第二十一話 甘露
純白のビル街・アイボリー地区と、漆黒の摩天楼・エボニー地区に挟まれた、細長い台形のような形で広葉樹林が敷き詰められた森。文字通りの森地区は、この街の流通の要になっており、そこに看板を上げた店舗はフレッシュな印象を顧客に与えられるという風説から、地区全体が巨大なアウトレットモールのような機能を持っていた。
夜も深くなり、一部店舗がシャッターを閉める時間。間接照明でライトアップされた木々の下を歩くのは、パーティを終え気晴らしに森地区で買い物をする4人。彼等のリーダーと呼ばれる少年は朝来亜沙理の動向を探りたがっていた。彼女が噂通りの存在ならば、いつどこで破壊工作を行うかわからないからだ。
考え事をし、目を瞑りながら人ごみを避ける神業を何気なく披露した彼は、後続の三人を置いてけぼりにするところだった。
そんな彼の肩を小さな手がつかむ。小さな手の持ち主、亜沙日は彼のかつての地声とはかけ離れた鈴を鳴らしたような声で、自身の異変を訴えた。
「なあみんな、これ以上辛いから、言うけど……俺……声変わりしてる」
「おれだよおれ、亜沙日だよ。あの、もう、完璧にあの人になっちゃったかも」
「「「つ、使える……!」」」
一同に戦慄が走る。
「スパイ、あの人の服はわかるか?」
「買ってくる!」
「未来さん、あの髪型は?」
「まかせて!」
「亜沙日さん! あのカフェに戻って動向を探ってきてくれ!」
侑里は大急ぎで人ごみをかき分け、未来は何処からともなく櫛を取り出し、丁寧に、かつ迅速に亜沙日の髪を解きほぐした。
皆、朝来亜沙理の動向に気を奪われていたのである。
「そんな気はしてた!」
亜沙日も例外ではなく、彼らの突拍子のない作戦行動をじっと受け入れている。
「買ってきた!」
「早!」
「着替えっぞ!」
「まって~」
人気のない路地裏に追い込まれ、一瞬で服を着替えさせられた亜沙日は即席のファッションショーを開催した。前開きの灰色のライダースジャケット、漆黒のタートルネック、そして灰色のロングスカート。
亜沙日はくるりと周り、スカートをたなびかせた。
「ふむ、あの人に見える、気品も感じるな」
「俺はもともと上品だがな!」
少年の素朴な感想に、亜沙日は不服そうな顔をした。しかし、自身の体質を利用したあまりに奇抜な潜入捜査に胸が躍ったのか、亜沙日は笑顔で手を振りその場を後にした。
「じゃあいってくる! なんかデジャヴだな、殺されたらたのむ!」
「よろしく! 気をつけてね!」
未来は手を振り、自身の母と同じ姿をした亜沙日を見送った。
─────────
バルコニーカフェに併設されたバー。ウォールナットの一枚板で仕上がったバーカウンターには、女神と見紛う容姿からは想像もつかないほどにそわそわした亜沙日の姿があった。
黒いベストを窮屈そうに張らせた恰幅のよいマスターは、目の前の女性を威圧しないよう、バーカウンターから一歩引いた距離で注文を促す。
「お客様、ご注文は?」
バイオプラスチックで出来たメニュー表をたわんたわんと珍妙な音を立てながらめくり、亜沙日は勘に任せてドリンクの名前を指差す。
「あ、で、では、カルーアミルク? を、一つ?」
「かしこまりました……珍しいですね?」
「あれ……外したか……?」
青ざめる亜沙日。(注文一つになんて責任だよ)と彼は思った。
「あなた……もしかしてお客様の双子さんとか?」
「驚いた。とてもあの人にそっくりですね」
バーのマスターは前かがみし、亜沙日と目線を合わせてはにかむ。
「え!? やだなあ違いますよおほほ……」
誤魔化す亜沙日をよそに、マスターはグラスを乾拭きしながらつぶやいた。
「あの人のことを知りたいようですね」
「はあああ……さ、作戦失敗か」
変装が無意味になった亜沙日は首を傾げため息をつき、ライダースジャケットを脱ぐ。
マスターは透き通ったグラスをカウンター下の収納にしまい、カルーアミルクをサーブし、両手をカウンターに乗せ俯いたまま語り始めた。
「……彼女は……お酒が進むと……」
「天蓋事変のハッキングをしたのは私だ。だとか、恐怖の世代を生み出したのは私だ、とか。わたしはもう……死ぬしかない。だとか」
「僭越ながら……彼女は今まで見たお客様の中でも、際立って孤独に映りました……」
彼女を慮ったマスターの声を聞きながら、亜沙日は牛乳を飲み干すようにカルーアミルクをその細い喉に流し込む。カルーアという言葉を知らなかった彼は、お酒から好物のコーヒーの味がしたことに驚き、満足げな表情で目を輝かせ、空いたグラスを見た。
「深入りを承知でお願いしますが、どうか、彼女が命を絶たないように、寄り添っていただけませんか? 一バーテンダーの声はどうにも……彼女には響いていません」
マスターは顔を上げる。
すると、目の前には一瞬でグラスを開け、あっという間に顔が真っ赤になった亜沙日の姿があった。
明らかに飲みなれていない……と考えるもつかの間。
亜沙日は舌っ足らずな口調で喋り始めた。
「え、ええ……わたしの……おばあちゃ、姉は……私がなんとかしまふ……ひっく……あの……カルーア? もう一杯お願いします」
「か、かしこまりました」
目の座った美女に圧倒されたマスターは、手慣れた手つきでドリンクを作り始めた。
軽くステアされ、サーブされたカクテルをこれまた一口に飲み干し、半分閉じた目でグラスを弄ぶ亜沙日。
「お酒ってうめえ~~~……俺の肉体も……あの人の物だってわかったし……多分未成年飲酒にならんやろ……ひっく……」
未成年飲酒。聞き捨てならない単語を聞いたマスターは、慌てた表情で目の前の女性の年齢を訪ねる。
「お、お客様……ご年齢をお伺いしても……?」
「七歳れふ……」
マスターは、亜沙日の返答をジョークと受け取った。
「……ふ、不思議な姉妹ですね……」
「もーいっぱい! おねがいします!」
(も、もう少し味わって飲んでほしいなあ)とバーのマスターは肩を落とし、もう一つのカクテルを作り始めた。
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「ふい~……おいしかったあ……まだふらふらする~~」
「だいぶ遅くなった……早くおうちに帰ろっと」
路地裏を腹をさすりながらフラフラと歩く亜沙日。彼の目の前には清廉潔白なアイボリー地区に似つかわしくない、極彩色のネオンがこれでもかとアピールする歓楽街が広がっている。派手な色にワクワクした彼の背後から、チンピラと呼べる風体の男がしゃがれた声で話しかけてきた。
「すみませ~ん、そこのお嬢さん……大丈夫ですか~?」
「お嬢さん……? 俺はあ……ひっく……男です!」
目の前の様子のおかしい女の姿にチンピラは訝しむも、まるで自分の身内を相手するように、亜沙日の背中を押して歩き始める。
「そっかそっか、ちょっとふらついてるみたいだからさ、ウチの店で休んでかない?」
人気の少ない路地に亜沙日は誘導される。彼は泥酔していたが、馴れ馴れしいチンピラの異変には気が付いていた。
「うちの店? その棒は何のつもりだ?」
「残念ながら、俺に死因の恐怖はありませんよーだ!」
男を返り討ちにしようと、亜沙日の身体は鋭く光る。
「まあまあ、そういわんとさ」
「前よりかわいくなったよね、どう? 驚かせるつもりはなかったんだよ」
「な? 今度は手加減するからさ」
ゆっくり歩みを寄せ、軽薄な態度を隠そうともしないチンピラの態度と、「今度は」という脈絡のない言葉を聞いた亜沙日の脳裏には、彼が半年前に襲われた、忌まわしき記憶がよみがえる。自身の懇願も虚しく執拗に甚振られ、それ以来オリジナルの記憶が次々とフラッシュバックするようになった生き地獄。脳髄が書き換わる程の感覚と、その絶え間ない潮流を思い出した彼の身体から輝きは失われ、その顔は見る見るうちに青ざめていく。
男の手が、亜沙日の肩に触れた。
「……う……え……あ、さ、触らないで……」
亜沙日は自身の胸元に乗せるように両手を構え、背中も丸め、怯えた表情を男の前で晒してしまった。自身の身体が言うことを聞かない恐怖に亜沙日の喉は大きく鳴り、瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
目の前の存在を屈服させた喜びに浮ついた表情を見せるチンピラの男。彼は舌なめずりをし、もう一つの手で亜沙日の胸元に手を伸ばす。
「あらま……おとなしくなっちゃった」
「見習えよ」男の首に細い腕が絡みつく。
「え? うぐっ!」
「は……はな……せ……」
「ス……スパイ……」
チョークスリーパーを仕掛けていたのは、侑里だった。
「お前らはな……おとなしくしとけば痛い目見ないで済むんだよ」
「いつも巻き込まれてばかりの、この子と違ってな……!」
男は意識を手放す。
「そこで寝てろ……」
男の失神を確認した侑里は、鉄仮面のような表情を解き亜沙日に駆け寄る。
「亜沙日……! ごめん……!」
「……亜沙日?」
虚ろな目をした亜沙日は、侑里の不安げな顔を見て平静を取り戻す。
「……ああ、ちょっと……酔っぱらってただけ」
「……なあスパイ……酒って美味しいよな」
亜沙日は振り返り、背を向けたまま侑里に話しかける。
「え? の、吞んだことないけど」
亜沙日の言葉の意図がつかめない侑里は、動揺を見せる。
「さっきのバルコニーのご飯も美味しかったし」
「子宝にも恵まれました」
「俺みたいに怖い思いもしてないのにあの人は」
「なんで死にたがってんの?」
「甘えてんのかな」
首だけを捻り見返る亜沙日。その口元からは、聞きなじみのない声。
甘え。という言葉が侑里の胸に突き刺さる。
「……わ……わたしにいわれても……」
凍てつくような友人の目線に彼女は圧倒され、怖気づいてしまった。
「そっか」
亜沙日は前を向いて歩き出した。
アイボリーの歓楽街に消えるその影を当然放ってはおけず、侑里はチンピラが所持していたスタンロッドを回収し、駆け足で彼の背中を追った。




