、彼の持つ聖剣を我が物にしなければと動いていたというのに、それの企みは水泡に帰したのだと理解せざるを得なくなったのだ。
妖魔王オルグーンは舌なめずりし、ゆっくりと御輿から降りる。手には邪槍アラドヴァル。魔王バルバシムの持つ二振りの聖剣を、睨みつけるように見つめていた。




