割れた6番目(2)
「ははあ、ナルホドねェ。フーン……。」
ウィルさんは私の両手を握ってその目を閉じながら、何度もウンウンと頷いている。もう5分以上はこの状態を維持していると思う。その間、ウィルさんはずっとこんな調子だ。
言う準備が出来たら勝手に話してくれるとは思っているが、もう少ししてもこのままの状態が続くようであれば一度声を掛けてみようと、私は目の前の真っ黒にペイントされた瞼を見ながら思っていた。
「ナルホド、よく分かった。なんて言うか、一言で言うなら厄介な事になってるねって感じカナ。」
ようやく"はーん"とか"なるほど"とか"ふーん"以外の、人に語りかける言葉が出てきた。内容は好ましくないようだが、とりあえず私からしてみればとても気まずいあの状況から解放されてよかったというのが本音だ。
私は腕を少し素早く引っ込めながら、目の前の道化師を見た。
「厄介って、何がどう厄介なの?」
「ウーン、なんて言うかね、説明しにくくて困っちゃうね。端的に言えば、まずキミは祝福を受けていないっていうのが一つ。あともう一つのことなんだけど……割れてるんだよね、キミと6番目の意識が。まーそれはそれは綺麗にパックリと。」
「……6番目の意識?」
私は不愉快さを意識的に露わにしながら、片眉を上げてウィルさんを睨めつけた。そんな話は聞いてない。祝福云々はこの後すぐ彼に説明してもらうとして、私の意識と6番目とやらの意識が割れているとは一体どういうことだ。私の意識は私のもので、割れるようなものでもないだろうに。
ウィルさんは私の視線を受け止めながら小さく肩を竦めてみせる。そのままゆっくりと右手を持ち上げ、人差し指を突き出した。突き出された人差し指が示す先には、私の純白の手袋がある。
「それ。それが随分と厄介なことをしてくれたようだよ。ボクら氷の魔術師が扱う力は生まれ持ったものに見えるけど、実はそうではなくてね、氷の魔力に祝福されないと扱えないものであるはずなんだ。で、その祝福は各々の魔力と付き合っていく内に勝手に成されていくものなんだけど……残念ながらキミは魔力と付き合う機会がなかった。更にその手袋のせいで、キミの力は封印されているにも関わらずこんなに大きくなって、自力で声を届けられるほどに成長してしまった。自力で声を届けられるということは、そこに自我が芽生えてしまっているんだよ。……ちょっと難しい?」
「ごめんなさい、よく分からないわ。魔法とか、そういうものには詳しくないの。」
私が正直にそう答えると、ウィルさんはウーンと唸りながら顎に手を当てる。レオやグレンさんよりも小さいけれど、男の人らしい骨張った手だと思った。ウィルさんは顎に手を当てもう一度一唸りすると、被っていた道化師の帽子を取って髪をかき上げる。
彼の髪色はキラキラと照明の光を受けて輝く金色だった。憂いを帯びた目は少し淡い青色だ。金髪碧眼とはよく言ったもので、白塗りで厚化粧のこの美青年はグレンさんやレオとはまた違った意味合いで美しい。色素がとても薄いようだから、儚げ、とでも言うのだろうか。どうして私の周りにはこうも歩く美術品が多いのか。私も女の端くれではあるから、少し物悲しくなってくる。
もちろん、ウィルさんはそんなことを気にした風もなく、突然伏せていた目をカッと見開き、思いついた!とでも言わんばかりの顔でこちらを見た。私の、先ほどの歩く美術品発言に少し補足したい。グレンさんといいこの人といい、私の周りには歩く美術品ではあるが少しズレている人が多いのはなぜなのか。
「そうだな、じゃあ、キミの本来一つであった意識がその手袋によって隔てられ、キミの元から離れたせいで消えるはずだったその意識は、あろうことか自我を持って一人歩きしてしまっているって言い方ならどうカナ?」
「ウィルさんが言ってるのって、私の中に私とは違う自我を持った私がいるってことでしょ? それはちょっと、信じられないわ。」
「そうかい? 感じたことがあるハズだけどねェ。でなきゃキミはとっくに祝福を受けて、自由に力を使えるようになっているよ。まあ、自我を持っていると言っても、キミの一部だからそもそも気づきにくいしねェ、その自我が大人しい感じなら、本当に少しも気づけなくても無理はないけど。」
「……。」
ない、と思う。今朝見た夢も、もう一人の私といえなくもないが、所詮あれは夢に過ぎない。現実問題として、私の自我が奪われたことはあっただろうか。私は今まで、私の意思で生きてきていると思う。まだ、私は私の自我に会えていないということなのだろうか。
少し視線を床に落として私がしばらく考え込んでいると、ふと思いついたような声音でウィルさんが話を続けた。
「もしキミが望むのなら、会わせてあげるよ? 6番目の意識にね。」
「……どういうこと?」
「ボクはもうかれこれ500年以上生きている。これだけ永く生きているとね、それくらいのことは造作もなくできるようになってしまうんだよ。なぁーに、ちょっと6番目の意識を刺激してあげればチョチョイのチョイさ!」
私は怪訝な視線をウィルさんに投げつける。彼は私の視線を気にする様子は全くなく、涼しい顔で首を傾げていた。その仕草と彼の瞳は、私がどうしたいかを問うている。
6番目の意識に会うだなんて、ろくでもないことに決まっている。それでも私は、明日までに何とかして自分の力を制御できるようになっておきたかった。
「じゃあ、お願いできるかしら。」
「もちろんお安い御用さ。ボクらからしても、キミには一刻も早く覚醒してもらいたいところだからねェ。ささ、目を閉じて心を落ち着けて。」
「そのお話も、後で詳しく聞かなくてはね。」
私は考えることの多さに少し辟易して、ため息混じりに言葉を返す。しかしすぐに気を取り直して、私は言われたとおり、目を閉じて心を落ち着けた。心を落ち着ける、と言っても、単に何も考えないようにしているだけなのだが。この心を落ち着けるという作業は昔から行っていたから、実は得意だったりする。
「それじゃあ、始めるよ。」
そう言うと、ウィルさんは私に人差し指を向けた。ウィルさんは指の先まで白塗りしており、更に独創的な絵か模様か何かを指に描いている。爪はどういうことか燃える赤色で、白塗りの肌にとてもよく映えていた。
ウィルさんは人差し指の先をこちらに向けたまま、私をジッと見つめている。その瞳を見返した瞬間、そこに宿されている光が先ほどまでとは打って変わっているのが分かった。鋭く、身を切るように冷たい、氷のような光を彼は宿していた。そして私はどうしてか、その光の奥に渦巻く"力"に気づき、その"力"の正体が氷の魔力だと分かってしまった。
「ボクの指先だけを見て。集中するんだ。……そう、いい子だね。」
口調も雰囲気も、完全に氷の魔術師として、ウィルさんは今存在している。指の先にちらつく赤を見ている内に、私は自身の意識が少し遠のいていくのを感じた。それは意識を失うような感覚ではなく、頭に霞がかかって、物事を上手く考えられなくなってしまったような感覚だった。近くで聞こえるはずなのに、遠くから響いているような不思議な声で、ウィルさんは続ける。
「ルル=アレクスファーの分身であるお前を、ウィル=ボナードの名においてここに召喚する。召喚している間、お前はルル=アレクスファーと対等に話をすることができるが、ボクの言うことは必ず聞かなければならない。そして役目が終わったら大人しく消えるんだ。」
ウィルさんがそう言うのを、私は頭の隅でぼんやりと聞いていた。そしてその後、フッと視界が暗くなる。目元に温かく柔らかな人の肌の感触がするから、ウィルさんが手を置いたのだということが辛うじて分かった。
そして視界が暗くなった途端、私の身体に変化が起きた。何かが引っ張られている感じがするのだ。突っ張るような、引き剥がされているような、そんな苦痛が私を襲う。ぼんやりとしていた頭は、それでやっと我に返って警鐘を鳴らすが、遅かった。
パチン、という音が聞こえた。耳からではなく、頭の中から。そして苦痛は突然去り、代わりに虚無が私を襲う。何かが抜け落ちたのだと本能的に察した。今まで身体の一部としてあった何かが、私の中から姿を消したのだと。
起こったことがそれしか分からず、暗い世界に棒立ちしていた私だったが、ウィルさんがそっと手を除けたので、私の世界はやっと光を取り戻した。現実の時間はきっとそんなに経っていなかっただろうが、私にとってはとてつもなく長い時だった。
《あら、同胞の気配がしたから出て来てみれば。初めの子と……甘ったれご主人様じゃないの。》
「言葉を改めるんだ。お前はボクの言うことをどうしても聞かなければならないよ。」
《…………一番目、そして我が主、ご機嫌麗しく。》
目の前には、本当に透き通っている青白い私が立っていて、こちらを睨んでいる。ウィルさんの命令のお陰か、口からは比較的美しい部類の言葉が出てきたが、言わされていると丸わかってしまう程の棒読みっぷりであった。ウィルさんを睨みつける、私と全く同じであるはずの瞳には、とても冷たい光が宿っている。
「……ねえ、貴女のこと、何と呼べばいいのかしら。 私、貴女ときちんと話をしたいの。」
《私は貴女の意識の一部ですから名はございません。それで、私は一体何をお話すれば良いのでしょうかね。》
目の前に立っている私と同じ姿をした水晶体からは、私を頑なに拒んでいる様子がうかがえた。どうしてこれほどまでに嫌われてしまっているのかが、私には全く分からない。けれど黙っているわけにもいかず、私は出来る限り言葉に気をつけながら話していく。
「あの、単刀直入に言うと、私はこの力を制御したいの。そのために必要な祝福……だったかしら、私は貴女からそれをいただきたいのよ。」
《なるほど、私が呼び出された大方の事情が理解できました。残念ですけれど、今の貴女を祝福する気なんてさらさらありません。言ったでしょう、貴女を見ていると苛々すると。》
彼女のその辛辣な言葉に、私は今朝見た夢の内容を少し思い出した。あの声がこの彼女の声であるなら、確かに彼女は私に言った。ただ嘆いて逃げるだけの私を見ているととても苛々する、と。
私はあまりにも直球な拒絶の言葉に固まってしまった。けれど目の前の水晶で出来たもう一人の私から目をそらすことが出来なくて、私はただ萎縮しながら彼女の目を見つめる。その瞳は本体であるはずの私とは比べ物にならないほど強くて、まるで本来身体を持つべきなのは彼女なのではないかというほどに、その瞳は力強く気高かった。そしてその気高さを示す光と同じくらい強く、彼女の瞳は強い憎悪を持って私を睨みつけていた。
《貴女、どうしてそんな目で私を見ているの? いつもは私を見ないフリするくせに、いざ私を見ると、まるで化け物と対峙しているかのような目をするのね。私は貴女なのに。》
「……!!」
《いつも誰よりも手袋を気にして、そして自分の魔力を気にしているくせに、貴女は自分の中の氷の魔力は信じていない。とんでもない矛盾だわ。》
何を言っているか分からない。私はそう口を開こうとした。けれど全身が震えて言葉が出てこない。彼女の口調が元に戻っているのに、ウィルさんは口を挟まない。けれどそんなことを気にしている余裕は私にはなかった。
怯える私とは正反対の表情であるもう一人の私は、フッと口元を緩ませた。それは温かく優しいものではなくて、冷たく歪んでいる。その笑みを見た私は、自分の心臓が凍りついてしまったかのように感じていた。歪んだ笑みはそのままに、もう一人の私は口を開く。
《ああそうだ、貴女は鈍感みたいだからついでに教えてあげましょうか? 貴女ね、自分の都合が最悪になった時、私を無意識に無理矢理引っ張りだしているのよ。それはそれは本当にとんでもない無意識の力でね。そして私の力を好き放題使って周りに散々迷惑かけたあと我に返る。でも貴女は無意識だったから覚えていない。それでそこでの惨状は自分がやったわけじゃないとか都合のいい言い訳を貴女は無意識にひたすらする。そうして貴女は可愛い可愛い我が身を守っているのよね。図星でしょ?》
「もう、やめて……。」
《逃げないで。それが貴女なのよ。貴女は自分でもそれを分かってる。私は貴女の意識なんだから、私にはそれが分かるわ。なのに貴女はそれを頑なに認めない。》
「いいえ違うわ、本当に分かってる、自分がどんなに愚かな人間かくらい分かってる。分かってるから、分かってるからこそ、そういう自分を許容したくないの!」
《……全くお話にならないわね。貴女は私を認めない。私の意思を貴女は認めてくれない。だから私も貴女を認めないわ。意識は本来分割出来ないものなのよ。溶け合わなければいけないのに、貴女はそれを許してはくれない。正直なところ、私が祝福をしないのではなくて、貴女が祝福を拒んでいるのよ。》
私はやはり、目の前の彼女が私だとはとても信じられなかった。彼女の言葉は私の心を容赦なく抉る。この凍てついた言葉も、歪んだ笑みも、私がもともと持っているものだと言うのだろうか。目の前の彼女が発する言葉たちが、悲痛な響きを秘めているように聞こえるのはどうしてなのだろう。それも含めてすべて、私の意識の一部だと言うのだろうか。私には分からなかった。私はただ俯いて肩を震わせる。私はもう顔を上げることはできなかった。
「……さあ、殺伐とした話はそのくらいにして。お前はそろそろ、元いたところへ還るんだ。」
ウィルさんがようやく助け船を出してくれたところで、私の肩の力が少しだけ抜けるのを感じた。目の前の氷の彼女は何も言わず、ただ黙っている。一方で私は、前を向くことができないまま、ずっと顔を伏せていた。私の視界には、綺麗に掃除された研究棟の床と自分の足先しか映っていない。
ウィルさんが一言二言、私には分からない言葉を呟くと、私の中にいつもの感覚が戻ってきた。しかし私はその感覚をもう歓迎できなかった。とても居心地が悪い。いつも以上に心が揺れているのが分かるし、その上どの感覚が氷の魔力の感覚なのかが明確に分かってしまった今、それはもう私の体に馴染まなくなってしまった。いつものように、無防備に受け入れることが困難になってしまったのを感じていた。
完全に割れてしまった自分の意識のことを、少しだけ考えてみる。私がもし、本体ではなく意識の側だったとしたら。自分の居場所である本体に拒絶されたらどんな気分だろう。割れてしまった意識がどの感覚であるか分かる今、少しだけ私はそれを考えてみた。
私だったら、寂しくて悲しい。元の居場所に戻りたいと願う。けれど自我を持っているなら、溶け合うことで消えてしまうのは怖いと思う。結局私には、どうして彼女があんなにも強いのかよく分からなかった。彼女は私自身の意識の一部であるはずなのに、とても遠くにいるようだと私は感じていた。




