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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第2章 氷の魔術師編
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6.陰謀渦巻く舞踏会(1)

 私がウィルさんに師事してから4日が経った。今私は、私の祝賀会と名目された舞踏会のために、リーザによって堅苦しいドレスを着せられている。


 結論から言うと、ウィルさんの指導は覚悟が必要と言われるだけある指導だった。なんといっても容赦がない。本当に容赦がなかった。出された課題を間違えたり達成できなかったりすると、笑顔でとんでもない"お仕置き"をされるのだ。


 それでもウィルさんのある種熱心な指導の甲斐あって、私は基本的なことならばなんとかマスターできた。自由に翼を出し入れし、なおかつ多少の高度と距離を飛べるようになること、自分の周りに氷の防御壁を張ること、ついでにセルヴェさんの"水鏡"を満足に扱えるようになる程度には成長したのだ。


 ウィルさんにもかなり筋がいいと言われて嬉しくなってしまい、実は魔法の才能があったのではないかという話をしたら、それを思いっきり一笑されてしまったのもいい思い出である。


 ……と、このように指導に終わりが見えているような言い回しを私はしているけれど、現実の話をすると指導はまだまだ続く見込みだ。またあの"お仕置き"を受ける機会は多分にあるのだと、そう考えて私は少し肩を落とした。



「ルル姫様。笑顔ですよ、笑顔。」



 視線を上げて鏡越しにリーザをみて、私は無理矢理口元を引き上げた。……その様子はどう見ても笑顔とは程遠く、引きつってるようにしか見えない。


 その事実に、私は深い溜め息を吐いた。社交界に出たこともない、人慣れもしていない、そんな私に愛想笑いというのはなかなかにハードルの高い注文なのである。



「……いっそ、普段通りの方がいいかもしれませんね。」



 リーザがそっとそう言う辺り、私の笑顔(・・)はかなり酷いものなのだろう。苦笑するリーザの明るい色の瞳に私も目を合わせ、同じように苦笑を返した。


 そして最大の山場である慣れないコルセットの締め付けの痛みと息苦しさに耐えながら、私は作業に没頭し直すリーザを鏡越しに見つめる。燃える赤髪を理由もなくぼんやりと眺めながら、昨夜のことを思い出していた。




 * * * * *



 ウィルさんの"気分"により、いつもより早く帰ることができた私は、早めの夕食を済ませた後、薄布に程よく遮られた夕日が差し込む部屋で、運び込まれた荷物の整理を行っていた。


 その時目に付いたのが、旅路でグリオールにもらったあの本ーータイトルはロワゾー・エルグラスーーである。



『あら?』



 整理がてら、目に付いた本を開いて作業が脱線してしまうことはままあることだ。私も例によってその本を手に取ったわけだが、私はその瞬間、それに強烈な違和感を覚えた。



『……変ね。だってこの本……後半部は塊になってしまっていたはずなのに。』



 誰もいない部屋にぽつりと私の小さな呟きが漏れる。その言葉がやけに部屋に響いたものだから、私ぞくりと背筋を震わせた。


 この本はもともと、青い髪の少女が崖に転落してから先は、紙と紙が貼りついたかのような塊となっていて、読むことができなかったのだ。それが今手に取ると、重力に見合った、本のページならではの僅かな隙間が紙の塊と化していた後半部の紙と紙の間に見受けられる。


 つまり、今まで見られなかった部分が見られるようになってるということだ。



『でも、なぜ。』



 そう呟きながら本をそっと膝の上に置く。荷物整理のことも今は私の頭の中から消え失せ、私は意を決して本を開いた。



『刻印も消えている……?』



 問題のページにたどり着き、挿絵に手を乗せたとき感じた感触は、滑らかな紙の感触。このページにあったはずの刻印は、跡形もなく消えている。


 私はその事実を確認して、手に僅かに力を込めた。そしてそのままページを捲る。ここから先は、以前は読めなかった部分だ。



『……。』



 崖から落ちた青年の手を取った氷の少女は、透き通る氷の翼を広げて落下の衝撃を和らげた。物語はともかくとして、少女に対し私は既視感を覚える。


 次へとページを捲ると、落ちて目の前にあった洞窟に2人が入って行き、その行く果てに大きな氷の塊を見つける。そこには、氷の少女の面影を残す若い女性が氷づけにされていた。今回の挿絵はその女性の様子で、私はその血の気が感じられない女性をみてドクンと心の臓が収縮するのを感じた。


 ーー鏡で毎日、自分の顔を見る。その顔は、こんな顔ではなかったか。


 久しく忘れていた恐怖という感情が戻ってきたような気がした。それは以前の、自己の力に対するものよりも、ずっとずっと強いものだった。


 心が凍りつくようなその感覚に、私は逆らう術を見出せなかった。本を捲ろうとする手は震えている。


 ーーこれ以上、先を見ない方がいいのではないか。


 そう自問する声を無視して、私は次のページを捲った。


 不思議なその女性を前に、二人の反応は異なった。青年は、南の気候を鑑みてあり得ないと、氷の存在を怪しんだ。少女は、ただその存在に魅入られていた。自分を人にした女神に、似ている気がしたのだ。少女は氷に触れて願った。



《私をもとの鳥に戻してください。これ以上、誰も傷つけたくないのです。》


《ロワゾー!?》


《……エド。私は貴方の愛が怖いと思ってしまった。いつかは絶対に訪れる、愛を失う未来を怯えるのはとても辛い。》


《僕が心変わりしないって、信じられない?》


《そうじゃない。そういうことじゃないの。貴方がずっと私を愛してくれていても、生きる者はいつか必ず死ぬのよ。私にはその終わりを垣間見てしまった。それが怖い。》



 ふと、私はテナの大災害を思い出した。そう、人は必ず死ぬ。寿命でなくとも、だ。いや、あれは運命からしてみれば寿命だったのだろうか。


 私はそこで家族を失い、この世に一人取り残された。たしかに、辛かった。それまで身に受けていたはずの愛情を失い、私は凍てついた。


 そう、残されるのはとても辛かった。愛を失うことは、人を変えてしまう。



《……いつも、自分勝手でごめんなさい。エド。》


《じゃあ、こうしよう。君に、僕が死んでも消えることのない愛の形を残してあげる。準備に少し時間がかかるけど、待ってくれるね?》


《どうして、そこまでしてくれるの。こんな私のためなんかに。》


《君を愛しているから。僕の愛はとても歪んでいてね。君を僕に縛りつけておくためならなんだってするよ。》



 この青年は、すごい。そしてどこかグリオールに似ている。真っ直ぐで、心がとてつもなく広くて。そして相手の要求を聞きながらも少し強引に我を通すところなんか、そっくりだ。


 気持ちが多少ほぐれるのを感じながら、私は次のページを捲る。また挿絵があって、それが黒く巨大な……翼を持った何かと確認したところで、私の肩に振動が伝わった。



『ルル!』


『……っ!?』



 肩を少し強く引かれて、思わず私は本を閉じる。パタンという音が室内に響いた。その音を聞きながら、私は声の主に意識を向けようとして愕然とする。



『何度も呼んでいたんだが。灯りもつけないで本を読んでいたのか?』


『こんなに暗くなっていたのね……。気が付かなかったわ。』


『侍女が心配していたぞ。荷物整理をしていたはずなのに、誰も部屋にいないと焦っていた。……上手く闇に溶け込んでいたようだな。』



 あんなにも明るかったはずの室内が、目の前の相手すら確認できないほど暗くなってしまっていた。グリオールの声だけが、この部屋に響いている。


 グリオールにそっと引き寄せられたが、私はそれに素直に従った。暗闇で彼が見えないからか、それとも私も彼のぬくもりを欲していたのか。宝物を懐に隠すように優しく抱き込まれ、私は本の未知なる部分を読んだことで複雑な思いになっていた心が凪いでいくのを感じた。



『舞踏会、明日ね。』



 本のことに触れられたくなくて、私は先手を切った。グリオールなら、察してくれるだろう。



『……そうだな。ルル、舞踏会中は俺の側から離れるなよ。』



 やはりグリオールは本の話題を回避して、舞踏会の話に乗ってくれた。そのことに安堵してさらに身体の力を抜く。



『確約はできないけれど、心がけるわ。それに、私は自分の身は自分で守れるもの。』



 クスリと私の口から漏れた息。笑ったつもりだったのだが、上手く笑えていただろうか。自嘲めいた笑みに、なっていなければいいのだが。



『もっと頼っていいと、言ったはずだ。気丈に振る舞うのは悪いことじゃない。が、無理して何もかも一人で抱え込もうとすると、潰れる。人はそんなに頑丈にできていないだろう。』



 そう言って、グリオールは抱き込む腕の力を少し強めた。私は顔を見られたくなくて俯いた。きっと、ひどい顔をしているだろうから。



『……そうね。』



 ただ、そう言うのが精一杯だった。その声は、心を閉ざしたような、とても固い声音になってしまった。グリオールはそんな私の頭を、宥めるように撫で続けていた。




 * * * * *



「終わりましたよ、姫様。」



 その言葉に私は我に返る。鏡を見ると、驚いたように目を丸くしてこちらを見る、鏡の中の私と目があった。鏡の中の私はとても美しく着飾られている。そのすぐ横に視線を向けると、リーザが満面の笑みで立っている。それに私はようやく頬を緩めた。



「ありがとう、リーザ。」


「姫様、上の空でしたね。退屈でした?」


「いいえ、少し考え事をしていたの。でもそうね、コルセットを着けるのは退屈というより大変だったわ。できればもうこんな機会来なければいいけど、そういうわけにはいかないのでしょうね。」



 そう軽口を言いながら、私とリーザは顔を見合わせてクスクスと笑う。ひとしきり笑った後、私は不意にリーザに向かって呟いた。



「……ねえリーザ、素直になるのって難しいわね。」



 頼りたい、とは思う。でも頼り方がわからない。素直に助けてと言えない。


 何かを望むことはいけないような気がして。私が何かを望むのは贅沢で。そう、何かを望む自分を許せなくて。だってそうでしょう。私は恵まれているのに、それ以上何を望むというの? ……それ以上は、自分でどうにかすべきことなのではないの?


 色々な考えの中で、雁字搦めになってしまって、動けない。難しく考えず、素直になることができたら。こんなに悩むこともなく、優しさを受け入れられただろうに。



「……そうですね。現実は童話のような世界とは違いますから。人を信じること……そのために、深く、本当に深く理解し合うこと……それが肝要なのではないかと私は思っています。」


「確かにそうなのかもしれないわね。素直な人は、人を疑ったりしない印象だもの。素直な人は、人を無条件に信じられる人なのかもしれないわ。」


「けれど、それでは王城(ここ)で生きていけません。そうですね、皮肉なようですが、王妃は素直であってはならないのかもしれません。少なくとも、今の私は、そのような方はこの城には不要に思います。」



 毅然としてそう言うリーザに、私は思わず目を丸くした。そっとリーザに手を取られ、いつもより数段歩きにくいドレスを捌きながら、城の廊下を歩き出す。



「性根が真っ直ぐであることは必要です。しかし、素直さは必要かと言われると、そうでもない。おとぎ話のようなお姫様は、あまねく人を愛し、信じ、芯が強く美しい。しかしそれだけでは民や領土を守れない。民や領土を政で守れぬ王や王妃……つまり上の者など、民からしてみれば結局は不要なのです。これが、厳しいけれど民の理屈。」



 私には、リーザのこの言葉が正しいかなど分からない。分からないから、考える必要がある。選ぶ必要があるなら、何を選ぶかで苦悩する。それはリンゴを買うときも、政を治めるときも、そしてただ生きているときも、同じなのだろう。



「姫であるということは、可愛らしく愛されるということではない。姫であるということは、下の者に対する責任があるということです。贅沢が許される代わりに、それを提供する全ての者に対して、責任を負っている。私はそう思っています。だから、まだ戴冠式を経ていなくとも、この舞踏会で与えられた立場を考えてくださる姫様が、嬉しかった。だから私は、牙の秘密をお話ししようと思ったのですよ。」



 そう言ってリーザは表情を緩めて微笑む。私はリーザに微笑み返した。そう、つまり、貴族の義務(ノーブレス・オブリージュ)だ。確かに、貴族に生まれたのなら、そこに発生する義務に男も女もないだろう。



「ルル姫様。時間をかけて、竜王陛下とも理解し合えば良いのです。きっと、少しずつ、頼れるようになっていきますよ。だって、私にはもう相談できていますもの。」


「そういえば、そうね。リーザとは本当に親しくなれた気がするわ。こんな話もしてしまえるくらいにね。」



 そう言って、また私たちは笑う。その内に、大きな扉の前に着いた。この先が舞踏会の会場と見て間違いないだろう。私は気持ちを引き締めた。



「それでは姫様、私はここで。小さな声でも構いませんので、お呼びくだされば、すぐお側に参りますからね。」



 つまり、何かあれば自分を呼べということだろう。私はリーザの言葉の意味を正しく理解して、神妙に頷いた。



「ええ、ありがとう。よろしくね。」



 そう言うが早いか、リーザは一つ頷いてフッと消えた。以前真夜中の寝室でも思ったが、やはりリーザは只者ではない。そのリーザが私の牙とは、とても心強い。



「私も、今夜は頑張らなくてはね。」



 リーザから聞いた段取りによると、今はグリオールが扉のすぐ向こうで歓迎の挨拶を行っているはずだ。私はこの扉が開かれたら、グリオールの隣に立って礼をすればいい。淑女の礼は得意分野の最たるものだ。



「ルル王妃様、そろそろです。」



 側にいた侍従が、私を扉の前に促す。私はまだ王妃ではないと苦笑してその侍従を(たしな)めながら、促されるままに扉の正面中央に立った。


 重い扉が、向こう側に開かれる。少し軋んだような音を立てながら、煌びやかな光が私を包んだ。


 ーーさあ、舞踏会の始まりよ。



 

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