4.動き出す竜の王 (グリオールside)
俺は中庭から出ると足元に転移用の魔法陣を出した。この転移陣、昔は苦手な部類の陣だったのだが、それも本当に昔の話だ。汎用性があるこの陣は、今では欠かせないものになってしまい、精度も100年の間に極めてしまった。
その魔法陣で、俺は一呼吸の間に執務室へと戻る。普段から使用している椅子に腰掛けると、俺は静かな声でこの国の頭脳を呼んだ。
「レヴィー。」
「ここに控えております。」
応える声はすぐに返ってきた。声の方をみれば、部屋の隅にレヴィーが控えている。
目が合うと、奴は策謀らしいニンマリとした笑みを浮かべた。
「一の魔術師のところへ行っていたとか。そろそろ何か情報を得てくる頃だろうと思いまして、5分ほど前からここに控えておったのです。」
レヴィーは俺の腹心の部下の1人だ。奴よりも頭が切れる奴はそういない。三十路のくせに少しの遠慮もせずニヤニヤ顏を浮かべる奴は、このように考えが平気で常人の何歩か先を行く。まるで未来が見えているかのように。
しかしそれが人の世では凶と出たらしい。奴はこれほどまでに資質がありながら、道端に転がっていた。俺はたまたまそれを見つけた。奴は齢8歳だった。
8歳で、自分の置かれた状況を正しく理解し、そこにただ転がっていた。俺を見る目は、その時から変わらない。面白い、興味深いものをみるような、そんな目だ。
「ならば話は早いな。仕事だ。ルルの生まれをもう一度洗い直せ。正確な情報を集め直せたなら、今回の不手際は不問にする。」
「ふむ、やはり手抜きをするものではありませぬな。まさか陛下が見初めるほどの御令嬢だとは思わなかったゆえ、」
長くなりそうなレヴィーの物言いに、俺は思わず顔をしかめて言う。
「釈明は聞かんぞ。」
レヴィーはそれに素早く反応した。ニヤニヤとした笑みはそのままに、おどける様に目を丸くして。その姿は、どこかの高等魔術師に似ているような気がした。
「いいえ、いいえ、聞いていただかなければ。この私が中途半端な報告をしたのは、あの短期間では調査しきれぬほどの大きな謎にぶつかってしまったからなのですよ。あの時は、他の候補の調査もあったため、"生まれが貴族でない"ことだけを確認して諦めざるを得なかった。」
「……お前は彼女がアレクスファー家の令嬢だという事実を知っていて、なおそれを言っているのか?」
「ここの老害共が煩くなると厄介なので黙っておりましたが、ええ、ええ、彼女は正真正銘、出自不明なのですよ。ストーレンス公爵家の養女となる以前の戸籍上は、アレクスファー子爵家の子女となっておりました。が、どうやら真に子女ではないようだ。」
俺は表情には出ぬよう静かに驚愕する。レヴィーの好物は俺の表情の変化だと知っているからだ。おかげで、俺は随分ポーカーフェイスが上手くなった。もっとも、ルルの前ではそんなもの、意味をなさなくなってしまうのだが。
少々話が逸れた。ルルはアレクスファー子爵家の娘ではない。これが真実という確証はないが、レヴィーの情報収集能力はかなり信頼の置けるものだ。奴の情報が間違っていたことは、奴を側に置いてからおよそ20年間、ただの一度もない。ということは。
「お前のその話が本当なら、ストーレンス公爵家はもちろん、ルルも真実を知らない……?」
「でしょうな。王家に入るものとして、今は亡き子爵家生まれのことを気にしているあの様子からそれは容易に察せる。」
ふと、脳裏に蘇る声があった。涼やかな少年の、しかしどこか年長者の威厳も含んでいる、そんな声が。
『陛下、キミにルル=アレクスファーの素性を秘密裏に、けれど徹底的に調べてもらいたいんだ。おそらく彼女、アレクスファー家の生まれじゃない。』
『どういうことだ。』
『彼女はちょっと特殊が過ぎる。ボクらとは違う、もっと別の力が働いている気がするんだよ。それこそ、生まれた時からこの力を持っているような、ね。』
『……分かった。何か分かれば報告を寄越そう。ただし、それでルルを傷つけるようなことがあれば……』
『分かってる。十二分に留意するよ。キミもこの話、厳重に管理してよね。』
『ああ。』
普段のおどけた様子が一切なかった凍れる道化師。彼も、レヴィーの報告と同じようなことを言っていた。ということは、この報告は信憑性が高いとみて良いのではないか。
そこまで考えて、俺はルルを思うと胸が痛んだ。
あんなにも、アレクスファー家の夫妻を本当の父母として愛していた。だというのに、夫妻は真の父母ではないという事実が発覚し、そしてそれを知った時、彼女はどう思うだろう。
絶望、という二文字が頭をよぎる。彼女は力を持つ自分を恐れていた。その上、どこの子かも分からないという話にもなれば、自分の存在を見失う理由としては十分なように思える。だから、俺もウィルも互いに念を押したのだ。彼女が壊れてしまわないように。
無知は確かに罪だ。けれど心を壊してまで知を求める必要はあるのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。自分を見失ってまで真実を知れなどと、そんなことは言えない。誰しも、自分という存在を確定するための、絶対に超えてはならない一線というものを持っているのだから。
「……して、その謎のご令嬢を陛下が正妃にするというものですから、私も此度調べ直してみることにしたのです。」
レヴィーのスルスルと流れるような言葉に、俺はハッと我に返る。自身の中にすっかり沈んでしまっていた意識をレヴィーに向けると、奴はひょいと肩を竦めてみせた。俺はそれにただ笑みを浮かべる。
「さすが、仕事が早いな。」
「先回りをして貴方の手を煩わせないことが、私の役目ですから。」
飄々とした態度でそう言うレヴィーに、先を続けるよう目で促すと、奴も心得たというように口を開いた。
「テナの村にいた者の親戚が、こういう話を聞いたそうです。『アレクスファー子爵家の奥方が、女の子を拾ってきた』と。この女児、件の令嬢と判じて間違いないでしょうな。」
「その先は?」
「どうしても手がかりがなく、追えませんでした。ただ、一つだけ紐解けていない証言が御座いましてな。奥方は屋敷の者に『氷の女神様がこの子を授けてくださった』と申しておったそうです。何か関係があるとはぼんやり思うのですが、私には一体何のことやら。」
氷。その言葉が気にかかる。俺は目が細まるのを感じた。
鋭く研ぎ澄まされる六感が、そこに核心があると告げる。言わずとも俺の意図を正しく汲み取る有能な臣下に、俺はただ一言、
「調べろ。」
とだけ言った。
それだけで、やはりレヴィーには伝わったらしい。わざとらしさを含みながらも恭しく礼をした。
「御意に。そう仰ると思いまして、現在城内の文献を漁っておりますゆえ、明日の夕暮れまでには報告書をまとめられましょう。それまでしばしお待ちを。」
俺に向かって頭を垂れる有能な臣下を見ながら、俺は奴を見るたびに胸の内で燻っていた思いを吐き出した。
「……お前に人を治める力さえあれば、この席くれてやったものを。」
もう50年もすれば、レヴィーが生きていたとしても、臣下の座を退くしかなくなる。若輩者の俺を残して、この恐ろしく有能な臣下はいなくなるのだ。
殊更に短い、人の命。
出会ったときのルルのあの瞳に、俺はその儚さと美しさを見た。竜の眷属であるが故に1000年弱の時を生きる俺との違いを。
儚く強く在るのは人。それは竜にはないものだ。
物思いに耽る俺に、レヴィーは何を考えているのか察したのかもしれない。奴にしては気味の悪い、幾分か労わるような声を出した。
「仮に私が貴方と同じ長命の存在だとしても、どのみち私には臣下の器量しかないですからな。」
「そういう話じゃない。お前が俺と同じ存在では意味がないだろう。お前たち人の世を、俺たちのような竜が治めているのが間違っていると言っているんだ。」
この国を統べたのは祖父だ。祖父はなぜ、そのようなことをしたのか。歴史書には、強大な力を持つ竜がこの国を統べ、そこから全てが始まったとしか記されていない。
「人は弱い。貴方方のような、絶対的な力を持つ方に、全てを押し付けたかった。人の総意は……私も含めて、こんなもんでしょうよ。」
「だろうな。人間側の話をしているんじゃない。それを分かっていてなお、祖父はそれを良しとした。父上も謀反の時全てを明け渡してしまえばよかったのに、それをしなかった。それが、間違っていたんじゃないかと俺は思うんだ。定命の者が治めてこそ、意味があるんじゃないのか。」
執務室に沈黙が落ちる。
いつの間にか話し込んでいたらしく、部屋は薄暗くなっていた。俺は意識だけで部屋に灯りを灯す。ぼんやりとした控えめな橙色の灯りは、室内の空気をガラリと変えた。
そのままお互い沈黙していたが、レヴィーはこういった時間が好きでないことは知っている。案の定、少し明るくなった室内に、レヴィーが手を叩く軽い音が響いた。
「そうですぞ。すっかり忘れておりましたが、4日後に控えていた舞踏会、いかがいたします? 取りやめますか?」
「いや、行う。が、名目を正妃決定の祝賀会という名目に変える。……頼むぞ。」
その言葉にレヴィーは珍しく瞠目する。それもそのはずだろう。
俺は今まで、敷かれたレールの上を走るような治世しか行わなかった。俺は半ば、諦めていたからだ。このどうしようもない城を、救いようのない臣下共を、そしてその統治に甘んじるこの国を。
けれどルルが側にいてくれると、力を貸してくれるというから、この国を捨てるのはまだ早いと思えるようになった。ルルのように、良い国を望み、その為に力を尽くしてくれる者が僅かでもいるのならば、それに報いたいと思うようになった。そのために、俺はこの国を変えなければならない。
「……ようやく、ですか。畏まりまして。警備の案はグレル殿と相談して出します故、陛下は最終確認をお願いできますかな。その他、必要な案は私が出しましょう。……貴方は、やることが多くあるのでしょう?」
俺は口角を上げて頷いた。その様子にレヴィーは満足気な表情を浮かべた後、頭を垂れる。奴はそのままスルリと猫のような優雅さでこの部屋を退出した。
ーールル。俺は君が生きるこの世界で共に生きたいと思ったから、そのために君が住み良いと思える国を作りたくなったから。
だから俺は君のために、この国を変えてみせよう。
そんな決意を胸に秘めた俺は、手を一振りして部屋の灯りを全て消した。座ったまま魔力で窓を開け、既に日が暮れてしまった外の闇夜の景色に溶け込む黒羽の鳥を放つ。
先ほどのルルの出自についての情報を運ぶその鳥には、いくつかの細工を施してある。まずあの鳥は、ウィルの魔力にだけ反応して書面に姿を変える。つまり彼以外は鳥を情報という形に変えることができないということだ。更に満を持して、文面には500年のキャリアを持つウィルにしか伝わらないであろう古代語の暗号を用いた。
閲覧の状況と処分に関しては、向こうに任せて問題あるまい。
「ーーさて。グレル。」
声を張り上げずとも、魔力をのせて言葉として零すだけで、グレルはそこに音も無く現れた。俺たちは光に困らない。暗い部屋の中でも、お互いの顔がはっきりと見える。グレルはその口元に、不敵な笑みを浮かべていた。鮮やかな色合いの髪は、開かれたままの窓から吹き込む風で、静かに揺れている。
「やっとか。」
「ああ、永く待たせた。掃除を始めよう。」
「……そうこなくっちゃな。お前はやっぱり、祖父さんそっくりだよ。」
俺はそれに何も返さなかった。グレルも返事は期待していないのか、それだけ言い置くと暗闇に溶けるようにその場から消える。
俺もまた、もうここに用はない。そろそろルルが帰っている頃だ。俺たちの部屋に戻らなければ。
俺は静かに立ち上がると詠唱なしで転移用の魔法陣を出現させた。息が空気に溶けるように、俺の姿も魔法陣とともに闇に溶ける。
ーールル。
そう愛しい我が妃の名を唱えるだけで、底無しに力が湧いてくる。彼女のためなら、俺は何でも出来るという気がするのだ。
闇と静けさが支配する部屋の中で、窓から差し込む月の光と涼やかな夜の風が、寄り添うようにしてその存在を美しく主張していた。




