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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第1章 花嫁候補編
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15.氷翼の少女と黒翼の青年


 ふわり、ふわり、と私たちは天地の間で浮いていた。地面と激突するのは、とりあえずのところ免れたといっていいだろう。私のこの翼が保つ限りは。


 しかしながら、私は落下は防げたもののここからどうすればいいかが全く分からなかった。というのも、私は今まで人を害する能力しか持っていなかったからである。現状のように、力を使って翼を作り上げたことなどなかった。


 しかもこの浮遊作業、思ったよりも精神力を消費するのだ。私だけでなく、私よりも体格の良いレオも浮かせているのだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど。このままだと、落ちはしないが助からない。さてどうすればいいかと私が思案していると。



「……とても美しい見事な翼だ。ルル自身を表すような、何ものかに染まることができずに苦悩する、とても純粋な魔力の波動を翼から感じる。」


「えっ?」



 実のところ、私はかなり集中してこの体勢を維持していたため、レオの話をほとんど聞けなかった。条件反射で聞き返してしまったものの、もう一度言われても聞き取ることは不可能に思われる。危機的状況下のために陛下呼びがなりを潜めるくらい、私は本当に必死だった。意識を彼に向けるだけで落ちてしまいそうなくらい、私の浮遊は危なげなものだったのだ。


 もちろん、私の腕力でレオを支えることは不可能なため、彼も同時に浮遊させるために今は個別に魔力を流し込んでいる。つまり、今の私は一秒あたり2人分の魔力を消費していることになり、大変燃費が悪い。いつ底を尽きるか冷や汗ものなのだ。人の話に耳を傾ける余裕などない。


 聞いてなくても気にしないのか、レオは半分呟くように再度口を開いた。声音から察するに、なんとなくではあるが、彼が口元に不敵な笑みを浮かべているような気がした。



「だがな、ルル。翼というものは、浮くためのものではない。飛ぶためのものだ。」



 何かまた言われた、ひょっとしてアドバイスか何かだろうか、きちんと聞いた方がいいだろうか、そう私が逡巡するのと、彼が空いている方の腕を私の腰に回してガッチリとホールドするのはほぼ同時だった。


 私は両手で彼の左手を掴んでいたため、彼は右腕をぐるりと私の腰に回して、グイと引き寄せる。私は驚愕して息を呑んだ。これでは身体の動きが制限されるわ、集中力が乱れるわで、上手く浮いていることができない。


 予想通り、ガクンと重力がかかったことを体感する。そのことに私は戦慄し、今すぐ元の体勢を戻さなくてはならないことを伝えようと顔を上げてレオを見た。彼は――とても不敵に笑んで、私を見下ろしていた。その瞳はどこか楽しげで、私は思わず目を丸くする。



「……暴れても離さないが、できれば暴れてくれるなよ。しっかり掴まっていろ。」



 そう言いながら、彼は腰に回した腕に力を込めて更に身体を密着させる。ふわりと風が下から上に舞い上がっていく感触に、本格的に落ち始めていることを悟ったが。


 ――バサリ。


 唐突にそう音がしたかと思うと、私は重力に逆らって身体が上へ上へと上がっていくのを感じた。何事かと目を見開くも、私の目の前はレオの胸板しかない。視界は彼の礼装一色だ。


 先ほどとは真逆の、空気が上から下へと流れていく感覚に、私はレオの手から両手を離し、即座に彼の背中に手を回す。レオは解放された左腕を右腕と同じ様に私の腰に回した。自己防衛本能とはこれのことなのだろうか、とにかく彼にしがみつかなければやってられなかった。さすがに私でも、彼が空気を切り裂いて天に向かっていることは容易に想像がつく。何せ私は彼に引っ張られて飛んでいるのだから。私が彼にしたように、彼の魔力で私を飛ばしているわけではない。完全に引っ張られる(てい)になっている。これが男女の差なのだろうか、それとも扱える飛行能力の差なのだろうか。私の飛行能力は言わずもがな、生まれたばかりの赤子のようなものだから、2人分の体重を抱えての飛翔は可能性として絶望的なものである。


 私たちが落ちてから慣れない空中にいた時間をおおよそで計測すると、私の体感では数時間になるが、実際には数分といったところだろう。しかもその数分の8割は私の滞空時間といってよい。残りの2割という短い時間で、レオは私を崖上まで連れていってくれた。私の身体も背中の翼も、人生初の体験にすっかり硬直してしまっており、崖上の安全な場所に降ろされて彼の腕が離れると、力が入らずにへなへなとへたり込んでしまう。


 地面についた手元を見ると、微かに震えていた。岩肌ならではの濃い茶色である土色と自分の肌のコントラストが眩しいというよりも病的だ。それくらい、驚いていた。さすがに、本当に、落ちてしまうかと思ったのだ。自分の力以外での浮遊――というよりも彼の場合は飛行だが――は、自分が操作できないだけあってなかなかの恐怖体験だった。レオにもこれを経験させてしまったかと思うと非常に申し訳ない。しかも私の浮遊は、レオのように明確な目的と完璧な制御力があるわけではなく。私は彼をいつ落ちるとも分からない状況に置いていたことに眉尻が下がっていった。


 そんな風に項垂れている私のすぐ目の前にあった大きな影が、突然膝をつくような姿勢を取る。思わず私が顔を上げると、狙ったように頭上に手のひらが降ってきた。そしてその手のひらは、私の頭を優しく撫でる。ああ、この感じだ。心がスッと凪いでいく感じはとても安心する。私は心地よさに目を細めながら濃紫の瞳と視線を合わせていたが、彼の背中に生えているものを確認すると、私は驚きに目を見開いた。



「黒い、翼……。」



 黒々と輝く、漆黒の両翼は研がれた黒刃のようだ。黒以外の色素が見当たらないことに、黒特有の暗さや禍々しさよりもむしろ美しさを感じる。私もレオも片翼はおよそ自身の身長と同じだけの大きさのため、レオの大きな黒翼は私のものよりも数倍頼もしげに見えた。


 そして、彼と私の翼の決定的な違いは、レオの翼は私の翼のように溶けない霜が羽毛の代わりをしているものとは違い、翼という骨組みがあってそこに膜があり、それが風を受けて飛翔するような仕組みになっているというところだ。私の翼の形が鳥に見られるものであるならば、彼の翼の形はまさしく竜に見られるものだった。――これが、竜王であるということ。すなわち竜の眷属であるということ。私は働かない頭で漠然とそう思った。


 レオはその紫の切れ長の目を柔らかく細めて私を見つめる。彼が私の髪を梳くために優しく手を動かす度、彼の夜色の髪はさらりと揺れる。王という威厳を纏った彼は私の目を見つめながら口を開いた。



「ルル、俺は竜王だ。そして俺と竜王の役職は切り離せない。……この話は前にもしたな?」


「え、ええ……。」



 彼が言っているのは旅の途中で言っていたことに違いない。さすがに師団長と竜王では役職の重さが違いすぎると思ったものの、私の瞳を絡め取る紫に、それ以上余計なことを考えることは許されなかった。仕方なく私は言葉に詰まりながらも、それがどうしたの、と続けようとしたが。



「君の気持ちも出来うる限り尊重したいとは思っている。けれど君の思いがどうであれ、俺はもう君を手放せないところまで来てしまった。だから……。」



 一旦そこで、夜色の彼は言葉を切る。いっそ清々しいまでの顔をしている彼の考えていることが私には全くわからない。私はただ、彼の紫の瞳を見つめながら、次の言葉を待っていた。そして彼が次に発した言葉は、私を一時停止させるには十分すぎるものだった。



「子爵令嬢、ルル=アレクスファー。現竜王グリオール=スィ=レイオールの名において、君を花嫁……、つまり正妃とすることをここに宣言する。」


「ーーっ!?!?」



 思わず耳を疑った。彼の言葉を理解することを脳が拒否してる。紫の瞳は私をじっと見据えているが、私には彼の目から彼の感情を読み取ることなどできない。そこまで人の機微に敏感ではないから。ただ彼が本気なのだということだけは分かった。


 私はどう逆立ちしたって彼とは結ばれないと思っていた。彼の感情は分からないけれど、事実上の彼のプロポーズに舞い上がらないわけはない。しかし、すんでのところで私の頭はなんとか冷えた。私が彼と結ばれないと、自分が判断した理由を思い出したのだ。私は彼のためにはならない。



「ルル、俺は君が欲しい。君を愛しいと思っている。」


「あ、のっ! 私、私は――っ!!」


「さっき君が俺を追って無茶をして、そして俺に向かって手を伸ばしてくれた君を見た時、俺が必死に抑えてた本能が、君をと叫んだ。……竜は生涯でたった一人の伴侶を選び、そしてその本能は俺らにとっては絶対的な力を持つ。――ルル、君はもう逃げられない。」



 瞳に捕らえられる、私はそう思った。猟奇的な……逃がさないというそんな意思がその目に宿っているのを、機微に疎い私でも感じ取れた。情熱を孕む彼の姿と共に漆黒の翼が視界に入り、その翼が太陽光を受けて輝く。美しいその光景に、この状況が現実味を失っていく。夢のような心地で首を縦に振りかけるも、しかしながら私は理性を総動員して、これは現実だと、決して流されてはならないと自分自身に言い聞かせた。


 逃げたいわけではない。レオに捕まるなら本望というものだ。しかしながら、彼は竜王で。そして私は罪深い咎人だ。人を平気で傷つけてきた、恐ろしい女。そんな女が彼の傍にいてはならない。


 言葉を切ったレオは、私の反応を待ってくれている。私は彼の視線を振り払うように目を閉じ、深呼吸を一つすると、彼の紫の瞳を見据えた。どうしても、言わなければならないことがある。言って、私は償いとして罰を受ける必要がある。でなければ、私は先に進めないから。



「聞いてほしいことがあるのです、竜王陛下。これはレオではなく、竜王陛下のグリオール=スィ=レイオール様に聞いていただきたいのです。そして竜王陛下としてご判断いただきたく。」


「何を言われても宣言を撤回する気はないが……聞こう。竜王として、君の話を。」



 私はその言葉にただ頭を下げた。竜王として、とは言ったけれど、彼の纏う雰囲気は変わりない。夜色の彼であることが竜王であることなのだと私は悟った。つまり、竜王陛下に聞いてほしいと私は言ったが、彼はきっと、彼が夜色である間はずっと、竜王として私と接していた。だから私が今、レオと竜王を分けて考えているのは、無意味なことなのだろう。それでもレオは、どうしても分けて考えてしまう私の思いを汲んで、話を聞いてくれるつもりのようだ。


 これだから、こんな風に優しいから、好きなのだ。そして好きだからこそ、また竜王を敬愛しているからこそ、私は彼の荷物になりたくはない。



「……私は、この力を、いつも人を害する目的で使っていました。故意にしろ無意識にしろ、それだけは動かぬ事実です。」


「……。」


「ずっと、力のせいにしていました。勝手に力が暴走するせいだと。でもそうではない。ずっと、いつだって、私の願った通りに力は発動していたんです。力を解除できなかったのも、それは単にそうする気がなかったからです。解除の術が分からないふりをしていただけ。私はこの力で幾度か人を傷つけました。それは償わなければならないことです。」


「……つまり、君を罰しろと?」



 不意に、目の前の竜王たるレオは片眉を上げ、そして不機嫌そうに眉根を寄せる。そんな彼を見ても、私は怯まなかった。怯むわけにはいかなかった。これは私の決意なのだから。そんな気持ちを込めて、私は彼の言葉に力強く頷く。



「出来るのなら。ただ力が力なだけに証拠はありませんから、もし不可能であるならば償いの方法は自分で考えます。私はもう過去から逃げたくない。きちんと向き合って、受け止めて、前に進みたいのです。短い間とはいえ、貴方と共に過ごした時の自分まで否定したくないから。」



 それだけ言うと、私は一旦口をつぐむ。言おうか、言うまいか、迷ったのは一瞬だった。崖上に吹く柔らかな風に背を押されるようにして、私は逡巡した言葉を紡ぐ。



「今はまだ、私は自分の思いを貴方に届くように伝えることを許せない。でもいつか、きちんと伝えたいと思っています。だからそのために、私はその言葉を口にできる私にならなければならないのです。」



 目の前の竜王レオは、非常に複雑そうな表情をして考え込んでいたようだが、しばらくすると詰めていたらしい息を吐き出した。その顔には、先ほどの悩ましい気配はなく、優しげな苦笑を滲ませていた。



「――分かった。そこまでいうのなら、竜王の名の下に、君に罰を与える。君曰く、前に進むために必要らしい罰をな。」



 私はただ頷いて彼の苦笑を受け流す。わがままを言ったことは承知の上だった。どんな刑罰を言い渡されても、甘んじて受けるつもりでいる。それが私の誠意だ。私は来る宣告を受け止めるべく、翼を地面にだらりと放しながら、座り込んだ姿勢のまま目を瞑った。


 暗闇の中、大きくて頼もしい手にそっと頬を撫でられたかと思うと、少し上から低い声が降ってきた。



「それでは君に罰として、俺の執務の手伝いをしながら、(まつりごと)を学ぶことを命ずる。」


「……え?」



 思わず、といった調子で私は閉じていた目を見開く。私の足りない頭では、彼の言葉の意味が本当に少しも分からなかった。言語としては通じているけれど、意味は全く理解できない、そんな感じ。


 ゴツゴツとした地面についていた私の手に、頬を撫でていたレオの手が重なる。温かい、と素直にそう思った。青く澄んだ大空も視界に入っているのに、私の意識は彼の紫色にとらわれていた。意識を彼に向けながらも、私はぼんやりと思う。


 ――いつか、この自由な大空を羽ばたける時は来るだろうか。


 信じて努力すれば、いつか目の前の彼のように飛ぶことができるだろうか。私はそんなことを考えながら、続くレオの言葉に耳を傾けていた。





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