第三話 邪推
アジトから十五階上の2LDKの部屋。未来とスパイの二人で生活を営んでいる空間。2000年代のスタイルを彷彿とさせるシンプルなウッド調のしつらえの小奇麗なリビング。
そのソファに借りてきた猫のように座った亜沙日は、重要なことに気付いた。
「……着替えがない……」
「明日、買いに行こっか」
「そうだね……」
落ち着きのない様子で部屋全体に目を配らせている亜沙日の視界に、ベルトをキュッと締めたバスローブ姿の未来が映り、彼は視線を部屋の隅に追いやり小さく呟いた。
「……やっぱ緊張するんだけど、未来さんは全然そんなことない感じ」
「うん、私達はこの部屋に移るまで孤児院に住んでたから」
「君は? いつから一人暮らしだったの?」
未来の素っ気ない問いかけに亜沙日の目が更に泳ぐ。
「いつからというと……ちょっと答えづらいかもですね」
「そっか、でも緊張しなくていいよ。自分の家だと思って」
「部屋は私のを使ってね。元々何も置いてなかったし」
淡々と告げられる提案に、彼の胸中は安堵と困惑が拮抗している。
「何から何まですみません……どうしてここまで……?」
未来は申し訳なさそうに眉を顰め目を伏せた。
「さっきも言ったけど……君を巻き込んだから」
「私の勝手で、君を死なせてしまったから……」
「あの……俺、全然気にしてないです」
亜沙日は未来を見つめ、緩やかに語気を強める。
「一目見て、未来さんの力になりたいって……」
未来~?早く寝よ~?
寝室からの間延びした呼び声に会話は遮られる。
「あ、呼ばれちゃった。じゃあお休み。ゆっくりしてね」
「は、はい。おやすみなさい」
未来は小さく手を振り、声の元であるスパイの寝室に入っていった。
おまたせー……ゆ、スパイ……ちゃんとパジャマ着なよ。
いいじゃんもう寝るんだし。あと未来もバスローブやめてね。
なんでよ わからんかね
壁をすり抜けて聞こえてくる会話に戸惑う亜沙日。
「ず、随分親密だな……そんなもんなのかな?」
(邪推か。)彼は自身の頬を両手でパンッ!と強く叩き、気持ちを切り替える。勢いが強すぎたのかその目に涙が浮かぶ。
「……世話になるんだし、失礼のないようにな」
赤ら顔のまま未来の寝室に入り、ベッドに直行する亜沙日。
気合を入れた彼は中々寝付けない。
…………絶対に死ぬな…………!
すると、向かいの部屋から大きな泣き声が聞こえた。
未来のものだろうか?少し声が違うような?
そう考えているうちに、少年は寝息を立てた。
─────────
翌朝。リビングのソファに座り、眠たそうに半目を開いた亜沙日。
その隣にいつのまにかスパイが座っている。
「どう? この家での生活は慣れた?」
「昨日の今日ですけど!?」
不意を突かれた亜沙日はたまらず声を張り上げた。
「ははっ、大丈夫そうだね」
「スパイさん……朝から元気ですね」
スパイは眉間にしわを寄せる。
「呼び捨てしなさい……昨日は本当にもうじっくり眠れたよ? あの子の抱き枕力は半端ないね」
「ほえ~っ」
八重歯を見せるように笑う彼女。
亜沙日は興味がないフリを悟られないように、惚けた返事をした。
「興味ないふりしちゃって……一つ聞きたいんだけど」
「な、なに?」
覗き込むように亜沙日の顔をじっ……と見つめるスパイ。
先ほどの態度とは打って変わって見せる冷たいまなざしに、亜沙日は圧倒される。
「どうして……あの子に手を貸したの?」
「……一目惚れかな?」
彼女の瞳から寸分も隠そうともしない疑念を感じ取った亜沙日は、顔をこわばらせる。
よく見るとその瞳は少し充血しているようだ。
亜沙日は正直に白状したほうがよさそうだと直感した。
「……仕返ししたかったから、あの男に」
「意外とアツいんだね?」
語感に反して彼女の表情は変わらない。
「濡れ衣着せられて……なのにあいつは野放しだ……」
「……ああいう、いい気になった奴は気に入らない」
亜沙日はスパイの瞳をじっくり見据え、両手を固く握りしめる。
「それにこれは……いい暇潰しだ……」
彼はうっすらと笑みを浮かべ、徐に立ち上がりスパイを見下ろした。
突然人が変わったような、薄気味の悪い微笑に気圧された彼女は、たまらず顔を伏せてつぶやく。
「……気楽なほうがいいよ。この案件は、深く考えると……足が止まっちゃうから」
スパイのか細い声に、亜沙日は眉をひそめる。
一瞬の静寂を破るように、髪を黒に染めた未来がリビングに入ってきた。
「終わったよ~。ん? 何話してたの?」
「ううん、何も。うちらは用意できてるよ」
そんな彼女の顔を見て、スパイは笑顔を作った。
「そっか、ちょっとしたら染料の匂いも取れるから、そしたらいこっか」
「「は~い」」
二人の気の抜けた返事がリビングを満たす。
彼らは各々の靴を履き、玄関を出て、真っ白な街を横目に見下ろしながらエレベーターに乗った。
─────────
ここは森地区。この街の貿易を担い、街の玄関として知られている。木々に包まれた街頭は人混みにあふれ、街角のショーケースには2000年代のファッションが展示される。
木漏れ日を背負い、アウトレットモールを散策する三人は歩調を合わせつつ、カラフルに敷かれた石畳を不規則に鳴らしながら、漫談をしていた。
「結構久しぶりに来たなあ森地区。俺の部屋は通販で事足りるからな~」
「部屋に直接届くやつ? すげえじゃんいい部屋住んでたんだね」
「そうなんだよな~。落ち着いたら片づけないと……散らかったまんまだ」
苦い顔をした亜沙日は何かを思い出したかのように二人を見やる。
「あ、そういや俺にもお気に入りのカフェがあるんだよ?」
「いいね、じゃ、買い物終わったら寄ろうよ」
「オッケ~」
彼らはそれぞれの用事を済ませるため、解散した。
─────────
数十分後。亜沙日のお気に入りのカフェでお茶をする三人。
コーヒーカップが空になった頃、スパイは背もたれに肩甲骨を乗せるように伸びをした。
「は~~~普段着も買っちった。未来はまたパーカー?」
彼女の問いかけに未来は得意げな顔を見せる。
「もちろんだよ。亜沙日君はどう? ちゃんと全部買えた?」
ハンバーガーにむしゃぶりついた亜沙日はもごもごしながら返事をする。
「ああ、バッチリです。森地区は安くていいね」
スパイは木々を見上げ、何かを思い出したかのようにつぶやく。
「ゴタゴタがあったから忘れてたけど、天蓋事変から200年だってさ。信じられる? 空飛ぶ車がさ、街の上空覆っちゃって全部落ちてきたんだって」
「だからこの街じゃ空飛ぶ車がお目にかかれないんだって」
「いや信じられんよなあ誰がそんなひでぇことを」
亜沙日は腕を組み、拙くも厳かな雰囲気を醸し出す。
「システムが古かったとか、かねえ」
古かった。というスパイの言葉に未来はとある風説を思い出し、意気揚々と語りだした。
「古いといえば亜沙日くん、この森地区。撤去されていない防衛システムがあるんだって。射出されるのはレーザーじゃなくて、銃弾……」
言葉に詰まった未来の頬を、冷汗が伝う。
「まあまあまあ、気にしなくていいっしょ。情報源はエボニーのご老人だったし。今日日引っかかる武器なんて出回んないんだから、自作でもせん限りさ。あ、ここのコーヒー美味しいね」
話をそらそうとコーヒーカップを傾けたスパイは、少しだけコーヒーをこぼしてしまった。
フラッシュバックした今際の冷たさをごまかすように、未来はコーヒーカップをその手で包み込み苦笑いを見せる。
彼女にとっては少し熱かったのか、すぐにコースターにカップを置いた。
「……そうだね……」
(銃弾……あの野郎……)
亜沙日は木々のとある一点を見つめ、険しい表情を浮かべた。
「亜沙日?どこ見てんの?何かあるの?」
「いや、あそこら辺にあったんじゃないかなって、防衛システム」
「なに?あんたが置いたの?」
「さあ……ねえ……」
亜沙日は目線をそのままにスパイの冗談を躱す。
木漏れ日が差し込むのどかなカフェに於いて、少なくとも彼の胸中は穏やかではない様子だった。




