割れた6番目(3)
室内にはとても重苦しい沈黙が訪れていた。しかし少ししてウィルさんがその沈黙を破り、私に優しい声で話しかけてくれる。
「キミには、少し話をする必要がありそうだね。そうだな、哀れで残酷な少年の話をしてあげよう。」
紡ぎ出された言葉たちは、私を責めるものでも諭すものでもなかった。私にはその意図が全く分からなかったが、今は何を言う気も起こらず、大人しく話を聞く態勢を取る。ウィルさんは赤塗りの口を薄く開き、歌い聞かせるような、少し軽い調子で話し始めた。
「昔々、あるところに、ごく普通の少年がおりました。少年は普通に生まれ、普通に育って、15回目の誕生日を迎えました。」
ウィルさんは金色の髪を輝かせ、その美しい蒼い目を細める。顔には凄まじいペイントがなされているというのに、彼が醸し出す雰囲気はとても神秘的で洗練されていた。
「16、17……20回目の誕生日を迎えた彼は、自分がいつの間にか"普通"でなくなっていたことに気がつきました。彼の身体は歳をとることを忘れていたのです。歳をとることを忘れてしまった彼の身体は、その対価とでもいうかのように、ある力が宿っておりました。周りのものをすべて凍てつかせる力が彼に宿っておりました。」
彼は話を中断することなく、ゆっくりと最初に座っていた椅子に腰掛けた。ベッドの横に設けられた、一つのテーブルとそれを挟む二つの椅子。窓辺に近い方にウィルさんは座り、片側に私が座るようジェスチャーで勧める。私は話を遮らないように無言で一つ頷き、光沢のある木製の椅子に腰掛けた。
「丁度その頃は謀反の年でした。たった一度だけ発生した、竜王に対する謀反が本格的に決行された年です。20を迎えた若者は、竜王側であれ謀反側であれ、各々の信条を掲げてその戦いに参加しました。しかし少年は参加することができませんでした。体格的な問題と、その頃の少年は力を上手く扱えなかったという問題があったからです。彼は力を発動する術は知っているのに、それを止める術は知らなかったのです。
少年は蔑みの眼差しを受けました。他人はもちろんのこと、かつての友、親、兄弟からもです。少年は全てを嗤って受け流しました。しかしそれから10年20年経つと、今度は皆の目には恐れの光が灯りました。その光を見ているうちに、少年はついにおかしくなってしまいました。少年は嗤いながら力を発動させました。長いこと使われなかった力は、嬉々としてその猛威を振るいました。小さな村が一つ沈みました。しかしその時の少年は何も感じませんでした。力が止まるまで、丸3日も掛かりました。
それから1年後、少年は王都にて魔術師認定試験を受けました。入学すれば衣食住に困らないと聞いたからです。しかし実技の段階で、制御できない氷の魔法によって、二人の試験監督魔術師――彼らは高等魔術師の中でも上位の者たちでした――が犠牲になりました。事態を重く見た魔術連盟は、筆記試験が最低点だったにも関わらず、少年の入学を許可し、隔離棟にて生活させました。授業はありません。予め卒業までに必要な本が部屋に支給されていました。卒業見込みもありません。期限は氷の魔法を制御できるようになるまで、でした。」
ウィルさんは机に肘をつき、両手を組んで口元に寄せていた。彼のその蒼い双眼は揺らいでいるように見える。この話はウィルさん自身の話なのだと、私は徐々に気が付いた。15歳頃のまま成長が止まってしまっているのなら、この華奢すぎるほどに華奢な身体つきの理由に納得がいく。
「そこで少年は100年間ひたすら与えられた参考書を読んで過ごしました。少年を知る魔術師がいなくなっても、記録や先人の言葉を重んじる学者肌の彼らは、少年を外に出そうとはしませんでした。実に賢明ですね。しかし、向こう見ずな魔術師というものはいつの時代もいるようで、少年の部屋を訪れた老魔術師がいました。彼は闇魔法を専攻しており、弱体化の魔法が得意でした。真夜中になると、彼は少年を実技訓練場に連れ出し、弱体化の魔法を掛けた上で彼を修練しました。少年はいつも無表情であったその老魔術師を大切に思っていました。自分をきちんと見て、扱ってくれる人が初めてだったからです。
しかし、老魔術師は少年と10年の時を共に過ごした後、生涯を全うしてこの世から消えてしまいました。少年は葬式への参列は許されず、遺書だけ貰い受けました。少年は自分のことをその老魔術師に語っておりました。その時の老魔術師は黙って聞いているだけでしたが、その遺書にはきちんとその老魔術師なりの答えが記されていました。
"君はそろそろ受け入れる時だ。過去が完全無欠な者など、世の中に一握りほどしかいないのだよ。君の狂った日々は確かに残酷で罪深い。それは誰が聞いても明らかだ。しかし、君はその過去があったからこそ、今ここにいて、私と話し、共に励んでいる。君が過去を認めないということは、私と過ごした時間を否定するということだ。なぜなら、これを読んでいるということは、私と過ごした時間も、もう全て過去になってしまったということなのだからな。"
……ボクはね、その時やっと気づけたんだよ。この力は先天的な、生まれつきのものではない。だから全てがややこしくなってしまうんだ。この力のせいで歪んでしまうものはとても多い。ある時、突然、ボクらの運命はそんな風に歪んで、変わってしまう。それは誰かの死であったりするし、ボクらのような能力の変化だったりするし、天変地異だったりする。そういうものはね、ボクらの力じゃどうしようもできない。その時点でやれるだけのことをやるしかないんだよ。
まあ結局、ボクも逃げてたのさ。やれることはきっとまだあったのにそれをしなかった。でもその選択をしたのはボクで、しかもその時は他の選択肢が見えなかった。だから過去のツケを払うために今ボクはここにいる。あれから200年ちょっと、ボクは氷の魔術師について調べ上げた。反則技も時には使ったりしたよ。それが最初からできればよかったんだけどね、その覚悟も勇気も選択肢も残念ながらあの時はなかったよ、ハハハ。
何はともあれ、研究の結果、氷の力は後天的、しかも突発的に与えられるもので、意味があるものだと分かった。そして君が6番目になった時、要は6番目が生まれた時、やっと終わりの始まりだと思った。まあこれはボクの都合の話だから聞き流しておいて。
さて、ルル。キミにこの質問をしなくてはならないね。察しの通り、今までの哀れで残酷な少年の話はボクの身の上話なわけだけど……、どう? キミはボクを軽蔑するかな? 残酷で汚くて、人殺しの道化師だと思うかい?」
ウィルさんは両手を組んだまま顔を上げた。そしてジッと私を見つめる。蒼い瞳に映る私は、とても情けない顔をしていた。いつから私は、こんなにも頼りなくなってしまったのだろう。いや、初めから、私は何一つ自分でしたことはなかったかもしれない。私自身の化けの皮が剥がれた結果がこれだとしたら、とても滑稽だ。
「……私には分からないわ。残酷で汚いのは私もきっと同じだから、私は貴方と同じ側に立っているから、分からないわ。……いいえ、違うわね、きっと私はそんなことないって言いたいんだと思う。でも、私と同じだから、私にはそれが残酷で汚くて、罪深いって知ってるわ。そうね、だから分からないって言ったわ。」
「そう、そういうことなんだよ。ボクもキミも同じ。多分、キミの彼……レオ君と言ったかな?も、そういう意識はあると思う。言ったろ?人は誤魔化しが得意技なんだ。
ついでに言っとくけど、過去の失敗なんて生きていれば無限にあるよ。500年生きたボクなんて、考えるだけでも恐ろしいね! でも、誤魔化さないで、それをちゃんと認めるんだ。誤魔化していても他人は責めないよ、一緒だからね。けど自分だけは責め続けてくるんだ。良心がある限り、いつまでも。」
白塗りの輝く道化師は、優しい笑みを浮かべていた。それなのに、放たれる言葉はとても鋭い。耳を塞ぎたくなるが、それはマナー違反だと知っている。彼がはじめに言った、"本音には誠意を"ということはこういうことなのだとようやく分かった。これは彼なりの本音と誠意なのだから、私も本音と誠意で受け止めなければならない。だから私は、素直に思ったことを口にした。
「私、私にも、過去を認めることってできるかしら。いえ、それはやろうと思えば誰にでもできるわよね。そういう可能性の話をしているのではなくて、えっと、私にも過去を認める覚悟はあると思う? 新しい選択をする覚悟が。だって、過去を認めるということは、私が氷の魔力を持っていることを認める、つまり公にするってことなのでしょう?」
「あるかどうかは知らない。それはボクが決めることじゃないよ。けど、そうだな、氷の魔力を公にするだけの覚悟は必要だろうね。周りに好奇の目で見られるし、もちろん危険も増えるだろう。その事実を容認して、それに立ち向かうだけの覚悟はいるね。大丈夫、もし覚醒したなら、扱い方は教えてあげるから、危険といってもむしろキミを襲った相手の身が心配だっていう程度の危険だよ。」
「そう、よね。」
確かに、自分の覚悟がどうのという話を他人に振るのはあまりにお粗末だ。自分で決断しなければならないことなのだから。私は口を噤んで俯いた。私が俯くのと同時に、目の前の道化師が顔を上げるのを気配で察する。
「おや、もうこんな時間か。騎士様のお迎えが来たようだねェ。」
ウィルさんはその言葉と共に、雰囲気を徐々に道化師へと戻していった。それよりも驚いたのは、私はせいぜい私とウィルさん程の距離で、しかも相手が気配を隠していない時にしか察せないというのに、目の前の御仁は消音魔法がまだ掛かっているにも関わらず、誰が訪れたかまでを探知したということだ。私は驚きに思わず顔を上げた。
「消音魔法ももう用済みだねェ。消しておいてっと……。」
ウィルさんは軽く手を上げた。それだけで、私の耳には喧噪が戻ってきた。先ほどまでとても静かな空間にいたため、少し酔いそうなほどに音が耳に入ってくる。それと同時に、ノックの音が聞こえた。
今度はウィルさんが軽く手を上げたままその手を横に少し振った。どうなるか気になって、私ははしたないと思いつつも首だけで扉の方を振り返る。彼のほんの少しのジェスチャーだけで、扉はゆっくり開いていった。その光景を目の当たりにした私は、やはりこの人は高等魔術師なのだと改めて悟った。
「……?」
そして扉が開ききり、奥にいる人物が確認できるだろうかというその一瞬、私はふと一つの疑問がよぎった。
――私の力、物心ついた時から使えたはずだけど、生まれつきの力でないなら、一体いつ使えるようになったのかしら?
しかし、その問いに答えられる時間も知識もなく、扉は開ききり、レオの姿が現れた。切れ長の夕焼けの瞳が眩しくて、私は少しだけ目を細める。
「ルルを迎えに来た。さあルル、そろそろ城へ帰ろう。」
半日も離れていないのに、レオの夕焼け色の髪も、彼の声も、とても久しぶりに見て聞いたかのように感じた。彼の存在を感じるだけで、こんなにも安心する。私は張り詰めていた緊張の線が緩むのを感じた。
私はレオに駆け寄ろうと椅子から立ち上がるが、軽い目眩と吐き気に襲われよろめく。ウィルさんが私の片腕を引っ張って受け止めてくれなかったら、おそらく私は崩れ落ちていただろう。自分でも自覚があるが、多分戻ってきた音たちに酔ってしまったようだ。ウィルさんももちろん気付いているわけで。
「そっかァ、慣れてないからそうなるよねェ。今日は帰ったらユックリ休むんだ。食べる物も軽いものにしておいた方がいいねェ。分かったかい?」
「ええ、そうするわ。本当に色々とありがとう、ウィルさん。」
「いやいやお安い御用さ。それじゃあネ。また気になることがあったらいつでもオイデ。」
というお言葉を頂戴した。私は来た時よりもずっとずっとウィルさんに対して親近感を抱いていた。もし、兄がいたとしたら、こんな感じなのではないだろうかと思う。500歳ほど歳上の兄とは、紹介された方もびっくりだろう。想像してしまった私は思わず笑みが溢れていた。
「……ルル、行こう。」
「ええ、ごめんなさい、今行くわ。」
レオは少しだけ複雑そうな顔をしているように見えた。私はそのことに少し首を傾げる。レオと目があったものの、レオは夕焼け色の瞳をすぐに逸らして、ウィルさんの方を見つめた。私も思わず振り返る。
私にはもう、ウィルさんの笑みが歪んでいるのかどうかは分からなくなってしまっていた。彼が歪んだ自分も受け入れているならば、歪んだ笑みかどうかはあまり重要な問題ではないことに気づいたから。だから、ひょっとしたら違うかもしれないけれど、私が見たウィルさんの表情は、私と話していた時のあの優しい笑みに見えた。会った時の歪んだ笑みではなく。ただ先ほど言ったように、見えただけで実際は違うかもしれないのだが。
レオにはどんな風に見えたんだろう。私は気になって、少しだけ顔を上げて彼を見上げた。レオは眉間に少しだけシワを寄せていた。しかし、突然目を瞑ってフッと息を一つ吐くと、彼が再び目を開けた時にはいつもの表情に戻っていた。
「随分、良い時間を過ごしていたようだな。何よりだ。」
そう言って、レオはいつも通り、私の頭を撫でてくれた。そしてそのまま、私の背中に手を添えて、私を室外へと促す。もちろん私はそれに大人しく従った。
確かに、ウィルさんと過ごした時間はとても有意義だった。けれど私はレオといる時間の方が何倍も安心する。レオに頭を撫でられるだけで、私の鼓動は大きくなって、きちんと呼吸をして、生きているのだと実感できる。
けれど、審判の時は私のすぐ近くまで迫っていた。私は明日、知る必要があることを知ることになるだろう。帰り道の間ずっと、私は考えていた。私の拙い仮説がきちんと外れてくれたなら、レオにねだりたいことがある。きちんとお願いしたいことがある。しばらくそばにいたいと伝えよう。一時だけでいいから、しばらくの間だけでもレオがくれる安らぎが欲しい。考えることが多すぎるのだ。
私はレオと共に馬車に揺られながら、夕焼けに染まる街を空虚に眺めていた。心地いい空間だが、明日審判が下されるまでは油断できない空間となってしまっているのが、そしてその疑念に気づいてしまった自分とそれに伴う嫌な予感が、少しだけ悲しかった。明日が来ることを恐れている私を、私はこの時認めた。




