第四話 恐怖
日没、亜沙日ら三人は作戦のために政府高官やVIPが住まうエボニー地区にいた。100年前。ペロブスカイトの壁を黒にすることで、より効率的に発電が出来ることを発見した科学者の指揮の下、国連監査と並行して半ば実験的に設立されたこの地区は、ビジネススーツを着たサラリーマンや、艶やかな衣装に身を包んだセレブが集う、VIP街とも呼べる華やかさを誇っていた。
この歪な雰囲気に溶け込もうと、パンツルックの真っ黒なビジネススーツを着こなした亜沙日と未来は、漆黒の摩天楼に一際目立つ大きな建物に向かう。
この街最大の事業規模を誇るメガコーポ。その名は -クレストCorp.-。
その受付にて未来の差し出した真っ黒なエレベーターキーを確認した社員は、社長室に直行するエレベーターへ二人を案内した。インジケーターは社長室への到着を告げ、未来、亜沙日の順に社長室に入る。
亜沙日は緊張からか、途轍もなく体を強張らせていた。
そんな亜沙日が視界に入ったネイビーのストライプスーツを着た黒髪の大男、メガコーポの社長は、大きな隈を携えた目を大きく広げ、痩せこけた顔に頬骨を浮かべ、
亜沙日に駆け寄り勢いよくその身体を抱きしめた。
「あなたは……! やはり生きていましたか!」
「……髪を切られましたか? ……む? 男の子……」
未来はすごいものを見たといわんばかりに大きく目を見開く。
「いいから……! 離してください! 誰と勘違いしてるんですか!?」
顔が真っ赤になった亜沙日を解放する社長。
膝の埃を払いヌッと立ち上がった細身の大男は、申し訳なさそうに亜沙日に語り掛ける。
「亜沙日くん。非礼をお詫びする……」
「……びっくりしたあ……」
「あの……御社……あれ弊社だっけ? の、VRのファンなので……その社長からまさか……あれ? どうしておれ、私の名前を?」
亜沙日の狼狽っぷりを微笑ましく見ていた男は咳払いをし、懐から名刺を取り出した。
「……君を巻き込みたくはなかったが、仕方ない」
「君、自分の出自が知りたくないか?」
「え? ……はい」
亜沙日は、社長の瞳を数秒間見つめた後、静かに返事をした。
「ならばこの人の元を訪ねなさい。私よりも、彼女の口から説明するのが筋だろう」
両手で名刺を受け取った亜沙日は、バイオロジスト・朝来遥と刻まれた文字を見て(俺のお姉ちゃんかな?)と呑気なことを考えていた。
「あの子にも連絡をしておく、時間があれば顔を見せてあげてくれ」
「……わかりました……」
「さて……神戸君」
「こちら側で物資の調達は済ませた。後は君たちの力で、我が息子と親父……総司と市長の暴走を止めてくれ……」
「リーダー君にも、よろしく頼む」
社長は彼女の方を見て、頭を下げる。
「わかりました。朝来社長」
返事を聞いた社長は未来の目を見る。
二人の虹彩は偶然なのか、同じ真紅の色をしていた。
「社長? その……私達も急ぎなので」
彼女の言葉に社長は我に返る。
「む、そうだな、すまない、二人とも、気を付けて帰ってくれ」
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エレベーターの扉が閉まる。
亜沙日は真剣な表情を崩さぬまま、考え事をしていた。
出会って間もない少年であるが、彼の意外な一面を垣間見た未来は顔を覗き込む。
「あれが……」
「あれがおじさん萌えか……?」
「ど、どうだろうね……?」
亜沙日のズレた感想に未来は思わず脱力してしまった。
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エボニー地区随一の高層タワー。
多様な施設が空中に独立するように形成された建物。社長との謁見を終えた二人はそのタワーの隅にあるエレベーターに乗り、真っ黒なキーカードを端末にかざす。すると半自動的な操作でVIP層のみが利用できる階層まで、磁気エレベーターは静かに上昇する。
扉が開く前に、未来は亜沙日に耳打ちをする。
「私たちは歩いてるだけでいい」
「え?」
「あの子が何とかするから」
「ほんとだ、警備員も誰もいない」
悠々と廊下を歩く二人。
彼らはハートカットの真紅のビスチェを着用し、鉄仮面のように冷たい表情をしたスパイと合流。
誰もいない連絡通路を超え、三人は市長のいるとされる料亭の襖を開けた。
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長方形のテーブルに、スーツを着た老人たち。食事を終えたのか、彼らはみなテーブルの下に手を隠し、一様に侵入者であるスパイの顔を見た。
上座に座ったボロボロのスーツを着た老人は、特に慌てる様子もなくにこやかな顔で語り掛ける。
「やあ、なんのようかね」
「こんばんは、朝来市長」
「あんたの元で、素晴らしい研究をしてるそうだな?あの開発者は」
「総司のことか。ああ、私の自慢の孫だ」
「嫌味か?」
後ろ手を組んでいたスパイは、老人の言葉に苛立ち、
しなやかな手つきでネックラインの位置を直した。
「…………………………!!」
彼女の右手が瞳に映った市長は
大雨のような汗を流し、戦慄していた。
市長だけではない。その空間にいたすべての老人が一様に同じ反応を見せる。
「……君……手をしまってくれ……俺たちはみんな、赤ん坊のころにたった一人の手で殺されたんだよ……」
「それが俺たちの最初の記憶なんだよ……」
「おれたちは……手がこわいんだよ……!」
静かに涙を流し、懇願する老人、それに呼応し目も合わせず、肩を震わせる老人たち。
恐怖の世代と呼ばれた者たちは、皆、両手にミトンをしていた。
スパイは、その奇妙な光景を前にしてなお表情を崩さずに言葉を続ける。
「……あんたらの行いはめちゃくちゃだ。その意図を聞かせてくれたらしまってやる」
市長と呼ばれた老人は、涙を流しながら大声で訴えた。
「……ヤケクソなんだ俺らも!! 手が怖えんだ!! 人前歩けねえんだ! ……息子の手も見れねえんだ……だから……だから新しい開発してさ、いっぱい稼いでさ……!」
「みんなミトンして生活する街でも作っちまえばあ、あんたら若いのもおもしれえと思ってくれるだろ……!?」
「だから手を……手をしまってください……」
怒声は長続きせず、静かな懇願に変わっていく。
それを見かねた未来は、ポケットに手を入れたままスパイに語り掛ける。
「手を隠そうスパイ。本当にあらがえないんだよ……死んだ事って……」
スパイは未来の制止を気にも留めず、長テーブルに両手を叩きつけ、大きな音を立てる。老人はミトンで顔を覆い悲鳴を上げ、上座に座る市長だけがスパイの手をじっと見つめ、絶えず大雨のような汗を流し続けていた。
「あんたの妻が蘇生を拒否した時期と、あんたの矮小な計画が暴走し始めた時期は一致してるんだよ……」
「おかげでみんな家族や仲間と離れ離れだ」
「そしてこの子は朝来総司にすでに二度も殺されている……!」
「事情があれば、すべてが許されるとでも……?」
震え声で放たれた問いかけに、市長は息も絶え絶えながら口角を上げ、
「そうとしか思えねえ」とぶっきらぼうにつぶやく。
「だがあの人は関係ない、俺たちの罪はこの街の発展を以って償うつもりだ」
「何人たりとも邪魔はさせないぞ、国連と闘えるのは俺達だけだ……!」
「恐怖の世代をなめるなよ……!」
恰幅の良い老人の覇気に圧倒されたスパイは、それを表情には出さないまでも、一歩後ずさったのち、勢いよく料亭の襖を叩きつけるように開け、廊下に飛び出した。未来は老人から目を離さずに料亭を後にし、スパイを追いかける。
亜沙日は、とんでもないサスペンスドラマを見たと言わんばかりに顔を赤らめ、ニヤついている。退出を促すように自身の顔をじっと眺める市長の額には、未だに大量の汗が流れており、それに気づいた亜沙日は慌てて自分の手をポケットにいれ、脈絡もなく深々と頭を下げ、料亭を去った。
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アイボリー地区へ向かう電動バスの最後列に座り、亜沙日は名刺を眺めていた。朝来遥。自分と縁のある存在。亜沙日は(また朝来か)と苦笑いをする。
朝来家に権力が集中している理由はただ一つ、対抗勢力がこの街に存在しないからだ。都市制定から350年。この街は周辺諸国から再生可能エネルギーや蘇生技術のロールモデルとして期待され、その役割を強いられている。故に誰もが政界の参入には消極的であり、又は見せかけだけのものでしかない。
結果的にこの街は豊かであり、市民が皆自由に暮らせているのは、恐怖の世代である朝来誠司が手を挙げ、享楽にまみれたこの行き過ぎたユートピアを立て直し、各国からの信頼を取り戻そうと奮闘したからである。
そんな市長が、まさか手が怖いという理由で暴走しているとは。そんな理由で巡り巡って自分はその孫に殺されるとは。そして自分はその朝来家とただならぬ縁があるときた。
退屈の極みにいた亜沙日は思いもよらぬドラマに期待を寄せるとともに、自分の隣で肩を抱き寄せあって座る未来とスパイを見て、浮ついていた自分の態度を戒めるように、バスの窓に頭を軽く打ち付けた。




