第十六話 無駄
数日後。高層ビルの屋上、ウッドデッキのルーフバルコニーが名物の高級バー。
亜沙日は、未来と侑里と共に背伸びを自覚しながら、気晴らしのためにこのバーに併設されたカフェでくつろいでいた。
時折夕日を眺めつつ、彼はバルコニーで項垂れる。数日前にはなかった身体感覚が、彼の中の疑問を搔き立てた。
(……結局、開発者の奴が好き放題暴れて、全部有耶無耶にされただけなんじゃ……)
(クソ……せめて……あいつらは俺が……)
(俺がこの手で……!)
「ん? リーダーからメール……は……? 留置所が襲撃……?」
「よお」
馴れ馴れしい声が聞こえた。
その声の正体は、ターバンを頭に巻いたタンクトップの男。先日、遺体として確保された男。犯罪組織の九代目リーダーであった。彼の頭部に緩く巻かれたターバンの隙間から、脳と思わしき物体が見え隠れする。
「……っ!」
亜沙日の脳裏に、男に味わされた屈辱の記憶がよみがえる。
呆然とする亜沙日に、恋人のように、家族のように親しげに話しかける男。
「またあそぼうや」
「……! き……! なんなんだおまえ……!」
「なぜ生きてる……!」
震え声で吠える亜沙日
「は? いじめじゃん。」
「お前の細胞だよ。お前の髪からとった細胞で超回復してだ、ケーサツやら蘇生のお医者さんらを出し抜いてな。たった今脱獄してきたわけ」
「そんで、こんな綺麗な夕日が見えてな、かわいい子がたくさんいる中でさ、敢えておまえを」
バルコニーから夕日を眺め、男は淡々と亜沙日の神経を逆なでする。
「うるせえ……! こ、これ以上喋……喋るな……!」
怒りよりも恐怖が勝る。目の前にいるのは己の尊厳を徹底的に踏みにじった敵だ。この男に抗いたいのに、横隔膜は仕事をしない。
「はあああ、ただな、治りがおせえ。もっとお前の細胞が欲しいんだよ。お前は死なんから、他のやつにもまわしたりしてな」
「……なんなら飯問題も解決かよ!! 都合よすぎんだろええ!?」
「ウッ……うあああ……」
自身の回復能力を利用して、無限の食材とみなすのか?
彼の頭をよぎるあまりの醜悪な被害妄想に、亜沙日の目に涙が浮かんだ。
「亜沙日!!」
異変を察知した未来と侑里が駆けつける。
「お姉さんらがお姫さん助けに来たあ!! めでてえ~!!」
「図に乗るな!」
侑里は怒りのままに男との間合いを詰める。
「……待て! そいつ強いぞ!」
亜沙日の制止を合図とするように、九代目犯罪組織リーダーは未来と侑里を上回る速度で疾り、亜沙日の首を掴んだ。
男の体がかすかに光っている。
「おまえさああ、情けなくねえの?守ってもらっちゃって」
「楽しいことってな、惰性なんだよ。安心するよな? 面白いことってな命がけなんだよ。ドキドキするよな? 楽しいことも面白いこともどっちも自分の内側からあふれる目的意識をもってな、バランスよくやってりゃさあ、人に好かれて、繋がりが出来てもっとコーフンするものができるってもんなんだ。わかるか? 分からんだろ? おまえはな、それがない。おまえはな、全部他人にやってもらってるんだ。だからあんとき体に叩き込んでやったのに。死なんとわからんか! なんかそうっぽいなおまえ!!」
「そこが気になるよなァッ~!?」
首を絞める。亜沙日は死ねない。
「う……うあああああ。う……ううッ……!!」
「貴様ア!!」
「邪魔だよお!?」
彼の裏拳は衝撃波を放ち、未来と侑里はその威力に弾き飛ばされた。
(ふ……ふざけやがって……!)
(どいつもこいつも……! 無駄な事ばっか早口で言いやがって意味わかんねえんだよ……!)
(だが……はっきりしてるのは……! あのとき俺は、おれを、あきらめたけど、未来さんは、スパイは、俺のことをあきらめてねえ……!)
(負けて、たまるかあ……っ!)
亜沙日の身体が鋭く光った。
「ぐっ……! さわんじゃ、ねえッ!!」
自身の首を掴む男の腕を肘で叩き折り、拘束を振りほどく。
「ハアッ……ハアッ……やっぱおまえは馬鹿だ……!」
「そのなんだ、超回復の応用か? それがおまえに出来るなら、俺にもできるんだよ」
「何故なら俺はお前よりオリジナルだからだ」
「へへへ、へへへへへ、確かにやべえ~~~!!」
折れたほうの腕をプラプラと振り、男はにやけ面を晒した。
「何がそんなに面白いんだ……?」
亜沙日は、超回復能力に目覚めた男の腕が再生していないことに違和感を持った。昨年の闘いで自身の骨折は瞬時に治ったはずなのに。奴に悟られる前に仕留めなければ、と考えた亜沙日は勢いに任せ、
「まあいい!! 死んでもらう!!」
と閃光のような速度のドロップキックを放つ。
それをドンと構えて受け止めた九代目と共に、亜沙日はバルコニーを超えて三十階建てのビルから飛び出す。ガラス破片を巻きこみ、アイボリー地区の黄昏に二つの人影が舞った。
両者を包む無重力感は一秒も待たずに去り、アーチ状の軌道を描く自由落下は遥か百数十メートル下の歩行者デッキに誘う。
「ナイスなキックじゃん! やるじゃねえかオラッ!!!」
一般的な男性のものよりも小さい喉仏に、手刀を突きささんと空中で腕を伸ばす九代目。
亜沙日はそれを難なくいなし、その手首を優しく握った。
「慌てないで」
「もしもあなたが生きていたら、思いっきり遊びましょう?」
「……ね?」
夕焼けに照らされた彼の長髪と微笑み。
女神と見紛う容姿から飛び出した言葉はどこか嘘くさい。
九代目と呼ばれた男はその意外性に目を輝かせ、抵抗を止めた。
「おもしれえ! おもしれえじゃん! お前!! 楽しもうz」
鈍い破裂音。犯罪組織のリーダーは亜沙日の下敷きと化した。
ゆっくりと起き上がった彼の額には、脂汗が浮かんでいる。それは、高所からの落下のスリルによるものか。はたまた、眼の前で横たわる宿敵への警戒心の発露か。
「……勘は当たった、やはりこいつは不死ではない」
「今度は、あんたがぐちゃぐちゃだな」
死体の顔を覗き込む、髪が血溜まりについた。
動く気配はない。
亜沙日の口元に浮かぶ、小さく乾いた薄笑い。
「どうだったよ、命がけだぜ」
裏返った声で戯けるも、額の汗はやまない。
戦いに、無限の命を持ち込んだ少年の背中を夕焼けが照らす。深い影が、砕けた男の頭蓋を覆う。
「つまんな」
亜沙日の腹が、ぐるぐると音を立てた。
毛先から滴る血は薄黒く、アイボリー地区の真っ白な歩行者デッキを汚した。
─────────
事件収束から一週間後、総司と遥は彼女のアパートのバルコニーの手すりによりかかり、夕日を眺めていた。
「遥。奴はいる、この街に」
「……どうしたらいいと思う? 私たちでは勝てないぞ」
「いわば、私たちの……オリジナルに……」
俯く妹を嘲笑する総司。
「はっ、まだまだだね」
「あの見てくれだけの馬鹿は死ぬまで自分が不死だと勘違いした」
「それはなぜか? 気安いからだ。領分もわきまえず短絡的に物事を定義したら彼の中ではそれが全てになる」
「君も科学者ならばそんな物言いはやめろ。馬鹿ほど結論が早いからな……」
兄の言い放った理屈。そのアイボリー地区にも負けないほどの白々しさに遥は肩をすくめた。
「それ、自戒も兼ねてるな」
「結論が早いよ」
総司は苦い顔をした。
彼を無視し、遥は自分の手のひらを見つめ、思考に耽る。
確かに亜沙日の細胞から後天的に不死性を獲得するのは、現段階では不可能かもしれない。けれど、少なくとも敵は超回復能力を獲得し、亜沙日を追い詰めた。
「今度こそ、私があの子の力にならなくちゃ……またあの子ばかりがひどいめに……」
力なく手のひらを閉じる遥。
妹の懺悔に疑問を感じたのか、総司は優しい声色で語り掛ける。
「無駄なことばかり考えるなよ。彼は力に満ちているじゃないか」
「自分を過小評価している限りは、力なんて持て余して当然だね」
「まったく、どいつもこいつも」
総司は夕日を眺める。目に入る強烈な日光を手で覆わず、只眺めている。
どこまでも素直に省みることができない兄の鼻っ柱をへし折ろうと、遥はボソッと、
「それも自戒」と呟く。
「遥ちゃんのバカ」
「お兄がバカ」
「お兄?」
「バ、バカ! ばかあ!」
兄のシンプルな暴言に返り討ちにされたバイオロジストの顔は、夕焼けよりも真っ赤に染め上がった。




