第三百四話「因縁」
血が躍る。気が昂る。供されるべき悦がここにある。肉を裂き、骨を焼き、無駄だと解らずに足掻く蟲を、絶対的な力で以って蹂躙する。これ以上の快楽がどこにあるのか。
それは本能であり、生まれ持った感性であり、神に選ばれた自身が当然のように与えられるべき、特権でもあった。悪魔の左腕を移植し、悪魔の肉体から作られた鎧を纏い、ドラゴンを従え、邪剣ティルヴィングを揮う。
王級さえも従える、絶対者。ゴブリンの妖魔王ザンギィは戦場に酔っていた。
それと同時に冷静に、注意深く戦況を見つめる眼も手に入れた。それは先の敗北、自らの左腕を失った聖剣使いとの戦いでの苦い経験こそが、妖魔王と言う絶対者に学習と言う屈辱を与えたが故。
絶対的強者として振舞い、この宴に身を委ねてさえも、自身を傷付けた忌まわしき者共に再び奇襲されぬよう、慎重に動いている。
北の国を全て落とせず、敗走したことで功を焦るオークの妖魔王オルグーンが、前線に出ている無様な姿。自身はあくまでも優雅に、自身が従えるべき最強の魔獣、ドラゴンの背から地上の混沌を愉しむのだと、ザンギィはほくそ笑んだ。
程よい緊張感。空中から眺める戦場は、ザンギィにとっては少しばかり味気ないと感じる。やはり自らの手で敵を屠り、血を浴び、飛び散る臓物を纏ってこそ。しかしそれをしないのは、自身の宿敵が現れるのを待っているからだ。
どれほど憎んでも飽き足らぬ敵。自身の左腕を切り落とた、竜を駆る聖剣使いども。
今はまだ自軍の兵も多く、戦場は拮抗している。ここで前に出るのは早計と言うもの。
「条件が同じなら、このザンギィ様が負けることは無い……っ! この借りを返すまで、勝手に死んでくれるなよ聖剣使いどもっ」
かつての屈辱を晴らす。この戦場に訪れた時、失った左腕が疼き始めてから決めていた事。悪魔の腕を移植した腕の疼きは小さく、まだ相手が遠い事を感じ取っている。逸る気持ちを抑え、ザンギィは自身の駆る竜の背を蹴った。
それを合図に、竜は火球を吐き出す。遥か彼方、チリチリと空気を焼き焦がしながら戦場の前線付近まで飛んでいって着弾し、大きな爆発を巻き起こした。
敵も味方も関係なく吹き飛ばし、焼き尽くし、戦場に混乱と恐慌を巻き起こす。だが自身の配下は、妖魔王の支配下にある妖魔たちに恐怖と言うものは存在しない。ただ殺戮を愉しむと言う本能のままに、戦い続けるのみ。
暫く戦場を眺めた後、妖魔王ザンギィは少しだけ気が晴れたのか、そのまま自陣の奥へと戻っていくのだった。
空を飛ぶ魔物と、背に乗り操るゴブリン。魔物を上手く乗りこなしている事実に、相手を迎え撃つ者たちは苦々しく見つめていた。
相手の乗る魔物の中には、自分たちと同じ亜竜も存在している。小型のワイバーンやリンドブルムだけでなく、大型のワイバーンすら当たり前のように連れているのだ。
彼らがこれまでに経験してきた相手は、数は多くとも単体の魔物。連携と戦術を意識し、操る妖魔などは居なかったのだ。同じ大型のワイバーンでも、全く意味合いが変わってくる。だからこそ戦い方もそれに合わせ、変えていくしかない。
例えアトラシア帝国の竜騎士団と言えど、大型のワイバーンを乗りこなせる者は決して多くはない。手懐ける事も、従えることも困難を極め、常に命の危険に晒されているのと同義だからだ。
相手の亜竜は少ないとはいえその背に跨り操れる者は、彼らにとって脅威以外の何ものでもない。されど彼らは常に魔物の氾濫と向かい合って来た国の騎士。ワイバーンとの空中戦であっても、決して慌てることなく素早く陣形を整え、迎え撃つ。
それは確かな実績による自信と、彼らと肩を並べて戦う存在があるからこそ。
「大型とは正面から戦うな! 操っている妖魔を狙え!」
そんな声に、誰もが大丈夫だと確信する。本国の騎士団長ではないものの、今彼らを率いる者。真のドラゴン従え乗りこなす、【竜皇子】と呼ばれる稀代の英雄。皇太子テオドールが共に戦っているのだから。
竜騎士団が大型のワイバーンを囲み、翼や妖魔に目掛けて弓矢や魔法で攻撃を仕掛ける。それを煩わしそうに振り払うワイバーンの攻撃を、彼らは余裕をもって安全圏まで離脱し、再び攻撃を仕掛ける。その繰り返し。
その地味な、嫌らしい攻撃に痺れを切らしたワイバーンが突撃を仕掛けてくるが、それを真正面から受け止める者が居る。テオドールの駆る緑の鱗を持つ竜、ボレアースがワイバーンの首に牙を立てる。
相手も同じように牙を突き立てるが、亜竜では竜の鱗を貫通させるほどの傷を与えることは出来ない。空中での取っ組み合いの中、テオドールは軽やかに竜の身体を伝い、ワイバーンへと乗り移っていく。その目的はワイバーンを操る妖魔、上位種のゴブリンを倒す事。
竜騎士団はワイバーンをテオドールに任せ、即座に他の魔物を迎え撃つ為に動き出す。彼らの邪魔をさせない為にだ。
相手もワイバーンほどの戦力に乗って操るのは、相応に実力を求められるものらしい。相手はただの上位種ではない、王級のゴブリンロードと呼ばれる、ある種の災害のような相手だった。
本来なら多くの兵を率いて戦うべき存在だが、今ここで戦えるのは己のみと覚悟を決める。ゴブリンロードはこちらの接近に気付き、慌ててテオドールを迎撃しようとするが、その判断には遅すぎた。
それでもゴブリンロードは器用に武器を操り、ワイバーンにも振り落とすよう指示を出しているが、しかしテオドールも器用にワイバーンやドラゴンの上を交互に跳び回り、曲芸のような戦いを繰り広げる。
やがて抜き放たれた聖剣デュランダルが、彼の振るうスキルの青白い光が、本来ならば一人で倒す事など不可能とされるゴブリンロードの首を切り落として見せた。
そしてテオドールは素早く相棒の背に戻ると、ボロボロになったワイバーンをボレアースが放った雷の魔法でトドメを刺し、敵軍の居る地上へと叩き落す。
「天空城から強化魔法の支援を受けたお陰とはいえ、まさか王級を一人で倒せるようになるとはね……我ながら、とんでもない所まで来てしまったな」
そう言って小さく溜息を吐くテオドール。本来受けている支援程度なら、魔法の心得のあるテオドール自身が、自力で可能な範囲でもある。だがその分の消耗を気にすることなく、相棒とワイバーンの間を跳び回るための、浮遊魔法を使う事に余力を割けたのは大きい。
ゴブリンロードも中々軽快に、器用にワイバーンの上で戦ってはいたものの、最終的には武器の差が勝敗を分けた。向こうがどれだけ人々から奪った武具で身を包もうとも、テオドールはそれを正面から打ち破る事が出来たのだ。
それが可能なだけの魔法の装備に、身を包んでいる。テオドールは改めて聖剣と呼ばれる己の剣を、それを扱う事の意味に改めて背筋を正すのであった。
同じ戦場でも、空中と地上ではまた事情が変わってくる。アトラシア帝国でも最高位の実力を誇る冒険者集団、【竜爪の旅団】。この冒険者集団の最大の特徴は、竜騎士団と同様に亜竜に騎乗する事を可能にした、一般人の集まりと言う点にあった。
兵士や冒険者の中にも時折、魔物を従える才を持つ者も見られ、非常に珍しい能力である事は知られている。それらは才能や感性としてだけでなく、スキルとしても存在している事も、彼らは知っている。
その情報の出所は主にクロトと言う、規格外の男のせいなのだが、それはまた別の話。
先代の【竜爪の旅団】は主にそう言った能力を、何の予備知識もなしに自然と発揮し、自分たちの力だけでワイバーンやドラゴンさえも使役するに至った、天才中の天才の集まりと言った面々であった。
今でこそ二代目の団長として引き継ぎ、【黒の聖剣士】と呼ばれるラルドであったが、元々は先代の団長たちに憧れ、相棒のアルナ共々【竜爪の旅団】の一員程度でしかなかったのである。
それがクロトと出会って以降、彼らの人生は激変することになった。いつの間にかラルドもドラゴンを従え、その功績によって二代目の団長として指名された。その結果が今の【竜爪の旅団】なのだ。
そしてその原因となったクロトに導かれるようにして、この戦場に立っている。
「……空は竜騎士団に任せりゃいい。俺たち【竜爪の旅団】の仕事は敵軍の牽制と負傷者の撤退支援! やってることはルーモット大森林の、魔物の氾濫と変わらないんだ。落ち着いていけ!」
相棒である青い鱗の竜、ゼファーの背から、地上の仲間たちに声をかける。【竜爪の旅団】と言えど、空を飛べる亜竜を従えられる者は限られており、多くは地上を駆ける亜竜に乗っている。否、それ以前に亜竜を従えていない団員の方が多いのだ。
彼らの担当は正規兵以外の者達、主にこの戦いに志願してくれた冒険者たちのサポートである。そもそも本格的な軍事訓練などを受けていない、言うなればただの寄せ集めに過ぎない彼らに、違うパーティ同士で即席の連携など期待できるはずがない。
それは【竜爪の旅団】も例外ではなく、事前に役割を決めてその通りに動くのが精一杯だとさえ言えた。
「ラルド君! 前方、推定ブラッドタイガーに乗ったゴブリンが複数、迫ってきてる。王級ではないけれど、近衛級のレッドキャップみたい!」
「どうします。我々で迎え撃ちましょうか?」
天馬のウェンティに跨るアルナと、その後ろに乗るハーフエルフの女騎士エイダが前線の様子を見ては、的確に情報を齎してくれる。それを聞いて負傷者が増えそうな場所へと【竜爪の旅団】が応援に向かい、その間に撤退を促すのだ。
本来なら彼女たちも相当な実力者であり、エイダも【氷の剣姫】と呼ばれる聖剣使い。あえてこのような役割に徹しているのは、来るべき妖魔王との戦いに備えて、力を温存する為である。
そんな彼女たちから告げられたのは、危険な狂戦士が多数迫っているという事実。
ブラッドタイガーとレッドキャップは、それぞれがオーガに匹敵するような恐ろしい魔物。それが複数、連携して襲ってくるのだ。これはスキルや魔法も碌に使えず、魔法の武具も持たないこの地域の冒険者には、少しばかり荷が重過ぎる。
これらとまともに相対できるのは、現状では自分たちのみだと思った方が良い。
多少の相手なら亜竜の力と、スキルや魔法を習得している【竜爪の旅団】だけで、どうにか切り抜ける事は可能だろう。伊達にルーモット大森林と言う、魔物と恵みの宝庫がある魔境で暮らす冒険者ではないのだ。
「……ちぃっ。仕方ない、俺たちでやるぞ! エイダさんも頼めるか?」
「無論です。その為にここに居ますので」
「わかった。ウェンティ、行くよ!」
ラルドの言葉に、仲間たちが応える。
騎竜であるゼファーが吼え、敵陣に火球を見舞った後、空を滑るように標的へと向かっていくのであった。




