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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第1章 花嫁候補編
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14.ロワゾー・エルグラス


 拘束された私の腕を力一杯引き抜くことによって、私の肩、もしくは肘が外れたとしても、その痛みで冷静になることができるのなら、それもいいだろう。


 私は、掴まれたことによって細かな皺が寄った純白の手袋を見ながら、そう考えていた。私はとにかくこの拘束から逃れたかった。彼の手は大きく逞しい。私の枝のような腕など片手で拘束できてしまうし、更に大して力を入れずとも身動きを封じるには足るのだろう。もしも彼が本気になってしまえば、逃れることなど絶対にできない。やるなら今のうちだ。


 そう思った私は、思い切り腕を引き抜こうとして腕に力を込める。その時、レオの顔色が変わったように見えた。しかし私は半ば自棄になっていたため、レオのその様子が目には入っていたが、全く気にならない。


 そしてそのまま力を入れて、腕をこちらに引く動作を開始した瞬間、私は彼の腕から急激に力が抜けたことをぼんやりと感じていた。スルリという効果音が適切に思えるほど、私の腕は彼の拘束から呆気なく解放される。その、刹那。


 ――ガシャーンッ!!



「っ!?」


「こ、これは一体……!?」


「……っ!!」



 耳を刺すような大きな音がその場を支配した。コンマ数秒の差だが、最初に驚き、そして反応したのはレオだった。彼は降ってきた小さく鋭い欠片から己の目を保護するために、片腕を目の前に翳していたが、すぐに体の横に戻して、天井が視界に入るまで顔を上げる。その顔には驚愕の色があった。そして続くように我を取り戻した侍従や護衛たちが目線を上げる。最後に、全てを悟った私も、確認したくない事実に向けて王城の廊下の天井をゆっくりと見上げた。


 ――パキッ、パキッ……。


 細い小枝が折れるよりも僅かに高い音が響く。そこには青白く輝く、そして透き通るような冷気を放つ、大輪の氷晶の花が咲いていた。音がなる間、その花は成長を続けていたが、皆がしばらく無言で見上げていると、やがてその成長は止まってしまう。音もなく、白く煙った冷気を放出しながら、その氷晶花はただ存在感だけを(あらわ)にしていた。


 全身がゾワリと粟立ち、体の中で荒ぶる風が、手の平に集まって、そして爆発するかのような勢いで体外に放出されていくこの感覚。私にはよく覚えがあった。


 私は上空から霜を降らす氷晶花からゆっくりと視線を逸らし、そのまま先ほどまで掴まれていた左腕に向ける。


 手袋は……外れていた。


 雪のように白く滑らかな、血の気の感じられない肌が露わになっている。私は自分の細枝のような指周りに、キラキラと光る霜を確認した。意識せずとも、空気中の水分でさえ、このように容易く凍らせてしまう。


 足元の赤い上等な絨毯は、早くも霜だけでは収まらず、毛の一本一本が凍りついてしまっていた。動けばサク、という軽い音が鳴るに違いない。


 私はそれを確認すると、脱兎の如くその場から駆け出した。これ以上狭い室内にいてはいけない。一人でいられる場所で、尚且つ広い場所にいかなくては。



「ルル!!……よせ、お前たちは追うな! 各自この後予定されていた持ち場に戻れ。これは勅命だ!」



 後ろから駆け出した私に気付いたレオの声が追いかけてくる。捕まっても構わない。罰されても構わない。けれどそれは今ではない。今はきっと、上手に捕まることはできない。周りの人を傷つけてしまう。今の私の体に、ほんの爪先程度、その程度だけの指先が少し触れるだけで充分だ。きっとその途端に、普通の衛兵は凍ってしまうだろう。


 歯を食いしばり、道慣れない廊下を駆け抜けてなんとか中庭へ出る。涙にぼやける晴天を仰いで、私は溢れでる思いを絞り出した。



「どうしてっ……、どうして私の力は……っ!!」



 ――誰かを傷つけることしかできないの。






* * * * *




 どこをどう走ったのかはあまりよく覚えていない。気づけば王城の裏手にある広い森が一望できる断崖に私はいた。足元の地面は早くも凍りつき始めている。


 一瞬だけ、あの童話――"ロワゾー・エルグラス"と言うタイトルだっただろうか――の、あのクライマックスのシーンのようだと思った。しかし、ここには王子もか弱い普通の女の子もいない。その上、ここの地面は高度が高いのか、草や花が生えておらず、岩肌が剥き出しになっている。あの童話に描写されていた、美しい花園なんて見る影もない。これは本の中のお話ではなく、現実なのだから。


 花嫁候補を収容する東の離宮と王城への境界に配備されていた兵たちは、彼らの足元にほんの少し能力をちらつかせただけで、怯えたのかそれ以上は追ってこなかった。警備兵であるはずの彼らの驚愕に満ちた顔を見ていると、少し可笑しな気持ちが込み上げてきて、私の涙は引っ込んでしまっていた。きっと、今までの花嫁候補はとてもか弱く可愛らしい存在だったのだろう。


 ふと、手元から痛痒いような刺激を感じてその部分を見ると、両手の甲に細かな傷がいくつか付いていて、そのうちの一つからは血が滲んでいた。きっと境界線を表す赤薔薇の植木を抜けてきた時に、棘か枝に引っ掛けてきたのだろう。私にとっては、傷がついていることよりも、そこから流れている自分の血がきちんと赤い色をしていることに少し驚きを感じていた。



「祝福を拒んでいるのは私……? 都合のいい言い訳……? 無意識の力…………。」



 それはこの力を制御するためのヒントたち。もう一人の"私"が言っていたこと。いや、もう一人の私なのではなく、あれも私ということになっているのか。


 私は手の甲の赤を眺めながら、誰に言うわけでもなく呟いた。声に出してみても変わらない。分からない。


 今回の暴走も、"彼女"が起こした力の暴走ではなく、私自身が無意識に呼び起こした力の暴走なのだろうか。境界の警備兵たちに力をちらつかせた時、私はきちんと力を制御(コントロール)していた。彼らの足元に小さな氷晶花を、私のイメージ通りに寸分の狂いもなく咲かせることができたのだから。



「じゃあ何よ、私は無意識のうちに、誰かを害するつもりでいつも力を使っていたということなの?」



 結果として大事はなかったけれど、三年前に暴走した私の力。シイラを害したあの空間は、"彼女"ではなく、私自身がシイラを害することを望んで、無意識に作ったということなのか。


 本当にそうなんだとしたら、私はなんて罪深いんだろう。シイラはあんなに良い子だったのに、彼女を亡き者にしたかったのだろうか。あの時、すぐに駆け寄ることができなかったのは、足が言うことをきかなかったのは、その証?


 少しずつ、本当にそうなのかもしれない、という思いが募っていく。私の力はいつだって、私の心に不都合が生じた時に発動されていたから。


 崖下が見える位置まで私は移動した。ここから落ちてしまえば、人は氷づけにするよりも早く絶命するだろう。もちろん、罪を贖わずに身投げするつもりはないが。死ぬ覚悟がない、とも言えるかもしれない。自分で自覚し、それに吐き気を催すというのに、それでも私はどこまでも自分に甘い。



「過去の罪……。無意識でも、私が犯してきたたくさんの。」



 ――……もういい、私は充分逃げてきた。きちんと話そう。私が犯した罪なのだから。


 高い位置にある私の身体を、下から風が吹き抜けていく。私の淡いライトブルーの髪は風に舞い上げられ、宙で踊った。


 戻って、自らの罪をきちんと話して、然るべき処罰をしていただくのだ。人を傷つけたのだから、私はそうしなくてはならない。いつまでも子供のように、自分の失敗から目を背け続けるわけにはいかない。私は力を使って、そして力に罪を押し付けて、自分が望んだのでもやったのでもないと、ずっと逃げていたんだ。


 そうやって全てを受け入れると、妙にスッキリした気分になった。陛下に不敬を働いたというのに、呑気なものだと我ながら苦笑する。そしてその苦笑を引っ込めた時、私の脳裏に聞き覚えのある声がほんの微かに響いた。本当に、それは気のせいほど微かだったが、しかし確かに嬉しそうな響きだった。



《やっと、やっと認めてくれた。これで私はようやく"私"と――。》



 その響きが消えていくと同時に、私は自分の体に違和感を覚えた。手先からだだ漏れだった冷気が、急速に手の内に収まっていく。収めようと意識すればするほど、冷気は大人しく内へと戻ってきた。残念ながらすでに地面は分厚い氷に覆われてしまったが、私の周囲の温度がいつもよりも暖かい。おそらく放っておけばその内に溶けてしまうだろう。


 その様子を見て、私はフッと肩の力を抜いた。


 ――戻ろう。そして私の罪を全て話そう。


 そう決意した私は、戻る前に、捕縛されて自由を奪われる前に、最後にもう一度だけ、誰にも縛られることのない自由で広大な眼下の緑を見ようとして崖際に向かって歩を進める。否、進めようとしたその時だった。



「待て、早まるな、ルル!!」



 竜王陛下の声が私の耳に届き、驚きに目を見開くと同時に、なんと彼は私の目の前の崖際に立ち塞がっていた。私の真横を通り過ぎる影も、割り込む影も、一切見えなかったというのに。



「りゅっ、竜王陛下!?!?」



 あまりの驚きに、思わず私はそう素っ頓狂な声を上げてしまった。ちなみに、私も崖際にいたのだから彼は今本当に崖際スレスレの所に立っている。なんて危険なことを、と流石に私も肝を冷やして一歩二歩慌てて下がった。それに合わせて、竜王陛下も一歩二歩崖際から離れる。そのことに少しだけホッとした。そもそも早まるつもりなどなかった。私にはその覚悟がないのだから。


 慌てて後ろを振り向くが誰もいない。彼一人のようだ。侍従の一人や二人伴っていたら、皆卒倒してしまったに違いない。そもそも、全く気配もなく、瞬きする間に私の目の前に割り込んでしまうとは、さすが竜王陛下と言ったところなのだろうか。そんなことを思っていると、目の前の尊い御仁は苦々しい様子で口を開く。



「竜王陛下、なんて呼ぶな。さっきは俺を竜王だと知ってもレオと呼んでくれたのに。」



 逃げ出すまでレオと呼んだのは、私はまだ心のどこかで、レオと竜王を分けて考えていたからだ。私が押し付けた、私の願望だった。彼は竜王ではなくレオで、ただレオとしていてほしいと。相変わらずの自分勝手さだと嫌気がさす。だから。



「……私に陛下をお呼びする資格などございません。しかしながら、もし僅かでもお戯れの情がお残りなのでしたら、どうか聞いていただきたい話があるのです。」



 私は真っ直ぐ竜王陛下を見つめた。濃紺の髪に濃紫の瞳。夜色の竜王陛下に何度対峙しても、私はやはりレオだと思う。見知った夕焼け色ではないがその本質は変わらない。そう思うけれど、言わない。私にはその資格がなくなってしまった。


 竜王陛下は私の瞳を覗き込むように、真意を探るように見つめてきた。私は逃げないと決めたから、ただ真っ直ぐ見返すだけ。しばらくの後、折れた、とでも言うかのような溜め息を一つ吐くと、いつもの、私が恋したあの優しい笑みを浮かべた。



「戯れなどというつもりはなかったのだが……分かった、聞こう。俺も君に話したいことがたくさん――ッ!?」



 言葉半ばで、ぐらりと竜王陛下が体勢を崩した。それと同時に私の丁度二歩前ほど――そこは先ほど私が立っていた場所だった――を境に、音を立てながら地面が割れていく。私も竜王陛下も驚きに目を見開いた。


 ――氷の重みだ。あるいは地面の中程までが氷によって裁断されていたか。早まる気などなかったのに、私は竜王陛下の言うように、無意識には早まっていたというのか。


 何が真実かは分からない。しかし確かに言える事実は、あそこに私が立っていたから、あそこだけ他より力の影響を強く受けてしまっていたということだ。


 私はサッと顔を青くした。また、私は誰かを傷つけるのか。今度はこの国にとって掛け替えのない御仁を。私の大切な人を。


 しかし竜王陛下は至極落ち着いていた。この後の展開など分かるはずなのに、青ざめる私を安心させようと彼は落ち着いた声で言った。



「ルル、そんな顔するな。俺は大丈夫だから。」



 そういって微笑みさえ浮かべる彼に、私は混乱してしまう。どうして、あれほどの身体能力があるのに、こちらに飛び移ってこないのだ。私にはもうわけがわからなかった。少なくとも、このままでは彼は地面に叩きつけられるということだけが鮮明に頭の中を支配していた。


 私はそれがどういうことかを正しく理解した瞬間、無我夢中で地を蹴って叫んだ。



「レオ!!!!」



 崖の外側へ飛び出すことに、私は何の戸惑いも躊躇いもなかった。ああ、きっと、童話の少女もそうだったのだろう。頭の片隅でそんなことをぼんやり考えていた。


 宙に踊り出すだけでは、レオの落ちる速度に敵わない。ならば、と私はただ宙に身を投げるのではなく、下方向に向かって速度がつくように地面を蹴った。レオの姿はすぐに確認できて、私を確認したレオも目を見開いている。


 耳には風の轟音が響き、髪は後ろに舞い上げられる。私はレオに向かって必死に手を伸ばし、この状況では絶対に聞こえないと自覚した上で、微笑みを浮かべながら私は呟いた。こんな状況で笑みを浮かべた自分に心底驚くが、心はとても凪いでいた。私はレオに向かって手を伸ばす。



「大好き。絶対、死なせないわ。」



 ――どうか私に、彼を助ける力を。


《――これが私の最後。溶け合いましょう。力を受け入れた貴女に、祝福を。》


 願いに応える声があった。見知った感覚、ウィルさんを訪れてからは違和感になってしまった感覚が消えていくのを感じた。


 レオは私に応えて、私に向かって伸ばす。私は必死でそれを掴んだ。


 その刹那、身体の落下が止まり、ふわりと浮くのを感じる。レオはまたもや目をいっぱいに見開いた。その時私は彼の濃い紫の瞳に映る自分の姿を見ることができた。


 私の背中にあるのは、見たことのない透き通るような氷の翼。それは、誰かを傷つけるためではなく、誰かを救うための、私がずっと渇望してきた力の形。


 優しい濃紫の瞳に映った自分の変化が嬉しくて、私はほんの少しだけ、泣いた。




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