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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第2章 氷の魔術師編
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  陰謀渦巻く舞踏会(2)

 扉の内側に入った瞬間に目に染みたのは光。それは魔法によって灯された照明だ。ぼやぼやしているわけにもいかず、足を前に進めながら視線を少し下に向ければ、ホールに人の波。皆が皆、煌びやかな衣装をしていた。皆が私に注目していて、そのうちの何人かと目があったが、私の作り笑いは引きつっているらしいから、それにはただ無表情を貫く。


 自分のドレスには、煌びやかな薄青の生地に、所狭しと金糸の刺繍レースに造花、そしてそれらを邪魔しないほどの小さく軽量な宝飾の類が散りばめられており、派手すぎやしないかと思ったものだ。しかし、会場をサッと見渡す限りでは、確かに少し際立った仕立てなものの、浮きすぎているということもない。派手さは感じられず、寧ろ宝飾がゴロゴロ付いて思い切り光を反射している重たそうなドレスよりもよほど品が良い。さすがは、王城女官のセンスである。


 常に、首を動かさずに招待客と周りの様子を観察すること。これは小さい頃、テナの村がまだあった頃、屋敷で開いた私の誕生会で、今は亡きお父様から教わったことだ。


 そして、エスコート役の前で立ち止まって、そこで初めてその演じ手を見る。



「ルル。」



 甘い低音で小さく囁く声の主は、もちろんこの城の主人(あるじ)であるグリオールだ。黒地に金の煌びやかな刺繍が施された彼の正装は、竜王の名に相応しいもので。後ろに撫でつけられた夜色の髪と気高い紫の強い瞳に、よく似合っていた。私は淡い色合いの装いで、グリオールは濃い色合いの装いであるのに、私もグリオールも金の刺繍を取り入れているおかげで、隣にいても装いの違いに違和感はない。何度も言うようだが、さすがは王城女官のセンスである。


 グリオールの前で立ち止まった私は、例に習って淑女の礼を披露した。そんな私に、グリオールの小さな呟きが降ってくる。



「……綺麗だ、とても。」



 酔っているかのようなその声音に、私はグリオールを見た。紫の瞳は、眩しいものを見ているかのように眇められている。口元は優しく緩んでおり、その姿がとても優美で。私は返す言葉も忘れてグリオールに魅入った。



「ルル、手を。」



 少し笑みを滲ませたその声に、ハッと我に返る。見惚れていたことに気づかれているのは一目瞭然で、私は頬に熱が昇るのを感じた。


 言葉と共に差し出された、頼れるグリオールの大きな手のひらに、私の手をそっと重ねる。その時、私の目に入った純白の手袋。それにはもう何の(まじな)いもかかっていない。だから初めてグリオールに手を握られた時のような、あの冷たい恐怖も感じない。


 私は静かに笑みを浮かべて、今はただ重なっているだけの手に少しだけ力を込める。私が彼の手をキュッと握ると、それよりも幾分か強めの力で握り返された。そこから感じ取れるグリオールの体温に、私は知らず肩の力を抜いていた。



「……グリオールも、とても素敵だと思うわ。」



 そう言ってグリオールの表情を見れば、彼は蕩けるような優しい笑みを浮かべていて。それを見た私の胸は熱くなる。勘違いをしてしまいそうな笑みだった。私は顔が赤くなるのを感じながらも微笑み返す。ホールの人々がざわめいた気がしたが、そちらの様子を確認する余裕はなかった。


 それにグリオールが突然私の腰を引き寄せたのも、余裕を無くした一因である。私は手を取られたまま腰を引き寄せられていた。



「皆、今宵集まってくれたことに感謝する! この娘は俺がようやっと手に入れた花嫁、ルル姫だ。姓はじきにレイオールを冠するだろう。」



 さり気なく、テナの生き残りであると公に周知されてしまうことを、グリオールは防いでくれているのだと分かった。いずれはもちろん、周知されることなのだが。ホールの人たちは、私たちの様子を凝視しており、少し居心地が悪い。だが、一拍後には私たちは彼らの盛大な拍手に包まれ、私はただその音の大きさに驚いた。


 私たちは最初にダンスを踊る必要がある。そのためにホール中心に向かって歩いている時、抑えきれなかったのだろう、客人たちの囁きが聞こえてきた。



「まるで人が変わったようですわね。あの陛下があれほどまでに情熱的な方だったなんて。」


「本当に。花嫁様は一体どちらのお家の方なのかしら。あのような神秘に溢れた御髪と御瞳を、わたくし見たことがありませんわ。」



 貴人は詩人。貴人は詩人……。


 過剰に言葉を装飾するご婦人方を見て思い出したのはグレルさん。私は今まで、グレルさんは単に彼の性格ゆえに異常に言葉に装飾をしたがるのかと思っていたが、ひょっとして上流階級ではこれが常なのだろうか。苦笑いしそうになる口元を必死に抑えて、私は無表情を貫く。


 回数にして三度。私とグリオールはダンスを踊り、そっと中心を外れる。天性の才能なのか教育の賜物か、グリオールのリードは素晴らしいものだった。この後のこともあるから、どこかの物語のお姫様のように、ただ単純にダンスを楽しむことはできなかったが、あれこれ考えて張っていた気がほどよく抜けるような、頼り甲斐のあるリードだった。


 そしてもう一つ、ダンスを楽しめなかった理由がある。それは他の令嬢たちーー主には後宮の姫君らーーの視線だ。それはあまねく棘のような鋭い視線だった。疎い私がすぐにわかってしまうくらいなのだから、敵意があからさまである。私は彼女らの求める座を、ひょいと横から取り上げてしまったようなものなのだから、仕方ないことだとは思っているけれど。


 グリオールはそういった女性の機微に鋭い。彼もその視線と意味には気づいていたようで、ダンスの輪から離れながら私を抱き寄せ、耳元で小さく囁いた。



「俺も彼女らの行動には十分に気をつける。それに近い将来、俺は後宮を解体するつもりだ。が、万が一、俺の知らぬところで何かあれば必ず俺に言ってくれ。必ずだ。」


「後宮を? ……後宮に花嫁候補を集めるのは、決まり事なのではなかったの?」


「ルル、その話はまた後でしよう。とにかく、君を守るという誓いを破らないためにも、何かあれば必ず言ってくれ。俺は君を、全てのものから守りたいんだ。」



 腰を抱かれながらそう耳元で囁かれ、その低く掠れた声に私の体は熱くなった。周囲に私たちの話の内容を聞かれないためには仕方のないことなのだが、この体勢は恥ずかしい。私も私で、言葉を返す時はグリオールの胸に擦り寄るようにして小声で話さねばならないのだから。


 けれど、好いている人にそんな風に囁かれれば、私だって舞い上がってしまう。動揺しながらも、何か返事をしなければと思って私が口を開こうとするのと同時に、第三者の声がかかった。



「竜王陛下。」



 低い、けれどグリオールよりも高い、若い男性の声。私もグリオールも顔を上げて、居住まいを正す。とは言っても、グリオールの腕は私の腰に回ったままなのだが。



「この度におかれましては、麗しき花嫁を御選定されたこと、心からお祝い申し上げます。」



 定型文だ。定型文以外の何物でもない。その定型文に感情は一切込められていないことは、目の前の男の様子からよくわかった。


 身なりがよく、容姿も整っている若い男。髪色はさして珍しくもない普通の金だが、目は特徴的な灰紫色をしている。私はリーザに見せてもらって頭に叩き込んだ招待客リストの中から、すぐに彼を探し当てた。すぐに探し当てられるくらい、注目すべき人物であるのだ。



「祝言に感謝する。バメウ伯爵、貴殿と話すのは初めてだな。」


「はい。私はまだ若輩ですので、陛下と言葉を交わすのは畏れ多く感じます。しかしながら、此度の御選定を心より祝福申し上げたく、このように。」



 先ほどまでと同じく、そこには何の感情も見受けられないし、これもおよそ定型文と言っていい。定型文で、その上感情もこもっていないというのに、言葉は上滑りしていかない。重みを持っている。


 彼の名はアルトロ=バメウ伯爵。若輩、と自らを称しているが、中枢でも十分やっていけるほどの政治的駆け引きが得意な御仁で、頭も回る。鉱山もなく土地もやせ細っているような貧しく小さな領地を、彼は5年という短期間で、広大なレイオール大陸で10の指に入るほどの豊かな領地にしてみせた。



「バメウ伯爵の噂は中央にも届いている。俺も君と話がしたいと思っていたところだ。」


「陛下にそう仰っていただけるとは。身に余る光栄です。」



 私はそう言ったグリオールを見上げて、その後にまたもや定型文をさらりと述べたバメウ伯爵を見やる。その時、バメウ伯爵と目があった。自分の内側を悟らせなかったはずのその瞳だが、今は雄弁に彼の意を物語っている。察しろ、という目だ。その時私は確信した。彼は施政者としての素質がある。彼の瞳は、上に立つ者の瞳だった。


 おそらく、グリオールもこの機にバメウ伯爵と多く話をしたいはずだ。というのも、バメウ伯爵は中立勢力で、議会の味方でも竜王の味方でもない。だが聡明な彼がどちらかの勢力につけば、議会と王のパワーバランスは大きく崩れるのは必然だろう。彼の力は非常に大きい。だから要注意人物なのである。


 その上、当の本人は彼が無能と判断すればどちらの勢力も切り捨て見限り、自分の力だけで領地と民を守るくらいの気概と実力がある。目先の利益に囚われるような愚かさも一切ないから、説得は一筋縄ではいかないことはわかりきっていた。よって、少しでも多く言葉を交わせる時間は惜しいだろう。


 そう判断した私は、腰に回されたグリオールの腕にそっと自分の手をのせ、ゆっくりと腕を体からはがした。



「ルル?」



 離れようとする私を咎めるかのような声がグリオールから上がる。もちろん、小声で。しかし私はそれには反応せず、胸元で左手の上に右手を被せて礼を取った。かつては呪がかけられていた純白の手袋。左手袋の内に隠された私の手の甲には、グリオールからもらった刻印がある。それをグリオールに示したつもりだった。これがあるから、私は大丈夫だと。



「わたくしは少し疲れてしまいましたから、少し休憩して参ります。何か不便があれば信頼する侍女を呼びますから、わたくしのことはお気になさらないでください。」



 暗に、リーザのことを仄めかしたつもりだった。刻印と王妃の牙たるリーザがいれば万が一の心配すらいらないだろう。そもそも、通常程度の令嬢の危険は私にとって危険ですらないのだから。自分の力を過信しているわけではないが、それは事実だと思っている。むしろ何が危険かと言われれば力を振るわれた相手と周囲の身と安全が危険だ。そちらの心配をしたいところである。


 そう一方的に述べた私は、もう一度淑女の礼をしてその場を立ち去る。向かう先はバルコニーの先の庭園だ。バルコニーで悪目立ちするよりも、そちらの方が目立たず安全と踏んだためである。背中にグリオールの声が飛んできた気がしたが、振り返ると彼の紫の瞳に捕まる予感がしたため、心が痛むが無視した。







* * * * *



 ……で、どうしてこうなった。


 現在私は、セルヴェさんから教わった水鏡で姿を眩ませている。私の視線の先には、三人の男。その内の一人が高等魔術師であることが先ほど発覚した。その魔術師は城内の警備に気づかれることなく、消音の結界を張ったのだ。それも研究棟で使うような適当なものではなく、結界外に会話を漏らさないための、完璧な消音魔法。


 咄嗟に小さな氷の塊を彼らの足元に作れたのは我ながら上出来だった。私が今いる場所は彼らが張った最小限の結界の外側で、普通にしていたら彼らの会話は聞き取れない。彼らが発した声による空気の振動を氷の塊を通して私に伝達する。まさかこんな器用で応用的な力の使い方が自分にできるとは思わなかったが、これもウィルさんのスパルタ特訓の成果だろうか。とにかく、それによって私は今、身を隠しながら会話を聞き取っていた。


 三人の男の内の一人、この国の貴族と思われる横に大きな男性がまず口を開いた。



「やはり、戦争を仕掛けるのは、ヴィノシュ大陸の半分以上を支配する大国であるアインハルツ帝国が妥当なところですかの。」



 聞こえてきた言葉に、私は息を飲んだ。


 ーー戦争、ですって?


 動揺で、心臓の鼓動が速まるのを感じた。なのに、体は熱くなるどころか冷えていく。私は彼らから紡がれる言葉を、信じられない思いで聞いていた。



  

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