第二十三話 核心
「やるなら外で遊びましょう」
憤る亜沙日の首根っこを掴み跳躍する女。その速度は凄まじく、ビルの壁をことごとく破壊するものだった。亜沙日の首は超高温に襲われ、背中には激痛が走る。
二人は、雪が積もるエボニー地区の上空を舞った。
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女の勢いは留まるところを知らず、彼らの肉体はビル群を飛び越え、人々が行き交うターミナル駅のアトリウムに墜落した。天窓が破壊され、崩れ落ちるガラスに瞬く間にパニックになる往来。亜沙日の背中には、彼の下敷きにされたスーツ姿の青年が目を開けたまま横たわっている。
朦朧とする意識の中、女の暴虐に義憤を募らせる亜沙日。彼の身体は鋭く光り、たちまち彼の損傷は修復された。
「さすがの回復力。さすが私のクローンですね」
逃げ惑う人々を目で追う亜沙理と、ただただ女の目を睨みつける亜沙日。彼は高速で間合いを詰め、自身のオリジナルに殴り掛かる。
「いいパンチですね! どこで習われましたか?」
彼のストレートパンチを敢えて受け止め、賞賛する女。
衝撃波が発生し、事態を見届けようとした観衆にガラスの破片が飛来する。
亜沙日は、周囲が見えなくなるほど怒っていた。
「教える義理はねえ!!」
女はにやりと笑う。
「ゲームがお好き! 私もです!」
「心を読むなァッ!!」
余裕を失った亜沙日は、闇雲に拳を叩き込む
彼の腰辺りから砲弾のように放たれるボディーブロー
全体重を遠心力にゆだねた、風を切るようなフック
太陽光線のように翔け抜けるストレートパンチの一閃
そのすべてを微動だにせずに受け止めた女の身体を
青白い炎が包んだ。
小川のような髪の女を中心に、プロミネンスが渦巻いている。
彼女の衣服はゆっくりと焼け落ち、光り輝く肢体が晒される。
漆黒の摩天楼に、もうひとつの太陽が現れた。
目の前の女の変貌に、訳も分からず立ち尽くす亜沙日。
燃え盛る女は、呆然とする彼へとゆっくり歩みを寄せてその手を握り、空へと放り投げた。
凄まじい空気抵抗に亜沙日は意識を手放し、彼の目が開くころには30階建てのビルの屋上が見えていた。彼もまた自身の肉体が青白く染まっていることに気付く。否、燃えている。あの女のように、体を包むように炎が渦巻いている。
ゴム紐が焼き切れ、ポニーテールが解かれた時、亜沙日は、もう一つの異変に気付く。
彼の肉体は自由落下せずに、その場に停滞していたのだ。
「知ってました? 私たちは飛べるんです……!」
ゆっくりと浮かび上がり、彼と目の合う高さまで到達する女。後ろに手を組み、足を交差させ、前のめりで亜沙日の顔を覗き込む。
「は……どこで知ったんだよ……そんな機能……」
余りにも現実離れした光景に、亜沙日は冷静になった。彼は辺りを見回し、自身の置かれた状況を俯瞰した。二つの光は雲を照らし、乱反射した明かりが空を覆いつくしたようだった。右手でもう片方の肩を抱きかかえ、彼は嫌悪感を顕にする。
「さながら太陽だな……二つも……うざってえ……!」
「そういわず、もう少し遊びましょう」
燃え盛る女は意趣返しをするかのように、亜沙日の腹部に拳をねじ込む。
しかし亜沙日は微動だにしない。彼の肉体も、オリジナルの存在である女と同等の強度を獲得していた。
「空中戦では、腰捌きですよ!」
「調子に乗りやがってッ!」
漆黒の摩天楼は二つの輝きに充てられて青白く染まっている。輝きが放つ熱波は街全体に融雪を引き起こし、空を見上げる人々は次々と衣服を脱ぎ始めた。
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川沿いの遊歩道に停泊した空飛ぶ車の試作機。そのフロントガラス越しに退屈そうな表情で輝きを目視する総司は、助手席に座った老人。この街の市長である祖父に問い詰められていた。
「いったい何が起きている……!」
「総司……! これは一体何事かね! 」
「……じきに分かる。あなたの身を以ってね」
急ぎ車から降りる未来、侑里、そしてリーダー。
「こんなことになるなんて……!」
未来は胸元に装着していた強化骨格を外した。余りの熱気にトレンチコートも脱ぎ、内に着ていたパーカーの袖を捲る。大切な友人が火の玉と化し、この街の歴史を歪めた存在と空中戦を繰り広げている。
三人は、空を見上げ息を呑んだ。
規格外の闘争に、友を想う気持ちが極限まで達した侑里は隣にいた未来の手と、少年の手を固く握って涙を流していた。
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上空の火の玉は何度もぶつかり合うも、形勢は亜沙日に傾きつつあった。
不死身の肉体による飛行能力に適応した彼が、亜沙理の動きが単調であることに気づいたからだ。事実、亜沙理はまず大振りのラウンドハウスキックで亜沙日をよろめかせ、その隙に彼の懐に入り込む戦法を何度も繰り返している。まるでそれが、たった一つの必勝パターンであるかのように。
互いにダメージを与えあってもキリがないうえに、早く戦闘を切り上げないといずれ街全体に大きな被害を与えかねない。それを恐れた亜沙日は、亜沙理の蹴りを交わし続け、肝臓を狙ったブローや、肋骨を狙ったワンインチパンチを確実に当てる戦法に切り替える。いくら不死でもこれは堪えるだろうと、大空を舞台にした闘いは、ひたすら地道な作業へと遷移する。
亜沙日は最小限の動きで間合いを詰め、顔色も変えずに脇腹を殴り、痛みによる屈服を期待し、執拗にいたぶり続ける。
人々を狂わせる神のように乾いた力の衝突は、積み重なった遺恨による粘着質的な技巧を以て、幕を閉じようとしていた。
しかし。
「……う、いたいです……もういいです……」
「……これで終わらせましょう?」
脇腹を抑えて丸まり、唇の端から唾液を零した女の瞳孔が開く。アルファプロセスが発動される。
その瞳はまるで、光の届かない宇宙空間のようドス黒さで、何人たりとも寄せつけない空虚を自ら示しているようだった。しかし、彼女のそれに呼応するように、欠伸が人に移るように、未来の瞳孔が開く。
「……! どっちかが私の技を使ってる!!」
「アルファプロセス……! みんな目を隠せ!! グッ!!」
少年の喚起も空しく、街中の人間の瞳孔は大きく開いた。この街を包む美しい光は、その開いた瞳孔では捉えきれぬほどに輝いている。
「ここからだと、私たちのお尻が丸見えです。不愉快ですね」
女の足先から超高温の液体が滴り落ち、
目を伏せて悶え苦しむ人々に襲い掛かる。
先刻まで雪に覆われていた街頭は、次第に火の海に変わっていく。
理由なき虐殺に、亜沙日はとうとう自我を失うほどの怒りに支配された。
「殺す!!」
「死なないんだってば!」
彼の言葉に苛立った女は、亜沙日の突進を受け止め、その頭を抱きしめた。
「ちょっと怒りました。頭を冷やしましょう」
その体制を保ちながら、女はこの街を切り裂くように流れる大河に向かって急降下を開始する。
「クソ!! う、うおおおおお!?」
亜沙理の胸元に固くホールドされた亜沙日は、何の抵抗もできなかった。
彼の奮闘に愛おしさを感じたのか、女は亜沙日の頭頂部を慈しむように撫でる。
「これが……おまえの力なのか……」
亜沙日は全てを諦め、心の中に芽生えた素直な気持ちを自身のオリジナルである朝来亜沙理に突き付けた。
「だから……だから……」
自身を諭すようなクローンの静かな声に、
「だれもおまえについてこれないんだよ」
朝来亜沙理は大きく目を見開いた。
「……!!」
彼女の脳裏に、病床に伏した父の顔が浮かぶ。死にゆく男に自身の細胞を打ち込もうと注射器を握るも、拒絶を訴える男の鋭い目がフラッシュバックする。
流星と見紛う火の玉が、大きな水しぶきを上げた。
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一つの影が、川からゆっくりと上がってきた。
「……」
「どっちだ……?」
水しぶきに塗れた未来は、小川のような髪をした女を睨む。
「…………ぅぅオぁッ!!」
その刹那、市長はコンクリートの地面にヘタレ込み、大雨の様な汗を流し、戦慄していた。
「そ、そうか……! あんただ……あんたが……俺を……こ、ころし」
手の恐怖を克服した老人ですら、自身を殺した存在への恐怖に抗えない。彼の状態から、その人影こそが恐怖の世代を生み出した張本人であると確信し、少年は、ワイヤーブレードを構える。
「……やるしかないのか……!!!」
彼の側に立ち、スタンロッドを握り締める侑里。
「疲弊しているはずだ……! みんなで力を合わせれば……!」
二人の背中を見て、神戸未来は戦慄した。
殺される。
みんなまとめて。
あの時、自分に母の細胞を注射していれば、後悔もつかの間、未来は、とある異変に気付く。
脇腹を抑え、呆然と立ち尽くした女は、虚ろな目で何かをつぶやいている。
「……もう……もう、疲れました」
「……総司くん。早く、例の件を……」
運転席から降り、辺りを見回した総司はため息をつき、芝居がかった振る舞いで聴衆に語り掛けた。
「……みなさん!! 彼女は僕が始末する!! もとより彼女はそれを望んでいた!! これ以上の犠牲が出る前に! この化け物を始末するべきだ!! 異存はありませんね!!」
一糸纏わぬ姿の女は、一身に浴びる冷たい目線を気にも留めず、空飛ぶ車の助手席に座り、その合成皮革を川の水で濡らす。
出来損ないのビスクドールは、死んだ魚のような乾いた目をしていた。
彼女を乗せた空飛ぶ車は、エボニー地区にそびえ立つ、大穴の空いたビルへ飛び立っていった。
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核融合炉もう一つの太陽。亜沙理は、その試作品の中にいた。
「……やはり退屈です。出してください」
「これであなたは死んだも同然、良かったね母さん」
「でも、つまらないですよ?」
「ふっ、墓標にそう書いてほしいのかな?」
一瞥もくれず、にやついた顔でモニターを眺めながら総司は呟いた。
「そっか、そうだ……」
今になって、昔のことを思い出す。
あの時の父のように、彼もモニターを見ている。
あの時は、泣いて気を引いたっけ。
これでいい。これで私は死ねるんだ。
朝来亜沙理は目を瞑り、ため息をついた。
音もなく、肩を小刻みに震えさせたその時。
核融合炉は、静かに稼働する。
「もう一つの太陽は出来た……次は何を作ろうかなあ」
総司は、計算通りに稼働した物体に目もくれずペンを取り、机に向かい合った。その背中は、もうひとつの太陽の光に照らされている。
男は研究に明け暮れる。
彼の周りには誰もいない。
それが己の想像力を守る最も大切なことなのだが。
有体に言えば孤独であることに
母の境遇とそう大差ないことに
彼は気づきもしないまま
軽やかにペン先を走らせたのだった。




