陰謀渦巻く舞踏会(3)
庭園に程よく配置されている木々。それに身を寄せながら、私は冷や汗が滲むのを感じた。怪しいからといって首というか氷を突っ込んでしまったが、こんな話を聞いているところを知られればただでは済まないだろう。幸いにも、彼らは私に気づいている様子はないようだが。
「しかしながら男爵、それはいささか早計かと思われますぞ。大国に喧嘩を売るのは賭けに近い。十二分に気をつけていても、この国には人外並みの頭脳がおります。買われるのが一息でも遅ければ、奴の捜査網にかかるのは必至かと……。」
魔術師が言うには、この貴族は男爵位であるようだ。もちろん外で会う時に身分を偽っている可能性も否定できないから、確実にそうというわけではないのだが。暗がりで距離があり、結界も張られてそこだけ少しぼやけているために彼らの姿をはっきり確認できないのが酷くもどかしい。
氷を使って彼らの姿を確認するかどうか迷ったが、これ以上力を送ると氷が砕けるか、最悪この力に気づかれる恐れがあったため、私はその選択を見送った。仮に姿を確認できたとしても、彼らが誰かというところまで特定できるかといわれればそれも怪しいし。
「確かにあのレヴィーとかいう男は厄介だが、向こうがすぐに喧嘩を買えばいい話だろう? 特に冴えてるとも思えん無能な王に、国同士の喧嘩の仕方が分かるとは思えんし、有能な男の使い方も知らんだろう。それに、この国は帝国から見れば食べごろだろうしなあ! あっはっはっは!」
大笑いするその貴族に、私は自身の中に冷たい感情が過るのを感じる。先ほどまで感じていた焦り等の感情が全て抜け落ちていった。今の私の顔は、無感情な人形のそれだろう。
ーー誰が、無能な王だって?
グリオールは腐ってしまった議会を見守ってなお、その影響が市井に住む民に行かないようにしていた。竜王たる彼は、私たち人の営みを、制限することなくただ見守っていてくれた。そんな彼が議会をなんとかしなければならないと思うということは、その議会が余程に無能になってしまったことに他ならないというのに。そしてその議会の構成員は、この男と同じ貴族。
「……それもそうですな。帝国はきっかけさえあればこの国に攻め入るつもりのようですし、確かに現竜王陛下は穏やかすぎるくらいの方でいらっしゃる。杞憂でしたか。」
「いや、お前はこちらの陣営の参謀だ。思ったことは構わず言ってくれればよい。」
この魔術師が参謀。陣営ということは、かなり規模が大きいと見るべきか。それとも誇張しているだけか。冷たい怒りから頭が一気に冷えきった私は、冷静に会話の内容を考察し、吸収していく。
先ほどまでの話を総括すると、彼らはレイオール大陸の西の、幅のそこそこ広い大河を超えた先にあると言われるヴィノシュ大陸のアインハルツ帝国に喧嘩を売って戦争の口実を作りたいらしい。
この者たちの目的は何なのか。それを聞く前に、話の終わりはきてしまった。
「畏まりまして。全ては我が主の御為に。」
「時に、かの者は今どうしておるのだ?」
「それをお話しすることは主より禁じられていますので。」
「フン、相変わらずだな。まあいいだろう。恩恵があるうちは何も言うまい。」
話は終わったようだ。これ以上私がこの場にいるのは危険以外の何物でもない。早くこの場を離れて、グリオールの耳に入れなければ。
そう気が急いだ。それが間違いだった。
ーーパキリ。
「!!!!」
私は鋭く息を飲んだ。足下には、たった今踏み抜いて折れた枝。三人組の声は私を除く外部の者には聞こえていないが、外の音は結界の内側に聞こえているはずである。
空気が凍った。と言うと、本当に凍らせたと思われかねないが、今回は比喩である。一瞬、場を静寂が支配した。
しかし一拍後。ブツブツと何かを唱える声が聞こえた。私はそれがすぐに先ほどの三人組の、魔術師のものだと悟った。
ーーこの呪文は……魔力探索!!
それを悟った瞬間、私はドレスをたくし上げ身を翻し、助走をつけ地を蹴った。地から離れた私の体は、自然の法則に従ってまた地に戻ることはなく、グンと抵抗を感じながらも浮き上がる。
そう、私は氷の翼で飛んだ。それが最も安全だと判断したからだ。魔力探索は術者の足元を中心に、地を這って円状に広がっていくのである。
少し振り返ると、気づかれている様子はないらしい。氷鏡もまだ作動しているから、そのおかげもあるだろう。
しかし、そうホッと息をついたのもつかの間。
例の魔術師が、ぼやけた結界の中で上空を見上げたように感じた。なぜ。ウィルさんから危険な魔術については教わっている。魔力探索に天を仰ぐジェスチャーは不要のはずだ。
幸い、その魔術師と目は合わなかった。が、私に限りなく近い場所をぼんやりとみていた。月でも見ているのだろうか。わからない。
「……とにかく、戻るのが先ね。」
私はまだ長く滞空できるわけではないし、飛び方も不安定なところがある。安定している今の内に安全なところに行っておきたい。
そう判断した私は、自分の部屋のバルコニーを目指し、程なくしてそこに降り立つ。そのわずかな振動で、翼の霜がきらりきらりと月明かりを反射しながら宙に舞った。
バルコニーに降り立った姿勢のままそっと目を閉じ、翼が自分の内に戻ってきた感覚を確かめた後、再び目を開き、小さな声でリーザを呼んだ。
「リーザ、いる?」
「はい、ここに。」
返事の声が聞こえたかと思うと、まだ明かりをつけていない暗い部屋から、美しい鮮やかな赤髪が進み出て月明かりの下にさらされる。私のすぐ側までくると、膝をついた。
形式的な儀礼にとやかく言うつもりはない。割り切っているし、慣れなければとも思う。しかし私はやはり人に膝をつかれるのは苦手だ。だからそれに一つ頷いた後、すぐにリーザを立たせるために手を差し出した。リーザもそれはわかっているようで、一言礼を述べて立ち上がり、二人で窓辺の席に着く。リーザが温かい紅茶を淹れてくれた。それを一口、口に含む。
ーーやっぱり絶品だ。
「ねえリーザ、貴女、今までどこにいたの?」
純粋な疑問として、私はまず尋ねた。私が水鏡を使った時点でリーザの視界から私はおそらく一旦消えている。先ほどは気配もできるだけ殺していたから、あのやりとりがあったとき、彼女がどうしていたのか気になったのだ。
「はい、姫様のお姿が会場のバルコニーから見えなくなり、その後私は一度こちらの部屋に戻りました。しかし、姫様が戻っていらっしゃらなかったので、私の部下に内密に探させておりました。」
「リーザはこの部屋にいたのね?」
「はい。姫様が戻られた時に何があったのか聞かねばならないと思いまして。」
私はそれに頷いた。今宵は月が明るい。照らされた顔は青ざめているかもしれないが、その青は月明かりのせいではないことを私は知っている。私は努めて慎重に口を開いた。
「とても重要なことだと思うから……グリオールに直接会って話したいの。それまでは、誰の耳にも入れるべきではないと思う。だから、今はリーザにも話せないのよ。……ごめんなさい、わかって。」
私は苦い顔をしてそう言う。対するリーザは、少しも顔色を変えることなく、神妙に頷いた。キラリと月明かりを反射する黒の瞳は、王妃の牙たる鋭さを内に秘めていた。
「それで結構です。姫様が直接伝えられるのなら、その方が情報の正確性と信頼性において都合が良いでしょう。使いを遣りますから、陛下がいらっしゃるまで少しお待ちください。」
私がグリオールの元に行くべきではないか、と思ったが、この情報を持っている以上慎重に動くべきだ。リーザもそう思っての申し出だろうし、私はその言葉に頷いた。
使いを遣ると数十秒席を立った後、また元の場所に戻って沈黙を貫くリーザに、私は胸の内に溜まっていたものが勝手にあふれるのを感じる。
「ねえリーザ、私、ただの子爵令嬢で……今ではその家もないの。」
「……。」
リーザはただ黙って私を見ている。その視線を避けるように私は俯く。リーザが何も言わないから、私の本音はポロポロとこぼれていった。
「ついこの間まで、私は外に出る生活も、人と関わる生活もしてこなかった。本から得る知識が、世界の全てだったわ。私のこの力を扱えるようになるなんて、想像すらしたことはなかった。」
そう、私は世間も何も知らない、ただの女なのだ。貴族の義務だって、私は意識したこともなかった。精々が、民を虐げてはならない、という程度。だから。
「怖いの。本当はどうしようもなく怖い。私は自分を偽って平静を保つことが得意よ。それでも、その平静は虚勢でしかないの。」
ここに来てから何もかもが、想定外だった。私はただのいち花嫁候補であって、選ばれるはずはなかった。レオが現竜王グリオールだなんて、知らなかった。私がこの力をこんな風に……国に関わる情報を得るために使えるようになるなんて、想像できるはずもなかった。
これからどんな未知が起こる?どんな想定外が起こる?これ以上は、私の肩には重い。国の責任は、田舎暮らしの子爵令嬢としてしか生活してこなかった私にはあまりに重い。何万といる民の命を生かすか殺すか、そこに関わることになる職に就くのに、私では役不足だ。
グリオールを愛して側にいたいという思いだけで、彼を支えたいという思いだけで、押し切ってしまっていいものではない。
「グリオールの隣は遠いわ。とても遠いの。共に歩きたいのに、ペースが合わないのよ。覚悟したのに、田舎娘の覚悟なんて、なんて甘い。」
ーー戦いは、嫌だ。あんな話、耳に入れたくなかった。
けれど、私は決めてしまったから。彼の側にいて支えたいという思いは変わらない。そしてこの苦しみを受け入れて、血反吐を吐きながらでも国とともに歩き続けることが、今まで多くを傷つけてきた私に課せられた償い。
国に携わる職に就くこの重さを、一体何人の貴族が心得ているのだろう。
「無知な私では本当に役不足だわ。でも、私がこんな風に悩んでる時間なんて民のための一銭にもなりはしないのに、悩まずにはいられない。」
本をたくさん読んだ。この国の歴史については、それなりに知識がある。そう、教養だけなら、私はその辺のお嬢様よりもあるのかもしれない。しかし、逆に言ってしまえばそれだけだ。現在の王城の状況や市井の様子には疎い。外に出たことがあまりなかったから。
気を抜けば、大きな時代のうねりに飲み込まれそうだと、いつも内心で怯えている。気丈に振る舞わなければ、すぐに崩れてしまいそうで。
私は黙り込むリーザから視線を外して月を仰いだ。青白い月明かりを眺めて、その怯えを心の奥に押し込む。ずっと、私はそうして平静を繋いできた。
平静さを取り戻すと、今何をすべきかが少しはっきりと見えるようになる。未だ黙り込むリーザに、くだらない愚痴を聞かせて悪いことをしてしまったと、私は苦笑を漏らした。
「……なんてね。ごめんなさい、変なことを言ってしまったわ。こんなこと考える前に、問題を早く片付けてしまわないと。」
そう言って気まずさを払拭しようとして、私は立ち上がった。しかしその後私が動き出すよりも早く、リーザが私の側に立って、私の両手をとり、自分の手で優しく包み込んだ。
「姫様、私は姫様の悩みに対して何かを言えるほど姫様の立場の重みを理解できません。それはそこにいる本人だけが、本当にわかるものだと思うから……。」
少し寂しそうな顔をして目を伏せていたリーザは、そこまで言うと顔を上げて優しく微笑んだ。
「無理をするな、とは私には言えません。それは私が言うべき言葉ではないし、私が解決すべき問題でもありません。だから……。」
「……ルル、待たせた。」
後ろからふわりと私を包み込む、男の人らしい頼れる腕。その腕を覆う上等な黒の布生地は、月明かりに照らされた薄暗がりよりも暗い色をしている。甘い低い声も、抱きしめられた時に感じた匂いも、泣きたくなるように締め付けられるこの胸の感覚も、与えてくれる人は一人だけ。
「グリ、オール……。」
私がそう呟くと、リーザは気づいていたのか、
「だから、その問題を解決すべき人に、解決してもらってください。」
そう言うと、静かに一礼をして退室した。
グリオールは労わるように優しく、私を抱きしめる。背中に感じるグリオールの体温が心強くて。彼の顔が見えないことにも甘えて。ずっとずっと、色んな事を受け止めて溜まっていた心の膿が、涙となって溢れ出した。くしゃりと顔が歪んでしまう。
ーー胸がいたい。つらい。とてもつらかった。私には何かもが重すぎて。我慢していたけど、溜め込み続けるのは、やっぱりつらくて。
言葉にはしない。できない。甘え方がわからないから。こんなにも重い感情を外に出したら、嫌われてしまいそうで。疎まれてしまいそうで。
グリオールの顔が見えないから、それでもグリオールの体温は感じるから。私の涙は堰を切って溢れて止まない。生まれてからこんなにも涙を止められないと感じたのは、あの全てを失った雪の日以来だ。
「嗚呼、ルル。俺の腕の中でもっと泣いて。俺をもっと頼って、俺に縋ってくれ。」
そう言いながらグリオールはそっと、けれど抗えない程度の力で、私を正面から抱きしめた。背中に回る腕、抱き寄せられたゆえにわかる彼の広い胸、体温も息遣いも、感じるほどに縋りたくなってしまう。私は、弱くて甘ったれているから。
「ひっく、ふ……っ………!!」
だから、私は自分の腕をグリオールの背中に回して、力一杯縋った。竜王としてのグリオールと初めて会った日のように、彼にしがみつけば、暗い地の底から明るい大空へと引っ張り上げてくれるような気がしたから。
「涙、勿体無いな。」
不意にそう言ったグリオールは、私の目元に唇を寄せたかと思うとチュッと音を立てて吸った。その後、腫れてしまっているであろう目元を労わるように舌で舐める。
さすがに驚いた私は、涙に濡れた目でグリオールを見上げた。見上げた先のグリオールは、悪びれもなく満足気な笑みを浮かべていた。と思ったら、体をひょいと抱き上げられて、寝台に腰掛けたグリオール膝の上に、向かい合う形で座らされた。
「ん? ほら、もっと泣くといい。俺に君のか弱い力の精一杯を見せてくれ。もっともっと腕に力を込めてごらん。話なんてものは君が落ち着いてからすればいいし、急ぐ必要もないだろう。」
いや、急ぐ必要はある。そういう類の話だ。グリオールの手腕があれば、私が思っているほど大した話でなくなるのかもしれないけれど。
……というか、甘いオーラを放つグリオールやら現在のこの体勢やらが恥ずかしいわ照れ臭いわで、そもそも涙が引っ込んだ。赤面した私は体温が上がって、涙が出たそばから蒸発しているに違いない。それくらい、あられもない醜態を、好きな人に晒してしまった。
それでも、少し心が晴れたから。やっぱりグリオールは私を明るいところに連れ出してくれる人なんだと実感する。
……いつかこの恩を返せるように、本当の意味で、私は強くならなければ。
私を優しく映す鮮やかな紫色の瞳を見ながら、私はそう強く思った。




