5.王妃の牙
「失礼いたします。姫様、明後日に控えていた舞踏会のお話は覚えておいでですか?」
月の光が降り注ぐ暗い室内で、リーザは静かに私に問いかけた。カウチにもたれ掛かりながらぼんやりと虚空に意識をやっていた私は、その言葉を受けてリーザに向き直る。
「ええもちろん。でもあれ、花嫁候補が竜王陛下との親睦を深める名目のものだったでしょう。……なくなったのよね?」
「それが、姫様の正妃決定の祝賀会と名目を変えて、行われるらしいのです。」
「え?」
この数日、グリオールは寝室に戻ってくるのが遅くなった。私もウィルさんに師事しているから、もちろんあまりに早い時間に帰ってきていたわけではないのだが、グリオールはそれ以上だった。
ーーひょっとして、この舞踏会の調整で忙しかったのだろうか。
ふい、とリーザから視線を外して月を見上げながら、私は誰に向けるでもなく呟いた。
「でも、なぜわざわざ行うことにしたのかしら。それも今。……グリオールに限って、本気で祝賀会を楽しむつもりではないでしょうし。」
私がずっと閉じこもっていたこと、人に慣れていないことをグリオールは知っている。ということは、祝賀会は完全に名目だ。本当の狙いは別にあると考えるべきだろう。
グリオールは、何をしたいのか。そして私は彼と共に歩む者として、それに対しどう行動すべきか。
「リーザ、グリオールは何か言っていた?」
顔をそちらには向けず、目線だけをリーザに向けて問いかける。リーザは軽く首を傾げる仕草をしながら言った。
「特に、何も。……ですがグレル様が、掃除が始まるようだ、と仰っておりました。」
「掃除……。」
貴人は詩人。私は真っ先に自分にそう言い聞かせた。
掃除に含まれる言外の意味を私は探る。この城の現状を知った私が、もし同じ言葉を使うとしたら、どんな時に使うだろうか。
答えを見つけるのに、幾らもかからなかった。もっと吟味すべきなのはわかっているが、私とグリオールが同じ方向を見ているのなら、これしかないという気がしたから。
「総入れ替え……するつもりかしら。」
何を、とは言わない。それだけで、リーザには伝わるはずだから。そして案の定、リーザはヒュッと鋭く息を吸い込んだ。
「グリオールがこの舞踏会で各貴族の現状を探るつもりなら、私もそのように立ち回らないとね。リーザ、協力してくれる?」
「はい、姫様のお役に立ちます。姫様の竜騎士の座は、私だけのものですから。他の誰にも、絶対に譲りません。」
聞き慣れない単語が耳を掠める。確固とした意思を秘めながらも震えているリーザの声に、私は今度こそ顔をリーザの方に向けて言った。
「リーザ?」
声と同じように身体をも硬くし震えているリーザ。さすがにこれはただ事ではないと、慌ててカウチを離れ、リーザの側に歩み寄る。
今までにあまり人と関わってこなかった私は、こんな時にどうしたら良いか分からない。それがとてももどかしく感じた。
「リーザ、大丈夫? どうかしたの、何かあった?」
理由が分からなければ、私にはどうしようもない。私の疑問は一先ず横に置いておいて、リーザを、と思ったその時。俯いていて表情が分からなかったリーザが突然顔を上げた。
「姫様、私、もっと早くに言わなければいけなかったのに、どうしても言い出せなくて……!!」
月明かりに照らされたリーザの表情を見て、私は目を丸くした。……泣いている?
次から次へと、リーザの目元からは透明な雫がこぼれ落ちていた。いよいよ私もどうしようとパニックになりかけるものの、ここで私が取り乱すわけにもいかないと必死で平静さを保つ。
この3年間、誰も傷つけないためにずっとやってきた平静さを保つという訓練が、ここで活きてくるだなんて、あの頃の私は万に一つも思わなかった。案外、過去の経験というものは、色んなところで未来に活きているらしい。
「リーザ、落ち着いて。落ち着いて、その話というのを私にしてくれないかしら? 私、貴女の話をちゃんと聞きたいの。」
私はリーザの涙を指先でそっと拭う。次から次へとこぼれる綺麗な涙によって私の手がすっかり濡れてしまうのに、いくらも時間はかからなかった。
その様子を見て、少し眉を下げる。あの快活なリーザがこんなにも心を痛めるだなんて、余程のことなのだろう。
彼女は自分を竜騎士だと言った。それも私の。それが辛いなら、その現状を強いているのは私なのだろうか。分からないことを先走って考えても仕方ないのだが、しかしもしそうであるのなら……言ってほしかった。辛いことをリーザに強いるのは私の本意でないのだから。リーザは私にとって、とても大切な人だから。
氷の力を見せてしまったのに、何を変えるでもなくただそばにいてくれる、そして『それでも貴女は変わらない』と言ってくれたリーザ。その言葉に、態度に、私はどれだけ救われただろう。
リーザの頬に手を優しく添えたまま、努めて柔らかい声音を出すようにしながら私は言葉を紡ぐ。
「大丈夫、貴女が辛いと思っていたのに言わなかったことを私は怒るかもしれないけど、絶対に悪いようにはしないわ。約束する。」
静かにそう言ってから、そこで私は思い出す光景があった。王都に入る前、少し立ち寄った村での出来事。必要なことを言わないで、我慢していた私にグリオールは怒った。怒って、言ってほしいといっていた。あの時のグリオールは、こんな気持ちだったのだろうか。
「違っ、私は……姫様に嫌われることが、怖くてっ……!!」
「え?」
「……竜騎士である私は、純粋な人間ではありません。竜騎士とは、おとぎ話にあるような竜を従える騎士のことではない。竜の血を持ち、そして王妃のみに絶対の忠誠を誓う騎士を指すのです。」
「竜の血を持つ……騎士。」
「竜騎士は、王妃が持つ唯一の、独立した私兵とでも申しましょうか。竜王でさえ命令指揮下に置くことはできない、王妃の牙……。」
思いつめた顔つきで話すリーザの話を、私は耳をそばだてて聞いていた。かなり集中して聞いていたから、竜騎士がどういうものなのかも理解した。
だがしかし、わからない。リーザは私に嫌われたくないと言った。……嫌わなければならないような話をしていただろうか。それとも、今の話とはまた別の話になるのか。
口を閉ざしたリーザに、それ以上話す素振りは見えない。私は真剣に考えてみたものの、嫌う要素について全く検討がつかなかったため、本人に直接聞くのはどうなのだと思いながらも、聞くことにした。
「うん、竜騎士についてはよく分かったわ。それで、あの、私が貴女を嫌うって、どういうことかしら?」
「あの、どうって、だって、」
「竜騎士は私のための牙。私が王妃になるかなんてまだわからないけど、つまりリーザはこんな私のために、ずっとがんばってくれてたのよね? そんな貴女をなぜ私が嫌うの?」
申し訳ないと思いながらも、おずおずとリーザを見上げる。ああ、どうして私はこうも人の機微に疎いのか。ここはスマートにリーザの心境を察してコメントすべきだろうに。リーザにではなく、自分自身に嫌気がさしてくるところだ。
見上げた先のリーザは、居心地悪そうな顔をしている。しばらくリーザはそうしていたが、その後意を決したように口を開いた。
「だって、気持ち悪くないですか? 私は翼の生えたトカゲと人の混血なんですよ?」
その言葉に、私は一瞬呆けた。だが、ここは大事な話の最中とあって、私はすぐに我にかえって言った。
「ああ、そういうこと。こんなこと軽々しく言ってはいけないのかもしれないけれど、貴女そんなことを気にしていたの?」
「そんなことって……普通はすごく気にするところだと思いますけど。混血ですから、私、竜になれたりもするんですよ。私が怖くはないですか?」
ーー全く、リーザは今更何を言っているのか。
不謹慎かもしれないが、私はリーザが気にしていることに心底可笑しさを感じて、小さく笑い声をもらしてしまった。
「ではそのお言葉、お返しする必要があるようね。貴女、得体の知れない力を持つ私の牙になると決めた時、怖かったでしょう? 私のこの力が。」
「いいえ、そんなことはありません! 私は申し上げました、貴女は何も変わらないと……私は貴女の心根の美しさを見て、忠誠を誓ったのです。」
半ば誘導したとはいえ、ここまでの返答が返ってくるとは思わなかったために、私は頬に朱が昇るのを感じた。
「と、とにかくよ。そういうことだわ。私にとって、本人がどんな力を持っているかはあまり重要でないの。だって、私がこんな得体の知れない力を持っているんですもの。大切なのは、本人がどういう人なのか、それだけだわ。」
そう、私にとって大切なのは、その人の為人だ。そちらに比べれば、その本人がずっと隠している秘密の内容なんて、はるかにどうでもいいことに思える。もちろん、そのことについて悩んでいる本人に、軽々しく言える類いのことではないが。私はとにかく、そう思っているというだけの話。
「貴女が竜騎士って分かったところで、感謝こそすれ、嫌ったりしないわ。」
そこで、自分の言葉に引っかかりを覚え、私は首を傾げた。……何かが足りない。
ーーああ、そうだ、これを言わなければ。
言うべき言葉をすぐに見つけ出した私は、一呼吸置いた後、再び口を開く。ゆっくりと、はっきりと、気持ちが伝わるように。
「……いいえ、むしろ貴女が私の竜騎士で本当に良かった。いつもありがとう、リーザ。貴女さえ嫌でないなら、これからもよろしくね?」
「……光栄です、姫様。私は貴女に、貴女だけに、忠誠を誓います。これから先も、ずっと。」
そう言って、リーザは泣き崩れた。
私もリーザの隣に膝をつき、彼女をそっと抱きしめる。
震える彼女を抱きしめながら、私はそっと窓の外を見やった。夜の空の色は、既視感を覚える。頼りになる濃紺の髪の色。月が高く昇ってもまだこの寝室に戻ってこない、彼のそれを思い出しながら、リーザにも聞こえないよう、私は口の中で小さく呟いた。
「隣を歩きたいのに、遠いわね。私はまだ、守られるだけの側なのね……。」
王妃の牙となるリーザを、私に紹介したのはグリオールだった。グリオールの中で、リーザは緊急時に私を守る砦の一員になっているに違いない。
グリオールは有能な宰相の話を自慢げにしていた。そしてまた、彼のそばには同じく有能なグレルさんがいる。だからきっと、舞踏会の事案はグリオール本人の手を煩わせるに及ばない。
では、彼がここになかなか帰ってこないのはなぜか。それは、舞踏会以上に調べを要する、グリオール自身が動き回らなければならないような、厄介な事案があるからだ。そして私は、そこに関わるべきではないと判断されているから、牙のリーザとここにいる。
もちろん、普通の花嫁であれば、自分に愛想を尽かされたのではないか、という考えになるのであろう。しかしながら、私はまだ彼から愛をもらえるような存在でもないし、左手の刻印から流れてくるグリオールの魔力は、私が寂しくないよう、私を柔らかく包んでくれている。忙しい中で、私のことを気にかけてくれている証拠だ。だから、普通の花嫁が起こしがちな気持ちのすれ違いは起こらないだろう。……けれど。
私はまだ、彼の隣に立つには弱いということが、私を焦らせ苦しめる。夜空ほど、グリオールは遠くて、私はいくら高く飛んでも追いつかないのではないかという気すらする。空に手が届くことは決してないように。私の手も、彼に届かないのではないか。
そこまで考えて、私はそっと夜空から視線を外す。リーザを抱きしめながら、彼女の燃える赤色の髪を、私はただ撫で続けていた。




