凍てついた者達(4)
突然そう言った私に、セルヴェさんは予想通りの声をあげた。
「は? どういうことだよ。」
「……私も今気づいたのだけれど。私は理解することも、理解してもらうことも、半ば諦めてしまっているのかもしれない。他人と自分の考えは違う、という言葉は、酷く冷めているようにも聞こえるもの。」
そして私は、その言葉を正しくその意味で使っていた気がする。確かに、当事者間では不快かもしれないが、考えを押し付けること自体は理解してもらうことを望む行為だと思うし、それに反発するということは、きちんと相手の言うことを理解して、それが自分の考えと違うから反発するということであって。
私のように、相容れない者の話をそもそも違う考え方をするからと流すことは、恐らく初めから相手を理解する気がないということと同義なのではないだろうか。とにかく、理解するということに怠惰なのは間違いない。
「よく言うでしょう? 好きの反対は嫌いじゃなくて、無関心なのよ。」
そんな私の言葉に、セルヴェさんは一瞬ピクリと揺れる。そして聞き取れるか否かというくらいの小さな声で呟いた。
「好きの反対は……嫌いじゃなくて、無関心……?」
そう呟いたセルヴェさんが、徐に腕を持ち上げたかと思うと、その手で自分の顔を隠すフードを掴んで、ぐいと後ろに追いやった。
私の視界に突然現れた、氷像同様の色形をした、けれど確実に生気のある、不思議なセルヴェさんの顔を見て、思わず私はビクリと震えてしまう。そんな私を見たセルヴェさんは、僅かに顔を歪め、苦々しく言った。
「……そうか、そういうことかよ、ウィル。」
この場にいないウィルさんに向かってそう言うセルヴェさん。セルヴェさんは大きく息を吐いて、強張っていた肩から力を抜く。そして氷硝子のような瞳を私に投げかけて、彼はポツリポツリと話し始めた。
「俺の、姉さんさ。二番目だから、心が凍ってるんだ。心が凍ってるってことは、姉さんは俺も見てもなんとも思わない、唯一の女ってことになるんだけどさ。」
その事実に私は驚愕した。姉弟揃ってこの力を持つことがあり得るのか。この力は遺伝じゃないはずだから、きっとそれは、何万分の一ほどの奇跡と言っても過言でない。
「普通の女は、ほら、俺の姿を見ると化け物か幽霊でも見たような顔するだろ? だから俺は、それを見たくなくて、俺に怯えない姉さんに依存して、姉さんとばかり話してるんだ。」
そこでセルヴェさんは一度言葉を切ると、天井を仰ぎ見た。少年の背格好で、尚且つ氷の身体を持つ彼のその様子は、とても儚く、そして脆い。
そんなセルヴェさんは天井を……正確には首を後ろにそらして虚空を見つめたまま、話を続ける。
「でもそれってさ、つまり姉さんは俺に無関心だってことなんだよな。ああそっか……。」
吐息に近い言葉をもらしながら、セルヴェさんは天を仰ぎ見る。何かを悟った様子のセルヴェさんは、感慨に耽るように、自らと向き合うように、スッと静かに目を閉じた。
「俺、寂しかったんだな。姉さんに、ちゃんと俺を見て欲しかったんだ。
だって、他の女は俺を見て怯えるのに、姉さんは俺を視界に入れていても、本当の意味で俺を見てないから怯えない。だから姉さんの側を、この姿のままうろついてばっかいるんだ。200年も。」
私は思わず胸の前で自分の両手をキツく握りしめてしまった。セルヴェさんの"寂しい"という言葉が、哀しいほどに切実だったから。
ーー寂しい、か。
心の内で反芻したその言葉は、私の中に痼りとして残った。
「ウィルは心配してくれたのかな、そんな歪んだ関係を。ヘッタクソな言い方だよなあ。器用に見えてホント不器用な奴。」
そう悪態をつきながらも、笑みを浮かべるセルヴェさん。その笑みは苦笑に近い。そのことから私は、セルヴェさんは寂しいという感情を受け入れるための痛みを堪えているのだと感じた。
「セルヴェさん……。」
それに対して、相変わらず気の利いたことが言えない私は、もちろん何を言えばいいか分からず、ただこんな風に気遣わしげな声を出すしかできなかった。
そんな私の声に、セルヴェさんは面食らったような顔をする。
「ンな顔すんなって。俺が話し出したことなんだしさ、あんま気にすんなよな。俺、女の慰め方なんて知らねえぞ?」
そう言われてもすぐには晴れない私の顔に、セルヴェさんは数秒顎に手を当てて思案した。うーん、と少年らしい声でしばし唸った後、何か思いついたようで思い切り音を立てて手を叩く。
「よし! じゃあこんな話を聞かせた詫びだ。しゃーねーから、俺が生み出したとっておきの技……人の視界から姿を消す技を教えてやるよ!」
そう勢い込んで言われて、今度は私が面食らった顔をする番だった。思わず、ふふっと小さく笑いが漏れてしまう。幸い、セルヴェさんには気付かれていないようだが。
だって、まるで男の子同士の喜ばせ方みたいではないか。兄貴分が、泣かされた弟分を泣き止ませるために、ヒーローが悪を倒す時に使うちょっとカッコいい技を教えてやる、みたいな。
「こんなだけど、俺だってお前よりずっとずっと長生きしてるんだ。こんなダッセェとこばっか見せてらんねえだろ?」
大きく広がっているローブの袖を捌き、腰に手を当てて胸を張るセルヴェさんに、私は緩く微笑んでいた。私よりずっと年上のはずなのに、仕草が一々微笑ましい。それこそ、彼の見た目など気にならないほどに。中身がこうだと、怖さも良い意味で半減だ。
氷の目を輝かせてこちらを見るセルヴェさんに、私は少し苦笑しながら言った。まだ、私は力を満足に使えないだろうということを、伝えなければならないから。
「でも私、まだこの力を満足に扱えないと思うわよ。だって、それを今後、ウィルさんに教えてもらう予定なんだから。」
「そっか。なら理屈だけ教えといてやるからさ、きちんと力を扱えるようになったらやってみな!かなり便利だぜ?」
確かに、人の視界から姿を消す、つまり自分の姿を見えなくする技は、ぜひとも習得しておきたい。日常や厄介事に巻き込まれた時など、使い所は多くありそうだ。
「うん、じゃあお願いするわ。」
「よっし、任せろ! まず、俺らが持つ力を扱うには、いかに具体的なイメージを持つかってのがかなり重要なんだ。」
きらり、と陽の光を受けて反射する氷の指を立てながら、セルヴェさんはそう説明を始めた。少年が得意げな様子は、やはり見ていて微笑ましい。
「で、この技は"氷鏡"って名前付けたんだけど、まあ氷の鏡だな。反射を利用して自分を透過する……ってか、景色に溶け込ませる。だからやっぱよーく見られるとバレるんだよなあ。」
「何だか難しそうね。」
「いや、力を使えるようになれば多分そんな難しくねえよ。イメージとしては薄めの透明な氷の膜を自分にかける感じだな。そのイメージ通りに力が使えれば、後は氷の膜の面と空気面の境界で起こる全反射がなんとかしてくれる。」
……やはり私は、もう彼らは氷の魔術師という呼び名でもいいと思う。魔法とは違う氷の力と言っても、結局面倒な理屈を理解して力を使っているのだから、大して魔術師とは変わらないではないか。
私は遠い目をしながら難しい理屈にぼんやりと霞む頭でそんなことを思い、セルヴェさんの言葉を聞いていた。えっと、つまり、私の姿はすぐ外側を覆う氷の膜の面に反射されて、外側から見えなくなるということか。自分で自分の体を見ることはできるけど、相手はできない、ということで合っているだろうか。
大急ぎで脳内を整理する私を余所に、セルヴェさんは講義を続ける。
「ただし、これは自分に注目されていない間だけ有効だ。要はあれだ、誰かと話してる時、周りの他人は景色だろ? この力は、そういった思い込みの力も結構借りてる。だから、氷鏡を使うときは絶対に目立つなよ。」
何だか、氷の力の話をしているときは、口調は違えどウィルさんそっくりだ。セルヴェさんの生きた200年の間に、どれだけウィルさんの講義を聞かされてきたかがよく分かる。
そう思った直後、部屋に響いた声があった。脳内でも、噂をすれば影である。
「へえ、そんな使い方も出来るんだねえ。ボクはその辺りは魔法でやっちゃうからなあ。魔法の方が、色々効果を重ねられるしね。透明化と痕跡消しと消音の魔法をかければ、ぶつからない限り動物にだってバレないし。」
響く、と表現したが、まさにその声は部屋に響いていた。それでも音源というものはあるようで、声の元を見てみれば、丁度何もない空間に白銀の魔法陣が浮き出ており、そこからウィルさんが出てくるところだった。
ウィルさんは、どうやら先に声だけ飛ばしたらしい。ウィルさんがおっとりと話す内容を聞く限り、私とセルヴェさんの話は聞かれていたようだ。
一拍おいて、ウィルさんの背後に黒い魔法陣が現れたかと思うと、そこからはグリオールが出てきた。何だかもう驚くのも馬鹿馬鹿しくなってきて、私は白い目で彼らを見つめる。ドアがあるのだから、ドアを使って入ってこいという思いを込めて。
「けどこいつには翼があるんだろ? それと組み合わせれば、案外バレねえと思うぜ。」
セルヴェさんも慣れているのか、突然現れた二人に対して特に反応を示すこともなく言葉を返す。同じく当たり前のように、ウィルさんはそれに反応した。
「ああなるほどね、確かにそうかも。飛べば足跡も匂いも残らないしねえ。いいなあ、便利で。」
氷の魔術師として私は覚醒したのに、この空気についていけないと感じる私は変なのだろうか。いや、まあ、それも人それぞれということでいいのだろう。私の神経も大分、図太くなったものだ。
「そういえば、お前らは一体何の話してたんだ?」
ふと思いついたようにそう尋ねるセルヴェさんに、ウィルさんはからりと笑いながら一言言った。
「ナイショ。」
確かに、話はした。けれどそれを私たちに話すつもりはない。ウィルさんの言葉を意訳すると、そういうことになるのだろう。私もかなり、ウィルさんの言いたいことがすぐ分かるようになってきた。
セルヴェさんもそれが分かったようで、諦めたようなため息を一つ零す。それにウィルさんはクスリと笑い声をもらすと、空気を入れ替えるようにパンパンと手を叩いた。
「さあさ、ボクの簡潔で適切な説明のおかげで、時間がたくさん余っているよ。」
明るい声のウィルさんに、私もごちゃごちゃと迷走しそうになる思考回路をリセットする。さすがは道化師、観客の思考操作も思いのままらしい。
「ルル=アレクスファー、キミは最低でも、特別に与えられた力ーーキミの場合は飛行だけどーーを使いこなして、ついでに自衛も出来るようにならないと。」
「違いないわね。」
「じゃあ、場所を変えよう。……ボクの指導は厳しいから、覚悟しながらついておいで。着いたらすぐに始めるよ。」
にこりと笑いながら発されたその言葉に、ぶるりと震える氷の身体が目に入った。セルヴェさんの表情が、非常に言い難いものになっている。セルヴェさんもウィルさんの指導を乗り越えたと考えるのが普通であろうから、その指導はセルヴェさんの様子を見る限りだとどうもかなり過酷らしい。私は少しげんなりして頷いた。
ーーどうしても、やらなければならないのだから仕方ない。
私が覚悟を決めたのは思いの外すぐで、ウィルさんに案内されてきた中庭に着く頃には、既に腹を括っていた。
「ルル。」
低めの心地よい声が耳に届く。視線を声の方にやると、夜色の髪を風にさらりと揺らす、グリオールがいた。真っ直ぐこちらを見つめる高貴な紫は、複雑な感情をないまぜにしているようだ。
「俺はやることができたから、城に戻る。……ここにいても、俺は何もしてやれないしな。」
そんなことはない、と言うために口を開きかけたが、私はすぐに口を噤む。私としては、彼がそばにいてくれるというだけで心強い。しかしきっと、その言葉は彼にとって気休めの言葉にしか聞こえないだろう。だから。
「ありがとう、グリオール。」
そう言うと、それが正解だったらしい。グリオールは嬉しそうに、美しく微笑みながら一つ頷くと、踵を返して出口へ向かった。私はそれを見送ってから、ウィルさんたちの方に向き直る。
グリオールはグリオールのやるべきことがある。私にも、私のやるべきことがある。
「さあ、始めましょう。」
貴方との未来に少しでも繋がるのなら、どんなに辛いことだって私は耐えられる。私は、もっと辛い……孤独という仄暗い感情を知っているから。
そんな私をみて、ウィルさんはとても不敵な笑みを浮かべて頷いた。




