第十八話 倫理
朝日が昇るアイボリー地区のとある一室。そのリビングに、パーカーを前後逆に着た女が現れた。毛先が黒く染まった、銀色の長髪をした女。神戸未来。右目が前髪で隠れた彼女は、もう片方の赤い瞳で部屋を見渡し、自身のルームメイトである神戸侑里と朝来亜沙日に挨拶をした。
「おはよー……」
「「おはよー」」
ソファに並んで座っていた二人は、彼女を見て返事をする。
「あ、ウチはそろそろ学校だ。行ってくる」
侑里は白いワイシャツの上に薄緑のブレザーを羽織り、金髪のセミロングを揺らしながら部屋を後にする。
「いってらー」
「……だっはあァーン」
何とも力の抜ける声を発しながらソファに倒れこむ未来。
「すげえダイブ。クジラだな?」
彼女のことをよく知る亜沙日は、慈しむような目でソファにうつぶせに倒れこんだ未来の頭をそっと撫でた。
「……んう……お母さん?」
「え? 俺?」と、嬉しそうなトーンをあげる彼だが、未来の目の下の隈に見られるそのあまりにも消耗した顔つきに眉をひそめる。
「未来さん。大丈夫?」
「疲れた。死にそう」
「寝起きなのに?!」
ソファに突っ伏し、くぐもった声で素っ頓狂な返事をする未来に、亜沙日は狼狽してしまった。
彼は心配する気持ちを抑えきれず、無意識の内に彼女の背中をさする。
「……やっぱ、色々使うよな、気とか」
裏返しの服が首を絞めているのか、未来は掠れた声で返事をする。
「うん……死因は人それぞれだし、それに向き合う姿勢も違う。毎日が新しい職場みたいで、一年経っても……慣れない」
目が覚めてきたのか、未来は立ち上がり、亜沙日の傍に座る。
「でも……この力は私にしか使えない。どれだけ扱い方を周知しても結局私の施術じゃなきゃ治ってないの。利権だ。独占だって」
「言われたのか?」
「言われるんじゃないかって」
パーカーが裏返っていることに気が付いたのか、未来は長髪を巻き込むように服を脱いだ。睡眠不足や過労による不整脈を避けるための、簡易強化骨格とも呼べる薄手の真っ白なインナーが露になる。ぼさぼさになった髪も気にせず、隣に座る亜沙日が男であることも忘れ、フードの裏表を瞼をこすりながら確認し、両手をあげてゆっくりと袖を通す未来。
日頃の彼女の様子からは想像もつかないほどの無防備な姿。未来はよっぽど疲れているのだと、亜沙日は胸を痛めた。すでに4度も死と蘇生を経験した彼女が、過労死してはあまりにも報われない。そう考えた彼はある提案を試みた。
「……患者を受け入れる条件を、今より高めるとか」
襟首からスポンと顔を出した未来は、亜沙日の顔を見る。
「どういうこと?」
疑念のこもった声を受けた亜沙日は、慌てた様子で自身の考えを披露しようと身振り手振りをする。
「ほら、ひいじいちゃんは手が怖いから、あの事件を起こしちゃったじゃんか」
「手みたいなさ、あまりに身近な死因なら、治してみて、な? 恐怖の世代みたいに、ゴーグルとかバリアフリーで何とかするとか」
「……今までは未来さんがいなかったじゃない。それでもやっていく術はあったんだし」
彼の説明に思うところがあったのか、未来は俯く。
「私は、私はそうは思えないんだ」
「お寿司屋さんに入ってね、アワビをみて失神した人がいたの。その人にはどのアプローチでも拒絶されて……力になれなかった」
彼女は震える自分の手のひらをゆっくり開閉する。
「銃で死のうが、手で死のうが、車で死のうが、結局死ぬのは怖いんだ……そこに区別はつけられない。だから、だからこんなに忙しいんだ」
「ごめん。軽率だった」
「ううん。いいんだよ」
ゆっくりと首を振り、亜沙日の謝罪を受け流した彼女はソファに深くもたれかかる。
くたびれた未来の様子を見て、亜沙日は街中で猫を見つけた時の興奮と、自身の変化した姿を初めて鏡で観察した時のような背徳感を同時に抱いていた。この人を守りたい。そういった気持ちが綯交ぜになった心を包んだのだろう。亜沙日は、未来の手に自身の手を重ね合わせた。
彼の気持ちを汲み取ったのか、未来は屈託のない笑みを浮かべた。
「ありがとね、話を聞いてくれて。多分、いや、やっぱり人の死って闇だ。それをさ、君や……侑里みたいな明るい子に受け入れてもらえるのって。本当に助かるんだよ」
「……もう一つの太陽か。私にとって、甥っ子である君がまさにそうかもなんて。やっぱ疲れてるな、私」
未来が少しだけ元気を取り戻したように映った亜沙日は、恐る恐る口を開く。
「おばちゃん……」
「おばちゃんはやめて」
「私はまだ若いぞ……」
険しい顔で顔の前に拳を構える未来。
(社長の面影を感じる……!)亜沙日は思わず苦笑い。
未来はコップを口元に運びコーヒーを飲み干そうとしたが、少しだけこぼれてしまい、パーカーの生地に染みがついてしまった。
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アイボリー地区での一日はあっという間に過ぎ去った。森地区で買った香辛料から手作りのカレーを作り、レシピや口当たりに対してあーでもないこーでもないと感想戦を終えた亜沙日と侑里は、狭いソファに転がりダラダラしている。
セレモニーの事件から、急激に体が女性のものとなった亜沙日。そんな彼を心配する侑里と未来の判断で、亜沙日は散らかった部屋を片付けたいという自身の目的も虚しく、二人との共同生活の続行を余儀なくされている。
己の現状に諦めがついていたのか、自分の胸元に顔を埋め寛ぐ侑里を放って、彼は携帯端末にプリインストールされているニュースアプリを眺めている。
二人の距離感は、亜沙日の身体的変化も伴い、より身近なものに変化していた。
「未来さん、最近遅いなぁ……」
「髪も真っ白だしな。染める暇がないって」
「ところで亜沙日さ、なんかすっかり女の子になってきたな」
胸元で呻るように話しかける侑里に、亜沙日はわざとらしくため息をつく。
「アイデンティティクライシスじゃんね。昔はあんなに男らしかったのに」
侑里は、もごもごと口を動かし、申し訳なさそうにつぶやく。
「……でも、なかったよ。その、あれが」
「え!? いつ見たの!?」
衝撃のカミングアウトに亜沙日は顔を真っ赤にし、ビクンと跳ねた。
侑里は、ちょっとした罪悪感から顔を上げようとしない。
「二人を蘇生した時」
「それよりも、エラーが出てたのに傷が治っていく方が奇妙だったな」
亜沙日は、今が好機といわんばかりに自己弁護を行った。
「いろいろ合点がいったぜ、ちなみにいやらしいことは考えていないぞ」
「それは……どうかな~」
「え!? まだ駄目!?」
一年半もの共同生活で亜沙日に対する理解が深まっていた侑里は、彼の日頃の行いや目線から曖昧な判定を下した。
「そういや開発者を蘇生した時もカーネルエラーが出てたらしいな。もしかしてあいつも、というか俺らはみんな不死身なのか?」
侑里は思わず顔を上げる。
「えっ? でも未来の時は出てなかったよ?」
「「……??」」
二人の頭上に疑問符が浮かんだ。ように見えるほどリビングは沈黙に支配されている。
侑里は、訝しんだ顔を保ったまま、亜沙日の上から降りソファを離れた。
一人横たわる亜沙日はソファの独占を確信し、シメシメといった顔で体を伸ばしきった。しかし、侑里の顔色が悪い。それに気が付いた彼はゆっくりと起き上がり、彼女の様子を伺う。
「……もう死ぬとか……考えたくない……」
ぽつりとこぼす侑里。
「亜沙日……今日も、いい?」
彼女は両手を組んで口元を隠し、心底不安げな表情で亜沙日を見る。
「……そろそろ寝るか」
亜沙日にとって、この提案は初めてのものではない。いつも彼女と同衾をしている未来は、仕事の都合により帰ってこない日もある。そんなある日、亜沙日はベッドの上に膝を抱えて座り込み、すすり泣いている侑里を目撃してしまった。その時から、未来の帰宅が少しでも遅れると侑里は亜沙日を頼るようになっていた。
彼女の孤独への恐怖は、これまでの事件が積み重なり深刻なものになってしまったのだろう。いつも明るく、拠り所のない自分を支えてくれるスパイという存在。彼女がここまで怯える孤独とは、どれほど恐ろしいものなのか。そう考えた亜沙日に、拒絶を選ぶ理由はなかった。
自身は男である。倫理的な問題は脳裏に留めつつ、彼は大切な友人である侑里の提案を受け入れた。
「添い寝までならな」
「うん、ごめんね……」
「いいよ」
「……こんな体だしな……」
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侑里を寝かしつけた後、亜沙日はベッドの中で自身の『源流』である女、朝来亜沙理について考えていた。
(……あの人の姿を見る度に、俺は痛い目に遭ってきた)
(死なないってわかってから、あまり怖い思いをすることはなくなったけど、銃だのナイフだの、痛いものは痛いんだよな)
亜沙日は脳髄に綿が詰まったような気分になり、身もだえをする。
「……亜沙日……?」
眠たそうな声が背後から聞こえる。
「なんでもないよ」
侑里は再び寝息を立てる。
(……見方によれば得してたりしてな! かわいー女の子と寝てんだぜ、今)
(……自分も女の子になってな)
(あの人……亜沙理さん。俺の事どう思ってるんだろうか……)
(……嫌われてなかったらいいな)
(いや……噂が、本当なら……あの人は……)
彼もまた、静かな寝息を立てた。
部屋には、二つの寝息と小さな空調の音だけが響いていた。




