春爛漫の浅草寺――アルカカイを倒す
「でも、どうして現代へ戻って来られたのかなあ」
感謝の祈りを捧げた後、みんなで本殿前の階段に腰を下ろし一息入れた。
カイトは、残った疑問を口にする。
「それは、おヌシの念が作用したかもしれぬ。
何か思い描いたことがあったんじゃないか」
クンダルが、言った。
「なぜか『お花見』の風景が、頭に浮かんだんだ」
洞窟内を歩いているとき、ふと思い浮かんだのだ。
「お花見?」
「うん、毎年春になると、みんなで桜を見に行くんだ。
今年も行きたいなと思った」
「……?」
誰も理解できないようだった。
「夜が明けたら近くの花見ポイントへするよ」
この時期なら、八分咲きくらいにはなっているはずだ。
(それにしても、あの本堂の地下道って何のためにあったのかあ)
長い間、使われていないようであった。
同じようなものは、京都の清水寺や長野の善光寺など、古いお寺には数多く存在する。善光寺では「戒壇巡り」と称し、本堂の下にある。 参詣者は、真っ暗な地下道を手探りで進む。ご本尊の真下にある「錠前」に触れると、極楽往生できるとされている。
「穢れしものよ。疾く去れ!」
ミーカナの声がした。
スクッと立ったミーカナが、カイトを睨みつけている。
抜いた懐剣を、まっすぐ突きつけた。
「な、何なの」
カイトは、うろたえた。
風が、急に吹き出した。空では、雲が渦巻いている。
「ゴロゴロッ――」
雷鳴が、とどろく。
カイトのリュックから、黒いものが飛び出した。
稲光が、走る。
照らし出されたのは、一匹のクモだった。ムクムクッと、巨大化する。
「キ――、キキッ、キキッ」
牙を見せ、顎をカチカチ打ち鳴らしながら威嚇する。
「アルカカイだ!
なぜ?」
リンレイが、叫ぶように言った。
ヨナファの山中で、撃退したはずだった。
「やはりな。
洞窟へ入る前に邪悪な気配を感じたんじゃ」
クンダルが、リンレイの胸元から頭と両手を出して言った。
みんなの視線が、ミーカナに集まった。光に包まれ、衣装が変じていく。 金色の竜頭が付いた宝冠をかぶり、金の龍鱗鎧をまとった女武者が、立っていた。
手した懐剣は、長剣に変じていた。
「鋭!」
ススッと間合いを詰め、裂帛の気合と共に一撃する。
わずかに刃先が届かない。すぐさま手首を返し、シャッと切り上げる。
前脚の爪先が、飛んだ。
「ギギギッ――」
歯ぎしりのような声を上げる。残りの足で地団駄を踏んだが、すぐに体勢を立て直し、頭を突き出してシュッとスプレーのごとく液を吹いた。
女武者は、飛び退く。
液が地面に落ち、ジュという音を上げた。嫌な臭いが漂う。
本殿の柱を足場にして、三角に跳ぶ。
横からアルカカイの胴を狙い、着地と同時に刃を振るう。
ほとんど地に足を着けることなく四方八方に飛び跳ね、攻撃の手を休めない。
(人間技じゃない)
カイトは、驚嘆した。
アルカカイは身体に数か所の傷を負ったが、浅手であるようだ。まだ、その俊敏な動きに遅滞はない。
闘いの場は、本堂の大屋根に移っていた。
空を見上げると、赤、青、黒、黄色の竜が黒雲の間から半身を覗かせ身体をくねらせながら、両者の激闘を見守っていた。時折、咆哮し、三指の爪で宙を掻いた。
アルカカイの爪を避けようと跳んだ瞬間、尻から発せられた糸で片足が絡み取られた。
そのまま振り回される。屋根に叩きつけられたら、さすがに最期であろう。
「ガマ侍郎、参れ!」
落ち着いた声で、何者かに命じた。
「ザバン――」
隅田川の方から、水音がした。
空に放物線を描きながら一トントラックほどの塊が、飛んできた。
大屋根にピタッと張り付く。ガマガエルだ。
アルカカイがひるんだ隙に剣を一振りし、糸を断ち切る。
ほぼ同時に大ガマは舌先を放ち、アルカカイを巻き取る。開いた口にクモが収まるまでの時間は、一、二秒のことであったろう。
女武者は、みんなの前に降り立った。肩には、普通サイズに戻ったガマが乗っている。
風や雷鳴も止み、竜たちの姿も消えていた。
「無事で何よりじゃ」
ミーカナの姿に戻っていた。
「危ないところを助けていただき、心から感謝いたします」
リンレイは、拝跪する。クンダルも、頭を地に着ける。
カイトだけが、状況を呑み込めずにボーと立っていた。
「顔を上げよ」
リンレイに声を掛け、階段に腰を下ろした。
「あんたも突っ立っていないで、こっちへ来て座りな」
急に砕けた現代語で、カイトへ呼びかけた。
慌てて近寄り、並んで座る。
「よく来たね」
笑顔で両隣の二人に話しかける。
「どなたですか?」
カイトが、尋ねた。
「あの人の娘だよ」
ヘヘッといった顔で、手水場に立つ竜神像を指さす。
「ええっ、竜神様の娘?」
からかわれているのかと思った。見た目は、ミーカナである。
「沙竭羅竜王の三女、善女竜王様だ」
リンレイが、口を挟んだ。
「そんなに畏まらなくてもいいよ。
今は、十五歳の少女だから――」
かわいらしく言った。
身体はミーカナなので、見た目の違和感はない。
「ここでは、ゼンって呼んでね」
雰囲気と口調は、ほとんど女子高校生である。
「どこに住んでいるの?」
本人の希望に合わせ、女子高生と思って接することにした。
「現住所は、皇居よ。
小蛇のかたちで池に棲んでいる」
サラッと言った。
「天皇ご一家は、ご存じなの?」
カイトが、尋ねた。
「さあ、どうかしら。
畔で日向ぼっこをしていたりするので、見かけているかもね。
でも、私、けっこう仕事で忙しいから、やっぱり知らないかも」
「仕事って何?」
「全国に、社があるのよ。
そこに人が、いっぱい来るんだわ。
いちおう、カミサマらしいこともしなくちゃならないからね」
フウッと、ため息をつく。
「私ね、三千年くらい前にインドで生まれたの」
善女竜王の出身地は、ガンジス川の源流辺りにあるとされる「無熱池」である。
本性は、長さ八寸(約二十四センチ)の小蛇とされる。
色はアルビノなので、本来はクリーム色だ。でも、人によって金や白に見えたらしい。
唐に移り、青竜寺に寄留しているとき倭国の僧、空海と出会い、一緒に海を渡ってきたのである。
京都の「神泉苑」や高野山「金剛峰寺」の蓮池に著名な社がある他、祠程度のものは、全国各地に存在する。
「日本では、雨を降らせる神ということになっているんだ」
八二四年、平安京が大旱魃に襲たときのことだ。
天皇は興福寺の守敏と、空海に降雨の祈祷を命じた。
天皇の常在所である大内裏に隣接した「神泉苑」の池において、空海がおこなった。
だが、雨は降らない。
不審に思って調べたところ、守敏が日本在住の竜神を封じたためだとわかった。
そこで唯一、封じを逃れた善女竜王に願文を奉じて降雨を得たという。
以来、雨乞いの神として、一般民衆にも信仰されるようになった。
「私、お腹が空いちゃった。
『マッ◯』へ行ってモーニングセット食べよ。
あっ、その前に服を何とかしなくちゃね。リアルワールドは、まだ寒いよ」
少し眉をひそめ、肩をすくめる。かわいらしいしぐさだ。
(リアルワールドへ行く?
ここは、まだ異空間なのか)
外へ出たとき感じた違和感の理由が、わかった気がした。
東京の三月二十八日は、まだ寒いはずだった。
それに物音一つせず、人影もない。いくら夜中でもだ。
「近くに二十四時間営業の『ドン○』がある。
そこで、調達しよう」
カイトはキャッシュカードを持っていた。
お年玉や入学祝いなどを貯めたもので、五十万円くらいは入っている。
「そのガマガエルも連れて行くの?」
「忘れていた。
棲みかに戻してあげなくちゃね」
「そちらもカミサマなの?」
「似たようなものだけど、違う。
ジロウちゃんは、石の精霊よ。私の友だち。
ふだんは、筑波山にいるの」
「ひょっとして、あのガマ石かな?」
「そうよ。
よくわかったね」
「遠足で、行ったことがある」
「これでも、もとは竜なのよ。
でも、みんなが『ガマだ、ガマだ』と言うんで、ガマになっちゃった」
肩のガマ侍郎が、「グフッ」と一声鳴いた。
「ありがとう。
またね」
ゼンを手の平に載せて、チュッと口づけをする。
ガマ侍郎は隅田川方向へ、ピョンと跳躍した。
軽いジャンプに見えたのに、大きく跳んで空の彼方へ消えていった。
境内から道路へ出た。日の出前なので、薄暗い。
「寒い」
リンレイが、身震いした。
東京の三月末、明け方の最低気温は、十度に満たないことがある。
亜熱帯育ちの彼女にとっては、真冬の気候に感じられたであろう。
「えっ!」
次いで、叫び声を上げた。ビルが立ち並ぶ周囲の風景に、驚愕したようだ。
時おり目の前を通過する車の姿と、走行音に怯えた。ヘッドランプの光が目に入るたびに目をつぶり、身を竦ませる。
「ここは、どこじゃ。
観音様のお膝元ということは、補陀落山か。
いや、母者から寝物語に聴かされた不老不死の仙人様が住まうという蓬莱山かもしれぬ」
クンダルがリンレイの胸元から頭だけ出し、言った。
「おおっ、岩山が群れ聳えておる。
光り輝く岩窟が無数にあるぞ。
あの一つひとつに仏様か仙人様が座していらっしゃるのだな。
天女様、仙女様も侍うていらしゃるのだろうな。
いずれにせよ有難や、ありがたや」
小さな手を擦り合わせ、感涙にむせぶといった様子であった。
「信号が青になった。
横断歩道を渡るよ。早くおいで!」
「お上りさん」二人を、ゼンが促した。
カイトは、リンレイの手を曳き、道路を渡る。
「ゼンは、慣れているんだね」
「当り前じゃない。私は今、東京都の住民よ。
税金は払っていないけれど」
「はあ……」
「私ね、ヒマができると街へ散歩に出るの。
巫体質の女の子を見つけて、身体を借りるのよ。
渋谷や新宿、原宿へも、けっこう遊びに行く。
それくらいの楽しみがないと、カミなんてやってられない」
口をとがらせ、ゼンは言った。
途中でコンビニに立ち寄る。
キャッシュコーナーで、お金を下ろす。
温かい飲み物も買った。
カイトとゼンは入れたてコーヒーのホット、リンレイには缶のミルクティーを手渡した。クンダルには、付属のフレッシュを持たせた。
「温かい……」
リンレイは、缶を両手で包んで一口すする。
ようやく我を取り戻したようであった。
カイトも久しぶりのコーヒーが、身に染みてうまく感じられた。
ゼンは、慣れた手つきでブラックを飲んでいた。
クンダルもリンレイの胸の谷間で、おいしそうに飲み干した。
正直言って、うらやましかった。
大通りに面した六階建てビルの前に立った。
ペンギンのイラストとネオンサインが、輝きを放っていた。
クンダルは毛皮をかぶり、背負い袋のサイドポケットへ収まる。
目さえパチクリしなければ、顔を出しても仔ウサギのヌイグルミに見えるだろう。
店内は商品が山のように積まれ、迷路のようだ。
(東京に戻ってきた)
実感が、湧き上がってきた。
エレベータへ乗った。
上昇し出すとリンレイが、腕にしがみつく。
まずは、「若者向け衣服売り場」へ向かう。
カイトとゼン(ミーカナ)は、薄手のダウンベストを買った。
リンレイは、ウィングマーク付きのミニタリージャケットが気にいったようだ。
リュックサック売り場へ移る。ゼンはピンクと白の女子高生向きを、リンレイはコヨーテブラウンのアサルト(突撃)バックを選んだ。カイトは登山用バックパックを買い、荷物を詰め替えることにした。
最後に「靴売り場」へ足を運ぶ。
カイトとゼンは、ウォーキングシューズを購入した。
リンレイはジャングルブーツを見つけて、大事そうに抱えてきた。
「そうそうインナーウェアと、女の子用の小物も必要よ」
ゼンは、言った。
お金を渡して、ゼンに見立てを頼んだ。
しばらくすると、大きな黄色い手提げ袋二つをいっぱいにして戻ってきた。 二人ともニコニコ顔である。
さっそく買ってきた服を着て、靴を履く。コミケかコスプレ大会参加者の装いとなった。
身支度を済ませて外へ出た。朝日が、眩しい。
「お腹がペコペコ、マッ○へ行こう」
ゼンの提案で、近くのハンバーガーショップへ入った。
「私、チキンのバーガーセットにしようかしら」
カウンターでカイトの方をチラッと見ながら、ゼンが意味ありげに言った。
「それは、マズい。
ミーカナは、鳥肉がダメなんだ」
カイトは、慌てて言った。
「わかってる。
ただ言ってみただけ」
ミーカナの事情は、知っているようだ。
結局、みんな同じく「エッグ・ソーセージ」のサラダセットを注文した。 飲み物はリンレイだけミルクで、二人はコーヒーだ。
窓際の席に就いた。
スマホを見ると、七時近くになっていた。
外を歩く人の姿も増えてきた。
でも、通勤といった感じの人は、それほどいなかった。
(そうか、今日は、日曜日なんだ)
曜日の感覚なんて、ここしばらくなかった。
天気も良いので、ポカポカ陽気になりそうだ。絶好の花見日和である。
リンレイがクンダルにスプーンでミルクを飲ませてやっている。
傍目には、少女がヌイグルミで遊んでいるように見えたであろう。
ゼンは、コーヒーカップを手にしながら外を眺め、目を細めている。
「これから、どうしようか。
お花見に行く?」
「そうねえ。その前にお風呂へ入りたいな。
汗かいちゃったし、ひと眠りしたい」
ゼンは激闘の末、アルカカイを倒した。身体は、お嬢様育ちのミーカナなのだ。疲れているはずである。
「じゃあ、そうしよう。すぐ近くに温泉があるから。
休憩室もあるみたいだし」
浅草寺の裏手に、温泉施設に入った。見るからにレトロな内装である。休憩付き料金を払い、荷物を受付で預かってもらう。
男女に分かれて浴室へ向かった。
クンダルは、リンレイがタオルに包んで、そっと持ち込む。カイトは、心の底からうらやましく思った。
浴場での作法は、ゼンが一緒なので大丈夫であろう。
加温しているが、れっきとした天然温泉である。頭にタオルを載せ、淡黄色の湯に身を沈める。
これまでのことを振り返った。
(すべて夢ではなかったのか――)
ふと思ってしまった。
浴室を出た。立ったまま腰に手を当て、ゴクゴクとビン牛乳を飲み干す。
二人は、まだ出てこない。女の子なのだから、当然であろう。
「お待たせぇ」
湯上りの心地よさで眠気に襲われていたが、ゼンの声で、ハッとした。
「上の休憩室で、休もう」
コーヒー牛乳とフルーツ牛乳を、それぞれ手渡す。
三階の宴会場へ上がる。
タオルに包まれたクンダルは、上気した顔が笑み崩れていた。それは、そうだろう。うらやまし過ぎる。
広い部屋の片隅で座布団を枕にして、川の字になって寝た。
(女の子二人に挟まれて眠れるなんて、これ以上の幸せはない)
カイトは、秘かに喜びを噛みしめた。
ゼンが足を絡め、ペタッと横に張り付いてきた。腕に胸が当たっている。
「これは、ちょっとマズくない?」
「私の本性は、ヘビよ。
巻きつかないと眠れないの」
「後でミーカナが知ったら、真っ赤になって怒るよ」
「何かするわけじゃないし、いいんじゃない」
意に介した様子もない。
少し離れた場所で将棋を指しているオッサンが、チラチラと視線を送ってくる。落ち着かない。
「頼みますよう……」
カイトは、泣きそうな声で哀願した。
「意気地なしね」
怒ったような声で言うと、プイッと背中を向けた。
スマホの起床タイマーが作動し、目が覚めた。
時間は午前十一時半であった。一時間半は眠ったことになる。頭は、スッキリしていた。
ゼンとリンレイも、上半身を起こした。ゼンは両腕を上に伸ばして大欠伸をし、リンレイは目を擦っている。
「人間って不便よねえ。寝ていただけなのに、お腹が空くんだから」
ゼンの第一声が、それだった。
確かに腹は、昼食時間を知らせていた。
「カツカレーが食べたい。
ファミレスへ行こ」
そう宣言をして立ち上がり、ゼンは服をパンパンと叩く。
リンレイも服装を整え、手荷物を持った。二人とも、素早い。




