第二十四話 無二 前編
先の衝突から3日後、メガコーポの社長とこの街の市長の連携による必死の捜索により、海から掬い上げられた亜沙日は強烈な寒気を訴え病院の個室に運ばれた。
自由時間の多いバイオロジスト・朝来遥は、真っ先に彼の面会に訪れた。白衣のポケットに手を入れ、亜沙日の顔をまじまじと見る遥。彼女の面持ちは曇天よりも暗く、今にも泣きだしそうだった。
「博士。元気?」
亜沙日の声を聴いた少女の目から、涙が滴り落ちる。
「……どうしたのなんで泣くの」
「お前を……辛い目に合わせてばかりだ……」
眼鏡を外し、袖で涙を拭う白衣の少女。彼女は再び眼鏡を着用するも、涙は止まらない様子だった。
「……あんたは何もしてないじゃん。俺が……好きでやってるだけ」
「だとしても……せめて……私をもっと、頼ってくれ……」
生みの親の涙声が聞くに堪えなかったのか、亜沙日は彼女の神経に踏み込むように言葉を発する。
「……罪滅ぼし?」
「そっちじゃない……!」
語気を強める少女は、嗚咽交じりに言葉を捲し立てる。
「お前と初めて会った時……! わたしは、お前に救われていたんだ……! 私が勝手に……お前を生み出しておきながら……! お前は……!」
「……私は……! おまえに何も……!」
また、意地の悪いことを言ってしまった。そう思った亜沙日は、数秒の沈黙の後、何かを閃いた顔をした。
「なら……またクッキーが食べたいな。あっ、一緒に作ろうよ」
亜沙日の申し出に、バイオロジストの涙は引いた。
「……ああ……一緒に……」
「……取り乱してすまなかった。また顔を見せに来るよ」
赤く染まった頬を隠すように、顔の前に袖をやった遥は、そのまま廊下へと歩いて行った。
「うん、また来てね。母ちゃん」
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遥と入れ替わるようにリーダーが訪れた。少年は、ベッド脇に置いてあるパイプ椅子に姿勢正しく座り、亜沙日を見る。
「……過酷な任務にあなたを駆り立てた、僕の責任だ……ぼくが……」
少年の懺悔に、亜沙日は割り込む。
「違うよ。俺が勝手にあの人にキレただけだって。リーダーはなんも悪くねえ」
「……関係ない人巻き込んで……死ぬのは俺たちだけでよかったのに……」
仲間の儚げな横顔に、心が冷え込むような感覚を覚えた少年は、普段の態度とは打って変わって必死の形相で語りだした。
「そんなこと言わないでくれ。誰も、誰も死んでいいものか……!」
「この街には死が漂っている……! だからと言って……!」
「あなたのような人が凄惨な思いをする道理はないんだ……!」
少年の説得に何かを思いとどまったのか、亜沙日はゆっくりと天井を見上げる。
「……そうだよな……」
「リーダー、忙しいのにありがとな。元気出たよ……」
言葉とは裏腹の、あまりにも生気のない声に少年は思わず笑ってしまう。
「……フッ、もう少し元気そうな顔で言ってくれ……」
「明日もまた、会いに来ていいか? ……亜沙日さん……」
亜沙日は患者衣の襟を正し、少年の顔を見る。
「タメ語でいいよ。リーダー。呼び捨てで頼む。」
「俺……七歳だし。な?」
はにかむ亜沙日に絆されて、少年の顔の力も抜けた。
「……ああ、亜沙日……」
「また、明日」
「じゃあね」
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少年のお見舞いが済み、数時間の時が経つ。
学校を終えた侑里は亜沙日の病室に直行し、薄緑のブレザーとベージュのセーターを椅子の背もたれにかけ、スカートにしまっていたワイシャツを出している。タイも緩め、楽な格好をした侑里は、同じく病院衣の襟元や、腰のベルトを緩めた亜沙日と、家で行うような普段通りのやり取りを交わしている。
「未来、今仕事終わったってさ。ここまで一時間くらいかかるみたい」
「オッケー」
「元気そうだね」
「……まあな、嬉しいよ。みんながお見舞いに来てくれて」
入院処置が珍しいこの街でのお見舞いに少し緊張していた侑里は、想像よりも元気そうにしていた亜沙日を見て、安堵する。
「当たり前だよ。うちらもう家族みたいなもんじゃん」
「……ありがとなあ……」
「早く帰ってきてよね……私……お留守番なんだから」
「……私?」
亜沙日は聞きなれない一人称に疑問を持った。
「……ウチ」
「知ってるよ、何でもできるスパイが、留守番だけが苦手なこと」
「そう……後のことは何でもする。だから早く帰ってきて」
帰ってきて。その言葉をこぼした瞬間、侑里はもう二度と帰ってこない妹のことを思い出した。突然のフラッシュバックに、心の奥底にあった想いは彼女の自制も敵わずに溢れ出す。
「……なんで、おまえ……か、かわなんかに、おちたんだよお……」
「もう、もう、かえってこないと、おも、おもったじゃないかあぁ……」
「お、俺に言われてもな……」
侑里の支離滅裂な言動に気圧された亜沙日は、泣き崩れる彼女の肩を叩き、ため息をつく。
「はあ……元気がいるのはスパイの方じゃね? ほら、添い寝するか?」
亜沙日の突拍子のない提案に、彼女の身体はぴくりと反応し、侑里はジトっとした目を亜沙日に向けた。
「……へっ、そんなに私と寝るのが良かったのか」
「……ほら、未来さんも早めに帰ってくるし、この前買った珍しいスパイスでさ、カレーでも作ってやんなよ」
「前俺が作ったときのレシピも俺の部屋に置いてあるからさ」
侑里の調子が戻ったように見えた亜沙日は、彼女の気がまぎれるような提案をする。
「……うん、わかった。エロ本も片付けといてやる」
「ははっ。持ってないよ」
「……気を付けてな」
「うん……ねえ、亜沙日」
侑里は首筋の赤くはれた部位を慈しむように触り、小さな笑みを浮かべる。
「ずっと、私たちずっと、一緒だからね……?」
「んん? え? いきなりなに?」
頬は赤く染まり、僅かな緑色を帯びた透き通った金色の目は、亜沙日の持つ翠玉色の目を捉えて離さない。
「て、照れるじゃん」
彼女の眼光に圧倒された亜沙日は、恥ずかしげに目線を逸らし、頭を掻く。
ハッと我に帰った侑里は「またね」と小さく呟いて、病室を後にした。
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侑里との面会後、亜沙日はどこか上の空だった。思えば、未来が遥に会いに行った日から二人の様子がおかしかった。自分を着せ替え人形にして遊んでいた侑里は、いつもよりスキンシップが激しく、仕事で疲れているはずの未来は、その兆候を見せないように輪をかけて気丈にふるまい始めた。
エレベーターを利用し屋上に出た亜沙日は、遠くに見えるエボニー地区に光が戻っていることを確認する。これもまた彼の違和感を刺激した。空飛ぶ車が復刻するからと言って、300年ぶりの停電が起こるほどに電力供給が必要とされたのか?今回の衝突も、全て総司が「もう一つの太陽」を完成させるために根回しを行った結果ではないか?
亜沙日は考えることを止めなかった。もしも考えることを止めたなら、亜沙理と衝突したことで傷ついた人たちに対する罪悪感に、頭がいっぱいになりそうだから。それでも彼の左手には、自分の下敷きになった青年の、肌触りのいいスーツの感覚が蘇る。
未来が面会にくるまでに部屋に戻って頭を冷やし、整理しなければ。亜沙日はエレベーターのボタンを押し、数秒待つ。ピンポーンというチャイムと共に、ドアはスライドし、中にいた初老の女性と目が合う。
すると、女性は大雨の様な汗を流し、亜沙日の顔に釘付けになった後、甲高い叫び声を上げた後に気絶した。
何が起こったかわからない亜沙日は慌ててエレベーターに乗り込み、受付窓口がある三階のボタンを押す。
倒れ込んだ女性を担ぎ、ロビーに足を進めると、
亜沙日を目視した複数の患者が、大雨の様な汗を流し、戦慄していた。
亜沙日は悟った。彼らはみな被害者だ。
自分が巻き込み、命を奪った人たちだ。
蘇生が完了して間もない人たちだ。
亜沙日が呆然とロビーを見回すと、ボブカットの黒髪を携えた少女と目が合った。彼女は、亜沙日に見えるように緑の封筒を掲げ、大粒の涙を流している。それが意味するものはつまり、
あの子と、家族は、もう二度と、
だんだんと混乱が加速する空間に、異常を察知した係員が亜沙日をローラー付きのパーテーションで隠し、彼に病室に戻るよう促す。
失意のうちに病室のベッドに戻った亜沙日は、無為にベッドシーツを握る。
彼の瞳は何も捉えず、まるで光が失われたよう。
その退屈そうに薄く唇を開いた表情は、彼のルーツを思い起こさせるような、虚ろで乾いたものだった。




