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芸ノ譚 ー灰に舞う琴音ー  作者: 宮山悠
第一章 布石ノ盤

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第四話 競演参加

弦は布団の上に横たわったまま、天井の木目をじっと見つめていた。

胸の「琴」の文字が、じりじりと熱を帯びて疼く。まるで自分の意思を持つかのように。

斎の言葉が耳にこびりついて離れない。


『行かなければ、宮廷は君を放っておかないよ』

……放っておいてくれればいいのに。


王都に来たのは、灰爺の最期の言葉を守るためだけだ。

芸など使いたくない。使えば、また誰かを傷つける。

母のように。村のように。


「もう、いい」


弦は小さく呟き、布団を静かに抜け出した。

窓の桟に手をかけた瞬間――

外の闇に、複数の人影が立っていた。

月光に照らされた黒装束。顔は覆面で隠され、静かな目だけが弦を捉えている。

扉の向こうからも、息を殺した気配が複数感じられた。

囲まれている。

弦の指先が、わずかに震えた。

逃げようとしたその瞬間に、すでに逃げ道は塞がれていた。

――もう、やるしかないのか。

胸の「琴」が、初めて嘲るように熱くなった気がした。



翌朝。

王都の中央広場は、祭りのような熱気に包まれていた。

三年に一度の宮廷競演。文官と武官の座を賭け、若き才能が芸を競う場だ。

弦は文官の会場に立っていた。

周囲の喧騒が遠く聞こえる。足が重い。

自分の名が呼ばれるまで、ただぼんやりと地面を見つめていた。


「次、弦!」


名前を呼ばれた瞬間、弦の体が硬直した。

壇上に上がる。

そこには、黒装束の者たちが無言で運んできた、一挺の古い琴があった。


弦はそれを受け取った。木の感触が、懐かしくも恐ろしい。

指を弦に置く。

震えが止まらない。

灰爺の炎。母の最期の微笑み。村人の叫び。

すべてが、一気に胸に蘇った。


「……っ」

弦は目を固く閉じた。

指が、自然と動き出す。


最初に奏でたのは、灰爺がよく口ずさんでいた古い子守唄だった。

しかし今、弦の指は哀しみを込めすぎていた。


音は重く、暗く、会場全体を深い悲しみの底に沈めていく。

観衆の息が止まる。

誰かが嗚咽を漏らし、肩を震わせる者もいた。


(違う……こんなはずじゃ)

弦は指を止めた。

息を大きく吸い込む。

もう一曲。

今度は、母が最後に聴きたがった、穏やかな癒しの旋律。


指先から溢れ出す音は、まるで優しい手のひらのように会場を包み込んだ。

重く淀んでいた空気が、ゆっくりと溶けていく。

誰かの心の棘が、静かに抜け落ちるような感覚。

胸の「琴」の文字が、淡く、しかし確かに輝き始めた。


曲が終わったとき、会場は奇妙な静けさに包まれていた。

人々は涙を拭いながら、ただ息を吐いていた。

悲しみと癒しが混じり合った、不思議な余韻。


弦は琴を抱えたまま、ふらりと壇を降りた。

体から力が抜け、足元が覚束ない。


(私は……また、人を泣かせてしまった)


その後、弦はなんとなく武官の会場の方へ足を向けた。

そこでは、一人の女性が舞っていた。


佳恋。

彼女の舞は、ただ美しいだけではなかった。

柔らかな曲線を描きながらも、力強く、地を蹴るたびに鋭い響きを伴う。

袖が風を切り、足が弧を描き、体全体が一つの剣のように見えた。

見る者の心を、強く、激しく、奪っていく。


「佳恋様……!」

「天女の舞だ……」


観衆が熱狂の声を上げる中、佳恋は薄い面で顔の下半分を覆っていた。

だが、その露わになった目元と白い肌、整った唇の形だけで、誰もが息を呑むほどの美しさだとわかる。


弦はしばらく、その舞に見入っていた。

――あんな風に、堂々と芸を使える人がいるんだ。


夜、宿に戻った弦は布団に横になり、また天井を見つめた。

私は人を泣かせた。

落ちてほしかったのに……。


自分の音が、こんなにも多くの人の心を揺さぶってしまうことが、弦には怖かった。

母を殺したように、誰かの大切なものを奪ってしまうのではないか。

そんな予感が、胸の奥に重く沈んでいた。



次の朝。

宿の外が、ざわめきで溢れていた。


「合格者発表だ!」


弦は人混みの中、掲示板に近づいた。

そこに、自分の名前と、簡単な似顔絵が書かれていた。


「合格者 弦」


合格者は全部で十人。

男八人、女二人は弦と、あの舞を踊っていた佳恋だけだった。


弦は胸の「琴」を強く押さえ、静かに息を吐いた。


「……合格、してしまった」


望んでいなかった。

むしろ、落ちて普通の暮らしに戻れると思っていたのに。

なのに、自分の音はまた多くの人を泣かせ、会場を支配してしまった。


弦は掲示板から目を逸らし、胸の疼きを堪えた。

(灰爺……私は、芸を使わずに生きるって証明したかったのに……)

もう、逃げられない。

王都の渦に、ゆっくりと飲み込まれていく予感がした。

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