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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第1章 花嫁候補編
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13.真実の行方


 リーザに起こされるよりも早く、私は朝日の差し込む自室で目を覚ました。上体を起こし、一番近くにある窓から外の景色をぼんやりと見やる。サフォーの街にいた頃の部屋とは違って、ベッドのすぐそばに窓があるわけではなかったから、今窓の外から見ることができるのは、遠くにある城下の民家の屋根と空だけだった。


 昨夜はよく眠れなかったため、顔には少しの疲労が滲んでいるかもしれない。しかしそんなことを気にしている余裕は、私にはなかった。


 今日は昼前の午前中に、竜王様と謁見することになっている。竜王様が後宮にいらっしゃる数少ない機会だと聞いた。そういう事情があって、今日は時間的な余裕はほとんどない。花嫁候補の令嬢らしく、今日は朝から準備に追われることになっているのだ。準備、という言葉が指すところを想像して、私は小さく息をついた。それと同時に扉がノックされる。この朝早い時間だ。扉の向こうの訪問人はリーザで間違いないだろう。



「おはようございます、姫様。失礼します……あら、姫様もう起きていらしたんですか?」


「ええ……なんだか寝付けなくて。」



 私が寝ていると思ったのだろう。ノックと共に入室してきたリーザは驚いた顔をしていた。しかし私の言葉を聞くと、すぐに安心させるように微笑んだ。



「不安でいらっしゃるんですね。大丈夫ですよ、姫様。竜王様は本当に、本当に素敵な御方ですから。」


「……そうね、そうよね。ありがとう、リーザ。」



 私は唇の端を引き上げて、努めていつもの笑みを見せた。これ以上、リーザに心配をかけるわけにはいかない。リーザはまだ納得いかない様子だったが、私の気持ちを汲んでくれたのか、それ以上は何も言わなかった。代わりにリーザは重い空気を払拭するように、パンパンと軽く手を叩き、朝に相応しい快活な声を出す。



「それでは姫様、せっかくの早起きなのですから、今日は腕によりをかけて準備をせねばなりませんね!! お支度はこのリーザにお任せください!」


「えっ、いえ、あの、そんなに張り切らなくても、竜王様に失礼のない程度に整えてくれればいいんだけど……。」


「まあ姫様。姫様は立派な花嫁候補でございますのよ。気持ちとしては、竜王様に見初められるつもりで参りませんと!」


「いや、えっと、私は別に……。」


「ささ、姫様、早速取り掛かりますよ! こちらにいらして下さいな!!」



 その後私は、とんでもない長風呂をさせられた。体のあちこちをリーザに磨かれ、更に念入りにオイルマッサージをされ、このお風呂だけで一体どれだけの時間を使ったことか。


 お風呂から上がれば、あれよあれよという間に次はドレスを着せられる。この城に来てからも、私は領主様の屋敷にいた頃と同じような、比較的楽な服装でこれまで過ごしてきた。しかし、今日はそうもいかない。今までの服装で竜王様の前に出るのはさすがに失礼だと分かってはいたが、こんなにドレスが辛いものだとは思わなかった。


 具体的にいえば、何が辛いかって、まずコルセットが辛い。骨がギシギシと音を立てている気がするし、なるほど、これだけ苦しくては世の令嬢が少食になるわけだ、とも思った。次にふわりと広がるドレスのデザインそのものである。はっきり言わせていただくと邪魔だ。裾が地面につくかつかないかのスレスレの位置というのは、どうしても気を遣って歩かなければならなくなってしまう。


 ドレスの後は髪を結い上げられた。これは1番楽だといえば楽なのかもしれないが、椅子に同じ体勢でなかなかの時間を拘束される。どうにか結い終わって、アップスタイルでうなじが見えている自分を鏡で見てみると、何だか不思議な感じがする。私は普段髪を結わないで、下ろして過ごしているから。


 最後に化粧を施されそうになって、そのために使われるのであろう大量の化粧道具を見たときに、私は思わず悲鳴のような声でリーザに懇願した。



「ちょっ、リーザ!! 普通よ、普通でお願い! そうね、肌とか唇とかそれくらいでいいわ!」


「あら、そうなのですか? 絶対に似合われますのに……残念ですが、姫様の希望とあれば仕方ありません。確かに、姫様の持つ素晴らしい素材は活かすべきですものね。私としたことが……。」



 最後の方はブツブツと言っていたから、私の耳には入らなかった。しかしリーザが大方の化粧道具を仕舞ったので、説得は成功したのだろう。よかった。本当によかった。


 その後、化粧は薄く簡単に施されたため、鏡の中の私が全くの別人になるという事態は避けられた。リーザは出来栄えにとても満足しているようで、鏡の向こうで腰に両手を置いて胸を張っている。私はリーザのその様子に自然に頬が緩むのを感じた。


 それからしばらくリーザと談笑する。緊張を解してくれようとするリーザの優しさが伝わってきた。私はそんなリーザの優しさのお陰で、少しだけいつもの調子を取り戻した。ちょうどその時、リーザはふと窓の外を見やって太陽の位置を確認し、そしてすぐに私に向かって微笑んだ。



「あら、もうこんなお時間。姫様、そろそろ竜王様がいらっしゃいます。客間でお待ちくださいませ。」


「……わかったわ。本当に色々ありがとう、リーザ。」


「いやですわ姫様、これくらいお安い御用です! リーザはまだまだ、これからも腕を振るう予定です!!」



 リーザがやる気になる度に、こういったドレスを着る羽目になるのだろうと、私はそんな未来を想像して思わず苦笑してしまう。


 私はそのままリーザに促されて客間へ移動する。大人しく客間の応接用テーブルセットの椅子に座って待っていると、リーザが寝室側に備え付けられている簡易キッチンから紅茶を持ってきてくれた。綺麗な飴色の液体と、立ち昇る芳醇な香りに私は心が凪いでいくのを感じる。



「ありがとう、リーザ。」


「いいえ、この程度のことなんでもないですよ。竜王様がいらっしゃるまで、この紅茶で気分を落ち着けてくださいね。」



 その言葉に私は苦笑いを浮かべながら頷き返す。リーザは私の気持ちによく気づいてくれるため、それに伴う気遣いがとても有り難い。


 カップの取っ手に指をかけ、口元に運んでいく。そして一口飲んで思い出した。そういえばこの絶品紅茶の淹れ方をまだきちんと聞いていない。コツがあるのならばぜひ教えてほしいところである。そう思って口を開きかけた時、コンコンというノック音が耳に入ってきた。その瞬間、私は緊張に顔を強張らせる。



「大変お待たせ申し上げました、ルル=アレクスファー子爵令嬢様。竜王様の御成でございます。」


「……お時間通りですわ。どうぞ。」



 もしも竜王様本人が単独でここを訪れ、扉の向こうから声をかけてきたのも本人であるならば、私が扉を開けるのが道理である。しかし、竜王様が侍従を伴っている場合は、たとえ花嫁候補の身分が侍従のものより低いとしても、侍従に開けさせるのが習わしなのだとか。その辺りはリーザに教えられた。私としては、客人を迎えるというのに部屋の主である私が扉を開けなくてどうするのだとも思ったが、王城の慣習と言われれば黙るしかなかった。


 そして私は侍従に声をかけるのと同時に席を立ち、テーブルの隣にある少し開けた空間に立ち位置を決める。淑女の礼スタンバイ状態である。


 私の言葉に一拍、二拍、三拍。こういった侍従を伴う中でも特に正式な面会の場合は、入室許可後三拍おいて扉を開けるらしい。これもリーザ情報だ。三拍の後、ようやく扉が開かれる。


 入室順は身分の高い者からと決まっており、そうなると竜王様が先頭で入ってくるはずだ。私は目の前に見えた息を呑むほどに上等な服を確認すると、グローリア様に躾けられてきた完璧な淑女の礼を決行した。



「お初御目に掛かります、ルル=アレクスファーと申します。この度陛下におかれましては、私ごときに身に余る栄誉をお与えくださり、心より御礼申し上げます。」


「ああ……初めまして。俺の名前はもう知っているかもしれないが、グリオール=スィ=レイオールだ。こちらこそ、貴女がこの城に来てくれたことに、心から感謝したい。どうか顔を上げてもらえないだろうか。」



 私は最敬礼を取って頭を下げながら、ハッとした。金の瞳が零れそうなほどに、目を大きく開いてしまっていることを自分でも感じる。


 ――この、声は。


 竜王様に顔を上げろと言われたから、私の行為を咎められはしないだろう。けれど、もし顔を上げる許可がなかったとしても、私は顔を上げてしまったと思う。気持ちが抑えられなかった。きちんとこの目で確認したかった。竜王様は、グリオール=スィ=レイオールとは、いったい誰なのかを。



「レ、オ……。」



 口から零れ落ちたのは、私が生まれてこのかた初めて頼ることができた人物の名前。その名前を口にした瞬間、目の前にいる"竜王様"は目を見開く。私は、ああやはり、という確信と、レオという、私が唯一気軽に接することができていた人物が、急速に遠のいていくことへの絶望を味わっていた。



「ルル、どうして俺だと……?」



 面食らったような顔で、目の前の人間離れした雰囲気を纏う青年は呟いた。周りの護衛や侍従は状況についていくことができないらしく、所在無さげに目を泳がせている。ただ、私の侍女であるリーザは私のすぐ後ろに控えているかすら分からないほど気配を消して息を潜めていたが。


 私は、本当に分からないといった様子で呟く竜王陛下……レオを見て、思わず顔を歪める。こんなところで泣きたくない。けれど目頭は勝手に熱くなっていった。


 ――どうして隠した。どうして、最後の最後まで言ってくれなかった。この日、私と会うと分かっていたはずなのに。


 胸が激しく痛んだ。痛くて痛くてたまらない。私は顔を歪めながらも、無理矢理に笑みを浮かべる。それが自嘲めいたものになってないことを願いながら、しかし酷い顔で笑っていることは自覚しながら、言葉を紡いだ。



「……やだ、分からないとでも思ったの? だって貴方、そのままじゃない。纏う雰囲気は確かに違うし、髪の色も瞳の色も違うわね。今の貴方はいつもの夕焼け色ではなく、夜色に染まっている。でも、声も話し方も、私を見るときの瞳も、全て変わらない。レオだわ。」



 そう言うと、竜王陛下は、いやレオは、困惑した表情から一転、目を大きく見開いた。何をそんなに驚ているのか。それくらい、誰にでも見分けがつくだろうに。確かに、初対面の者には無理かもしれないが、彼ときちんと言葉を交わしたことがあるならば、きっとすぐに分かる。


 彼は良くも悪くも誠実で、誰の前でも常に自然体だった。彼は竜王という仮面を持っていないし、レオという仮面も持っていない。それがこの場では災いした。しかしそれは災いと称するにはとても尊いもののように思える。


 他者の前でどんな時も自然体で接することができるということは素晴らしいことなのだ。彼の精神がそれだけ強固なものであるということの証明でもある。今まで仮面を被って過ごしてきた私が言うのだからそれは間違いない。


 しかし、私にはそれが辛かった。レオのような素晴らしい性格の者が、竜王様だったなんて。完璧すぎるではないか。私は少しだけ俯いて、誰にも見られないように自嘲的な笑みを浮かべた。それに気づいたのかは分からないが、夕焼け色ではない夜色のレオはいつものように、様子がおかしい私に案じるような声を向ける。



「ルル……?」



 完璧すぎるレオに比べて私はどうだろう。彼とこうして話せる資格などない。彼を頼ることももうできない。涙を堪えようとして肩が震える。いけない、泣けば彼を困らせてしまう。これ以上、私に私を貶めさせないで。


 今私が感じている感覚は、一度光を見たその後にまた暗闇に突き落とされる感覚と似ていた。あるいは、手に入れたと思った翼をもがれる感覚とでも言おうか。


 私は、これ以上私自身がこの場にいるということが我慢ならず、外を目指して駆け出した。突然のことに驚きを隠せない様子だが、それでも冷静なレオは私に向かって手を伸ばす。しかし私はその手をパシッという音がするほど力いっぱい振り払って彼の脇をすり抜けた。



「ルル!!」



 私はドレス姿だったが、そんなことを気にする余裕などない。このドレスも、花嫁候補という身分も、最初から何もかも私には相応しくなかったじゃないかと、それなのにどうしてここまで来てしまったのかと、そんなことに今更思い当たる自分は、本当に頭の悪い愚かな娘なのだと思った。


 廊下に出て、少しだけ逡巡する。外に出るために右に行けばいいのか左に行けばいいのか、私はまだよく覚えていない。しかし王都に出る時、レオは最初は左を行ったはずだ。時間にしてコンマ数秒だったと思う。戸惑ったのは本当に一瞬だった。そもそも感情が高ぶってしまっていたとはいえ、竜王陛下に敬語を使わなかった時点でアウトだ。すぐに不敬罪の疑いで衛兵は私を捕縛しに来るだろう。


 罰せられるのはいい。けれど今は感情が高ぶっている。私がまずやらなければならないのは、一人になって心を落ち着けることだ。そうでなければ、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。


 私が左に向かって進もうとした時、ぐんと体が引っ張られ前に進めなくなった。正確には、腕が力強く掴まれていて動くことができなかった。



「ルル! ……黙っていて悪かった。」



 後ろから聞こえるいつもの声。いつもなら心安らぐテノールの音が、今は私の神経を逆撫でする。



「――っ!!」



 私は唇を噛み締めて息を詰めた。口を開けば、取り返しのつかなくなるような言葉が飛び出しそうだった。それが分かっていたから、私は必死で口を閉じた。目から熱いものが流れているのを感じる。それに気づくと同時に、周囲の温度が急速に下がっていく。


 私の心の中では嵐が吹き荒れていた。私はその強風に抵抗する術を見つけられないまま、ただ乱されていた。


 貴方が好きだったから。頭を撫でてくれる素敵な手を持ち、優しくて頼りになって、私を外の世界に連れ出してくれて。そして私の全信頼を託すことができるレオを、私は好きになってしまっていたから。


 隠されていたことが辛いのではない。誰しも人に言えない秘密はある。それは分かっているけど、私はそのことを本心を隠すために使った。本音は、私の本心は……。


 ――貴方が竜王であることが。絶対に結ばれることはないと分かってしまったことが、そのことが何よりも辛い。


 乱れる心は思考を鈍らせていく。痛む心は無情にも、私が最低限持つべきだった平静さを奪っていった。



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