凍てついた者達(2)
「それでね、氷の魔術師についてのことだけど。」
と、唐突にウィルさんはこちらを向いてそう切り出した。なお、講義がキリのいいところまでいったかどうかは定かでない。すぐ隣でセルヴェ=リアさんが素っ頓狂な顔をした後、すぐがっくりと肩を落としているのを見ると、おそらくウィルさんは自分の講義に飽きたのだろう。
ウィルさんの気まぐれはいつものことと割り切って、私とグリオールはウィルさんの話を聞く態勢をとった。セルヴェ=リアさんもウィルさんの気まぐれには慣れているようで、すぐに顔を上げたものの、何か思うところがあるのか若干そわそわしている。
「そうだね、まずは氷の魔術師というその名称について話そう。この名称だけどね、実はこれも俗世の人々がつけたボクらの呼び名なんだよ。ボクは正直なところ、この名称は何だか本質を隠しているようで好きじゃないんだけどね。」
「本質? 氷の魔術師の?」
本質とはどういうことか、と眉を顰めて問う私に向かって、ウィルさんは軽く頷いた。彼のアイスブルーの瞳は、感情を窺わせない冷たい色をしている。
「ボクらは元々、魔術師になる運命のためにこの力を得たわけじゃないんだよ。その証拠に、ルル=アレクスファー、キミははっきり言って普通の魔法を扱う適性が少しもない。」
「……。」
「ああ、そんなにしょげないでよ。氷の力を扱うことと魔の力を扱うことは、本来全く別次元の話だからねえ。ボクらの内でも、魔法を扱う適性があるのは、ボクと5番目くらいかな。」
……まあ確かに、魔法やらそれに関するなんやらのあまりの意味不明さに、魔法についての適性がないとは思っていたが。分かっていたけれど、その事実を突きつけられた私は素直に肩を落とした。
武術の才が無いものと同じように、私には魔術の才がなかっただけの話だ。そこまでへこたれることでもないだろうと、私は自分を無理矢理元気付ける。どの道、ウィルさんが言うように、魔法が使えなくったってこの力さえ使えればとりあえずは問題ない。訓練すればこの力で自衛できるとのことだし、私はそれでいいと思っている。
「とにかく、そういう訳だから、氷の魔術師という呼び方は語弊があるとボクは考えてるってことさ。"凍てついた者達"と、呼ばれる方が言い得て妙だろうなあ。」
「どういうことだ。」
問いかけたのはグリオール。艶やかな深く濃い紺の色を肩に散らしながら、紫の瞳をスッと細めた。凍てついた者達、という言葉に私も少し身構える。私もその、"凍てついた者達"の一人のはずだから。けれどその意味が私には掴みきれない。相変わらずウィルさんはぼんやりとした言い方ばかりする。
ただよくよく考えてみれば、齢19の私が齢500の人の言っていることを十割理解できる方がおかしな話だ。ウィルさんも、彼の考えが通じていないことは十分分かっているようで、その後にきちんと説明をしてくれた。
「この力は後天的だと言ったろう? この力を得るのと引き換えに、ボクらはそれぞれある部分が永久に凍てつく。」
だから、"凍てついた者達"。
そこで私はあることに気がつき、ハッと思案の海から浮上する。私は目を見開きながら、およそ普通の人とは思えない不思議な身体を持つセルヴェ=リアさんに視線を移した。
「ーーまさか。」
「そう。セルヴェは身体が凍てついた。だからこの身体なんだよ。」
なるほど、これはウィルさんがセルヴェ=リアさんを呼ぶわけだ。確かに、この人が目の前にいなければ信じられなかったかもしれない。
否、セルヴェ=リアさんが目の前にいても、正直私はこれは夢なのではないかと半分思っていた。でなければキツすぎる。人の形をして、感情がある風で、人らしく動いているのに、それは冷気を放つ氷の結晶だなんて誰が信じられるだろう。
私の動揺した胸の内を読み取ったのか、セルヴェ=リアさんは先ほどよりもずっと落ち着いた声でウィルさんに話しかけた。
「そういうこった。さあウィル、もういいだろ。奴らが困ってる。また必要になったらいくらでも見せてやるからさ、とにかくローブを返してくれ。」
そう言ってセルヴェ=リアさんはウィルさんからローブを受け取ると、それで自身をすっぽり覆ってしまった。背格好はウィルさんと同じくらいだから、彼自身はそんなに大きな体躯ではないものの、ローブは全身を深く覆うもののようだから普通のものよりもずっと大きい。
セルヴェ=リアさんが不思議なその身体を隠すのと同時に、私は自分の身体からフッと力が抜けるのを感じた。強張っていたらしい肩が少し痛い。それと同時に、セルヴェ=リアさんを視界から外したがっていた自分に気づいて、私は自己嫌悪に陥った。
そんな私に、セルヴェ=リアさんがローブ越しに声をかけてくれた。
「そこの6番目、あんま変なことを考えんなって。それは生理反応だから仕方ねえよ。俺だって鏡で自分の姿を見るのは得意じゃねえもん。」
聞こえてきた声は、ローブを纏っているせいで幾分かくぐもっていて。それでも本当に気にした様子がないようで、私は何だか、言葉で言い表せないような複雑な気持ちになった。
ウィルさんも何か思うところがあったのか、普段の彼からは考えられないような、優しく労わる声を発した。それはウィルさんが得意な冗談でもなく、誰かをからかうものでもなく。ただただ本当に、労わるだけのものだった。
「セルヴェ、いつも悪いね。キミにはいつもこの役回りばっかりさせている。」
「分かってやらせてるとこがお前はまたタチ悪いんだよなあ。別にもうなんとも思ってねえから気にすんな。……ようやく、なんだろ?」
不思議だ、と思ったのは、セルヴェ=リアさんの声音のそれにも、労わる色があったこと。
セルヴェ=リアさんの"ようやく"は、その音の色を聞く限りだと、凍てついた者達に対しての"ようやく"ではなく、ウィルさんに対しての"ようやく"のように思える。そしてそれは、ウィルさんへの思いやりの色を多分に含んでいる。
その言葉を言われた側であるウィルさんは、ただ静かに、けれど噛みしめるようにしっかりと頷いていた。溢れ出す激情を堪えるように少し目を瞑り、再び目を開いて話し始めた時には、その一瞬の感情の揺れの名残はもう欠片も見られなかった。
「それでね、ボクらはセルヴェと同じように、初めの者は魂が、2番目の者は心が、3番目の者は頭脳が、4番目の者は身体が、5番目の者は感覚が、そして6番目の者は自由が、それぞれ永久に凍りつく。場所が異なるだけで、必ずどこかは凍てつくんだ。
テナの村はあの頃のキミが知りうる限りの自由な世界だった。だからこの力が持つ運命のようなものが、キミの自由を壊したんだよ。」
嘘をつけない人から告げられたその事実に、私はか細く鳴いた。
「ーーそんな。」
かたかたと小刻みに震え出す身体を、グリオールにぐっと引き寄せられ、私は彼の胸の中に収まる。いつもは羞恥に赤らむところだが、今はそんなことどうでもよかった。
ーー私が、私のせいで、テナの村のみんなは……?
じわりと目頭が熱くなったところで、ウィルさんの呆れたような声が部屋に響く。
「……ちょっとお若い陛下、そんなに睨まないでよ。うっわあ、ホントおっかないなあ。
ルル=アレクスファーもね、キミはいつも自分が悪いと思う傾向があるから言っておくけど、テナの大災害についてキミが自分を責めてもそれはお門違いだよ。っていうか、キミは自分に関する物事をもっとよく見るべきだ。だってさ、自由を得れば災いが起こるなんて、馬鹿げてると思わない?」
馬鹿げてる、と言ったウィルさんの声音は明らかに嘲笑……いや、儘ならない理不尽に少し苛立つような嘲りを含んでいた。
私はグリオールに抱き寄せられた格好のまま、その声音にハッと息を呑む。そしてグリオールの胸から顔を上げ、ウィルさんをしっかりと見つめた。
ウィルさんは、この運命を是としていない。与えられたものとして大人しく受け止めるのではなく、抗おうとしているようにみえる。
ウィルさんは嘲りと苛立ちといった激情を含んだ声で、それでもそのアイスブルーの瞳を私に据えたまま淡々と事実を語っていく。
「ボクみたいに魂が凍れば、魂の休息であるはずの死というものは魂の呪縛に成り下がる。心が凍れば感情はない。頭脳が凍ればその後の記憶は1日毎になくなるし、身体の場合は言うまでもないよね。感覚が凍れば暖かさや光すらも感じることはできない。自由が凍れば、キミが自由に生きることは許されない。」
けどね、とウィルさんは続ける。先ほどの固い声から一転、ウィルさんにしてはひどく曖昧で、何かを渇望するような、しかしその感情を抑えるような、妙に穏やかで優しい声で。
「でもそれって、本来はおかしなことのはずなんだ。ボクらはボクらの好きなように生きて……感じていいはずなんだから。自由を得る喜びも、誰かと共に過ごした記憶を持つという幸せも、死ぬほどの不安も。」
そうか、と私は不意に思い至った。きっとウィルさんは、生きるよりも感じたいのだ。ウィルさんが500年間感じることのできなかった、彼の言う"死ぬほどの不安"。
何百年も生き続け、そして生きるための大いなる力を持っている彼は、心が揺らぎ、平静を保つのが困難になるほどの不安というものを、"凍てついた者達"という存在になってから感じたことがないのではないか。死ぬ不安を感じないことは、すなわち生きる喜びを感じないことと同義である。
ーーそれを、そんな運命を、彼は終わらせたがっているのではないか。
「でね、皮肉にもボクらはそれぞれの力がそれぞれの運命に対抗する……といえば聞こえはいいけど、まあ実際は究極の二択を選択するための力になっている。」
「ははっ、言い得て妙だな! ……違いねえ。」
ウィルさんに呼応したセルヴェ=リアさんは、吐き捨てるようにそう言った。その声音には彼らの何百年単位の苦悩が滲んでおり、私は思わず労わるように彼らの名前を呼ぶ。
「ウィルさん、セルヴェ=リアさん……。」
私の声に、セルヴェ=リアさんはふと顔を上げるような素振りをして、真深く被られたフードの布越しに私を見た。少し首を傾げるような、見た目の年相応のその仕草に、私は複雑な気持ちになる。
「ああ、俺のことはセルヴェでいいぜ。お前の名はウィルから聞いてる。つーかそんな同情されてもなあ、お前も当事者なんだが……きっとまだ分からないよなあ。分かる前に終わらせてやりてえなあ……。」
セルヴェさんの、切実さを含んだ声に私は胸が軋むのを感じた。遠く虚空を見つめるような仕草をする彼の表情は、彼の体を覆う布のせいで分からない。私が分かったのは、私を緩く拘束するグリオールの腕が少し強張ったということだけだ。そんな風に、グリオールの小さな変化から彼がすぐそばにいると分かるから、私はある程度の平静を保ちながら彼らの話が聞ける。
なるほど、今朝グリオールが言ったように、確かにこの話は私が想像していたものよりもずっと重くて気が滅入ってしまうような話ばかりだ。
どうにもあの御仁は苦手だが、今ならあのグレルさんの軽口さえ笑って聞ける気がする。……実際、本当に笑顔で聞けるかどうかはまた別問題であるが。
「うん、もう凍てついた者は皆揃ったはずだから。ボクらはやっと動き出せる。」
ーー永かったねえ。500年だよ、500年。
ウィルさんの言外に含められた声は、確かに私に届いていた。人の機微に疎い私ですら、確かに察せられるほどに、ウィルさんの思いは切実だった。
なるほど、確かに私は20年も生きていないから、ウィルさんの切実さは分からない。けれど正体の分からない切実さでも、これだけ渇望するような響きをしていれば、胸をうつ。
私にはセルヴェさんの苦しみも分からない。自分は氷の力を持っているが結局はただの人だと信じていた私からしてみれば、何百年単位で生きている時点でウィルさんのもセルヴェさんも変わらない気がするのだが、おそらくセルヴェさんはそう思っていない。500年と200年では大きな差があると考えているから、セルヴェさんもウィルさんを労わるのだ。
そこでふと、私はグリオールを見上げた。彼は紫の瞳を揺らめかせながら、何かを深く思案しているように見える。
何百年と生きるのが当たり前である一族に生まれたグリオール。彼ももちろん、この先何百年と生きていく。そんな彼はこの話をどう思うのだろう。
だがもちろん、この場で問うことは出来ないから、私は大人しくウィルさんの話の続きに耳を傾けた。
「それで、さっきの続きだけど。例えばボクの場合は、自分の魂を、二度と生まれ変わることのないくらいに徹底的に破壊できる初めの力を持っているし、キミは地への束縛に唯一抵抗し得る、けれど飛びすぎたら空に束縛されてヒトに戻れなくなる翼という力を持った。不思議だよねえ。」




