第十九話 禁忌
アイボリー地区の最北端にあるラボ。玄関をくぐると黒を基調としたシックなリビングと、その中央には大きなアイランドキッチンが構えてあり、カウンターチェアが添えられるように一脚だけ置かれている。
夕焼けが反射する空間にて、神戸未来はコーヒーを淹れている白衣の少女を眺めていた。
くりくりとしたボブカットの銀髪、丸眼鏡の奥の翠眼の持ち主。亜沙日の制作者、バイオロジスト・朝来遥。彼女はクッキーとコーヒーカップが乗ったトレーを傾けないように慎重に、カウンターキッチンまで歩みを進めた。
未来の前にコースターとコップを差し出し、遥は語り掛ける。
「こうして二人きりで話すのは初めてだな」
「……ひどい隈だ、大丈夫か?」
生き別れの姉の、透き通るような優しい声色に未来の緊張は解される。
「……うん、平気だよ。お姉ちゃん」
「……お姉ちゃん、か……ゆっくりしていってくれ。未来」
不意の二人称に戸惑う遥は、妹の目を見て静かに笑う。
「うん、いきなりお邪魔してごめんね。今日しか空いてなくて」
「急ぎの用事か?」
コップをコースターの上に置く未来。
「……うん。聞きたいことがあって……」
「私の瞳が、だんだん緑がかってきたの」
彼女の虹彩は、左目が赤く、右目が翠玉色に染まっている。未来は、赤い瞳をその手で隠す。
「わたしも亜沙日くんみたいに、不死になってきたのかなって……」
「あと、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、不死なのかなって……」
事情を把握した遥は、腕を組み、頷く。
「……なるほどな。だが、確かめる方法は一つだけだ」
「私も、怖くて確かめられていない」
左腕を握る力を強める少女。
「それって……」
「死んでみないとわからない……ただ、未来、お前は既に四度も死んでいる。もしも不死ではなかったら……」
不吉な未来を想像したのか、涙声になる遥。
彼女の心境を察した未来は、背筋を伸ばす。
「……不死だったら……?」
「何?」真剣な妹の顔を見て、遥もつられて姿勢を正す。
「……お姉ちゃん、お願いがあるの」
「……何でも言ってくれ」
未来は頭を下げ、震えた声で希望を伝えた。
「……お母さんの細胞を、貸してください」
「……そうきたか……」
不意を突かれた遥は、クッキーを取ろうとした手を止める。
「理由を、聞かせてくれ」
「……お母さんの噂を聞いたから」
「もし……もしも……」
「あの人と闘わないといけないなら……」
「その時、私が不死じゃなかったら、って……」
「……次に死んじゃうと……私は……」
「大切な人を一人にしてしまう……」
未来は自身の不安を吐露する。
「待て待て待て、お母さんと戦う……? 何故そんな心配をするんだ?」
「パパから聞いたが……私たちのお母さんは、死にたがっているんだ。」
「この時期の川に飛び込んで窒息しても死ねなかった……そんな人なんだ」
遥は天井を見上げる。
「おじいちゃんが赤ん坊のころに殺された事件も、天蓋事変も、昨年から相次いで起きた事件も、彼女と繋がる証拠は君たちのリーダー……神崎君が見た証言しかない」
「彼女はパパの下でおとなしく生活をしている。我々と争う理由はないはずだ」
視線を下ろした遥は、一呼吸を置くためにクッキーを一枚かじり、コーヒーを飲み干す。日が沈み部屋も暗くなったので、彼女は遠隔操作でシーリングライトをつけた。電球色の温かい光が、落ち着いたデザインのリビングを優しく照らす。
未来は、姉の口から放たれる次の言葉を、ただじっと待っていた。
「で、自身は、念押しで不死になろうと……?」
「お母さんの細胞を用いて……?」
「……残念だが……それは難しい……」
「本当の理由はどうあれ、お前は、死ぬのが怖いんだろう……?」
私もそうだ。と言いかけたところで、彼女は口を噤んだ。
目の前にいる、死を四度と迎えた妹は、全く引き下がる様子を見せなかったから。
「……違うよ。お姉ちゃん」
「亜沙日くんがね、この事件に巻き込まれたのも、きっかけは私たちのお母さんだった」
「半年前に、あの子がさらわれてひどい目にあったときも、お母さんがその場を見ていたって、亜沙日君はそう言ってた」
「……ああ、私も聞いた……」
遥はたまらず目を伏せる。
「私はもう、あの子が傷つくのは見たくない」
「亜沙日君ね……体も変わってきて、私達との距離感も分からなくなってきたみたいで……本当に……本当に可哀想なの……」
「だから……私がなんとかしなくちゃ……」
「……未来が、そこまで背負うことではない」
「ううん……もう……私がやるしかない……」
「もしものことがあったら、強化骨格でも、不死でも、なんでも使って見せる」
「だから、お母さんの細胞を、私にください」
力強く語る彼女の瞳孔は、明るい空間の中でも大きく開いていた。
その気迫に圧倒された遥は、嘘偽りのない想いが瞳の奥にあることを悟り、数十秒の熟考の末に、未来の前に真っ黒な袋を差し出した。
「……わかった……あの子のためなら……断れないよ」
「だが、決して、私と同じ轍を踏むなよ」
「あの子が苦しんでいるのは……誰でもない、ほかならぬ私のせいだから……」
遥は眼鏡をはずしてテーブルに肘をつき、額を手の甲の上に乗せた。
ゆっくりと項垂れた姉の姿を見て、未来は目を細め、彼女に同情する。
「お姉ちゃん……」
「……でも、私、あの子に会えてよかったよ? おかげで、お姉ちゃんにも会えた……だから、思い詰めないでね……?」
少女の肩は、嗚咽によって上下していた。目の前にいる妹の前で取り繕うことも出来ず、ただただ罪悪感に駆られ、涙を流すことしかできなかった。
「……ぐすっ……ああ……」
「……ぐすっ……すまない……」
時計は午後の十九時を示していた。未来の脳裏に、寝室で彼女を待つ侑里の顔が浮かぶ。
「……今日はもう帰るね、またね? お姉ちゃん」
「……ああ、今日はありがとう、未来」
「あの子のそばに、いてやってくれ」
涙も拭かず、妹の顔を見るべく視線をあげる白衣の少女。
「うん、じゃあね、お姉ちゃん」
「……ごめんね」
スライドドアが閉まる。
身に覚えのない妹の謝罪に、遥は不思議に思うも、未来と言葉を交わしたことによりその心が軽くなっていたことに気づき、自身の胸に優しく手をのせた。
─────────
帰宅してすぐにシャワーを浴び、髪を乾かした未来は急ぎ足で階段を上る。
空調の効いた寝室には、未来が患者からもらった御礼品が飾られている。中には、子供が描いた未来の似顔絵や、他国の為政者から譲り受けた絵画がある。未来は、それらの品物が持つ温かなメッセージに、勇気をもらっていた。
今日も一日を駆け抜けた。そう思った彼女は視線を下ろすと、目線の端に衣類をまとわず、ベッドで膝を抱える侑里の姿があった。
未来の帰宅を待ちわびた侑里は、不満げに頬を膨らます。
「遅かったじゃん」
「ごめんごめん……今日はもう平気だよ」
「うん……」
未来はバスローブを椅子に掛け、侑里とともに化学繊維の寝具に包み込まれる。
「いつもごめんね」
「ううん……未来が頑張ってるの、知ってるから」
「……ありがとう」
「お休み、未来……やっぱあったかい……」
寝息を立てる侑里を見て、未来は心底幸せそうに笑みを浮かべる。
「寝つきいいなあ……うらやましい……」
「……ずっと、こうしてたいよ」
「ずっとずっと……」
「……ずっと……」
薄暗い部屋に、一つの影。
小川のような長い髪。
女神像のような肉体。
隈が象る半開きの瞳。
未来の手には、小さな注射器が握られていた。
その針は、柔らかい首筋に沈み込み
侑里の体は、その異物を受け入れた。
未来の耳には、痛みで漏れる侑里の嬌声は届かない。
彼女の瞳孔は大きく開かれ、その集中力は全て針の先端に注がれている。
「あっ……なくなっちゃった」
未来は、己に注射する分まで朝来亜沙理の細胞を侑里に注ぐ。
翠玉色の虚ろな瞳で空になった容器を見つめ
それを枕の下に隠し、未来は寝息を立てた。




