第十話 落日
アイボリー地区の南西にある埠頭。そこに並ぶコンテナハウスに作られた薄暗いガレージ。その端に置かれたローテーブルを挟み、二人の男が薄汚いソファに座っている。
「俺は嘘は嫌いだよ? 正直さが何より大事なんだよ。楽しいことを味わい尽くすにはさ」
「あんた、ちゃんと楽しめるよね? このケーカクで?」
この時代には珍しい綿100%のタンクトップシャツに、薄汚れたワイドカーゴパンツを着た男はソファのスプリングで尻を弾ませる。左腕には、デジタルの腕時計と、アナログのものを三つずつ交互に着けており、右腕にはFun & Interetstと言った英文のようなものが、誤字を伴って刻まれている。
くたびれた表情のスーツを着た中年は、目の前の粗暴な見た目をした男に毒づく。
「……あんたらみたいな野蛮人に、ハッカーのご友人がいたとはな」
粗暴な男はわざとらしく胸を痛める素振りを見せ、男の言葉を脈絡なき毒舌と解釈し、あやすように両の掌を見せつける。
「ええ……もうちょっと冷静に行こうよ」
「俺らもあんたと同じでさ、楽しいことしてたいだけなんだよ」
背もたれに深くもたれかかり、頭が逆さになる男。彼は窓際にいる、小川のような髪の女に語り掛けた。
「なあ……? 黒幕のねえちゃん……?」
「あんたが云百年前に作ったプログラムがさあ!!」
「このアホみたいな街を地獄に変えるんだぜ!!」
「これは随分ロマンチックじゃねえかよ!!」
「楽しもーぜ!!!! なあ!?!?」
「……ええ」
生返事をした女は退屈そうな顔をして曇りガラスの前に立っている。開かれた彼女の瞳孔に差し込む日差し。軽薄な男の問いかけに、女は目を遮る素振りも見せず。ただただ太陽と思わしき光を眺めていた。
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「……心配してたんだからな……!」
「す……ごめんって……」
鬱蒼とした木々の下、二人の男女による言い争いが繰り広げられていた。
ここは、森地区にあるカフェ。銀髪の少年、亜沙日がよく通うお気に入りの店舗だ。ラウンドテーブルの上座には黒髪を後ろで結った女、神戸未来が座っており、亜沙日を問いただす金髪の女、スパイこと神戸侑里をじっと見ていた。
「あの男と森地区に落ちたと思ったら数日も雲隠れして」
「結果オーライだあ?!」
テーブルに手をつき前のめりの姿勢を取った侑里は亜沙日をじっと睨む。その迫力に気押され、彼はコーヒーを少しだけこぼしてしまった。
「いやほんとごめんって!! もう一年前の話だしいいじゃん!!」
「駄目だ! お前はフラッとどっかいきそうだから!」
侑里は昨年の事件より、元々の気質であった孤独への恐怖心が増しており、亜沙日はそんな彼女の懇願により一年もの間、彼女らとの共同生活を続けている。
彼は部屋を片付けたいと主張しても却下され。黙って自室に戻ろうとするとなぜか侑里が現れて連れ戻される。そんな生活に辟易していた亜沙日は、思い出話も兼ねて一年前の事件を話題に出してしまった。
未来が短期間に三度も殺された事件。それを引き合いに出された侑里はたまらず怒り、亜沙日を問い詰め始めたのが事の経緯だった。
亜沙日は困惑した表情で未来に縋る。
「二人とも、その話はもういいよ」
未来は呆れた表情でコーヒーを飲む。
「だってさあ、あんな未来を置いて開発者の野郎を蘇生したんだよ?」
侑里は落ち着かない様子で両手の指を動かしている。
「いやね! ほんとそれは勢い余ってやっただけだから……!」
低姿勢の亜沙日はそんな彼女を鎮めようと、テーブルに両腕を乗せて身を乗り出し、上目遣いで説得を試みる。
「で?市長もあいつもおとがめなしでさ! どーもスッキリしないんだよねえ」
昨年の事件は新地区開発計画頓挫の報せにより収束へ向かったとされ、朝来総司による「もう一つの太陽」の開発は日の目を見なかった。
「権力者だからしゃーないって、俺の身分も隠してくれてんだし許してくれよ」
朝来遥との対話後、亜沙日はメガコーポ社長とコンタクトをとり彼の扶養に入ることになった。市長が身内になった彼は、どうしても朝来誠司の蛮行を憎むことはできなかったのだ。
「も~未来もなんとかいってよ~~」
コーヒーを飲み終えた未来は、カフェを覆う木々の一点を見つめ呟く。
「……あの事件のおかげで、色々学べたから、私は特に……」
「な? 文句言ってるのはスパイだけだって」
「はあ……もお……」
椅子にもたれかかり、空を見上げて大きなため息をつく侑里。木漏れ日がまぶしかったのか、彼女は眉を寄せ、目を細めた。
「色々学んだって……家族関係でしょ?二人の」
亜沙日は首を傾げ、頭に浮かんだ自分の家系図のあまりの複雑さに思わず笑う。
「改めてやべえ~」
「他人事みたい」
軽薄な亜沙日の態度に笑みを浮かべる未来。
「ウチ的には亜沙日が女の子なのが驚きだよ」
亜沙日の髪質はしなやかなものに変わっており、その印象はどこか柔らかく、女性的なものになっている。
「う~ん? 俺は男だよ?男過ぎるぐらいだ」
「過ぎることがあるのかよ」
「オミズヲオツギシマス」
「うおびっくりした」
廉価な給仕ロボットが、ぎこちない動きで空いたグラスに水を注いだ。不意に現れたロボットに意表を突かれる侑里。
その様子を無為に眺め、亜沙日は微笑む。
「ま、みんな色々事情があったんだなあ」
「俺なんかクローン人間だったわけだけど」
「ちょっとあのゲームみたいだな、内心ワクワクしてるだろ」
「ご明察」
侑里と亜沙日は顔を見合わせケタケタと笑った。
「スパイもさ、色々あったけどもう平気なの?」
「ウチはだいじょーぶ。ちょっと目立ち過ぎただけ」
「あのバカヤロー共は大した腕じゃないし、へーきへーき」
「亜沙日も気をつけろよな」
「ああ、でも……もう大丈夫だよ。おかげさまで」
犯罪組織の男たちは昨年の事件から懲りずに侑里を攫おうとしており、この一件もまた亜沙日が家に帰れない理由になっていた。しかし。侑里が彼等を返り討ちにする度にその傾向は見られなくなっていったため、亜沙日はとうとう自室に戻ると二人に伝えたのである。
その様子を思い出していた未来は小さな声でつぶやいた。
「寂しくなるなあ」
「ま、部屋も散らかりっぱなしだしね」
「いやらしいことは起きなかったな」
「起こす気はありませんでしたわよ……!」
ロマンスを期待した相手が身に覚えのない実の娘だったのだ。侑里の冗談に呆れた亜沙日の口調はお嬢様のものと化した。
「はあ、じゃ、スパイ。未来さん。またあそぼーね」
「今までありがとうございました」
深々と礼をする亜沙日。
未来は名残惜しそうに亜沙日の顔を見る。
侑里はテーブルに目線を置いて顔を合わせようとはしなかった。
「おう……じゃあな」
「亜沙日くん、いつでも遊びに来てね」
「うん。じゃあね」
大きな背伸びをした亜沙日は、小さなカバンを右肩に背負って、足取り軽く、カフェを後にした。
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亜沙日は自室に帰る前にアイボリー地区の港に来ていた。水平線を眺め、頭を整理するために独り言をこぼす。
「一年もお世話になっちゃった。でも、楽しかったなあ」
「とはいえ、いつまでも世話になるのもね。忍びないし」
二人との生活が、つまらないわけではなかったと、亜沙日は自身に言い聞かせる。実際、血縁と判明したものの憧れの存在と暮らしを共にすることは、彼にとって新鮮なものであったし、侑里とはサブカルチャーの趣味が合い、休日にはよく森地区にて惰性のままウインドウショッピングをするまでに、交友を深めていた。
名残惜しいのは、自分も同じだ。そう思った亜沙日は夕焼けを左手で遮る。
「あの事件から一年か……」
「出自が明らかになったからって、死なないのがわかったからって」
「何かが変わるわけでもないよなあ……」
「退屈かも」
港は静かだった。
埠頭には船が揺れ、灯台の上には人影が浮かび上がる。
その人影が持つ長髪は風に揺れ、亜沙日はその光景に釘付けになった。
電気自動車が亜沙日の後ろで静かに止まる。
車から降りた一人の大男は亜沙日の口を右手でふさぎ左手のナイフで彼の背中を貫く。
痙攣する彼をナイフも抜かぬまま車に放り込み。
電気自動車は静かに走り出した。




